第1章 アイゼニアの姫のこと 3-3
一方、茂みに飛び込んだウォルフとキースは「じりじり」と後退していた。
ウォルフの(というよりも彼の懐の「神獣の指輪」の)安全を第一に考え、二人には「逃げ切る」という使命が与えられているのである。
藪を抜けた二人は、木の陰に隠れながら少しずつ後退していく。
ウォルフの左手には師匠と同じように魔法陣の球のようなものができている。ただ重なり合った魔法陣の数は、ユリアスよりもかなり少なく、百に満たない。ユリウスは簡単に千以上もの魔法陣を重ねていくが、ウォルフは体調が良い時ですら二百がやっとだ。
これは魔力の量の問題ではなく、コントロールの問題である。
実は魔力の容量でいえば、ユリウスよりもウォルフの方がずっと大きいのである。しかし緻密な運用については遠く及ばない。
展開された魔法陣の一つ一つを制御し続けられなければ暴発の危険性がある。十個の魔法陣を長時間維持するのも、実は神経を擦り減らすような作業なのだ。
ユリウスは、数千個もの魔法陣の管理を軽々とこなすが、自分には到底無理だとウォルフは思っている。師に言わせれば、ただの慣れの問題ということになるのだが・・・。
おる程度の距離を確保して足を止めたウォルフは巨木の陰から戦況を窺った。
ユリウスとジェイは、まずは敵の出方を見ているようだ。
当然、相手の魔法使いは初めに魔法を放った場所にはいない。
ユリウスたちは姿を晒している以上、受けに回るより手がない。今からでも一旦身を隠すという選択をしないのは、ウォルフ達を目立たせなくするためだ。
ガサッ。
ジェイの近くの茂みが鳴った。
二人はそちらに目を向けるが、周囲の警戒は怠らない。
ガサガサッ。
再び茂みが揺れて、二人の兵士を吐き出した。
ユリウスの右手が動いたのは、ほぼ同時である。たちまちのうちに百発近い光線が放たれ、その全てが二人の兵士に着弾するや否や発火した。彼が放ったのは火の魔法だったようだ。一瞬で二人の敵兵は火達磨になる。
しかし―――。
炎に包まれながらも敵兵は、その歩みを止めない。自らが焼かれていることなど全く意に介した様子もないのである。しかも、その歩みは、かなり、ぎこちなかった。
ユリアスは目を見張った。
「まさか死霊兵か・・・」
二人の敵兵は炎に包まれながら、「ふらふら」と近づいてくる。その右手には手斧が握られている。
ユリウスは年齢を感じさせない機敏なバックステップで距離を取った。
その右手の魔法陣が発動しないままに、次々に消えていく。ユリウスが解除したためである。キャンセルしたのは右手だけで左手の魔法陣はそのままだ。一つ一つがゆっくりと回転しながら、球体を保っている。
「うらぁ!」
ジェイが気合を入れながら大剣を振り払った。
それは狙いを過たず敵兵の頭部に直撃する。炎に身を焼かれたままの兵士は、右から兜を打ち抜かれた格好となり、大きく弾き飛ばされた。
その体格に見合った剛力のジェイに渾身の強打をされ、首の骨が折れたようだ。巨木に身体を打ち付けられた兵士の首が妙な角度に曲がっている。
「お前も!」
返す剣で下段からもう一人の兵士の胴を薙ぎ払う。
金属同士が打ち合う高音が鳴り響き、こちらの兵士も吹き飛ばされた。
その鎧の胸部には真一文字にへこみができている。恐るべきはジェイの膂力である。大剣を鈍器のように使うのが彼の戦闘スタイルのようだ。
「心臓だ!心臓を狙え!」
ユリウスの声が飛んだ。その右手には新しい魔法陣が浮いている。手のひらサイズの左手の魔法陣に比べると、十倍は大きい。つまり威力も十倍はあるということだ。と、言うのは簡単であるが、これはとんでもない技術である。
魔法の発動方法には大きく分けて三つのタイプがある。
ひとつは、呪文を唱え終わる、つまり魔法陣の完成と同時に即座に効果を発揮する適時型。
またひとつは、決めた場所に罠のように仕掛ける設置型。
このタイプは、あらかじめ条件を設定しておいて、それが満たされた時に自動で発動させるのが普通だ。条件設定が終了した時点で術者の手を離れるので、制御を続ける必要がない。一度設置してしまえば、たとえ術者が死んでも、百年でも千年でも、条件が満たされる時を待ち続ける厄介な魔法である。
最後のタイプは、完成させた魔法陣を保持し、術者の望むタイミングで発動する任意型である。
三つのタイプの内、最も難易度が高いのが、任意型であることは想像に難くない。
普通の魔法使いであれば、任意型を一つ保持するだけでも、かなりの精神力を削られる。当然のことながら、保持する時間が長ければ長いほど精神的な負荷も大きくなる。
今、ユリウスは、左手に千もの任意型の魔法陣を保持したまま、右手にサイズおよび効果の異なる数百もの任意型魔法陣を展開してみせた。
こんなことができる魔法使いは、過去には存在していない。どんな大魔導士と呼ばれた人物もなしえなかったことを、いとも簡単に行っているのだ。
その天才振りは、計り知れない。
ユリウスは、闇に潜んだ敵方の魔法使いの気配を探っている。相方であるジェイに視る能力がない以上、それはユリウスの役目だ。
「心臓を破壊せねば、何度でも起き上がってくるぞ!」
ユリウスの言葉を証明するように、ジェイに弾き飛ばされた二体が起き上がってくる。
一体は首が異様な角度に折れ曲がり、動くたびに「ぶらぶら」と揺れる。ジェイに飛ばされた拍子に鎮火したものかユリウスの放った炎は消えているが、甲冑の隙間から煙が漏れ出ている。
もう一体は未だに炎に包まれているが、全く意に介した様子もなく立ち上がってくる。
これが生ある者の反応であるはずがなかった。
ジェイの目が驚愕に見開かれた。死霊兵を実際に見たのは初めてだ。
「これが死霊兵・・・!」




