第1章 アイゼニアの姫のこと 9-5
光の矢は一直線に飛び、狙いを過たず大地に突き立てられた大剣に命中した。
途端にナッシュの剣が淡く発光する。
「おお!」
ナッシュの口からどよめきが漏れる。
ウォルフが剣に歩み寄り、柄に手を伸ばした。しかし途中で何かに気づいて動作を止めた。そして弟に視線を向ける。
「持ってみてもいいのかい?」
それをどう受け取ったのか、ナッシュが訊いた。
ウォルフは少し考えた。剣は柄も含めた全体が発光している。
「まず、これで触ってみてくれ」
腰をかがめて足元の木の枝を拾うと、ナッシュに手渡す。
「異変を感じたら、すぐに手を放すんだぞ」
「ああ」
答えるが早いか無造作に手を伸ばし、柄の部分に木の枝を触れさせた。
・・・・・。
何も起こらない。
剣は依然として淡く光り続けている。手にした枝に目に見える変化はない。
「大丈夫そうだな」
その様子を見てウォルフが言った。先程、剣に触れようとしたのは、今は亡きユリウス・アークレイと共にいた頃の癖である。それが彼の役割だったのだ。
すぐに気づいて手を引いたのは、自分がここにいる唯一の熟達した魔導士だからである。何か不測の事態が起きた時、反対魔法をかけて異常を終息できる可能性を持つのは、自分だけなのである。
反対魔法には、魔法の効果を打ち消す力がある。
しかし、それは並大抵の修練では使いこなせない高度な技法だ。内容自体は単純で、ある魔法に文字通り真逆の効果がある魔法をぶつけるだけだ。ここで難しいのは「真逆」でなければならず、尚且つ「等質」でなければならないという点にある。
全く同等の威力を持った対極の魔法でなければ、互いを無効化できないということだ。
戦闘の中で、この現象が見られる可能性はゼロではないが至極稀であり、それはもはや奇跡と言っても良いだろう。
ではどこで反対魔法が使われるのかと言えば、それは実験の場が主である。
初めて使う魔法の呪文を唱えた時、出現する魔法陣を解析しておくことで、性質、威力、範囲などを特定できるのだ。威力や範囲はそのままに、性質だけを真逆にすることで反対魔法は完成する。
熟練の魔導士にとって、新しい魔法を試す際には、その魔法陣の配列を記憶できるように、ゆっくりと時間をかけて呪文を詠唱するのが常識である。
そして、それは先刻ウォルフが行ったことでもあった。
つまり、いま彼の脳内には、弟の剣にかけられた魔法を無効にできる呪文があるのだ。他に魔導士がいない以上、剣を掴んだ者に異変が起きた場合、救える可能性を秘めているのは、ウォルフだけということになる。
即ち、それが剣に伸ばしかけた手を引っ込めた理由である。
「持ってみるよ」
言うが早いかナッシュは大胆に手を伸ばし、澱みない動作で愛剣の柄を握りしめた。
一瞬の躊躇すらない。
これには、周りで見ていた者たちの方が、揃って息を吞んだ。
兄とは違い、特別な第六感を持っているわけでもないのに、こんな時ナッシュは決して迷わない。気負わない。思案しない。思い切りの良さこそが彼の長所であり、同時に短所でもあるのだ。
このようなナッシュの性格は、ややもすれば優柔不断とも評されがちなほど慎重な兄ウォルフとは、対極にあると言ってよい。
暴挙ともいえる弟の行動を見て、慌ててウォルフが問いかける。返答次第では、すぐに反対魔法を構築できるよう準備をしている。
「痛みはないか?変な感じはしないか?」
ナッシュは拍子抜けして手にした剣を見詰めていた。
「別に・・・何も感じないな・・・」
期待していたような特別感はなかった。
そのまま人がいない方に向かって、数回素振りをしてみたが、剣が淡い光を放っていることを除いては、何も変わったことはない。
「実際に何か斬ってみてもいいかな?」
ナッシュが振り向いて言った。
ウォルフが無言で頷く。
「じゃあ、いくよ」
目線の高さに伸びていた直径三センチほどの枝に狙いを定めて、ナッシュは剣を振りかぶった。そのまま一寸ためを作ってから、一息に振り下ろす。
枝は両断され、軽い音を立てて地に落ちた。
「どうだ?」
問われてナッシュは首を傾げる。手に残る枝を切った感触を思い返してみた。
「・・・何も変わったことはない・・・と思う」
「ちょっと待ってろ」
後ろで見物していたギリアムが進み出て切断された枝を拾い上げた。ゼノンも歩み寄って切口を丹念に確認していたが、特別なことは見つけられなかったようである。
「異常はないな。何の魔法なんだ?」
「武器に浄化を付与する魔法だと思うんですが・・・」
ゼノンの問いにウォルフが困惑したように答える。
「浄化?」
「ええ。師の手記に書いてあったんです」
「ユリウス様の・・・」
黙って聞いていたギリアムが、自らの荷物に向かって真っすぐに歩いていく。荷袋の中から彼が取り出したのは、刃渡り四十センチ程のショートソードであった。
「ノルドの剣?」
「浄化といえば、これですよね」
振り向いて「にやり」と笑う。
「切り口を比べてみましょう」
ギリアムはおもむろに剣を抜くと、手頃な枝に振り下ろした。
一振りで枝が両断されるが、剣を振るった本人は納得いかない様子で首を傾げた。その様子に気づいたゼノンが声を掛ける。
「どうした?」
「何というか・・。あまり、いい剣じゃないですね・・・」
ギリアムが答えた。切れ味が思ったより悪かったらしい。
同じ年齢で未だに剣術ではライバル関係にあるゼノンに対して、人前では敬語で話すようになった。隊の規律を守るためである。
「ふむ。・・・枝に当たった時、一瞬光ったように見えたな」
「そうですね。ナッシュの剣と同じ感じの光でした」
「俺もそう思った」
ゼノンも同意する。
「光の量だけ見ると、ノルドの剣よりウォルフの魔法の方が、かなり強いな・・・」
「それだけ効果が高いってことかもしれませんね」
言いながらギリアムは切断した枝を拾い上げた。
「やっぱり、切口は汚い」
顔をしかめる。剣職人としてのノルドの腕は、決して褒められたものではなかったようだ。
「それ以外は、ナッシュの切った枝と特に違いはないみたいです。あとは実際に亡霊でも切ってみないことには、分からないですね」
「うーん。実戦の前に試してみたいものだがな・・・」
そんな話をしている間に、気付けばナッシュの剣の光が弱まっている。魔法をかけてから五分程度は経過しただろうか?やがて光は完全に消えた。




