第1章 アイゼニアの姫のこと 1-2
ユリウスがその隠し通路に来たのは、二十三年前のイビルストライクの時である。同じく『黄金の五人』である『神槍』レオンハルトと『契約者』フローレンスが一緒だった。
神槍レオンハルト・デュマは、現在のアイゼニアの王だ。アイゼニア王家に第三王子として誕生した彼は当時三十歳。若い頃から武術が好きで、その方面では卓越した才能があった。父王は彼に優秀な師をつけるのに非常に苦労したものである。
レオンハルトが十歳を過ぎたあたりからであったろうか?父王が時間をかけて見つけてきた武勇の者たちは、一年もしないうちにレオンハルトに太刀打ちできなくなってしまうようになった。
どんな高名な武勇の師を見つけてきても、砂漠に水がしみ込むように、あっという間にその技を自分のものとしてしまうのだった。無論、その陰には本人の努力もあっただろうが、『天才』という一言で片づけてしまうには、あまりに類まれな才能であった。
やがて父王も新たな師を見つけることもできなくなり、成長の鈍化した日常に飽き飽きとしたレオンハルトは、十六歳の時に放浪の旅に出る。上に二人の兄がいるのを良いことに、そのまま長いこと王宮には帰らなかった。手紙一つ書くこともなく、その間の消息は全く知らせなかったが、商人の警護や山賊の討伐など傭兵として生計を立てていたらしい。
武術全般に異常な才能を発揮したレオンハルトだったが、特に槍術が得意だったのは、運命か偶然か。トルキアの三秘宝のひとつバルムンクの槍を獲物に魔神王に挑むことになる。
一方の契約者フローレンス・メディスは、トルキアの王女であった。姉のイザベルと共に『トルキアのふたつの宝石』とあだ名されるほどの絶世の美女で当時十八歳。母王の薫陶の賜物か、若くしてバランス感覚に優れており、寛容で穏やかな性格をしていた。だたし許せないことには敢然と立ち向かう勇気も持ち合わせていた。
レオンハルトは、十以上も年下とも思えない彼女の落ち着きの中にある強さに惚れたのかもしれない。電撃のように恋に落ち、彼女に求婚した。イビルストライクが終息したのちにフローレンスもそれを受け入れ、野に下って結婚し、やがて一女をもうける。それが現在のアイゼニアの姫ティアナである。
三人は仲睦まじく市井の人として暮らしていたが、転機は十二年前に訪れた。
レオンハルトの兄が相次いで他界してしまったのである。まずは次兄が原因不明の高熱に浮かされて、ひと月余りの闘病の末、逝去してしまった。
続いて長兄が外遊中に前触れもなく落馬し、首の骨を折る重体となり、意識不明のまま帰らぬ人となったのである。
アイゼニアからの迎えに難渋を示していたレオンハルトだったが、自分たちの幸せよりも国を行く末を優先させるべきという妻フローレンスの説得もあり、王家に復帰することとなった。
その一年後、老齢の父王から王位を譲渡され戴冠したのだった。この時、レオンハルトは四十二歳。娘ティアナは五歳になったばかり。王妃となったフローレンスは三十歳であったが、その直後に病に倒れた。そのまま完治することなく、時折、小康状態を得ながら一年間を過ごしたが、残念ながら鬼籍に入っている。
その二人と四十三歳だった預言者ユリウス・アークレイが二十三年前この場所に来たのである。
魔神討伐に参加することを認めなかった母王から逃れるためにこの隠し通路を利用したのだが、まさか23年の時を経てこの場所に戻ることになろうとは、『預言者』たるユリウスも思いもしなかったのである。
先頭を行くキースは左手のカンテラで周囲を照らしながら、木の根が張り巡らされた道を進む。支路のない一本道だ。
「何としても指輪を手に入れなくてはならぬ」
真ん中を行くユリウスは、誰にともなく呟いた。
「ラズリーが『死者の書』の秘密を解き明かした今、対抗する術は『神獣の指輪』しかない」
インガルの宮廷魔術師ラズリーは、死者の書を読み解き、死霊術師となった。死霊術師とは、死者を甦らせ自在に操る魔法を使う者をいう。
すでにトルキア内部では死人のみで構成された死霊兵部隊が複数確認されている。
頭部を失っても動き続ける死霊兵への有効な対抗策は数えるほどしかない。
この時代、ユリウスを筆頭に高名な魔導士たちは研鑽を重ねてきたが、呪言としての浄化魔法は未だ確立していない。ちなみに浄化とは治癒とは別物で、物理的な攻撃が効きにくい悪鬼や死霊などを天に返す効果がある。
この魔法の研究が進んでいないのには、それなりの理由があった。
例えば先天的に発火の能力を持って生まれた人物がいるとする。彼を研究することにより、発動に必要な言葉の配列を特定し、その呪言を唱えることで他の者が後天的に発火の能力が使用可能になる。
そんなふうに長い長い時を経て蓄積された研究データこそが、魔法なのである。
火や水ならば発動すれば、目視することができ、それと知ることができる。しかし一生の内で悪霊に害を及ぼされる者など、ほとんどいない。
つまり先天的な浄化の能力者であっても、それを発揮する機会がないということだ。
浄化の魔法が使える者は、神官や医師などの聖職につくだろうと誰もがイメージする。だが実際はそうではない。農業やサービス業に従事して、自らがその魔法を使える事すら分からずに生涯を終える者が大半であった。
ゆえに研究データなどあるはずもなく、したがって魔法もない。
つまりそれは、この世界にはネクロマンシーに対して有効な手段が少ないということである。ないことはないが、少ない。
破邪の武器としては、『ノルドの剣』が有名である。一緒くたに『剣』と呼ばれているが、これは鍛冶屋であるノルドが打った武器の総称なので、実際には槍もあるしナイフもある。たった一本だけではあるが矢も存在を確認されている。
浄化の力が付与されていることが分かったため、ひどく高額で取引されているノルドの剣だが、純粋に武器としてみた時には、どれもこれも粗悪な鉄を使った鍛錬の甘い三級品であることは否めない。
ノルド本人も自らが浄化魔法の使い手で、その力を作品に埋め込んだことなど知る由もなく、その生涯を終えている。
ずっと駆け出しの戦士が使う武器として、とある田舎町で安価に売られていたのだが、たまたま近くで複数の悪霊の被害があり、たまたまノルドの剣をふるったところ、たまたま剣の軌道上に入った悪霊を浄化したのである。
他のノルドの剣で試したところ、同じ効果を発揮した。これがノルドの死から僅か二年後の出来事だったので、たまたま武器屋には、大量のノルドの剣の在庫があった。
偶然が重なって大量に在庫がある時に発見されたため、破邪の武器の代表格となった。ただノルドの死から200年は経過した現在では、ノルドの剣は五十振り程しか現存していない。また品質の割に異常な高値を誇るため武器として取り扱われることは、ほぼないといってよい。
そうした現状の中、死霊兵への対抗策として『神獣の指輪』は絶対に必要であった。
(なんとしても手に入れなければならない。さもなくば、人類は終わる)
ユリウスは強い決意をもって、この隠し通路に戻ったのである。