第1章 アイゼニアの姫のこと 12-2
沈みかけた太陽が木漏れ日となって魔の森に降り注いでいる。
二つの人影が、乱立する木々の隙間を縫うように、少しづつ洞窟に近付いていく。ギリアムが先導し、手が届くほどの間隔ですぐさまウォルフが続く。
二人の視線は絶え間なく動き、異常の有無を探っている。
しかし何事もないまま、入口となっている木のうろに辿り着いた。
ゼノンは、茂みの中から周辺を調べる二人の様子を注意深く観察していた。
二人が各々の方法で洞窟の回りを探索する様子を見守っている。
二十分ほど経過すると、やがて思い思いの方角に散っていたウォルフとギリアムが、洞窟の前で顔を合わせた。二人は黙って顔を見合わせる。そして同じタイミングで首を傾げ、示し合わせたように頷いた。
そしてゼノンに向かって手招きをする。
どうやら警戒すべきモノの兆候はなかったようだ。
「行きましょう」
ゼノンは傍らのティアナに声を掛けて動き始めた。差し延べられた手を借りて身を起こしたティアナも後に続く。
少し離れた低木の中から、剣を片手にナッシュも姿を現した。
手で払って身体に付着した泥や小枝などを払い落している。
三人は小走りに洞窟へと駆け寄って、ウォルフたちと合流した。
「異常はないですね」
「魔法によるトラップもないようです」
「良し。では中に入ろう」
ゼノンは頷いた。
「ギリアム、先導を頼む。ウォルフは二番手で魔法に注意してくれ。ティアナ様は私とその後ろに付いて下さい。ナッシュ、お前は最後尾だ」
ゼノンの指示に全員が動き出す。
そんな中、ウォルフは少し浮かない顔をしている。先程、答えた通り警戒すべき異常は発見できなかった。しかし何故か胸がざわつくような「もやもや」とした不快感を感じている。
(このルートを選択したのは自分だ。その責任を重圧に感じているのかもしれない)
そんな風に自己分析してみた。しかし得体のしれない不安はぬぐえなかった。
そっと盗み見るようにしてティアナを観察する。
彼女の直観の鋭さは知っている。もし自分と同様に漠然とした不安を感じている素振りが見えたのなら、少し立ち止まるべきなのかもしれない。
ところがティアナに何かを危惧している様子はない。顔が少し強張っているように見えるのは、恐らく緊張のためだろう。
この不安は自分の思い過ごしだろうか?それともティアナに直接声を掛けて確かめてみるべきか?
「ウォルフ。君の番だ」
迷っている内にゼノンに促されてしまった。
気づけば、ギリアムは既に洞窟へと身を投じている。結論を出せないまま、半ば押し切られるような形で洞内に入ってしまった。
後になって、この時、決断しきれなかったことをウォルフは悔やむことになる。
死を迎えるその時まで、ふとした瞬間に心の奥底から湧き上がってきて、彼を苦しめる出来事の一つが起きることになるのだが、それはもう少し先の話である。
「大丈夫か?」
外からゼノンの声が掛かった。
「待ってください」
準備してきたカンテラに慌てて魔法で火を入れる。
すぐに洞窟の内部が明るく照らされた。二か月ほど前に訪れた時のまま、何も変わっていないように見える。
洞窟の中は湿気が多くひんやりとしていた。
ウォルフからカンテラを受け取ったギリアムが、光を掲げ前方を照らすようにした。
一般的な体格の大人が歩いて通るには、十分な空間が開けてはいるが、太い木の根が所狭しと絡み合い、足場はかなり悪そうだ。
設置型の魔法陣も含めて、ここにも罠の類は見当たらない。
「問題なさそうです」
ギリアムのそれは、ゼノンの問い掛けへの返答である。
「良し」
言うが早いか男が一人中へ入ってきた。ゼノンである。
