捕まえた
※蜘蛛など虫の描写があります。苦手な方はブラウザバックを推奨します。
グレンたちが乗り込んでくる少し前。
俺はケイ、それからシエルと一緒に、ニールのことを話すついでにカリンについても確認していた。
「まあ、ニールを分断しておければの話だけど。幻術トラップを組み合わせれば、カリンを転移トラップのある位置まで誘導できるはず」
「誘導?」
「カリンはヒーラーで、攻撃の術式を持たないんだ。自衛手段に乏しいから、基本的に仲間の指示を最優先するクセがある。特にカリン自身が狙われるとか、危険な状況のほど」
「クセって。普通な気もしますけどね」
そこにシエルが少し首をかしげて言った。
「攻撃してこないのなら、わざわざ分断しなくても良いでしょう」
「そこが甘く見れない。カリンは回復と身体強化を同時に使えるし、どちらの効果も持続が長いんだ。放っておくと、グレンやエリカが術式の重ね掛けでどんどん強化される」
ちなみに、ダンジョンの攻略配信でカリンが術を発動すると、これがまた目立つ。
本人と術をかけられた対象が淡い光に包まれ、重ね掛けするほど輝きが増していくから、映像的にも映えるのだ。
カリンにはファンが多く、まるでアイドルみたいに扱われていた記憶がある。
「ふうん……つまりカリンは本人が狙われない限り後ろで術をかけ放題ということね」
「ん? それって結局、カリンに『危ない』と思わせなきゃ誘導できないんじゃ?」
「ああ、それなら心配ない。わかりやすい弱点があるから」
「弱点?」
「……虫だよ」
「虫?」
「そう。カリンは虫が大の苦手。特に脚の多いのがダメらしい。それにシエルの幻術を合わせれば――」
◇
B1Fの通路には、土色のレンガ壁が続いている。
ところどころに太い柱が立ち、薄暗い明かりに照らされた三人の冒険者――グレン、カリン、そしてヨウが足を止めていた。
「待ってよ、グレン。ニールがいないとトラップの対処ができない」
カリンの声には焦りがある。
先ほどの転移トラップでニールを失い、心細い状況なのだ。
だが、グレンは苛立ちを隠さず、振り返ると短く言い放った。
「このままでいい。ここはそう広いダンジョンじゃない。先に進んで片付けるほうが早い」
「そんな……無理だよ」
カリンはさらに食い下がろうとしたが、グレンが言い返す前にヨウが手を挙げて制した。
「ケンカしてる場合じゃないぞ」
ヨウの視線の先に、人影が揺らめいている。
白い髪に漆黒のワンピースを纏った少女――シエルが、ふっと笑みを浮かべた。
そして彼女が手を伸ばすと、ダンジョン全体が再び揺れ出す。
「ま、また……」
カリンは思わず後ずさる。
グレンは大剣の柄を握りしめ、シエルを睨む。
「……こいつがこの揺れの元凶か!」
怒声が通路に響くと同時に、グレンはシエルめがけて突撃する。
「待ってよ、グレン!」
カリンは追いかけようと足を踏み出した。その瞬間、目の前の床に違和感を覚える。
じわり、と石畳が黒く滲んでいた。
まるでインクがゆっくり染み出しているように黒い液体に覆われて、みるみるうちに砂山のように盛り上がっていく。
「なに……?」
疑問を抱く間もなく、その砂山の頂がごそりと崩れ落ちた。
そこから這い出してきたのは、無数の蜘蛛。一匹どころではない。
何十、何百と重なり合う塊が、うごめく脚をかさね合わせながら、一斉にカリンへ迫ってくる。
「ひっ……! きゃあああ!」
悲鳴を上げるカリンは、完全に恐怖に支配されていた。
カリンは反射的に身を翻した。
とにかく今すぐ、この場から離れたい。本能がそう叫んでいる。
だが、直後にヨウが腕を掴んだ。
「どこに行く! 落ち着け!」
当然、カリンにそんな余裕はない。
