青春なんて渋柿の味
「ねえ、覚えてる? 高校の頃よくトビのバイクで海に行ったよね」
「ああ、行ったな。涼さんに、志織を連れ出すな、とかって怒られてな」
「あの頃お兄ちゃん、トビのこと、『あんな馬鹿な不良と一緒にいんな』って嫌ってたものね。顔を合わせる度にケンカばかりして。……いつもトビが負けちゃって」
「そうだっけ。俺だって勝ったことあんべよ」
堪らず言い放つ翔太。
「一回もないよ」
志織が即答した。
確かに翔太は、涼にケンカで勝ったことはなかった。
翔太もケンカはそこそこ強い部類に属してはいた、だが涼は更に強かった。
高校の頃の翔太は、涼とは犬猿の仲だった。
翔太は涼と同じ地元の私立高校に入学したのだが、そのとき涼は『俺と同じく野球部に入れよ。おめーはそこそこセンスあっからな』と誘ってくれた。
しかし翔太はそれを断って、昔からの仲間と単車のチームを作っていた。
チームといっても、たった四人のサークル的存在だったのだが……
それでも傍から見れば不良の類。
故に悪い連中との付き合いも多く、ケンカが絶えることもなかった。
『おめーはそんな馬鹿な集団作って、なにをするつもりなんだ!』
涼にはいつも言われていた。
涼は当時から頑固な性格で、一度思ったことは曲げない、少しばかり古風な男だった。
志織をドライブなどに誘うと、見つかる度にケンカになったものだ。
「あの頃のお兄ちゃんは、野球も上手くて、ケンカも強くて。……まぁ、トビもそこそこは強かった部類だけど」
「あの頃は、みんな荒れてたから。県立の奴らには負けるけど」
「あたしがさらわれて、トビが助けに来てくれたこともあったしね」
「あったなそんなことも」
桜谷町には二つの高校がある。ひとつは翔太達が通った私立高。もうひとつは県立高。
私立は元々男子校。伝統的にケンカっ早い。それに即発されて、県立も対立意識を燃やす。
その県立の生徒に、志織がさらわれたことがあった。
さらったのは県下でも有名な不良グループ。城島という、ひとつ年上の男が仕切っていた。
そのグループに翔太は単身殴り込みをかけ、志織を救ったのだ。
もちろんそう簡単に事件は解決しない。志織は逃げ出そうとして車と接触事故をおこす。
怒りに燃える翔太は、相手をめちゃくちゃに叩き潰す。
遂には警察を巻き込んでの大騒動だ。
忘れようとしても忘れられぬ、複雑な思い出だ。
「……ねえ、訊いてる?」
その志織のひと言で、翔太は現実空間に引き戻された。
「ああ訊いてるよ」
「嘘ばっかり、訊いてなかったでしょ? ボーッとしてなにを考え込んでたの」
目の前では志織が、キョトンとした表情を向けている。
「ははは。……わりい、訊いてなかったよ。ちょっとな、昔を思い出していたんだよ」
言って歩き出す翔太。
「ふうーん」
志織がその後を追い出した。
「あたしもこの頃、昔を思い出すことあるんだ。……本当、タイムマシーンでもあれば、戻れるのにね」
そして言った。憂うような、もどかしげな表情だ。
「はあ……」
「訊いてるのトビ?」
「タイムマシーンね」
しかしその事実に、翔太が気付くことはない。呆れて生返事を返すだけだ。
「そうだよ。タイムマシーンがあって戻れたら、今度はちゃんと、トビと付き合えるかもね」
そしてその突然の台詞に、再び立ち止まった。
「……なに言ってんだよ。だいたいにして、どんなことしても過去には戻れないんだぞ。タイムマシーンなんてある訳ねーし。……大体ド〇えもんでもいなきゃな……」
すかさず振り返り、しどろもどろで言い放つ。
だがそんな翔太の思いも余所に、志織は手前に回り込んで、しげしげと見つめている。
透き通るような視線だ。
翔太はそれ以上返す言葉が見つからない。
「あはは。ホント、トビは変わらないね。相変わらず夢がないよね」
しかし返って来たのはその台詞。苦笑するように吹き出した。
「はぁ?」
改めて状況を理解する翔太。
目の前で屈託なく笑う志織。その笑顔に、好きとか嫌いとかそんな意思などはないように思えた。
フーッと大きく深呼吸をする翔太。
「馬鹿、お前がおかしな話するからだろ」
冷静に言葉を発する。
「変なことって、もしかしてなにか勘違いしてるでしょ? 冗談よ冗談、さっきの話は」
「言わなくても分かってたよ。冗談ってことは」
それこそが今ある現実の光景だ。
過去に様々な気持ちの振れ合いがあったとしても、今は互いの人生を生き抜く“他人”。
そして二人、同時に笑いだした。
辺りには蛙の鳴き声が響き渡り、夏の匂いを放ちだしている。水田の稲が青々と生い茂り、キラキラと輝く水面に映えていた。
「だけどあの頃のトビはカッコよかったよ。まるで正義の味方、スーパーヒーローみたいだったもん」
「まるで今の俺が、かっこ悪いみたいな言い草だな」
「あら、そんなことないよ。グチグチ消防団の悪口いうのはかっこ悪いけど」
「馬鹿、あれは冗談だって。すぐに忘れてくれ」
「仕方ないなー。差し引きゼロにしてあげる」
「はいはい」
そこにあるのは和やかな空気だけ。
こうして二人。時間の過ぎ行くのも知らず話し込む。
いつの間にか、志織の家の前まで辿り着いていた。
「じゃあねトビ。楽しかったよ、近いうちにまた電話するからね」
「おう、期待しないで待ってるわ」
志織の姿が消えるのを見届けて、翔太は再び歩き出す。
不意に昔アサの家の庭になっていた柿の味を思い出した。
志織と二人で、竹の棒で引っ掛けてもぎ取った思い出。『赤くて美味そうだな』そう一口かじった柿の味。
結論からいってそれは渋柿だった。口の中いっぱいにシブさが広がって、全身が痺れたのを覚えている。
アサに教えられて、ようやく知った。
柿には甘いのと渋いのがある。
喉が渇いたな、美味そうだな、そんな風に安易にかじってはいけないと。
青春なんかそれと一緒かなと、ぼんやりと思っていた。