状況を把握するように素早く中の様子に眼を走らせる。そして入口の方へ向き直って手を差し延べた。
「どうぞ」
その手を支えにしてティアナが入ってくる。
「足元に気を付けて下さい」
「ええ。ありがとう」
そのまま体を入れ替えてティアナが前に出る。二人並ぶには、だいぶ狭い。
最後にナッシュが身体を捩じりこむようにして入ってきた。体格が良い彼にとっては、この入り口はかなり窮屈だ。胸や背中を擦りながら辛うじて通過できたようだ。
「狭いですね。何とか通れました」
苦笑いする。もしここにガウェインがいたら、外で待つ羽目になっていたかもしれない。彼はナッシュよりも更に一回りは身体が大きい。
「もう一度、外の様子を確認してみてくれ」
「はい」
幹の窪みに手をかけて自身の身体を少し持ち上げながら、ナッシュは顔だけを外に覗かせた。
上下左右に目を走らせながら、動くものがないか気配を探る。
しばらくして・・・。
「尾行はいません」
降りてきたナッシュが報告する。
「良し。灯りを増やそう。ウォルフ、頼む」
言われるより早く、背負った荷の中からギリアムは二台の灯火具を出している。ウォルフが魔法で火を灯した。
周囲がさらに明るくなる。
「進もう」
ゼノンが指示にギリアムが無言で頷いた。
カンテラで前方を照らしながら、ギリアムは歩き始めた。その後ろを割り切れない複雑な想いを抱きながらウォルフが続く。
(もう悩む時ではない。今は集中しなければ・・・)
心の内で自らを強く戒めた。専門家である自分が魔法のトラップを見落とせば、全員が危険に晒されてしまう。
カンテラを握る右手を強く握りしめ、張り出した木の根を跨ぐように、ウォルフは大きく一歩を踏み込んだ。
その後ろに付いたのはティアナである。
荷物を持たない彼女は、ゼノンに削り出しでもらった杖を支えに軽快に歩き出した。
理由もなく心が沸き立つようになって冷静ではない自分に落ち着かない。今日はずっとそうだった。この洞窟へ近づく程に感情が高ぶってきた。抑制できない程の喜びに、ティアナの足取りは自然と軽くなっていた。
そんな彼女を守るように、ゼノンが後ろに張り付いて進む。さりげなく歩幅を合わせる辺り如才がない。
最後にカンテラを手にしたナッシュが膝立ちになってついてくる。
この辺りの空洞は、入口よりはだいぶマシだが、彼にはまだ少し狭い。最後尾という役目柄、後方の警戒もしなければならない。しかし振り返るのがきつい。
だから迷うことなく膝を折った。
ナッシュの思考は単純である。
膝立ちで先を歩く仲間についていけるのかとか、膝を痛めたらどうするのかとか無駄なことは考えない。そうなった時に考えれば良い。
殿としてすべきことをする。膝立ちになれば、空間に充分動けるだけの余裕が生まれる。それだけだ。
無理矢理作り出した空間を利用して、ナッシュは振り返り後方を警戒する。
誰も何も言わない。あるいは微笑み、あるいは眉根を寄せながら、それぞれの想いを抱いてナッシュの姿を背中で見ていた。
例えばゼノンは、我知らず口角を上げて、密かに頼もしい奴だと考えている。
あるいはウォルフは、逆にナッシュの身体を気遣って、軽快な足取りとは裏腹に、心配そうに時折振り向いては様子を覗っている。
そんな仲間の反応も当の本人はどこ吹く風、ただ周囲の警戒を怠らない。
そのまま洞内を進むと次第に空間が開けてきた。ナッシュは立ち上がり、すっかり湿ってしまった膝の辺りを払って土埃を落とした。
ようやく自由に身体を動かせる広さになった。
ナッシュは光が揺れないようにカンテラを持ち替えながら、交互に左右の腕を回して凝り固まった筋肉をほぐした。
顔には快活な笑みが浮かんでいた。




