ちょっと、事故っちゃいましたね!
「もちろん…少なくとも、ある程度のことなら何でもできるわ」
コメントがざわつく。
『そういう設定?』
『ありえなくない?』
もしかしてシエルはダンジョン改造のことを魔術って言っているのか?
この時代に魔術といっても道具頼みが多いし、「何でもできる」なんて信じてもらえるわけがない。シエルの雰囲気もあって、そういうキャラとして捉えられているようだが…。
「わっ、『何かやってよ!』ってのがあるよ!」
するとシエルは、笑みを浮かべながら、ちらりと俺に目くばせしてくる。
「いいのかしら?」
「……あー、いや、その……」
言いよどんだものの、盛り上がるコメントと視線を感じれば、もう答えは決まっていた。
「……まあ、ちょっとだけなら」
俺がそう言うと、シエルはふわりと微笑む。
「承認。“ちょっとだけ”ね。扱えるようになったトラップがあるのよ。きっと楽しめると思うの」
(……え?)
「トラップって――」
俺が止める間もなく、シエルは片手を前にかざした。床の上で小さな魔力の波紋がゆらりと広がる。
……しかし、それ以上の変化は見当たらない。
配信スペース内はシーンと静まりかえり、ケイが「んん〜?」という声だけが聞こえる。
「なんも起きないけど……?」
「ね、ねえシエルちゃん。なにも変わらないような…?」
ユズハが不安そうにシエルへ向いた、その瞬間――。
ザザザザ……という不気味な音が、配信スペース全体に響き渡る。
「えっ…なにこの音!?」
「何かいるのか?」
ケイとユズハがあたりを見回す。
コメントにも
『なに?』
『何の音?』
と混乱の文字が並ぶ。
俺も嫌な予感がしてあたりを見回し、異常はない…そう思った矢先、ボトッ、ボトボトッ!と座っている椅子の背後になにかが落ちてきた。
「え?」
ゆっくりと後ろを振り向く。
認識するまでコンマ数秒。
落ちてきた物体を目にしたユズハとケイは、「っぎゃああーーっ!!」と同時に悲鳴を上げた。
その拍子に机を倒し、三人揃ってカメラに背を向ける形になってしまった。机の上に並べていたマイクや機材も落下し、壊れたような音が響く。
倒れた机の向こうに見えたのは、緑色の物体――ゴブリンだった。
子どもほどの背丈だが、濁った緑色の肌とごつごつした筋肉で、口元には鋭い牙が覗いている。
よだれを垂らし、目をギラつかせているその姿は、まさしく野生のゴブリンそのものだ。
「な、なに!? 何が起こったんだよ、これ!?」
ケイが思わず叫ぶ一方、ユズハは後ずさろうとして机に足を取られ、尻もちをついてしまう。カメラにもゴブリンがばっちり写りこんだ。
しかも、天井から湧くようにゴブリンは次々と落ちてくる。ざっと十匹以上はいるだろうか――止まる気配はまったくない。
『ゴブリン!?』
『嘘でしょ!』
『どっから出た!?』
コメントもパニックに陥る。
「ユズハ、ケイ、下がれ!」二人に声をかけるが、いきなりの状況に二人は動けないでいた。
そしてゴブリンの一匹がユズハめがけて飛びかかる。
俺はかばうように前へ出て、拳を振りかざした。
が、手応えがまったくない。
ゴブリンの身体をすり抜けて、その瞬間にゴブリンは霧のように消え失せる。
「なっ……!?」
目の前のゴブリンが消えたのと同時に、あたりにいたゴブリンたちもシュウッと薄れ消えていく。何一つ残さずに。
「どうかしら?」
どや顔のシエルが、静かに手を下ろす。
「シエル……今の何だったんだ……?」
「ゴブリンに見えたでしょう? でも実態はないわ。――幻よ。音も含めて再現してみたの」
ケイもユズハも、呆然としたままだ。
コメントには
『こえー!』
『ガチかと思った』
『シエルって何者!?』
と騒ぎが止まらない。
シエルは得意げに「私の五感が復活したのが大きいわ」とさらに語りだしそうになる。
(まずい! それ以上は配信で喋るな!)
俺はシエルに駆け寄り、「視覚だけでなく音までも再現する幻術のトラッ……」と続けようとする彼女の口を思いきり手でふさいだ。
「んぐっ……」
コメントは
『トラップ?』
『五感...?』
『なんかの秘密?』
と大騒ぎだ。
「え、えーっと……」とユズハがよろよろと立ち上がって、カメラに向かって強引にフォローを始める。
「ちょっと、事故っちゃいましたね! すみません! みんなビックリしたよね!?わ、わたしもビックリしちゃった...でもまあ、大事には至らず……というか、うん!」
「だ、大事? うん、まあ大事には至ってないよな……?」
ケイはコメントを見て苦笑い。俺も冷や汗が止まらない。
「……今日はここまでにしよう! えっとね、そう!シエルちゃんはこういういろんな魔術を研究をしてるんだよね! うん、初めてでちょっとビックリしちゃったけどね!」
ユズハは頭の中で何かをフル回転させているのか、早口でまくし立て、勢いそのままに締めに入る。
「ということで――自己紹介配信、でした! えー、また次回ね! ごめんね、みんな、バイバーイ!」
そして配信終了ボタンを押す。コメントは名残惜しそうに流れつつ、画面は一気に暗転した。
スタジオには、ユズハのヘトヘト感あふれる嘆息だけが響いている。
「も、もう……心臓に悪いってば〜……」
シエルはむっとふくれた顔で俺の手をほどき、「もう少し語りたかったのに」と不服そうだ。どうやら、なぜ止められたのか分かっていないらしい。
結局、不安は現実になってしまった。
あれが幻だったからまだよかったものの、もし本物だったら……悪い方にしか想像できない。
でも、シエルの様子を見ていると配信を盛り上げようとしただけの善意(?)にも思えて、怖がらせるつもりはなかったのかもしれない。
いまのシエルは「しばり」に従っているから、ある意味で安全……。なのに、もしそのしばりを解いてしまったら……?
本当にこのまま、しばりの解除方法を探していいのか?
――あるいは、やめておくべきなんだろうか。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
とくに派手な回でなくとも、楽しんでいただければ幸いです。
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それでは、次回もどうぞよろしくお願いします!