第1章 アイゼニアの姫のこと 1-1
「こっちじゃ、ウォルフ!」
薄明りの灯るカンテラをかざして、ユリウスは弟子を呼んだ。
ここはトルキア。十年前までは、トルキア王国と呼ばれていた。今はインガル領トルキアである。
静寂が支配する星のきれいな夜だった。
インガル帝国に滅ぼされたトルキアのかつての首都、トロメスの西に位置する森の一角にに四人の男達がいた。それぞれに薄明りを放つカンテラを手にしている。
先刻わずかに興奮した声を上げた老人ユリウス・アークレイは、超がつくほど高名な魔導士である。遡ること二十三年前のイビルストライクで魔神王を封じたとされる『黄金の五人』のひとりだ。
現在六十六歳。まだまだ元気だが、かつてのように魔法での戦闘をこなすには、ここ数年で、かなり体力が衰えてしまっている。とくに六十を過ぎてからは、一気に下降線を描いてしまっているように思う。
魔導士というと、激しい運動量を伴う戦闘をするイメージはないかもしれないが、実際には違う。投げナイフや弓などの飛び道具を持った者が近接戦を行っているところを想像するのが一番近いだろう。走り回って相手の攻撃をよけながら、こちらの魔法を打ちこむというのが、魔導士の戦い方である。
そうした戦いをこなすための肉体のピークは、とうに過ぎている。もっとも魔法の発動に関しては、壮年期よりも早くなっているし、歴戦の中で培った経験が相手の動きをある程度予測する手助けはしてくれる。
(まだ若い者には負けたくないが・・・)
そう考えてしまうのが年を取った証なのかもしれない。
ユリウスは肩甲骨のあたりまで伸ばした白髪を左手で撫で上げた。彫りが深くしっかりと通った長い鼻筋は、この大陸の人種にみられる一般的な特徴の一つだ。若い時分に比べると、だいぶ生え際が後退して額が広くなったが、それも彼の魅力の一部のように思われる。意思の強そうな光を放つターコイズグリーンの瞳が印象的だ。異性に好感を抱かせるには充分な端正な顔立ちをしている。
「師父」
ユリウスに一人の男が近寄ってくる。
ウォルフ・シーアスター。二十九歳。ユリウスの弟子である。シルバーブロンドの髪を短く刈り上げて口から顎にかけて生やした髭はよく手入れをされており、清潔感がある。少し緑色の入ったピーコックブルーの瞳を持つその目尻は垂れ下がっており、出会う人に柔和な印象を与えるだろう。小柄でユリアスと並んでもその肩あたりまでしか身長がない。
「ここじゃ、ウォルフ」
ユリウスが右手のカンテラを差し上げて照らして見せたのは、大人五人が手をつないでも抱えきれなそうな太い樹木のうろであった。身をかがめれば、何とか中に入れそうだが、カンテラの薄明りではその奥はどうなっているのか、まるで見えない。
「こんなところに入り口が・・・」
ウォルフの小さな声にユリウスは独り言のように呟いた。
「こんなことでもなければ、ここに近寄ることもなかったのじゃが・・・」
トルキアには健国王より受け継がれた三つの秘宝があった。
『バルムンクの槍』『神獣の指輪』『死者の書』がそれである。トルキアの建国王マーカス・バルムンクが始まりの竜から受け取ったとされる秘宝であり、その存在は二十三年前のイビルストライクの時まで長い間秘匿されており、トルキア王家をはじめとして、ごく僅かな者たちしか知らなかった。
実は、その存在を大陸に広めてしまったのが、ユリウスなのである。
サウザという魔導士が魔神王を現世に召喚してしまったことで始まったイビルストライクは、人類にとって未曽有の危機となった。
魔神王が生み出した無数の悪鬼に押され気味の戦いを余儀なくされた人々は次第に希望を失っていった。戦では心の在り方が大きく戦況を左右する。希望を失い諦めて戦う意思を失くした瞬間に敗北は決定づけられる。そのあとに残るのは、一方的な殺戮だ。
それを危惧したユリウスは、トルキアの三秘宝の存在をあえて流布した。三秘宝と『黄金の五人』が人々の希望となるように、大陸中にその噂が広まるように策略をもって広めたのである。
それは、その時は最善の策であったと確かに思う。戦いに希望を持ち続けた人々は、魔神との戦いに勝利できたのである。
しかし、禍福は表裏一体であった。
イビルストライクの後、今度はその伝説が、トルキアの滅亡を呼び寄せてしまった。
三秘宝を狙って盗賊がトルキアに現れるようになり、治安が乱れた。身の危険を感じた商人たちの中には、他の国に居住地を移してしまった者もいた。その結果、招いたのは経済の悪化である。それはさらに人民の流出に拍車をかけることとなった。
そうして必然的に国の規模は縮小していった。
そしてついに北のインガル帝国に攻め込まれ、陥落してしまうのである。
この十年間ずっと、そのことにユリウスは責任を感じている。
行方不明になったトルキアの姫を探すため、何度もトルキアに潜入し、今まだ残るレジスタンスの活動を支え続けているのも、贖罪のためという理由が大部分を占めているであろう。
今、ユリウスとウォルフの警護として、この森に同行している二人もレジスタンスのメンバーだ。
ジェイとキースという剣士である。ふたりとも腰に大剣を佩いている。周囲を警戒していたこの二人も、ウォルフを呼び寄せたユリアスのもとに歩み寄ってきた。
「この中ですか?」
そう困惑気味に言ったのはジェイである。筋骨隆々のキースと比べても、かなり大柄な彼にはその隙間を通り抜けられそうもない。
「お前はここで留守番だな」
キースが言った。
「仕方ない。中のことはお前に任せるよ」
「さっそく中に入りましょう」
ジェイに一つ頷いて了解の意思を示すと、キースはユリウスに向き直って言った。
「日が昇る前に隠れ家に戻らなくては危険です。私が先導します。急ぎましょう」
「頼む」
ユリアスの答えを聞くが早いか、キースは木のうろに体を差し入れていく。左手に持ったカンテラを先に突き出して内部を確認する。
・・・・・。
(危険はないようだ)
カンテラを持つ手を上下左右に動かして中の様子を見て取ったキースは、
「大丈夫です」
と、ユリウスに続くよう促して、狭い隙間を体を横にしながら進み始めた。
森には大男のジェイが一人残された。彼は人目をさけるためカンテラの火を吹き消すと、土の上においた。腰の大剣を鞘から抜き放ち、大地に突き立てて、そのすぐそばに蹲った。そうして岩のように動かなくなった。
一方の三人は、ユリウス、ウォルフの順でキースに続いて木の中に身を投じていく。
「足元に注意してください」
先を行くキースが声をかけた。確かに下を見れば、うねった樹木の根が絡み合って足場はかなり悪い。踏み出す足に注意しながら狭い空間を五分ほど進むと、突然、開けた空間が現れた。洞窟の中につながったようである。湿気がかなり多い。
キースは、右手で剣を抜いて異常事態に即座に対応できるようにすると、左手のカンテラの光が届く限りの周囲を油断なく照らして見回した。
硬い岩盤を突き破って、大人一人では抱えきれないような太い樹木の根が、そこここに露出している。洞窟の上部より姿を見せた植物は絡み合い、再び大地へ潜っていっている。
目の届く範囲に危険はなさそうだ。
床に沿って這い伸びる太腿ほどの太さの根をまたいで、ユリウスがカンテラを片手に歩み寄ってくる。
「一度しか来たことはないが、間違いない。ここが王家の地下神殿へと続く隠し通路じゃ」