第1章 アイゼニアの姫のこと 2-2
レオンハルト・オーウェン・デュマ。
言わずと知れた「黄金の五人」の一人にして、「神槍」の異名を取るほどの達人である。
二十三年前のイビルストライクでは、トルキアの三秘宝の一つ「バルムンクの槍」を獲物に、魔神王と渡り合った。しかし今、その槍は彼の手元にはない。否、この世界にはないと言った方が正確であろう。
激闘の末、敗北を悟った魔神王は、空間をゆがめて異界に退避しようとした。
その胸をレオンハルトが投じた槍が間一髪貫いたのであった。そしてバルムンクの槍は、魔神王と共に異界へと消えてしまったのである。
その英雄も、いまや五十四歳になっている。
その鍛え抜かれた全身の筋肉を見れば、まだ引退は遠いだろうと感じさせる。
彼を守るべき二十歳以上も若い近衛兵達と並んでも、まったく見劣りすることがない。どちらが守られている人物なのか分からなくなるほどだ。
幾多の修羅場を潜り抜けてきたその瞳には、自然と凄みともいうべき威圧感が宿っている。鼻筋は太く長い。肉厚の唇はしっかりと引き結ばれている。親譲りの赤毛の頭髪は、短く切りそろえられていた。
左手に剣を下げている。
その大きな体に見合った重量感のある剣である。王族の武器にありがちな宝石などの装飾は一切ない実用的な剣だった。何時如何なる時も、武器は手元に置いておく。それが彼のこだわりであった。
英雄王の後ろには、細身の少女が続いている。
ティアナ・フローレンス・デュマ。
異常なほどに整った顔立ちの少女である。
今は亡き彼女の母を知る者達は、瓜二つだと口を揃えて言う。ただし肩甲骨の辺りまで伸ばした癖のない髪の色だけは、父譲りのコーラルレッドである。
一目で人を引き付けるような魅力を持った少女だった。特に印象的なのは、そのライトブラウンの瞳であった。見る者を釘付けにしてしまう不思議な光を宿している。
すっきりと通った細い鼻筋も、形の良い唇も全てが絶妙なバランスで配置されており、さながら美の化身が舞い降りたようである。それでいて声を掛けづらいような冷たさはない。
まだ成長途中の瘦身に黄色いドレスを纏って歩く姿勢も美しい。
所作の一つ一つを厳しく躾けられているに違いなかった。ドレスとイブニング・グローブの隙間から見える二の腕には程よく筋肉がつき、日頃からデュマ家のモットーである文武両道の「武」のトレーニングがなされていることが見て取れる。
実際この姫は父に似て「武」を好み、細剣の練習には進んで取り組んでいる。
もう一方の「文」については、あまり興味を示さず、特にマナーの教育を嫌っていた。その時間が近づくと街へと脱走することが多かった。
そんなティアナに、ここまで美しい所作を叩き込んだ教育係のマリアの手腕は、計り知れない。
彼女は今、ティアナの後ろに「ぴったり」と寄り添うように歩いている。
特級侍女長という役職を与えられている。
才色兼備の英才で、三十台前半にしてカトレア部隊という侍女の一団の束ねを任された。
前王妃のフローレンスに見いだされ、彼女の死後のティアナの教育を託されている。
それから十年、マリアは亡き王妃が期待した通り、ティアナを導いてきた。貴族の教養は大嫌いなティアナだが、彼女のことは第二の母のように慕っている。
二人の後ろには、警備の近衛兵四名が続く。
いづれも近衛兵第一隊であるゼノン隊のメンバーである。当然のことながらその誰もが、各々の手に馴染んだ剣を腰に帯びている。ちなみに剣の大きさは各自の自由ではあるのだが、護衛任務中の就いている近衛兵は、全員が同じ色形の防具を身に着け、室内では剣を室外ではそれにプラスして槍を装備するのが公式な場でのアイゼニアの決まりである。
レオンハルト王が、中央に据えられた一番大きく豪奢な椅子に座る。
それを待ってから向かって右側の椅子にティアナ姫が着席した。向かって左、つまり王の右隣の席は王妃専用の席である。今この場にはいないが、カミーラ妃が着座することになる。それ以外の者は座れない。
カミーラ妃は、フローレンス亡き後、九年前に王妃として迎えられた。そしてその直後に次男のフィリップ王子を出産している。
彼女の実の子で現在十一歳のアレクサンドロ王子が、仮の王位継承権第一位ということになる。「仮の」と記したのは、ティアナ姫は王位継承権の放棄を公言しているが、正式な手続きを踏んでいないので、実は彼女の継承権が生きているためである。レオンハルト王もあえてそのことには触れず、今は放置している。
九年前に王妃となったカミーラとの間に十一歳のアレクサンドロ王子がいるのは、レオンハルトが王室に戻った際、すぐにアイゼニアの公爵の娘だったカミーラが側室入りしたためである。
これは実はフローレンス王妃によって進められた。それは「男児を産めない」というトルキア王家の受けた呪い故の決断であった。
「ウォルフ、何があった?」
着席するや否や、王が砕けた口調で問いかけた。低音だがよく通る声である。それから
「あ、いや。面を上げよ」
と、気づいたように付け足した。この言葉を受けて衛兵や書記係の顔が上がる。まだ右ひざは床についたままだ。
「立って楽にしてくれ」
レオンハルトは続けて許可を出すと、全員が一斉に立ち上がる。
「申し上げます」
続いてウォルフが放った一言は、室内を凍り付かせるのに十分であった。
「わが師、ユリアス・アークレイが、トルキアにて帰らぬ人となりました」




