第1章 アイゼニアの姫のこと 4-5
「次はオレだよ」
ガウェインは軽く頭を下げると、ゼノンの前に進み出た。
一撃で勝負がついたかに見えたアーロン戦だったが、ゼノンはかなりの疲労を感じている。全てが完璧なタイミングで決まったからこそ勝てたのであって、けして楽な勝利ではなかったのだ。
「よろしく頼む」
わずかに乱れた息を整えるように、ゆっくりと返礼する。
ガウェインは木製の斧を両手に持って構えた。左利きの彼は、右を前にしたオーソドックスな半身のスタイルである。
対するゼノンは正眼に構えている。
二人は互いの呼吸を図るかのように静かに向き合っている。
先に仕掛けたのはガウェインである。
両手の斧を「ぐるぐる」と器用に回転させたかと思うと、右から襲いかかった。
これは単純な一撃ではない。
手の中で斧を回転させる度に持ち手の場所が変えているのだ。
木製ではあるが刃に相当する部分に近い柄肩と呼ばれる場所から、握り突起と呼ばれる柄の最先端の僅かに膨らんだ部分まで、約四十センチの距離を自在に握り変えているのである。
つまり間合いが変化するということだ。
柄肩をつかめば、コンパクトなスイングで素早く攻撃してくるし、握り突起をつかめば四十センチも攻撃が伸びてくる。
背の高いガウェインはそれに見合って腕も長く、敵に回すとこれもまた厄介であった。逃げたつもりでも攻撃がどこまでも追って来るのである。
ゼノンはコンパクトな動きを意識して、斧を弾き返した。
すぐさまガウェインの左手の斧が襲ってくる。返す剣でこれも払う。
ほぼ同時にガウェインの右手の中で一回転した斧が降り降ろされていた。
先ほどよりも肩に近い部分を握っている。
(短く持ったということは、連撃が来る)
ゼノンはそう読んだ。
ガウェインは早い。両手に一本ずつの武器を持っているので、手数も倍だ。
畳みかけるように繰り出される二本の斧を、最小限の動きで弾き返していく。防戦一方に見えながらゼノンの目は隙を伺っている。
ガウェインが斧を回転させる瞬間を狙って反撃に転じようとするが、もう一方の斧に牽制されて、なかなかつけ入る隙がない。
斧が回された後の攻撃は間合いに気を付けなくてはならない。
(なんとか状況を打破しなくては・・・)
ゼノンは右の斧をやや強く弾き返してガウェインのリズムを僅かにずらすと、そのままステップバックして左の攻撃をかわそうとした。
右を強くはじいた分、左が遅れて来るだろう。これを躱して反撃する。そういう意図である。
ところがこれは、ガウェインの読みの範疇であった。
左の斧を振り下ろしながら握りを緩めたのである。
肩口を掴んでいたはずの斧は、振り下ろされた勢いでガウェインの手の中で滑り、前方へ飛び出した。突起の部分に握り変える。ガウェインは意識して左腕を伸ばした。
この攻撃はゼノンの予想を超えて伸びてきた。
(これはガードしないとよけきれない!間に合うのか)
コンマ一秒にも満たない時間の中で思考の中が展開される。
背筋に冷たいモノが走った。攻撃に転じる準備をしていた右手の剣に左手を添えて、身体を強引にひねりながら斧に当てていった。
浅い。初動の遅れを完全にはカバーできなかったが、なんとか軌道をそらすことには成功する。体を無理やりねじったことで、ギリギリ躱せた。
ガウェインの斧が空を切る。反動で体が僅かに泳いだ。
その隙を見逃すゼノンではない。
切り返した剣で右手の斧を弾くと、ガラ空きになった胴に軽く剣を当てながら大きく一歩踏み込んだ。
「九十六連勝!」
ギャラリーから大きな声が上がる。
身体ごと押された形になって尻もちをついたガウェインに、ゼノンが手を差し伸べて助け起こした。
「くっそ!アレを避けられるなんて・・・」
振り下ろしながら握りをずらして間合いを伸ばす一手。こっそり練習を重ねた奇襲の一撃を初見で破られて、悔しさがにじみ出る。
「背中が冷えたよ」
ゼノンが、ガウェインの肩を叩いた。
「よぉぉぉし!ゼノン、次は・・・」
と前に出ようとするアーロンの肩を抑えて、
「おっと、団長。順番ですぜ」
前に出たのはギリアムである。
ゼノンとギリアム、そしてガウェインは歳も近く、同じ時期に近衛隊に入隊したライバルだった。
ギリアムとゼノンは同年生まれでガウェインは一つ歳下だ。
戦績から見ると実力はガウェインが少し落ちるが、ギリアムとは五分五分といったところである。
三人はそれぞれを意識して切磋琢磨している関係で、それはゼノンが隊長を任された今も変わらない。良き友であり好敵手なのである。
「さあ、やろうか」
ギリアムの気負わない言葉に、ゼノンは少し笑った。
構えは互いに中段。
ゼノンは連戦で乱れた息を整えようと、意図して深く長い呼吸を繰り返している。
ギリアムが「じりじり」と前に出る。
これを嫌ってゼノンが「すっ」と後ろに下がった。
数えきれないほど対戦してきた二人である。お互いの得意な間合いや手の内は分かっている。腕の高さ、足の運び、そうしたモノの数センチの距離感の差が勝敗を分ける。そういう二人である。今回はゼノンがその入り方を嫌ったということだ。
円を描くように後ずさりするゼノンを、ギリアムが同じ速度で追いかける構図となった。
ギリアムが詰めれば、ゼノンが引く。ゼノンが引けばギリアムが詰める。それを繰り返しながら互いに相手の呼吸を外す瞬間を狙っている。
切っ先が触れるほど近づくと、小さく手首を返して剣先を動かし、相手の剣を弾いて牽制する。
何度かそういうやり取りが繰り返された後、ギリアムの前進するタイミングに合わせてゼノンが一転して、大きく踏み込んだ。
互いの剣が素早く動いて交錯する。
二、三秒の間に立て続けに数十回の攻防が繰り広げられる。目にも止まらないほどの速さで木剣が打ち合わされる音が響いていく。
やはり力は、ほぼ互角。
ただ今回の対戦に限って言えば、ゼノンが優勢である。
それはゼノンの間合いで戦っているからである。後退を止め、前に踏み出したあの瞬間に、自分の間合いに引き込んだのである。
ギリアムの得意な間合いは、もう半歩から一歩ほど離れた位置だ。
故に今は先程までとは逆に、ギリアムが何とか距離を取ろうとし、そうはさせまいとゼノンが追いかけている。
それを剣を打ち交わしながら行っているのである。
それから二十合も打ち合うと、ギリアムが目に見えて劣勢になってきた。
間合いが近すぎて剣の取り回しが窮屈なのである。次第に防戦が多くなり、ついに支えきれなくなった。
ゼノンの木剣がギリアムの胴を捕える。
「九十七連勝!」
大きなどよめきとともにゼノンの勝利がコールされた。




