だってマスターの部屋でしょ
リクは目を覚ました。
ぼんやりと重いまぶたを開けてみると、そこはさきほどまでユズハたちと過ごしていた――いや、正確には意識を失う直前までいたラウンジだった。
まだ頭が少しふらつく感覚があるが、どうやらソファの上に横になっていたらしい。
「……あれ……」
体を起こしつつ周囲を見回すと、目の前にシエルが立っていた。彼女は淡々とした声音で言う。
「マスター。明日の朝まで目を覚まさないかと思っていた」
「ってことは……いま夜中か? ……ユズハとケイは?」
「部屋に。マスターは動かしてはいけない、と言われたから、私はここで待っていたの」
リクはソファから起き上がろうとするが、まだめまいのような感覚が残っている。
(う……さっき飲んだあれのせいか。思い出さないほうがいいな……)
「シエルは……ずっとここに? 寝なくていいのか」
「ええ。私、眠る必要ないし」
「……え?」
「あと、部屋なんてないし」
シエルのあっさりとした言葉に、リクは思わず口をつぐむ。そういえば、シエルがいつどこで休んでいるのか見かけた覚えがない。
そもそも眠らなくていいとは。だがそんな相手に、今まで自分は何も用意していなかったのだと気づいて気まずくなる。
「…………作って、なかったな……」
◇
1Fフロアの奥。
そこにシエルが手をかざし、ダンジョン空間を自在に書き換えていく。
「私、部屋なんて持つの初めてね」
呟きながら手をおろしたシエルの前には、先ほどまでは存在しなかった扉が現れ、その先に新しい空間が形成されている。
リクが部屋を覗き込むと、重厚なゴシック調のインテリアが広がっていた。黒を基調とした家具やランプ、飾り気のある寝台らしきものも見える。シエルは、こうした漆黒めいた雰囲気が好みらしい。
「ないよりはイイだろ」
この部屋をシエル自身が使うかどうかはさておき、少なくとも落ち着けるスペースはできたわけだ。
魔力量:33167 → 31411
「まさか寝てないとは思わなかった」
「魔力が続く限り稼働できるわ。……このダンジョン内だけなら」
「ダンジョンの中だけ……? もし、外に出たらどうなるんだ?」
「出たことないからわからない。でもきっと私は形を保てない。……ダンジョンもなくなるわね」
シエルの口調は淡々としているが、その内容は衝撃的だ。ダンジョンを制御する核であるシエルがダンジョンの外へ出るということは、存在意義そのものが揺らぐということなのかもしれない。
「ところで、マスターはいいの? あの簡単な部屋で」
簡単な部屋と言われて、思い至る。
最初に作ったベッドだけがある超シンプルな部屋。でももはや慣れすぎて、手を加えようと発想すらしなかった。
「……そう言われたらそうだな……。じゃあ頼むよ。最低限でいいから、寝るところをもう少しマシにしてほしい。配信は魔導端末があれば見られるしな」
リクの要望を聞いたシエルは、小さく「最低限……マスターの部屋」とつぶやき、ふっと考え込むように黙り込む。
(ん?)
シエルの反応がいつもとわずかに違う気がして、リクは声をかけようか迷うが、そのタイミングで彼女がすっと腕を上げた。すると見る間にダンジョンが揺れ始める。
しばらく待っても、1Fには目立った変化がない。揺れが収まったあとも、リクが以前使っていた仮の部屋はそのままだ。
「……? 変わってないような……」
「マスターの部屋は地下よ。B1Fの奥につくったわ」
「B1Fって、ケイと攻略配信やったアスレチック風ダンジョンの先だよな……?」
体調が万全ならどうということもない距離だが、夜も遅い上に先ほど赤汁を飲んでダメージを受けたばかり。リクは微妙に頭痛を抱えながら、地下に降りるのは気が進まない。
「なら転移トラップを設置する。使えば移動は一瞬よ」
「そんなのも作れるんだ……」
リクが承諾すると、瞬く間に足元が青白い光を放ち、景色が歪んだ。
魔力量:31411 → 29411
気づけばB1Fの新しくできた部屋の前に立っていた――そこは、先日攻略配信で使ったエリアの最奥。
見慣れない両開きの扉が重々しく鎮座している。
「……な、なんだよこれ。やたら豪華というか……重厚すぎないか?」
リクが扉を押し開けると、薄暗い照明の下に広がる巨大なホールのような空間が姿を現した。壁際にはいくつもの太い柱が連なり、天井も高い。
足元を照らすのは暗めの照明――硬質な床面がうっすら反射しているだけで、華やかというよりは陰影が際立つ。
視線の先には、背もたれのやたら長い椅子がぽつんと置かれ、その手前にはキングサイズのベッドがひとつ、堂々と据えられている。
「……寝づらい! 何だこの、ヘンに広い部屋にベッドと椅子だけって……!」
思わず指差して叫ぶリクに、シエルは無表情のまま答える。
「だってマスターの部屋でしょ。最低限の設備、ベッドだって大きくしたわ。……作り直す?」
「そうだな……ベッドは大きくなったけど問題はそこじゃない……」
そういいつつシエルが空中に映し出した魔力量を見て、思わず目を剥いた。
魔力量:29411 → 18106
「……1万以上も使ったのか!?」
「いろんな防護を施してるもの。マスター以外、誰も入れないようにもしたのよ?」
「最低限って言って、どれだけ厳重なんだよ……そこまでしなくてもいいって」
「解除しておく?」
「それも魔力かかるんだろ? ……うーん……」
リクは豪奢すぎるベッドをちらりと見やり、力なく首を振る。
「俺だってここで寝るのはちょっと……ごめん、今日は元の部屋でいいや……」
そう言ってとぼとぼと扉へ向かい、1Fへ戻ろうとする。するとシエルはひとつ息をついて小さく頷いた。
「わかった。じゃあ当分このまま封印しておくわ」
「え? ……ああ、うん……」
眠気と疲れで、シエルのさらりとした言葉を深く考える余裕もないリク。転移トラップを踏むと、あっという間に1Fへ消えていった。
一人残されたシエルは、視線を部屋の奥へ向けると軽く手をかざす。扉がぐにゃりと滲むように歪んだかと思うと、壁と一体化するように溶け込んでしまい、床や壁の光の文様がかすかに波打つ。
最後に「カシャン」という錠の閉まるような音だけが、静かな広間に響き渡った。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
気づけば一ヶ月、まさかここまで継続できるとは、自分でも驚いています。
とくに派手な回でなくとも、楽しんでいただければ幸いです。
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それでは、次回もどうぞよろしくお願いします!