第1章 アイゼニアの姫のこと 9-4
居ても立ってもいられない。
全員が、そんな気持ちを共有している。
とにかく早く先に進みたかった。
指輪がティアナに見せているのが、リアルタイムで行われている虐殺行為であるのならば、今から向かったところで間に合わないだろうことは分かっている。ただ身体を動かすことで、胃を鷲掴みにされたような「もやもや」した想いを払拭したかったのだ。
「夜の森は危険です。気持ちは分かりますが、まずは充分な休息を取りましょう」
一刻も早く自分の眼で安否を確認したい。その想いはゼノンも同じである。しかし、ここで冷静に判断するのが彼の役目である。
それは若いティアナの意に反した決断だった。何とか下された決断を覆したい。そんな想いを込めて、魔導士へと顔を向ける。
「ウォルフも同じ考えなの?」
「そうですね」
助けを求めるようなティアナの視線を受けて、少し考えてからウォルフは静かに言った。
「隠里までは、まだ少し距離がありますから、夜を徹して進んでも間に合わないでしょう。疲労が溜まるばかりで得るものは少ないと言えます。レジスタンスに生存者がいなければ、無駄足にある可能性すらあります。・・・もしかすると、目的地を変える必要があるかもしれませんね。姫がおっしゃるように、指輪が我々を導いているのならば、それに従った方が良いかもしれません」
期待した答えは引き出せなかった。
「そして今は、少しでも闘いの準備をしておくべきです。魔法を練習しましょう」
それどころか藪蛇を突いてしまったようだ。
「とは言っても、気持ちが落ち着かないでしょうから、今夜は呪文の反復練習をしましょうか。実は私にも試してみたい魔法があります。一緒にやってみますか」
むくれたように頬を膨らませるティアナを見て、ウォルフは少し笑った。どうやら彼女は大丈夫なようだと判断したからである。彼女の母親がそうであったように、指輪に見せられた残酷な光景などに負けないほどの強さを持っている。そう確信できたからこその笑顔だ。
だが子供扱いされたと勘違いしたティアナが、また少しむくれた。その様子が微笑ましく映って、またウォルフは笑った。今度はティアナが思った通りの意味である。
「さあ、やりましょう」
微笑みながら立ち上がって、マントの尻の辺りに付いた泥を払った。渋々ティアナも立ち上がる。
「何よ、いつか絶対やり込めてやるんだから」
などと口の中でぶつくさ呟いているが、結局のところ二人の判断を認めたということである。
また少し笑って、ウォルフは、懐から師が残した手記を取り出してめくってみた。
試しておきたいのは「浄化之矢」と「浄化付与」だ。
手記を読むと、残りの二つの魔法には注釈が付いていた。
「聖域」には、魔力の消費量に注意するように、と書いてある。「神降」の項目には、他に打つ手がない状況に陥った時に最後の手段として使うように、と記載されていた。
実はその二つの魔法が記載してある箇所に目を落すと、いつも得も言われぬ不安を覚えるのだった。とりわけ神降の欄は、非常に不吉な予感が胸を掻き立てる。
魔法使いとしての資質が、守護たる神を認識する能力にあることは既に述べた。
その能力が強い者ほど魔術師としての資質が高く勘も鋭い。これは完全に比例する。本人が意図せずとも、守護たる神が瞬間的に正解に導いてしまうからである。
逆に言えば、大魔導士ユリウス・アークレイをして、「当代随一の才能」とまで言わしめたウォルフ・シーアスターは、非常に優れた直感力を保持しているということだ。
ティアナとの一番の相違は、この能力を完全に制御できているか否かという点にある。ウォルフはこの第六感ともいうべき感覚を、ほぼ完全に自らの意思で管理しているのだ。それは「勘」というより「知」と言った方が近いかもしれない。
そう。ウォルフは知っている。
この二つの魔法は使うべきではない、と・・・。故にもし仮に使ねばならない時が訪れるとすれば、「生死が掛かった局面でのみ」と決めている。
そうしたわけで、いま試そうと思っているのはそれ以外の二つであるが、浄化「付与」というからには、対象が必要だろうと推察する。
「ナッシュ、手を貸してくれないか?試したい魔法があるんだ」
愛用の剣を手に素振りを始めようとしていた弟に声を掛けた。
「ああ、いいよ」
「剣を抜いてもらえるか?」
「ん?こう?」
ナッシュはバスタードソードを抜き放って半身に構えた。
「いや。構えなくていい。剣に浄化の特性を付与させる魔法だと思うんだが、初めて使うから何が起きるか分からないんだ。剣を地面に突き立てて、少し離れていて貰えるとありがたい」
ティアナを含む他のメンバーは、興味津々といった感じで、二人の様子を眺めている。
ナッシュは手の中で剣を半回転させ逆手に持ち替えて、そのまま垂直に地面に刺した。
「これでいいのかい?」
言いながら三歩程下がって距離を取る。
「良し。じゃあ、やってみる。危険を感じたら、すぐに逃げてくれよ」
ウォルフは手記に眼を落した。そこに記された呪文を目で追いながら、口の中で丁寧に唱えていく。
するとウォルフの前方、胸の辺りの位置に白い魔法陣が現れ始めた。直径五十センチほどの大きさだ。これを攻撃系の魔法と置き換えたとすれば、当たり所によっては一撃で生命を刈り取れるほどの大きさと考えてよい。
詠唱が進むにつれ、魔法陣の中に次々と文字のような記号が浮かび上がっていく。ウォルフは、その配列を確認するように、ゆっくりと時間をかけて魔法陣を構築していった。
最後の一文を読み上げた瞬間、完成した魔法陣は淡く発光し、右回りに回転し始める。
「では、放ちます」
ウォルフは周りを取り囲むように立つ三人に順番に視線を送り、
「いくぞ」
と、最後に弟を見た。全員の視線が剣に集中する。
転瞬!魔法陣の中心部から白い光線が放たれた。




