それだと伝わらないだろ
リクがダンジョンに戻ると、妙な焦げた匂いが鼻をつき、辺りには黒い煙が立ちこめていた。
「えっ……」
嫌な予感を抱きながら足早に黒い煙の元をたどると、キッチンへたどり着く。
扉はすでに開け放たれ、大量の煙が廊下まで流れ出してきていた。
リクが一歩中に踏み込んだ瞬間、濃い煙がドッと押し寄せ、思わず顔をしかめる。
「な、なにがあった……!?」
「リクさん! シエルちゃんが、止まってくれなくて……!」
「マジで助けて!」
ユズハとケイの視線の先には、鍋をかき混ぜ続けるシエルの姿があった。鍋からはもうもうと黒煙が上がり、あたりを真っ黒に染めている。
「シエル!」
リクが慌てて叫ぶと、ようやくシエルが顔を上げた。
ただし手の動きは止まらず、なおも鍋をかき混ぜ続けている。
「なにかしら?」
「なにやってんだ……?」
「調理よ。今はデザートを作っているの」
淡々と答えるシエル。
だがリクは、彼女がダンジョンコアだった頃に作り出した料理――あの強烈すぎる代物を思い出して、嫌な汗がこみ上げた。
デザートってなんだっけ……? 少なくとも黒い煙を出すモノではなかった気がする。
「ちょっと、シエル、いったん手を止めよう」
リクの焦った声がようやく耳に届いたのか、シエルは手を動かすのをやめる。
しかし少し不満げに首をかしげ、鍋を見下ろした。
「……どうして止めるの?」
「シ、シエル……落ち着いて、まわりをよく見ろ。キッチンと、ユズハとケイがいまどうなってる?」
リクが諭すように促すと、シエルはキョロキョロと視線を巡らせる。
足元を見ると、野菜くずや調味料が散乱し、闇鍋の残骸らしき黒い物体が床を汚していた。
そして黒煙が充満するキッチンで、ユズハとケイはいつになくぐったりしているように見えた。
「……これ、私が……?」
「……そうだよ」
ようやく状況を認識したのか、シエルはゆっくりとお玉から手を離した。
焦げついた鍋底やひどい焦げ臭さにも、今さら気づいた様子だ。
「……私……迷惑をかけていたのね」
◇◇◇
換気を終えたキッチンで、リクは事の顛末を聞かされていた。
まさか自分の「金がない」というつぶやきが、ここまで波紋を広げるとは思っていなかった。
「ごめん……実はマナチャ用の金を用意したくてクエストを受けてたんだ」
「そうだったんですね!?」
ユズハが目を丸くする。
「失敗したけどな……」
「リクさんが失敗するって、どんだけヤバいクエストだよ」
ケイが呆れたようにつぶやく。
「はは……全部俺のせいなんだけど」
リクの声には微かな疲労が滲んでいる。
「クエストは、もうちょっと配信が落ち着いてから考えるよ。……疲れた。何か食べたいけど……こんな状況じゃ……」
そう言ってユズハとケイの方を見ると、ユズハが「あるある、あります!」と即答し、冷蔵庫を開けて中を見せる。
「シエルちゃんが下ごしらえする前に作っておいたんです! あ、あと昨日の作り置きも少し……」
とはいえ、キッチンはシエルの“闇鍋試行”の跡で埋め尽くされていて、このままでは落ち着いて食事などできそうもない。
リクは少し考え込んだ後、ちらりとシエルを見やる。彼女は謝罪こそしたものの、まだどこか気まずそうだ。
「シエル、みんなで食べる場所を作ろうと思うんだけど……」
「……それはダンジョンを改造したいということ?」
リクは笑って、
「そう。みんなが話せて、食事もできるところ……団らんできるところがあれば助かる」
曖昧なリクの指示にも、シエルは「わかったわ。……承認」と短く答え、すっと手をかざす。
するとゴゴゴ……という低い振動がキッチンの外から響き、ダンジョン全体がかすかに揺れ始めた。
