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ヴォロディア仙導戦記  作者: 萬井 歌舞人
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第1章 アイゼニアの姫のこと 7-4

 それから三日間は特に何事もなく過ぎて行った。

 それは偏にアイサの知識の賜物であったといえる。彼女が回避してきた危険の数々は、他の誰にも分からない。ただ安全に休める場所を探し、適度な休憩を挟みながら、一行を導いているのであろうことを疑う者はいなかった。

 狩りをして食料を供給するのも、ほぼアイサ一人で行っている。

 ウォルフが魔法で熾した火でアイサは獲物の肉を焼く。夕方になれば草を集めて寝床を作る。水分を多く含む樹木の蔓見つければ、切って溢れる樹液を飲料とする。食べられる木の実や茸類も熟知していて、味付けも上手い。

 おかげで一行は持参した保存食や水を、ほとんど減らすことなく三日間を過ごせている。

 ただし歩みは予定よりも遅い。平均すると一日あたり十キロ程度しか進んでいないだろう。しかも迂回が多いため、思ったよりも進めていない。

「姉さん、見て。これ紫狼の排泄物じゃない?」

 そんなことは気にもかけず、陽気に声を掛けたのは、ティアナであった。

 この天真爛漫な姫は、魔の森でのサバイバル技術に興味を覚えたようだ。アイサのそばに付いて回り、うるさいほどに質問してくる。昨日からは料理も手伝うようになった。美味しくできると嬉しいらしい。率先して学んでいる。

 アイサは丁寧に自分の知識を伝えていった。

「これは紫狼ではありません。ほら、木の実を食べているでしょ?」

 落ちていた枝で糞の中から消化されていない木の実を選り分けて見せる。

「この部分は、おそらく山芋ですね。こっちは動物の肉」

 枝の先で糞を解体していく。

「こういう雑食をするのは、鉄頭猪(アイアンボア)です。このくらいの硬さだと、ここにいたのは昨日の午前中だと思います。ほら、あそこ。木に身体を擦り付けています。皮が少し剥げていますよね。あそこの枝が折れてる。こっちからあっちに向かって行ったのが分かります」

 先端に糞のついた枝で、あちこち指し示しながら解説していく。

 少し離れた場所で、ウォルフもそれを興味深げに聞いていた。右手のペンを走らせ、その内容を手帳に速記している。それを使う機会があるかどうかはともかく、知識は彼の大好物なのだ。

 ゼノンを始めとする騎士組の面々は、黙ってその様子を眺めていた。各自、思い思いの場所に視線を走らせながらも、突発的な事態にも対応できるよう準備を怠っていない。

 彼らの護衛対象であるティアナは、凄い集中力を発揮してノウハウを吸収していた。

「あーあ、これがただの冒険だったら良かったのに・・・」

 思わず本音が漏れた。

 恐ろしい場所とばかり思っていた魔の森での生活が、こんなに楽しいとは考えてもいなかった。もっといろんなことを学びたい。

 質問したいことは、いっぱいある。やってみたいことが、いっぱいある。

 背負っているモノがなかったら、と思わずにはいられなかった。実は今も目的を優先して、アイサの邪魔をしないよう気を使っている。最低限の質問で我慢しているのだ。

 アイサには、それが分かっていた。

 そんな王女の姿勢が、却って集中力を高めてくれている。

 なるべく多くの知識を伝えたい。その想いがアイサの観察力を研ぎ澄ましている。

「あれを見て下さい」

 遥か遠くの木を指差す。地表から数十メートルは上にある枝に一匹の猿がいる。

「枝住猿です。あれは見張りです。あの辺りに群れがいますね。彼らは基本高い所で生活します。見張りがのんびりしてるのは、近くに外敵がいないということです。とても臆病な生き物なので、私達がもう少し近づくと石を投げて攻撃してきます。もっと近づくと逃げ出します」

「これは蜜蟻の巣です。十年に一度くらい大量発生して別の巣に移ります。移動中は何でも食べてしまいますので、その進路にいてはいけません。ただ移動前にお尻の部分にとても甘い蜜を蓄えますから、森の民は少しでも多くの蜜を手に入れようと、必死になって行軍中の蟻を捕まえるんですよ」

「この草は、ヨモといいます。熱冷ましに使います」

「このクポンの実は腹痛に効きます。大概の動物もそれを知っていて、肉食の紫狼も腹を下した時だけはこの実を食べるんです」

「あっ!あの幹の爪痕は剣虎(ソードタイガー)が縄張りを示す時につけるモノです。滅茶苦茶に引っかくだけの闇熊(ダークベア)と違って、二本の爪で器用にバツ印を書くのが特徴です。かなり知能が高いと言われています。あれを見かけたら、すぐに離れなければ面倒なことになりますよ。行きましょう」

「ティマルガの葉には殺菌成分も含まれているんです。毒虫除けにもなってくれますけど、これで身体を拭くと、すっきりするでしょ?汚れた皮脂も汗も吸着してくれるから、お風呂に入らなくても大丈夫なんです」

 この言葉には、遠くで聞いていたウォルフが一番反応した。ティマルガ。旅人には便利な葉だ。数十枚余分に摘み取って荷物に入れた。

 アイサは惜しみなく次々と森の知識を披露する。

 次に何を教えようか。高い集中力をキープしたまま、ティアナに伝えられることを探している。それが思いのほか楽しく、疲労を忘れさせてくれていた。

 夕方が訪れようとしている。

 そろそろ休める場所を探さなくてはならない。

 夜の森を歩き回るのは危険だ。

 アイサは注意深く観察し、進むべき道を決めた。




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