第1章 アイゼニアの姫のこと 5-2
ティアナは、彼女が指輪を手に入れるまでの一部始終を、時折記憶を探りながら語り続けた。
アレクサンドロは合いの手を入れるのも忘れて聞いていた。
「ユリウスが死んだのよ。もうこの世界のことを彼に頼ることができないの」
ティアナは話をこう結んだ。
「だから、私ができることをやりたいの」
その瞳には、確固たる決意が宿っている。
「うーん」
アレクサンドロは眉をしかめた。
「それは、父上のお気持ちも分かるなあ」
彼には妙に大人びたところがある。五歳ぐらいの時からティアナの話を聞いてアドバイスを送るのは、彼の役目だった。
「私だって、それは分かるけどさ・・・」
いったん目を伏せたティアナだったが、
「ねぇ、私がここから出るの、手伝ってよ」
すぐに顔を上げて「きらきら」した目で弟を見詰めながら言った。
「ダメだよ。今迄みたいにお忍びでサイラスの街を冒険するのとはわけが違う。姉さんの気持ちも分かるけど、死霊兵を相手にするなんて危ないよ」
「協力してくれないの?」
ティアナは意図して下から弟の顔を覗き込んだ。弟をいたずらの共犯者に仕立て上げる時によく使う手口である。
「だめだめ。今回ばかりは協力はできないよ。そんなことをして、もしも姉さんに何かあったら、僕は自分を許せない」
アレクサンドロは続けた。
「姉さんのことだから、どうしても行くんだろう?それなら周りの人をちゃんと納得させて、護衛や協力者と一緒に行くべきだ。自分がしたいことを成功させたいなら、城を抜け出して一人で行くなんて絶対にすべきじゃない」
その言葉にティアナがうなだれる。まったくもって反論できない。
「・・・じゃあ、どうしたらいいの?」
ティアナが白旗を上げた。この姉弟は年齢がどちらが年上か分からないようなところがある。
「ふふふ」
少し考えてアレクサンドロは助言した。
「姉さんは、ここで大人しくしてればいいと思うよ」
「え?」
「たぶん、それが一番いい形になると思う」
理解できないティアナを置き去りにアレクサンドロは意味あり気に笑ったのだった。
一方、王都サイラスの一角にあるレンガ造りの屋敷の一室で、ウォルフ・シーアスターは一冊の本を読みふけっている。
師であるユリウスの手記である。
ユリウスの遺言通りに机の引き出しを開け、その本を見つけた。そこには魔法に関する研究結果が書かれている。ほとんどはウォルフも既に知っている内容だったが、敬愛する師匠の死を悼むようにゆっくりと読み進めている。
読みながらユリウスとの思い出をかみしめていた。
出会いはウォルフが七歳の時だった。夜が怖くて怖くて仕方なかった頃だ。
生まれながらにウォルフには霊が見えた。
死者の声も聞こえる。それが魔法使いとしての重要な資質であるとは知る由もなかった。
その人達に話しかけられれば子供なりに返答していたし、姿が見えれば挨拶もしていた。
それが普通でないと気づいたのは、ちょうど六歳になった頃だっただろうか。
周りの大人たちが訝しげに見てくる視線に気づいた。
「誰と話してるの?」
「変なの」
友達はそんな風に言って、徐々に彼との距離を置くようになった。
(他の人には見えないの?お話しできないの?)
(どれが見えて、どれが見えない人なの?)
生きている者と死んだ者、その区別が付かないほど見えるのだ。
人と違うことは幼かったウォルフを悩ませた。
やがて他人との距離感に悩み、自分自身から他人と距離を取るようになっていった。彼の内向的な性格は、そこから育まれていったと考えられる。
七歳を迎えて三か月ほど過ぎた頃、悪いモノが取り憑いた。
それは昼夜問わず彼に話しかけてきた。
助けてくれと言う。望みをかなえてくれと言う。しかし具体的に何をして欲しいのかは言わない。離れて欲しいと言っても離れてはくれない。
そういうモノが取り憑いてしまった。
誰にも相談できず、それでいて、一人になるのが怖くなった。
母親に付きまとうようになったが、丁度その頃運悪く、彼女は新しく家族に迎えた命に手が離せない時期だったのである。
母から邪険に扱われたことないが、忙しくする母の姿に何となく自ら身を引いてしまった。
昼間は常に人気がある場所にいて、夜は布団を頭から被って、執拗に話しかけてくるモノを無視し続けた。
誰も頼れる人がいない。
終わりのない悪夢のような日々に、幼い少年には限界が近づいていた。
大魔導士ユリウス・アークレイが、ウォルフの前に現れたのは、そんな時だったのである。




