第1章 アイゼニアの姫のこと 10-3
「とても重要なことです。しっかりと聴いて頂きたい」
ティアナに背を向けたままウォルフは語り始めた。
「魔術師には暴走と呼ばれる切り札があります」
背中に強い視線を感じている。
「ただこれは、諸刃の剣ともいうべき手段で、私は使うべきではないと思っています」
慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと伝えていく。
「術者の命を犠牲にして、広範囲を無差別に攻撃する魔法だからです」
どう言えば分かってもらえるのか。
否、自分の考えを押し付けてはいけない。ただし一旦教えると決めた以上、伝えるべきことを余さず伝えなくてはならない。
「この術は発動すれば術者の手を離れ、敵味方の区別なく周辺一帯を攻撃します。自分自身も攻撃対象となります」
話している内に顔の火照りが治まってきた。
「つまり、それは自爆行為なのです」
ウォルフはティアナへと向き直った。背を向けたままできる話ではない。
「何故、私が躊躇していたのか。それは、どんな時でも姫には生き残る道を探し続けて欲しいからです。安易にこの手段を択ばないで欲しい。そう思ったからです」
「つまり、使うなってことね。なら教えてもらわなくてもいいわ」
「それが、そう簡単な話ではないのです」
ウォルフはティアナの眼を見詰めた。「美しい」とは思うが、先刻のような動悸はない。少し安心した。
「やり方を知らないということは、意図せず発動してしまう可能性もあるということなのです。貴女はもう、その条件を満たしているのですから・・・」
ティアナは首を傾げた。
「だから悩んでたってこと?」
「その通りです」
思えば、いつ戦闘が始まってもおかしくない今の状況では、必然的に暴走についても指導しなければならないということなのだ。
「もうひとつ、覚えておいて頂きたいことは、戦闘中は周囲の魔術師が暴走する可能性があります。これは敵ばかりでなく味方にも注意が必要だということなのです」
「敵味方関係なく、一定の範囲を攻撃する魔法だから、ね?」
「その通りです」
ウォルフは頷いた。
「これはユリウス師から聞いた話ですが、命を懸けた闘いの最中は、誰もが予想外の動きをします。普段は冷静沈着で思慮深く信頼できると思っていた魔法使いが、いきなり暴走したのを何度も見てきたそうです」
ティアナは無言で頷いた。その表情から真剣に理解しようと臨んでいるのが分かる。ウォルフは満足気に微笑んで先を続けた。
「敵味方が入り乱れるような乱戦になった時は特に、暴走に巻き込まれないよう注意が必要です。まず見分け方から教えましょう」
ウォルフは人差し指を立てて、胸の前に置いた。
「この指を魔術師だとしましょう。暴走も魔法ですので、実行される前には必ず魔法陣が出現します」
次の瞬間、人差し指の上に小さな青い魔法陣が現れた。
「魔法陣の大きさは人によって様々です。ご存じの通り人によって魔力の総量は異なります。残存する魔力の全てが注がれるので、魔力の消費状況によっても攻撃が行われる範囲が変わるのです。この人差し指の彼の残りの魔力が、この魔法陣だと思ってください」
ウォルフの胸の前で、人に見立てられた指先に地面と平行に作られた魔法陣が、ゆっくりと回り始める。
「暴走の魔法陣が出る場所は決まっています。空か地面です。いづれの場合も術者を中心にした巨大な魔法陣が発現します。この人差し指の場合は頭上に出ていますね」
自らの指を少し前に出して見せた。
「無差別攻撃が行われるのは、魔法陣の内側だけです。範囲攻撃なので魔法陣から外に出てしまえば、巻き込まれることはありません」
と、もう片方の手の指を魔法陣の中に侵入させてから、外に逃がしてみせた。
「ですから、暴走の兆候を見たら、まずは発動する前に範囲外に逃げることです。一般的な魔導士が相手の場合は、攻撃範囲が直径十メートルを超えることは、滅多にありませんし、熟練の魔導士でも起動するまでに一、二秒ほどあるはずですから、素早く行動すれば逃げ切れるでしょう」
