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開戦前夜〈1〉

 グイスガルド侯国、グイスガルド城。今、ある一室では侯国の行末が定められようとしている真っ中であった。


 石壁に開けられた覗き穴から斜陽が差し込む。と同時に、吹き込む風は部屋の重苦しい雰囲気を和らげるかのように涼しげなものであった。


「さて諸君。こうして集まってもらったのは他でもない。我々は未曾有の危機に立たされている」

 部屋に鎮座された長机に座る列席者たちを一瞥すると、一段高く据えられた玉座からグイスガルド侯キルデベルトが口を開く。


「神聖テウドニア帝国が諸侯に号令をかけて挙兵した。目的は大陸覇権。帝国と接する此処も近いうちに侵攻を受けることは想像に難くない。…エゼルレッド!」


 侯爵が長椅子の最も近しい右側に席を置く禿頭の男に声を掛ける。


「ヘイッ。先刻、放った斥候が戻りました。ライネスブルク辺境伯が国境沿いの砦から軍を出立させたのを確認したようです。数は推定で4000。対して俺らは3500の兵。数だけならば互角に近いですが、魔導騎兵(マギルリエ)が多めって報告があります。ちと厄介ですな」


 隆々とした筋肉を持つ肉体から発せられるのは、地の底から蛇が這い出たかのような低い声。そしてぶっきらぼうな物言い。

 しかし王と列席者達は意にも介さない。普段から聞き慣れているのであろう。


 一方で長机から離れて部屋の片隅で座る二人の顔を顰めさせた。

 聖衣(カズラ)を纏った中年の男は沈黙を守った。

 

 木製の笏と一枚の羊皮紙を携えた小太りの男は「卑しい蛮族(バルバロイ)め。狗はまともに言葉遣いも出来んのか」と小さく独り言のように、だが部屋に響き渡るようにして愚痴った。


 先程眉ひとつ動かさなかった列席者たちも同じようにして顔を顰める。狗という単語が、グイスガルドの紋章である碧眼の銀狼を念頭に置いた罵倒であることは明らかであり、従士団の彼らにとっては主人たるキルデベルト侯爵への侮辱に他ならないからだ。

 

 然し侯爵が指を口元に当てる仕草を見せると、従士団の面々は皆が一様にして推し止まった。

 ただ一人を除いては。


「失礼ながら使者様!どうかたった今述べたことを取り消して頂きたい!」

「五月蝿いぞノルデントの狗が!この地はフラスヴェール王国の所与である。ならばフラスヴェールの慣習(レクセ)に従うのが(バシレイア)の臣下として当然であろう!」


 侯爵への発言の許可を待たずして揚々と立ち上がり異を唱えたのはちぢれた銀髪をした碧眼の少年。名をラグナルスといい、齢は14。キルデベルトの侯子である。


「従士団の皆様は父上、即ちグイスガルド侯に忠誠の誓いを立てた身分に御座います。『高貴なるフラスヴェール人の第一人者、神の恩寵による世界の支配者にして正教の擁護者』たる(バシレイア)に対して誓いを立てたわけではありません」

「ええい、この国王の代理人たる証が目に入らないのか!?私の発言は陛下の御意志でもあるのだぞ!」


 雷が落ちたかのような怒号を孕んで、使者も続けて立ち上がる。そして木笏を掲げて反論を行う。

 

 木笏の先端には王家の紋章である白鷲が彫り込まれていることから、正しく彼が国王の代理人としてこの場にいる事が分かる。



 ラグナルスはそれに言葉を返す事なく、無礼者(•••)へと鋭い視線を向ける。


 侯子と使者が距離を置いて睨み合う。その場に居合わせた者たちは配慮を期待すべく侯爵に目を向ける。当人は手を顎に当てて逡巡している。


 寸刻の時が経った頃。

 侯子の隣に座っていた全身純白の鎧を纏った騎士が立ち上がり、肩に手を乗せて諌めようとする。家人(ミニステリアーレス)にしてラグナルスの養育係であるエーデルである。


「殿下。どうか、この場はその御怒りをお鎮めください」

「だがっ…!あの男は我らの面前で侯国それ自体を侮辱したのだぞ!」

「使者殿の言ったことは多少粗暴が過ぎましょうが、道理には適っております。ノルデント人独自の慣習(レクス)が有れば、彼らフラスヴェール人にも異なる慣習(レクス)が有ります。そしてここグイスガルド侯国は凡そ3世紀前、遥か北方から海を越えてきた殿下や陛下の先祖たるノルデントの民が(バシレイア)から授かった土地であります。殿下、此処は何卒お退きを」


 白騎士は抑揚を抑えた、感情を押し殺したかのような声でラグナルスに諫言する。然しそれでも侯子はうんと頷かず、依然として使者に群青の眼を向け続ける。


「――話は済んだようだな」


 議論が紛糾した際、それが終結するのは決まって鶴の一声によるものである。

 その場にいる者は皆、侯爵に視線をやる。そしてそれは銀狼と白鷲も例外ではなかった。


「使者殿。我が愚息はつい先日遠方から帰途に着いたばかりなのだ。きっと疲れが溜まっていて思考が氾濫しているに違いない。そして子の不始末は親の責任というのは我等も、あなた方も、同じ認識だろう。…私から、謝罪させてもらおう」

「…っ!い、いえ、分かればいいのですよ!」


 無礼を口にした使者でさえ、侯爵自ら自身へと謝罪することは想定していなかったのだろう。慌てふためいた様子で応対した後、これ以上は構うなとばかりに椅子へと転げ落ちるように座る。

 それを見てラグナルスも渋々といった表情で同様に、だがゆったりとした様子で、座す。



「…本題に移ろう。此処で議論されるべきは帝国と事を構えるか、否か。少しでも良い方に天秤を傾けようではないか」


 


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