第1章 アイゼニアの姫のこと 5-1
ティアナは指輪を見詰めている。
白を基調とした清潔感あふれる二十畳ほどの豪奢な部屋は、彼女の寝室である。
南向きの壁の中央近くに据えられているのは、三人同時でも余裕をもって横になれるような大きな天蓋つきのベットだった。フレームには繊細な細工の装飾が施されている。マットの上の布団は、肌触りの良いシルクの生地に天日干しされた「ふかふか」綿が入っているようだ。
ベットの左右には等間隔で大きな掃き出し窓があり、金糸の入ったベルベットのカーテンが掛けられている。
それを開ければ、外の専用バルコニーに出られる。ここには昨日より近衛兵が交代で詰めており、外に出る気にはならない。
ベットと逆サイドの窓から少し離れた位置に、優雅な曲線を描く四本の脚が付いた丸形のランプテーブルが置かれており、その上には夜間に灯される油ランプが乗っている。
ベットを中心に左右対称の配置だ。
西側の壁には母フローレンスの形見である化粧台がある。その大きな鏡には、今はシルクの白い布が掛けられていた。
東側の壁に五段の本棚があり、美しい装丁の仕事がなされた本が並んでいる。
その脇に日記など簡単な書き物をするための机と椅子が据えられている。
部屋の中央付近には、白い革の張られたソファと軽食などが取れるローテーブルがあった。
それが、この部屋にある家具の全てである。
その部屋の主であるティアナは、人差し指の指輪も見詰めて考え事をしている。
ゆったりとした白のワンピースの部屋着姿である。肩甲骨の辺りまで伸ばしたコーラルレッドの髪を後ろで束ねている。
昨日、謁見の間でその指輪は独りでに宙に浮き、吸い付くようにティアナの指にはまった。以来、押しても引いても回しても「ぴくり」とも動かなくなってしまった。
奇妙だが人差し指に指輪があることに、まるで違和感を感じていない。
どんなに肌触りの良い服であろうが、身に着けていれば、ふとした瞬間に異物をまとっていると感じることがあるだろう。ある種の窮屈さと表現してもよい。自分の肉体ではないという違和感だ。
この指輪に関してはそれが全くないのである。
直径にして三センチは優にありそうな宝石がついているにも拘わらず、全く重さすら感じないのである。身体の一部であるかのようであった。
自分がその指輪の持ち主であることは間違いない。
指輪を受け取った瞬間、不可思議な使命感のような感情が芽生えた。
しかし、それが故に現在ティアナは「軟禁されている」と言えよう。廊下へと続く唯一の扉の外にも、窓の外のバルコニーにも普段はいない近衛兵が配置されていて、外出を阻んでいるのだ。
あの時、ウォルフ・シーアスターは言った。
「その指輪の真の力を引き出すには、姫君ご自身がトルキアに行かれる必要がございます」
何をしても怒ったことがない父が、その言葉を聞いて初めて声を荒げたのを見た。激怒して衛兵に命じて強制的にウォルフを退室させてしまった。
その時からティアナも寝室に軟禁状態となったのである。
父の心配は充分に伝わってはいる。正直、少しショックを受けている自分もいる。迷いもある。
しかし、考えれば考えるほど・・・。
(行きたい!)
のである。
世界中で自分にしかできないことなのだ。迷いの天秤の片側には使命感があり、反対側には父を悲しませることへの罪悪感が乗っている。
だから指輪を見詰めて悩んでいる。
行くべきか行かざるべきかを思案しているわけではない。
もともと優柔不断な性格ではなく、何かを決めるのに悩んだことは全くない。だから、とっくに結論は出ている。
如何にしたら父の不安を軽減できるのか。そんなできもしないことで悩んでいるのだった。
突然のノックの音でティアナの思考は破られた。
「アレク、入っていいわよ」
ドアを叩く音で誰が来たのか分かる。
これは彼女の特技の一つである。これは父の音、これは侍女長のマリアの音といった具合に、ノックの音だけで聞き分けることができるのである。
ゆっくりと開けられた両開きの扉の向こうに立っていたのは、果たして弟のアレクサンドロであった。扉の両脇に背を向けて立つ近衛兵達の姿も目に入る。
「姉さん、またやらかしたみたいだね」
扉を閉じながら、開口一番、王子が言った。
この姉弟は非常に仲が良い。公式の場でなければ、砕けた口調で何でも言い合える関係である。
「やらかしたって何よ」
ティアナはむくれた。
「監禁されるの、久し振りじゃない?」
言いながら、アレクサンドロは笑った。
「監禁じゃなくて監視!」
「同じだろ?」
「全く違うわ。護衛付きならどこにだって行けるもの」
「部屋にいろって言われたんでしょ?」
そう言われてティアナは歯切れが悪くなった。
「まあ・・・言われたけど、さ」
「何したの?」
アレクサンドロは姉の目を「じっ」と見た。
「なっ、何もしてないわよ・・・まだ・・・」
「まだ、ね」
十一歳の王子は「にやにや」と笑いながら言葉尻をとらえた。
「それで?」
「これ・・・」
先を促されてティアナは右手の指輪を見せた。黄色い宝石が「きらり」と光る。
「神獣の指輪って言うんだけど・・・」
「トルキアの三秘宝の!?」
さすがに驚いた。
ティアナの実母である契約者フローレンスが所有していたというこの世で一番有名な指輪が、目の前にあるのだ。
「どこにあるか分からないんじゃなかったの?」
「知らなかったわよ。これはウォルフが持ってきたの」
「ウォルフ師が?」
ウォルフ・シーアスターは、二人の魔術の教師でもある。と言っても「魔法というモノを早い内に体験させておきたい」というレオンハルトの意向を汲んだ程度のことで、しっかり教えているわけではない。
それ故に「師として見ているかどうか」で二人のウォルフの呼称が違うのである。
誰とでもすぐに打ち解ける天性の才能を持つティアナは、友達感覚でウォルフを呼び捨てにするが、アレクサンドロは敬意を払って呼ぶ。
ウォルフの側から見れば、アレクサンドロは「魔法陣は見えるが扱えない人」であり、ティアナは「かなりの才能があるが、魔法を覚える気のない人」ということになる。
「うーん。何から話せばいいのか分からないけど・・・」
ティアナは頭の中で話を整理しようと視線を宙に彷徨わせた。それから「ああ」と小さい呻き声を漏らして、視線を下げた。
「ユリウスが、ね・・・。亡くなったの」
「!」
何も聞かされていなかったアレクサンドロは、声にならないほどの衝撃を受けた。




