初恋の行く末
帰りの車内、二人は無言のままだった。
様々な思いの過る翔太。多分それは、志織も同じだろう。
気まずい空気のまま、自宅付近に辿り着いた頃には、既に陽はどっぷりと暮れていた。
その日は満月の夜の筈だった。
しかし今は、その雄大な姿は見えていない。西から群雲が連続して流れてきて、完全にその姿を隠していた。
「今日は楽しかったよ」
志織の家の前で車を停めると志織が言った。
彼女なりの配慮だろう。先程の一件をなかったことにしよう、そんな優しさの表れ。
「ああ、俺も楽しかった」
呼応して言い放つ翔太。
少しだけ気持ちの重圧が取れて、ほっと息を吐く。
しかしそれまでだった。それ以上会話は続かない。
重々しい空気は続いたまま。
互いにこの空気をどうにかしよう、そうしなければいけないとは思っていた。
だが言葉にならず、堪らない沈黙だけが支配する。
その気まずい空気を切り裂くように、ダッシュボード上に置かれた、志織の携帯バイブが震えた。
おそらくはフミヤだ。沈黙の車内、ブルブルと小刻みに震える音だけが響く。
やはり志織は出ようとはしない。青ざめたまま視線を落とすのみ。
音量を絞ってあるのは、それも志織の配慮だろう。
だがその配慮が、逆に翔太の癪に障る。
「いい加減にしてくれ」
堪らず声を荒げた。
「……トビ」
はっとして視線を向ける志織。
意味が判らず困惑するような表情だ。
その間にバイブ音は止んだ。着信を知らせる青い点滅だけが繰り返す。
「いい加減迷惑なんだよ、そんな辛気臭いツラされると」
翔太の視線は、志織には向けられていない、真っ直ぐと前を見据えるだけ。
「さっきは悪かったよ。俺が勘違いして、お前が俺に惚れてると思ってさ。でもよお前だって悪いんだぜ」
先程の一件はすまないと感じていた。
言い訳するでもないが、本能や勢いに任せて、その流れであんな行為に及んだ。
それは反省もする。
だけど、だからこそ、主張したい思いもあった。
「どうしたのトビ、言ってる意味が分からないよ」
対する志織には、その意味が分からない。
確かに翔太の台詞は、一方的で支離滅裂なもの。
「そうだな」と力無く自分に言い聞かせて、暫し頭の中を整理する。
群雲は流れていく。
その灰色の空に、うっすらとおぼろな月明かりがゆらゆらと舞う。
その混沌とするさまは、まるで自分の心境、置かれた状況にも酷似している。
「俺には女心なんか分からない。だけど男の心も、少しは理解してくれってことさ」
翔太にすれば、女というのはさっぱり理解不能な生き物。
どんなことを考えて、なにを期待しているかなんて、少しも理解できない。
それ故ジレンマに陥り、少々苦手になる。男には男の、複雑な男心があるから。
「つまりはその電話の向こうにある気持ちも、少しは考えてくれってことだ。繋がらない相手に何度も電話する、その男心も察しろってこと」
たかが携帯電話だ。会話する為の無機質な道具。
ボタンひとつで操作ができて、どこにいようとも会話が楽しめる。誰もがそれを持ち歩き、日々の暮らしの中に埋没してる。
だけどその向こうには、確かな心が存在してる。相手と繋がろうという、想いと共に。
たとえばそれは信頼の心だったり、たとえばそれはいたわりの心だったり、たとえば愛する心だったりと様々。
その逆に、悲しみや恨みの心だってあるだろう。必ずなにかしらの心がある。
その翔太の台詞を、真剣な面持ちで聞き入る志織。
やけに大雑把な台詞だか、その伝えたいニュアンスは理解しているようだ。
「本当に別れたいなら、電話番号でも変えて、一切の連絡手段を絶ちきればいいじゃんか」
そしてその台詞ではっとした表情を見せる。
おそらく兄である涼から、なんとなくは訊いているだろう。
翔太と、その彼女は、一切の連絡がつかないことを。
翔太が話した言葉は、翔太自身が味わった経験だ。
突然『別れよう』とのメールを送られて、全ての未来を絶ちきられた、自分の気持ち。
「だって残酷だろ、俺よりそのフミヤって奴の方が最悪だ。今度こそ出てくれ、そんな思いで電話してるのに、お前は出てくれないんだからな。それでも何度も何度も繰り返して」
翔太には、そのフミヤの気持ちもなんとなくは理解できた。
もう終わりなんだろうなと理解しても、心のどこかでは否定する自分もいる。
だからかすかな望みを籠めて、電話をかける。もしかしたら出てくれるとの、淡い希望を胸に秘めて。
だけどそれは同じくらい、絶望をも含んでいる。
冷たい風が吹き荒れる荒野に立ち尽くし、行き場もなく彷徨うのと同じ。
いくら水をがぶ飲みしても、喉の渇きが潤えないようなもの。
それに比べれば、翔太の方がマシだと思えた。
完全に裁ち切られれば、別れを告げられれば、諦めもつく。
一度はどん底に突き落とされても、いつかは立ち直って、新たな道も切り拓ける。
再び志織の携帯が震えた。
ごくりと息を飲む志織。翔太の言葉が伝わったか、ゆっくりと腕を伸ばす。
それでも躊躇いからか、踏ん切りはつかない。あと数センチの距離で、その動きが止まった。