キッチンを出ると、ダンジョン入口のすぐ先に伸びる大きな通路と配信スペースの間に、広々としたラウンジが出現している。
仕切りのない開放的なエリアで、床は石材が均一に敷かれ、中央に据えられたテーブルには暖炉が組み込まれていた。優しい火の明かりを囲むようにソファがいくつも配置され、いつでも座ってくつろげるようになっている。
魔力量:37341 → 33167。
「さすが」
◇◇◇
しばらくして、ラウンジのテーブルにユズハの料理が並んだ。ケイが持ち込んだ野菜を使ったヘルシーな品が中心で、マリネやポテトサラダ、野菜炒め、キッシュ、煮込みハンバーグなど多彩なメニューが揃っている。
ポトフはシエルが担当していたが、姿は消していた――その理由は言わずもがな。
けれど、どれも彩り鮮やかで、美味しそうな香りを立ちのぼらせていた。
「うんまっ! 今回オレが戦闘不能だったからなー。すごい助かったよ!」
「……うん、美味いよな」
リクもいろんな料理を取り分け、黙々と食べる。すると、隣でシエルがぼそりと呟いた。
「……調理という作業が、あれほど難しいとは思わなかったわ」
「練習したら上手くなるよ!」
ユズハが励ますように返す。「わたしも何度も失敗して、ここまで来たんだから!」
「私が作ったあの料理以上に?」
「う、うん……! でも今度からはレシピ見ようか!」
そのやりとりを聞いていたケイが、ふとリクへ声をかける。
「そういや、クエスト受けてまでマナチャしたい配信者って誰すか?」
「えっ……」
リクは言葉を詰まらせ、やや照れくさそうに目をそらした。
「……一応ユズハとケイにマナチャするつもりだった」
「えっ!?」
ケイとユズハが同時に驚きの声を上げる。
「オレらの配信、見てたのかよ!?」
「最近、ちょっとだけな」
「なんで言ってくれないんですか〜!」
抗議するようなユズハに、リクは困ったように肩をすくめる。
「え、それだと伝わらないだろ……?」
「ぜんぜん伝わるだろ!」
「そうです! それに、お金がないとか悩みがあるなら、もっと相談してください!」
二人の必死な訴えに押される形で、リクは少し考え込み、それから頷いた。
「……わかったよ。じゃあ次からはちゃんと相談するし、隠さない。堂々とマナチャ投げる」
その宣言に、ケイとユズハは思わず顔を見合わせる。
「マナチャ投げるのが好きなんですね……」
「……てことだよな〜。すげーなこの人」
ほのぼのとした空気に包まれ、これで一日が静かに終わる――はずだった。
だが、最後にシエルが口を開く。
「話は終わったかしら……食後にちょうどいい料理があるの」
ジョッキをテーブルにどん、と置いたシエル。その中には赤い液体が満ち、どろりと揺れている。
「これ、私が作ったのよ。赤汁」
「……赤汁?……りょうり……?」
思わずケイとユズハの方を見るが、二人とも表情が固まったまま。
リクも無言でジョッキを見つめ、その怪しい赤色から目が離せない。
「ユズハとか、ケイもいるんだけど……?」
「……あなたがマスターでしょう? 一番迷惑をかけたのはあなた。だから――ちゃんと食べてしてほしいの」
(食べるものなのか、コレ? 絶対ヤバい匂いしかしないけど……今日は俺も散々やらかして、いろんな人に迷惑をかけたんだ。ここで逃げたら、それこそ情けないだろ……?)
ぐっと唾を飲み込んだリクは、意を決したようにジョッキの取っ手をつかむ。
「……わかった……」
覚悟を決めてジョッキを引き寄せ、さらにゴクリと喉を鳴らす。
次の瞬間、リクの視界がぐらりと揺れ、意識が遠のくような感覚に襲われた。味だの香りだのを認識する余裕は、微塵もなかった。
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