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開戦前夜〈7〉

 兄の決意を以前より薄々とアデライザは感じていた。

 然し一方で堂々した物言いで聞いたのは初であった。


 深窓の令嬢は兄の片手を弱々しく支えると、離すまいとして力を懸命に込めて自身の掌を合わせるようにして握る。


「兄上。私はそうした美徳を理想の実現、楽園の再現を行う資格であると思います」

「だが泡沫に過ぎぬかもしれない。楽園は蛇のたった一言を以て崩壊したのだ」

「蛇も私たちの兄弟としましょう。笛吹男は善良な羊の群れを陥れましたが、先導者が兄上で有れば楽園への終点を違えることもないでしょう」


 神学において最も有名とされる話をテウドニアの民間伝承と被せることで、敬愛する兄の願いへ此度の戦への縁起を担いで重ね合わせる。

 そしてアデライザはもう一方の手をも使って、兄の片手を抱きしめるようにして、祈るようにしてぎゅっと再び握る。



「此度の戦、恐らく兄上は参陣されるのでしょう」

「…私はもう14。初陣を飾るには遅すぎるぐらいだ」

「一人の家族として、お願いします。…必ず勝利し、無事帰ってきてください。もうこれ以上親類の死を看取るのは嫌です」


 妹は沈痛な面持ちで、神にも縋るかのような思いで懇願する。

 ラグナルスも静かに呼びかけるようにして故人となった家族の名を連ねていく。


「エイリーク、ハロルド、ジゼルヴィア、シグルズ。そしてイングリズ母様…」

 「私たちを置いて皆は先に(ヴァルハラ)へと昇ってしまいました。父上も兄様も…どうか、何卒っ」



 それを聞いたラグナルスは開いた手で妹の握った両手を解くようにして手繰ると、今度はこちらの番とばかりに両の手で握り返す。


「戦の勝敗とは古来より兵家の常。必勝を約束は出来ない。だがせめて…再び互いに笑い合うことを約束しよう」


 如何に妹の願いとはいえ、ラグナルスには確定し得ない出来事を約束することはできなかった。だから将来の明るい展望を以て誤魔化すように返した。


 アデライザもそれを分かっていたのだろう。

 深く頷いた後、「無茶な願いでした、お許しを」とだけ言って言葉を収めた。



 

※※※※※※


 暫く経ったというものの、未だ部屋ではアデライザとラグナルスの両名は楽しげに談笑を続けていた。


 話の切りこそ良かったものの、果たしてこんなにも真剣な話の後に妹は快眠できるのだろうか。

 ラグナルスは偏に家族の身を案じすぎたが故に、話を続けるという選択肢を取ったのである。



「――そうして彼は皆を夜中に叩き起こした後、私に言ったんだ。『食堂に巨人(トロール)が居ました!エルンスト殿、どうか助けてください!』」

「まあ!それで兄様はどうされたのですか?」

「私はこう返した。『恐れ多いことだが、今宵私はヘンリク卿(ヘア・ヘンリク)となろう!刮目せよ!見届けた者は後世にまで我が勇姿を伝えよ!』とな」

「恐ろしくはなかったのですか?」

「もし彼が本物を見たのならば、既に食われたか求婚されている。実際巨人(トロール)の正体は月明かりに照らされた甲冑であった。凡そ誰かが悪戯半分に持ち込んだのだろう」


 軽快で大袈裟な物言いに妹はそれとなく微笑んだ。


 ラグナルスが今宵語る話題として選んだのは帝国留学の思い出話であった。

 たった今語った騒動は、在学二年目に隣室のお調子者の伯子が、夜中に肝試しをした際の出来事である。

 エルンスト、というラグナルスへの呼び名は帝国留学の際に用いた偽名である。幾ら帝国の魔導学校が『身分不問』を謳っているからといえ、「王国に仕えるノルデント人」の入学を許すわけがないからである。



「そのご学友…名をなんと言いましたっけ?」

「アルセベルク伯のミュラー殿だ。彼は深夜から明朝にかけてこってりと絞られていたよ。それを私たち3人は自業自得だと眺めたものだ」

「その方は私たち兄妹にはない感性をお持ちのようですね。近しい者なら…エゼルレッドでしょうか?」

「いや。彼はお調子者でありながら、ひとたび事を構えればまるで忠義に篤い騎士のよう。常日頃から冗談ばかり口にするような気性では無かった」



 ラグナルスは懐かしい日々を思い起こすようにして、語っていく。

 ミュラー、シグムント、カタリーナ。

 彼等は自身の帝国での生活に幾許かの花を添えてくれたのだ。

 妹としては兄が日々を励むだけでなく、楽しんでいたことも言葉の節々から窺い知れた。

 だがそれは、初陣に臨む兄の心の迷いにならないかとアデライザは心配でならなかった。


 「して兄様。その帝国でのご学友達とは此度の戦場であい見えることになるかもしれませんが…大丈夫でしょうか?」

彼女(・・)は不参戦の身であるし、ミュラー殿とシグムント殿は主力たる中部での会戦に置かれるだろう。そして両者ともに大層武芸が達者でいる。心配はしてないよ」



 はっきりと告げられた言葉からは本心であると感じとる。

 兄妹はもう遅い時間であると、今度こそ話を切り上げて両者とも寝床につくのであった。

 

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