「好きなんだろ」
その翔太の声ではっとする。ゆっくりと翔太を見つめる。
「好きなんだろ、今でもそのフミヤって奴のこと。だから電話に出れないんだろ」
それは翔太が導きだした結論だった。
嫌いならば『嫌い』の一言で解決する。
会話したくなければ、電話番号を変えればすむ話。
しかし志織はそれをしていなかった。
それどころか手元に置いて、点滅する光を、思考に耽って眺めていた。
つまりそれはまだ、フミヤに未練がある証拠。
もしくは着信がある限り、まだ引き返せると、自分に言い聞かせていたのかも知れない。
「……だって恐いんだよ。もしも別れの話だったら……」
途方に暮れたように言い放つ志織。
それこそが彼女の本音。勇気を振り絞って、電話に出るまではいい。しかしその内容に怯えていた。
「そんなもの、会話してみなきゃ分からないだろ。自分に正直になれよ、恐いからって気持ちをごまかすな、そんなのお前らしくない。そんな姿を見てるとこっちまでおかしくなるんだ」
ゆっくりと風が流れて、群雲を押し流していく。
そして雄大なお月様が、その姿をくっきりと浮かび上がらせていく。
ハンドルに腕を絡ませて、その様子を仰ぎ見る翔太。
「お前、前に月の話してくれたよな?」
えっ、と言って、志織も月を仰ぐ。
志織は昔から科学や宇宙学が好きだった。夜空を眺めて宇宙の広さ、遥かなる神秘を語るのが好きだった。
それ故なのか、宇宙人やUFOの話も好物。
空想を張り巡らし『どこどこの星には、地球を凌ぐ高度文明がある』などと、延々と言っていたのを思い出す。
「宇宙人、俺は信じないけど、月の偉大さは感じてるぜ。お前よく言ってたじゃん、月は人の心を映し出す鏡。月明かりを浴びると……」
「……誰もが正直になる……」
翔太の台詞に、志織がかぶせた。
それも志織が、昔いった台詞だ。
『夜空を支配する満月は、見る人の心を映し出す鏡。だから月明かりを浴びると、誰もが正直になる』
月には不思議な力があるといわれている。
人の見えざるパワーを引き出し、感情までも昂らせる。
特に満月の夜には、それが最大限に発揮される。
それ故、かぐや姫の逸話や、狼男の逸話が生まれたのだろう。
「そういうこと」
宇宙人を信じる訳じゃないが、それだけは妙に信じられる。
月を愛でるという文化を持つ、日本人独特の感性かもしれない。
そしてその感性は、志織にしても同じこと。
躊躇いつつも、ゆっくりと携帯に手を伸ばす。そして意を決して通話ボタンを押した。
淡々と響く、志織とフミヤの携帯でのやり取り。
最初たどたどしく、かすかなトーンの志織だったが、少しづつハキハキして力強いトーンになっていく。
そして会話の最後に締め括られた台詞は『ありがとう』普段通りの和やかな志織だった。
志織は人生の岐路に立ち尽くし、新たな道に進む決断を迫られ、逃げるように福島に戻って来ていた。
いや逃げ出したというのも、語弊があるかも知れない。
気持ちを整理し、信頼する者の助言を仰ぐ為、一時的に帰郷しただけかも知れない。
だからこそ翔太の助言を素直に受け入れて、問題と向き直る決意をしたのだろう。
「ありがとうトビ」
外に降り立った志織は、先程までとは別人のように輝いていた。
「戻るのか? あっちに」
「どうなるかは分からない。でも一度戻って、フミヤとじっくり話し合って見るつもり」
もちろん、全ての問題が解決した訳ではない。
今後志織が、フミヤと結婚できるかだって解らないし、破局を迎えることだってあり得る。
「そうか。こうなると、俺は邪魔なだけだな。これで帰るか」
「名残惜しいけど、これでお別れだね。じゃあねトビ、バイバイね」
「ああ、バイバイ」
志織は玄関に消えるまで、何度も手を振っていた。翔太も最後までそれを見届けた。
ゆっくりと空を見上げる翔太。
相変わらず空は、雄大なお月様が支配している。
月が心を映し出す鏡というのも、案外でたらめではないだろう。
何故か翔太自身、清々しい自分を感じる。しびれる感覚も、どこかに吹き飛んだようだ。
ひとくちかじれば、一気にしびれる渋柿だが、真空状態にしたり、焼酎につけたりと、適切な処置をすればしぶさもなくなる。
つまりそれなりの処置と、ほんの少しの真心が必要ということ。
こうして翔太のしびれるような初恋は、終わりを告げた。
新人消防団2 幼なじみと再会する編~終わり
このエピソードはこれで終わりです。
これは“摂氏一万度の英雄”たち、って小説のひとコマです。
長いストーリが嫌いなら、“新人消防団員 初めての火事場”、って小説をお奨めします。
これもショートストーリー。火事場に特化してます。
幾多の伏線をちりばめたストーリーが嫌いじゃなければ、本編、“摂氏一万度の英雄たち”、お奨めします。
様々な男女の運命が絡みつく、青春群像ストーリーになってます。
どちらもシリーズから進めるのでよろしくお願いします!
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