第1章 アイゼニアの姫のこと 7-6
シンプルな料理だったが、とても美味しかった。
ティアナ達五人は大満足で夕食を終えた。二杯目のレビイを片手に食後の語らいを楽しんでいる。
だが誰の心にも小さな不安が、小さな影を作っている。
偵察に出た二人が返って来ないからである。
アイサとガウェインはどこまで行ったのだろうか。無事なのだろうか。
誰もが口に出せない同じ想いを抱いている。
ひとしきり話が終わってしまい、一行の頭上には重い空気が立ち込め始めていた。
夜の闇はネガティブな心を増長させる。
誰も新たな話題を切り出せずにいた。
このチームのリーダーとも言うべき立場であるゼノンは、重苦しい空気を感じながらも無言で長い枝の先端を大型のナイフで削っている。
自分自身、言葉を尽くすのは、得意ではないと思っている。だから行動で示すことを信条としていた。とにかく体を動かす。
この三日間、移動中に手頃な枝を見つけると、さりげなく拾い上げて歩いてきた。夜になり夕食が終わると、昼に拾った枝の細い分枝を掃い、丁寧に節を丸め、たっぷりと時間をかけて全体をなめしていく。手触りに納得がいくと、最後に鋭く先端を削る。
こうして毎日一本ずつ、手製の槍を作っているのだ。
最初の夜に作った槍は、ティアナに差し出した。杖としても使えるので、足場の悪い森での移動が、かなり楽になったと喜ばれた。
翌晩、作った槍はアイサに与えようとしたが、固辞されたのでウォルフが使っている。
そして今夜は、三本目の槍を削っている。前の二本よりも、かなり長いのは、背の高いウォルフに渡そうと思っているからである。
黙々と作業を進める中、ゼノンは自分に向けられた控えめな視線に気づいた。何か言いた気に、しかし切り出せずに「ちらりちらり」と見られている感覚だ。
「どうした?」
水を向けられて、ようやくナッシュは、秘めていた疑問を吐露する決心ができた。
「何故、私だったんですか?」
一瞬、質問の意味を理解できず、ゼノンは少し首を傾げる。
「私より立派な先輩たちが大勢いらっしゃいます。何故、この旅の一員に私を選ばれたのですか?」
一瞬、呆気にとられたような表情を見せたゼノンだったが、すぐに「にやり」と笑った。
「そんなことを気にしているのか?ただ、これはチャンスだと思えばいい」
「私より強い騎士は、たくさんいらっしゃいます」
「そうだな」
「では、何故?」
問われてゼノンは、若い騎士の眼を「じっ」と見つめたまま、少し考え込んだ。
誰も口を開かずに二人の会話を聞いている。
数秒間の沈思の後、ゼノンはこう答えた。
「それは、お前が一番未完成だからだ」
「え!?」
意味が分からない。
「最初に言っておくが、お前を選んだ理由にウォルフは全く関係ない。それは誤解しないで欲しい。そして確かにお前より腕が立つ奴は、いっぱいいる。・・・だがな、近衛兵の中でお前より伸び代のある奴は、見当たらなかったんだ」
ゼノンは語り続ける。
「敵に発見されないためには、少ない人数での潜入は必須だ。しかし下手をしたら、この頭数で一国の戦力を相手に立ち回らないといけないだろう?俺はな・・・、この危険な旅をやり遂げるためには、俺達自身が一段も二段もステップアップする必要があると思ったんだ。言い方が悪くてすまんが、お前を入れたのは賭けだ。お前が伸びていく姿に良い刺激を受ければ、俺達も引っ張られて成長できるんじゃないかという気がしたのさ・・・。ただの思い込みに過ぎないが、な」
ナッシュは何と答えて良いか分からなかった。
アイサの森での能力を見た時、チームの中で自分だけが浮いているという想いが強くなっていた。しかし、今ゼノンの考えを聞いて、それはほぼ払拭されていた。この貴重な経験を糧にして、様々なことを吸収しながら、素直に強くなればそれでいい。なんとなく、そう思えたのだった。
みんなの視線が自分に集中しているのが分かる。何か言わなければならない。
「あの・・・」
「なんだ?」
「先日、隊長と立ち会わせて頂いた時の話なんですが・・・」
ナッシュは話題を変えることにした。
「ん?」
アイサと二人掛りでゼノンに立ち向かった時のことを思い出している。
「その・・・。隊長の剣が絡みついたように見えて・・・。そうしたら、アイサさんも自分も武装解除されてしまって・・・。完敗でした・・・」
正直、もう少しやれると思っていた。ゼノンに対しても、筋力では劣っていると思ったことはない。だが、簡単に武器を奪われてしまった。二人そろってだ。
「ああ、あれか・・・」
何故かゼノンは苦笑した。そして、「ちらり」と視線をティアナに走らせる。
「あれはな、以前、俺も同じことをやられたんだ」
「え?」
「もっとも、再現できてるとは言い難いが、な。あの方は、俺とは次元が違うよ」
「あの方って、まさか・・・」
「ああ。陛下だよ」
その言葉に反応して、 ティアナが「はっ」と顔を上げる。
「初めての立ち合いで、な・・・。何をされたのか全く分からなかった。剣を合わせたと思った時には、もう負けていた」
それは、練兵場でゼノンが連勝記録を作った際の立ち合いのことだった。
今ここにいる者達の中で、実際にそれを目撃したのは、ギリアムだけである。二人の全身が見える程度には遠目から見ていたギリアムだったが、あの時、王が何をしたのか分からなかった。
軽く剣を合わせたとしか見えなかったのだ。
「だが、それが切っ掛けで、陛下の練武場に招待されてな。教えを頂くことになった。数百回と立ち会わせて頂いたが、実はまだ一度も勝てたことがないんだ」
ゼノンは自嘲気味に笑った。
「いや、それはかなり控えめな表現だな・・・。未だにまるで相手にもなれない。あの方の前では、赤子扱いだよ」
自分は、そこそこやれると思っていた。だが、レオンハルトを前にして、その自信が粉々に打ち砕かれたのである。
人間の運動能力のピークは、二十代半ばから十年程度だろうと思っている。そこを過ぎると反射神経や感覚が坂を転げ落ちるように劣化していく。
その考えの中では、ゼノンはまさに体力と気力が充実した絶頂期にあると言える。しかし、如何に生きた伝説の一人とはいえ、五十を過ぎた男を相手に、今でも手も足も出ないのだ。
「あの方は本当の天才だ。格が違うとは、こういうことだと思い知った。かなり悩んだよ。剣の道を捨てようとも思ったこともあった。だが、ある日、ふいに自分が凡人だと本当の意味で悟ったんだ。何か特別なことがあったわけじゃないんだが、何故か突然、納得がいったんだ。そうしたら変なプライドがなくなってな・・・」
その当時のことをギリアムは覚えている。悩んでいたのも間近で見てきている。なんと声を掛けたら良いかも分からず、剣に没頭していた当時を思い出して、思わず寂しい笑みを浮かべた。
長い付き合いだったが、こうした話をゼノンに打ち明けられたことはない。秘めた想いを始めて耳にした。人間ならば、誰もが必ず壁に打ち当たることがある。そして壁の前で悩んだ重さの分だけ成長するのだ。
「無心で陛下に向かって行けるようになった。何十回も立ち会わせて頂いているうちに、最初は軽く触れ合わされただけだと思っていた陛下の剣が、円を描くように動いているのを感じたのさ」
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