ウォルフの言う「起動するまで」というのは、魔法陣が描かれ始めてから攻撃が始まるまでという意味である。
威力の強い魔法になればなるほど、魔法陣は大きくなり発動までの時間も伸びる。それは暴走も例外ではない。まずは逃げることを最優先するのだ。
「ただし魔力の総量が多い相手の場合は、逃げきれないことがあるかもしれません。そんな時は防具や魔法で相殺するしかありません。近くに盾が落ちていたら、魔法陣の方に向けて、その陰にできるだけ身を隠して下さい。それが一番簡単で有効な防御です。直撃さえ避けられれば、かなり生存率は上がるでしょう」
ティアナは頷いた。
「近くに身を隠せるものが何もない時は、・・・あまりお勧めはできませんが、魔法で対処するしかありません」
ウォルフは目を伏せる。そして大きく息を吸い込むと続きを語り始めた。
「まず魔法には相性があることを知っておいて下さい。相性は魔法陣の色から判断するのが、最も簡単な方法です。魔法陣の色は青、赤、黄、白、黒の五色に大別できます。この中で姫が使えるのは、火魔法の赤と、練習中ですが浄化之矢の黄ですね」
浄化付与の魔法陣は白だったが、浄化之矢は黄色である。同じ系統の魔法であっても同じ色の魔法陣にはならないこともある。
「うん」
ティアナは真剣なまなざしで聴いている。
「魔法陣の色に応じて、それぞれを青魔法、赤魔法、黄魔法、白魔法、黒魔法と呼びます。そして、この五つの色は、互いに影響を与える性質があるのです。魔法で魔法を防ぐためには、まず相手の魔法陣の色を見なくてはなりません」
ウォルフの指の上のモノは青い。
「青は黄には強く、白に弱い。黒に対しては力を増し、反対に赤に会うと弱化します。姫が赤魔法である火を使えば、この青魔法を吸収し力に変えますので、小さい力で楽に勝てるはずです。白魔法の場合は、同程度か少し弱いくらいの攻撃力であればこれ打ち消せますが、黒魔法を使ってしまうと逆に相手の攻撃力が増してしまいます。黄魔法ですと、相手の魔法よりもかなり強力でないと身を守れない、ということになります」
青は、黄を伏し、赤を高め、黒は取入れ、白に降る。
赤は、白を伏し、黄を高め、青は取入れ、黒に降る。
黄は、黒を伏し、白を高め、赤は取入れ、青に降る。
白は、青を伏し、黒を高め、黄は取入れ、赤に降る。
黒は、赤を伏し、青を高め、白は取入れ、黄に降る。
簡単にまとめると、これが各色の相関関係である。
闘いに精通した熟練の魔導士ともなると、構築中の魔法陣の配列を読み、さらに有利な魔法を繰り出して防御に使う。小さい力で封殺できれば、有限である魔力の消費量を抑えられて燃費が良い。
ただし想像するよりも遥かに難易度の高い作業である。ティアナのような初心者の魔導士にとっては、不可能に近い。故に・・・。
「慣れない内は、黄の魔法陣の時は黄を使い、その他は赤を使うと決めておくと良いでしょう」
と、決めておけば早く反応でき、生存率も上がる。
多少のダメージを受けることになるだろうが、それは致し方ないと割り切るしかない。
「うん」
「最後に暴走のやり方です」
ウォルフが真直ぐにティアナを見る。可能ならば、使うことなく天寿を全うして欲しい。
「方法は至って簡単です。ガーディアンに願うだけです。その時に『自分の全てを捧げる』とか、『この身と引き換えに』とか、そういったキーワードを入れてしまうと暴走してしまうのです。貴女はもう守護者と対話ができるのですから、簡単にその想いが届いてしまう」
「・・・なるほどね」
「守護者は神とはいえど、人とそう変わりません。願いを勘違いして聞き入れてしまうこともあるのです。当人は暴走なんてしたくないと思っていても、守護者がそれを汲み取れず、告げられたキーワードに反応して暴走を引き起こしてしまう。我々魔導士は、そうした間違いを避けるために呪文を使うのです」