迫りくる蜘蛛の群れを前に、彼女は杖を乱暴に振り回すが、空を切るばかり。
「くそっ……グレン! こいつを――!」
ヨウの声でグレンは足を止めた。
わずかに視線を外しかけたその一瞬を突くように、今度はリクの声が通路の奥から響く。
『グレン、こっちだ』
グレンが「……!」と息を呑み、意識をそちらへ向けたとき、シエルの姿はもう見当たらない。
代わりに、すぐ先にリクが にやりと笑って立っている。
大剣を一閃しリクの姿を斬り裂く――が、床を叩きつける虚しい手応えだけ。
リクの姿は霧散し、そこには何も残っていない。
「……ちっ……!」
グレンは振り返った。
カリンとヨウの周りには、すでに大量の蜘蛛が押し寄せている。
遠目に見ると、ヨウがカリンの腕をつかんで何とか踏みとどまっているようだ。
ヨウは必死に声を上げる。
「聞け、これは幻だ!」
その言葉もカリンには届いていない。
そのとき、別の声が響いた。
――それは、グレンと同じ声。
『カリン、右に行け!』
ヨウは思わずグレンのほうを見やる。しかし、当のグレンはそんな指示を出しているはずもない。
「くっ……!」
錯乱状態のカリンは、ヨウの腕を乱暴に振りほどいてしまう。
まったく状況が把握できないまま、聞こえる声にすがるように身を翻した。
偽のグレンの声は、さらに続く。
『そのまま先へ行け!』
ヨウがもう一度カリンの腕をつかもうとするが、間に合わない。
カリンが向かった先は行き止まりの通路だ。それでも彼女は奥へ奥へと追い詰められるように走り込み――
次の瞬間、ぱしゅん、という軽い転移音が響いた。
カリンの姿は、一瞬のうちに通路から消え去る。
同時に、あれだけうごめいていた蜘蛛の大群もかき消えた。
ほんの数秒の出来事。
それだけでニールに続き、カリンまでもが姿を消してしまったのだった。
「……立て続けに2人も失った」
ヨウは険しい表情のままグレンに向き直った。
「今のは完全に弱みを突かれてる。……仲間を助けるか、それもしたくないならいっそ退却したほうが良い」
一方、グレンは拳を握りしめたまま沈黙していた。
ここまでパーティが崩れたのは初めてなのかもしれない。
その苛立ちが、微かに震える肩から伝わってくる。
さらに長い沈黙が続いたあと、グレンは低くつぶやく。
「黙れ」
そして、怒りのこもった目でヨウを睨む。
「……仲間を戻そうとしたところを、逆にはめる気なんだ。あいつは」
口調には、リクへの強い憎悪がにじむ。
「邪魔だ……どいつも、こいつも」
その言葉を聞いて、ヨウは内心で息を吐く。
これ以上何を言っても、グレンが耳を傾ける気配はない。
「……そうか」
短く答えたヨウは、グレンに背を向けるように歩き出す。
独り言のような小さな声が続いた。
「お前の邪魔はしない。こっちはもうひとつの依頼を優先させてもらう」
もうひとつの依頼――それは、ラビが言っていたこのダンジョンの奥にある扉を確かめること。
グレンに付き合って自滅するよりは、一つでも多く成果を出すほうが懸命だと判断した。
◇
ダンジョン1Fの奥まった場所。
そこには狭い檻がひっそりと置かれていた。
虫の幻影に追い立てられていたカリンは、いつの間にかその中に閉じ込められていたことに気づく。
鉄柵を掴んで辺りを見回しても、先ほどまで一緒だった仲間の姿はどこにも見当たらない。
「……え、どこ……?」
戸惑うカリンの前に、シエルが静かに姿を現す。
白い髪が微かに揺れ、冷たい瞳がどこか人間離れした雰囲気を漂わせていた。
そして、薄く笑みを浮かべて、囁くように言う。
「ふふ、捕まえた」
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