第1章 アイゼニアの姫のこと 9-2
今日は十六キロほど歩いただろうか。
魔の森は足場が悪い場所が多く、思うように進めない日々である。
もう日が暮れようとしている。この数日でかなり距離を稼いできた。そろそろ目的地も近いようだ。近いと断定できないのは、実は誰も目的地を知らないからである。
この一行のリーダーとしてレオンハルト王に任命されたのは、近衛兵団第一隊の隊長であるゼノンだ。故に一行を安全に導くための最終判断をするのは、彼の役目である。
一方、行動の指針となっているのは、ティアナ姫である。彼女は、神獣の指輪に秘められた力を解放するために、旅に出る意思を固めた。その決断がなければ、この旅もなかったといえる。
しかし、奇妙なことではあるが、二人とも具体的な最終目的地を知らないのだ。
ティアナの母であるフローレンスは、先代の指輪の所有者だった。彼女がどこで契約者たる力を得たのかは、夫であるレオンハルト王を含めて知るものは誰も生きていない。
ただトルキア国内であることは間違いなく、首都トメロス周辺ではないかと推察されている。
それ故に情報収集も兼ねて、ひとまず一行が目指しているのは、魔の森の一角にあるというレジスタンスの隠れ家である。ウォルフには、彼らとのパイプがあった。
レジスタンスは、旧トルキア軍の残存勢力が中心となって組織された集団で、九年以上にわたりツォーグ軍への抵抗を続けている。失われた国を取り戻すべく、闇に潜り力を蓄えている彼らを、ウォルフの師である預言者ユリウス・アークレイは、長年に亘り支援してきた。
ウォルフも何度か彼らと行動を共にして、戦友ともいえる関係性を築いている。神獣の指輪の力を得られれば、レジスタンスの活動にもプラスになるだろう。互いに利益がる関係と言える。それ故に彼らの力を借りたいと考えていた。
そうしたわけでレジスタンスのアジトは、あくまで中継地点として目指しているのだった。
目的地は依然として不明ではあったが、ここまで来てティアナは人差し指のリングが、日を追うごとに強い力を放つようになってきたと感じている。
どこかに導かれているような、引き寄せられるような感覚が日増しに強くなっているのだ。
それは、ぼんやりと霞んでいたモノが、次第にくっきりと輪郭を顕わにしていくような不思議な感覚だった。
聞くところによれば、母であるフローレンスは、神獣を使役していたという。だから神獣との「契約者」と呼ばれていたと聞く。ならば同じように指輪に選ばれた自分にも・・・。
そう考えたティアナは、何とか力の封印を解こうとしてみた。夜な夜な指輪に語り掛けることから始まり、拝んでみたり踊ってみたり、後になって思いだせば、恥ずかして大声を上げたくなるようなことも含めて、思いつく限りのことを試してみたが、全て徒労に終わっている。
しかしトメロスに近付くにつれて、指輪が放つ波動のようなモノが強くなるのを感じているのだ。独りでに活性化していくようだと悟ってからは、導かれるままに先に進むことに決めた。
この指輪が示す場所へ辿り着ければ、かつての母と同じ力を手にすることができるだろうか?
ティアナの思考のほとんどは、不安で占められている。指輪のこと、習得中の魔法のこと、そしてアイサとガウェインのこと。
何故、指輪は自分を選んだのか?自分には何かを成し遂げることができるのだろうか?
ついに偵察に出た二人と別れてから五日目の夜が訪れた。
ティアナの勘は、二人は生きていると告げている。ならば何故、追いついて来ないのか。大きなケガを負っているのではないか。そんな不安を抱えながら、自らの寝床を整えていった。
ティアナは、何の気なしに激しく燃え始めた焚き火の方へ眼を向けた。
ウォルフが薬缶を火にかけている後ろ姿が見える。アイサと別れてから、いつの間にか火を熾して料理をするのは、彼の役目となっていた。食前と食後に全員でレビイを飲むのも、お決まりのコースとなった。
四方に散って薪になりそうな枯れ枝を集めていたメンバーが戻ってくる。寝床を作り終えたティアナも火の近くに移動した。
ウォルフが湯を沸かし、レビイを振舞ってくれる。皆で火を囲みながら、鉄製のカップを片手に料理が出来上がるのを待つ。
これが危険な旅だということを忘れられるひと時だった。
今日は偶然一羽の兎が取れた。仕留めたのはゼノン。ウォルフが器用にナイフを使って内臓を取り除き、肉を切り分けていく。小枝の先端を削って尖らせた手製の串に肉を刺し、シンプルに炙り焼きにした。味付けは塩だけだ。
ウォルフは荷袋の中から乾燥タムを出して全員に配った。
粉末状にした大量のタムの実に、少しづつ水を加えて良く練ってから、一日発酵させる。それを焼き上げた物が、この大陸の主食であるタムだ。
さらに天日干しにして充分に水分を抜くと保存食となって、一年間以上は腐らずに食べられるようになる。これが一行に配られた乾燥タムである。非常に硬いので、蒸して水分を戻してからから食すのが一般的だが、ここにはそんな設備もない。
それぞれがレビイに浸して、柔らかくしてから口に運んでいく。
続いて焼き上がった肉が配られる。
アイサと別れて以来の新鮮な肉である。
動物を狩るのは簡単ではなかった。今更ながら、毎晩欠かさず獲物を捕らえていたアイサの卓越した狩猟能力が、身に染みて分かった。簡単に捕えてきたように見えたが、何事においても達人がやるのを見ると、自分でもできそうに感じるものだが、実際にやってみると上手くいかないことが多い。
「かなりレジスタンスの隠里に近付いていると思います」
食後のレビイを片手にウォルフが言った。
「早ければ明日中に辿り着けるでしょう」
「そこで二人を待ちますか?」
ゼノンの言葉はティアナに向けられたものである。あくまで自分たちの行動の指針はティアナの意思であり、明らかな危険がない限りそれを尊重する。ゼノンは、その姿勢を崩さない。
「指輪が・・・」
ティアナは右手を見詰めている。
突然、指輪が放つ力が急激に増したからだ。
不思議な力で指輪をはめた右手が、引っ張られている感覚がある。腕の力を抜けば、彼女の意思とは無関係に、ある方角を指し示してしまいそうなまでに、強く吸引力されている。
同時にノイズのような微かな声が、脳内に鳴り始めていた。何かを繰り返し語り掛けられている。
神獣の指輪を手にして以来、ずっと何かの意思のようなモノを感じていた。しかし、ここまで強いのは、初めてである。
(何か良くないことが起きている・・・)
ティアナは今、指輪から確かな危機感を受け取っていた。




