第1章 アイゼニアの姫のこと 3-2
ユリウスはもう一度、今度は優しく、弟子の手を取って「ぽんぽん」と二回軽く叩いた。
師の思いを受け取って、ウォルフはひとつ頷くと、懐に指輪をしまい込んだ。
「さあ、戻ろう。何事もないことを祈って」
ユリウスが笑って言った。
「帰りは灯りは消していきましょう」
「そうだな」
四人がそれぞれの手の中のカンテラの火を消すと、森を闇が支配した。
闇に目が慣れるまで言葉も交わさず、少しの間「じっ」と動かずにその場に佇む。森の中とはいえ、この辺りにはまだ月の薄い灯りが届いてくる。
「そろそろ行きましょう」
やがて四人は、キースを先頭に周りを警戒しながら歩き始めた。
どんな時でも目的地に直進しないのは、レジスタンスのルールの一つである。
あちこちに設けられた協力者の小屋などの「拠点」の前を経由して歩く。拠点には見張りが潜んでいて、彼らを見ている。尾行がついていれば、様々な手段で見張りから連絡が来るという仕組みである。
今回も大きく迂回するルートを辿る予定だった。まずは夜明けまでに近隣の村の隠れ家を目指す。そこで一日休んでから本拠地のアジトに向かう計画だ。
レジスタンスの隠れ家は近くにも三か所はあるが、そこには行かない。王城のあるトメロスに近い隠れ家は、レジスタンスにとっても貴重なのである。不用意に危険に晒すわけにはいかない。
まずは西のカナル村を目指すと決めていた。夜明け前には着けるはずだ。
しかし・・・。
一時間ほど進んだ頃だったろうか。
「待て」
二番手を行くユリウスが前方のジェイを止めた。
暗い森の闇の中の中空に突然、魔法陣が展開する。
「散れ!」
キースが声を張り上げた。同時に四人は思い思いの方向に飛ぶ。
それは期せずして打ち合わせ通りにウォルフとキース、ユリアスとジェイの二組に分かれる結果となった。二組の距離は五メートル程度。ウォルフ、キース組は、迷わず近くの茂みに飛び込んだ。
転瞬!魔法陣から発した白い光が、先ほどまで四人がいた空間を貫く。
「魔法使いか、やばいぜ」
大きな木の後ろに隠れたジェイが、思わず呟いたのには訳がある。
彼には視えないのだ。キースには視える。当然ユリウスやウォルフにも視える。
魔法陣が、である。
この可視不可視の差は、そのまま魔法適性の差である。感覚は人それぞれなので比較することはできないが、大雑把にいえば、ユリウスやウォルフには「くっきり」視える魔法陣が、キースには「ぼんやり」と視える。そしてジェイには、全く視えない。そういう感じだ。
視えない者が、魔法を使えるようになることはまずない。後天的に視えるようになったという事例はあるにはあるが、数えられるほどしかない。
ただし彼らにも、魔法が発動した後の光線は見える。
しかしそれでも、圧倒的に不利であるということに違いはない。
魔法陣が視えないということは、敵が魔法を放とうと準備しているのが分からないということ。つまりそれは初動の遅れであり、後手に甘んずるということだ。
魔法陣が展開する向きを見れは、魔法が飛ぶ方向が分かることなどを考えれば、そのディスアドバンテージは計り知れない。
これがキース程度視えると、間を詰めるにしろ逃げるにしろ魔法が来ることを想定した動きができるようになる。
さらにユリウスやウォルフのような本職の魔法使いは、展開される魔法陣の文字の配列から、瞬時にそれがどんな魔法なのか読み解き、相殺する性質の盾の魔法を発動したり、同じ性質の魔法で受け流したりするのである。
ちなみに魔法発動には呪文が必要であるが、これには熟練度があり、上達していくと一部の文言を省略できるようになる。
当然、発動が速くなるということだ。パワーを上げるには、逆に文言を足していく作業が必要となる。威力や攻撃範囲を大きくしようとすると、それに付随して魔法陣は大きくなる。
もう一つ、ここで述べておかなくてはならないのは、魔法は無限に使える訳ではないということだ。
ありがちだが、魔力は、よくコップにためられた水に例えられる。魔法を使う度に水がなくなっていく様子を想像すれば分かりやすい。威力の大きい魔法を使えば、より大量に水を消費する。コップが空になれば魔法は使えない。
水が空の状態で魔法を使おうとしても、魔法は発動しない上に気を失うことすらある。悪くすれば死に至る。
コップの大きさは人それぞれで、中には湯船のような巨大な容量を持つ者もいる。ただし、皮肉を言えば、その者が魔法に適性があるとは限らないのだが・・・。
最後に、この容量は修行によってある程度は、大きくできるということを付け加えておく。
とにかく魔法に適性がないジェイは、対魔法使いの戦闘において、圧倒的に不利だということだ。
ユリウスは、口の中で小さく呪文を唱えている。
その右手を見ると、天に向けられた掌の上に、握り拳ほどの赤い魔法陣が発生している。
前述のように大きさは強さに比例するので、この程度の大きさであれば、殺傷能力はないだろう。ただし敵を怯ます程度には、充分な攻撃力はありそうだ。
魔法が使えれば、誰もがその威力を上げることを目指すだろう。だが、預言者ユリウスは、逆に威力を抑えることを好んだ。
もちろん強力な魔法を使うこともできるが、それは大きな魔力を消費するから長くは戦えないし、呪文の詠唱時間も長くなり隙も大きい。それならば、と敢えて威力を抑えてみたのである。
このユリウスの戦闘スタイルは、弟子であるウォルフにも受け継がれている。
そしてもう一つ、天才ユリウスが編み出したスタイルがある。
それは魔法の連射である。
ユリウスの右手の魔法陣の上に次々と新たな魔法陣ができ、幾重にも寄り集まっていく。
ゆっくりと回転しながら重なり合った複数の魔法陣が、平面から立体へ、次第に球体のようになり、掌の上に浮遊する。もともと平面的である魔法陣を立体的に見えるようになるまで重ね合わせるには、少なくとも数百の魔法を溜め込む必要があるだろう。
その一つ一つを常に制御し続けていなければ、魔法は暴発してしまう。
この緻密なコントロールこそが、ユリウスが天才と称される所以である。
しかもこれで終わりではなかった。
実はここまでは弟子であるウォルフにもできる。
しかし、ここから先は、ユリウスだけの領域である。
この魔導の天才は、右手に魔法陣の塊である球体を浮かべたまま、左手にも同じことをし始めたのである。ほどなくして、左手の上にも淡い赤色の魔法陣の球ができた。
魔法の数にして、なんと片手にそれぞれ千以上。
彼は数千もの魔法を維持し、必要に応じて連射できるのである。一発一発の威力は小さくとも連続で数発も当てれば、人の意識を刈り取ることなど容易にできる。
戦闘準備は整った。
ユリウスは傍らのジェイに頷きかけた。




