第1章 アイゼニアの姫のこと 4-2
アイゼニア王城の地下にある練兵場に、木剣を打ちかわす音が鳴り響いている。
広い一室の中央では、十二組の兵士達が実戦さながらの激しい模擬戦を行っていた。四方の壁沿いには六十名を越える休憩中の戦士たちがいて、あるいは座りあるいは汗をぬぐいながら、中央部で繰り広げられる戦闘を見守っている。
戦いに勝敗がつくと、負けた者は壁際に下り、勝者は残る。そして壁際の兵士の中から準備ができた者が中央に進み出て、次の挑戦者となる。
それが繰り返されている。こうして次々に相手を変えながら実戦形式の戦闘を行う訓練は「乱取り」と呼ばれている。
槍が得意な者や弓が得意な者など色々な兵士がいるが、今日は剣にしぼった戦闘の日なので、木剣以外の獲物を持った兵士はいない。今日は剣だが、明日は無手、明後日は槍、明々後日は各自が得意な獲物を持って戦う自由戦闘という風に、日替わりで獲物が変わる。
真剣勝負だが同じ陣営なので、もちろん相手を再起不能にするような攻撃は許されない。
急所の手前で手を止めなくてはならない。負けた者は素直にそれを認めなくてはならない。勝敗に遺恨を残して練兵場の外まで持ち出してはならない。
そんないくつかの決まりごとはある。
激しい乱取りが続く練兵場の入り口に、強者のオーラをまとった男達が姿を現した。
三人の男である。
その中央に立つ男、ゼノンは近衛兵団の副団長にして第一近衛隊の隊長である。
アイゼニアに於いて、近衛兵団は一番の精鋭部隊である。兵士の中から特に優秀な者が集められる。王族の近くに侍る職務なので、武芸ばかりではなく相応の学識や身だしなみを含む礼儀作法など多岐にわたる才能が必要となる狭き門だ。
その隊長ともなれば、まさに国家を代表する守護騎士であるといえる。
その右隣で太い筋肉質の腕を組んで立っているのは、ギリアムという名の男だ。ゼノンの配下で副隊長を務めている。
左隣の頭一つ背の高い男はガウェイン。第一近衛隊の第三席である。
三人とも、ただならぬ佇まいであった。
まず姿勢が良い。背筋がきれいに伸びていて立ち姿が美しいのは、正しい修練を長い間積んできた者の証である。全身りきみなく弛緩しているようだが、事が起これば一転して素早く対応に動くだろうことは容易に予想できる。
油断なくあちらこちらに視線を走らせるのは、職業柄クセになってしまった行動だ。
三人が練兵場に足を運ぶ目的は、主に優秀な兵士をスカウトすることだ。彼らには別に専用の訓練場があり、一般兵が集うこの場所で訓練することは、滅多にないのである。
また優秀な人材に限らず所属を越えてコミュニケーションを取って、親睦を深めておくのも仕事の内である。それが有事の際に思わぬ効果を出すことがあるからだ。
故にこの場所にいること自体は、特別な行動ではない。
しかし今日は特別な目的があった。
それは東の壁に沿いに立っているアイサという名の女である。彼女がいる時間を狙って顔を出したということだ。
兵士の修練場にいて汗を流しているが、彼女は兵士ではない。
侍女、つまり貴族のお世話係なのである。
ただし所属はカトレア隊。それは侍女長であるマリア・ロッソを隊長とする特級侍女の部隊で、着替えや食事の手伝いなど一番近くで王室の人々の御用を承る。
彼女たちが普通の侍女と違うのは、有事の際のは武器をもって王室の盾になるという点だ。
教養だけでなく武力も兼ね備えている特殊な人材の集団なのである。
給金は破格といっても良いが、雇用条件はかなり厳しい。
王族の一番近くに控える者たちなので、特に身元の調査は綿密に行われることは言をまたないが、必ず付けなくてならない保証人にも、国内における一定以上の地位や功績が要求されるのだ。
アイゼニア出身でなくてはならないということはないが、保証人になれる人物の立場の関係上、九十九パーセントは国内の、しかも貴族の出身となっているのは、致し方ないことであろう。
しかしアイサは違った。
彼女はトルキア人に分類される。「分類」などと歯切れの悪い表現となったのは、彼女の生まれ育った集落では、自分たちがトルキア人であるという認識がないからである。
トルキアとその集落は、長い間協力関係にあった。しかし属してはいない。トルキアの側から見ても認識は同じである。
彼女たちは「森の民」と呼ばれていた。
大陸の考え方の中では、トルキアの領土の一部である「魔の森」で生きる人々だ。
トルキア人は異形の生物が多く生息する魔の森には近づかない。
マーカス・バルムンクから続くトルキア王家の人々も決して魔の森を開墾したり征服したりしようとはしてこなかった。互いを尊重し共生してきた間柄なのであるが、他国から見ると森の民も「トルキア人」ということになる。
ここでいう「分類される」とは、そういうことである。
ともすれば蛮族とも見られがちな森の民のアイサが、何故アイゼニアの特級侍女であるカトレア隊に所属できたのか。それは王家から絶大なる信頼を寄せられているマリア・ロッソ侍女長の推薦があったからである。
彼女が森の民であることを知る者は、ほとんどいない。アイサ以外は全員アイゼニアの貴族出身であるカトレア部隊の中で、軋轢が生まれるのを避けるために、その情報は秘匿されている。
とある任務に今回再び、マリアは彼女を強く推した。
ゼノン達が品定めに来たのは、そうした背景があったのである。




