FILE1.8:三角関数
しばらくしてから現場に到着した処理班に、簡単に状況を説明する。オレ達戦闘員の仕事はこれでもう終わりで、事後処理は全てこの班の任務となる。殺すのが専門の戦闘員と、後始末だけ淡々とこなす処理班。後味の悪さはどっこいどっこいといったところだろう。
顔見知りの班員に了解の返事を貰うと、愛車の元に戻った。駐車した場所でバイクは忠犬のように大人しくオレを待っている。所々水滴が付いた漆黒のボディが濡れた光を反射する様は、一つの芸術品のように美しい。
シートを上げ、メットインスペースからフルフェイスのヘルメットを取り出す。その下にあったタオルで雨に濡れた手を軽く拭き、ヘルメットを被った。腕時計を見やると、蛍光塗料でぼんやりと光る針が、21時を示しているところだ。キーを回すと、低い排気音が辺りに響く。最後に一度、処理班の面々に頭を下げて、エンジンをスタートさせた。
自在に車体を操り、闇を裂いていく。降り注ぐ雨も相まって、吹きつける風がいつもより冷たく感じた。信号で止まる度に、かじかんできた手を閉じたり開いたりして動きを確保する。本部に着いたらシャワーを浴びよう。返り血を流して、失った体温を取り戻したい。
そのまま30分ほど走り、守川市の中央に位置する特警守川支部の、本部に当たる場所に到着した。支部の中の本部というのもめんどくさいので、隊員は皆この場所を「本部」と呼ぶ。
いつも思うが、馬鹿みたいに広い。とりあえず、余裕で学校くらいの敷地面積はある。本部以外にも訓練所や開発局、所有している車両なんかも多数ある為に、仕方ないと言えば仕方ない。ただ、仕事が仕事なだけに施設の大きさの割に人員は少ないのだが。
門にある詰所にいる警備員に名前と隊員番号を伝え、そこにある認証パネルに携帯をかざす。特警専用のこの携帯には、警察で言う警察手帳のように、自分が特警隊員であることを示す証明書の役割もあるのだ。携帯の認証が終わると、今度は手のひらを置いて静脈認証、カメラを覗きこんで虹彩認証を行う。
全て終えると、重い音を立てて門が開いた。バイクを押して敷地内に入る。
すぐに目に入るのは、飾り気など皆無の、機能性の粋とも言える建造物。その建造物こそが、オレ達の本拠地である特警守川支部だ。公的な機関とは思えないほどの圧倒的な威圧感を放ちつつ、それは鎮座していた。ある意味さっきまでいた工場と同じかもしれない。中にいるのは、殺しを躊躇わない猛者達なのだから。
「まあ、オレもその一人か」
独りごちて苦笑し、駐輪スペースに愛車を停める。ヘルメットを外し、今度はシート下にしまった。
屋根付きの駐輪スペースから飛び出して、雨の中を本部まで走る。すでにかなり濡れているので走っても今更感はあるが、速く報告を済ませて帰りたい。意識せずとも自然と急いでいた。
自動ドアをくぐり(この自動ドアにも、セキュリティの機能がある。なんでも空港の金属探知機みたいに、どこかに携帯を持っているとそれを認識してドアが開くんだとか。一般のケータイには反応しないらしい)、エントランスホールに入る。整えられたオフィスビルのような空間には、時間も遅い為かあまり人はおらず、数人の隊員が時々ホールを横切っていくくらいだ。インフォメーションで所長の所在を聞くと、いつも通り所長室にいるらしい。
途中、シャワールームでタオルを貰い、頭や体を拭きながら、3機あるエレベーターのうちの1機に乗り込む。最上階である「4」のボタンを押すと、金属の箱は音も無く上昇を始めた。
扉の上の表示が1、2、3、と順に変わっていき、最後に4で止まる。同時に、扉は真ん中で割れた。壁によりかかっていた体を起こし、外に出る。
この階には、部屋はあまりない。所長室以外には、資料室や会議室、休憩室があるくらいだ。オレの目的たるその所長室は、廊下の突き当たりにある。ひっそりとした廊下は、歩くだけで靴音が微かにカツカツと響いた。
【所長室】と書かれた扉の前で、一度立ち止まる。別にビビっているわけではないが、学校で職員室に入る時のような、独特の緊張感があるのだ。その緊張感をほぐす為に数回深呼吸して、扉をノックした。
コンコン。
軽い音が部屋の主に、入室を求める意思を伝える。すぐに「日向か」という声がした。
「オレす」
「いいぞ。入れ」
許可を得たので、「失礼します」のセリフとともにドアノブを捻って扉を開ける。入室の後、後ろ手に扉を閉めた。
いつ来てもとてもシンプルな部屋だ。内装を質素にした社長室、といった感じだろうか。中央にはテーブルとソファーという、ありきたりな応接セットが置かれ、壁際には本棚が並んでいる。ただ、飾り気のあるものは全く無く、そこまで広いわけではない部屋の中は、面積の割にガランとして見えた。
そして、その応接セットの向こう側。部屋の入り口と反対側に置かれた大きなデスクの椅子に、所長は座っていた。
まだ30代中間くらいの男だ。別段厳ついわけでも、強面というわけでもない。見た目だけみれば、年齢より若く見える、精悍な顔立ちの人物だ。
しかし、その身に纏う雰囲気が、安易なイメージなど許さない。眼光は視線で人を殺せるのではないかというほど鋭く、発するオーラは抜き身の刀のようだ。不用意に近づこうものなら、触れずとも心を斬られる。そんな錯覚さえ抱いてしまう。それは、幾度も死地をくぐってきた者にしか出せない空気。形容し難い威圧感を放つこの人物こそが、実力主義の特警という組織内でトップに立っている、所長という男なのだ。
何か書類でも書いていたのか、デスクの上には数枚の紙とペンが置かれていた。その傍らにあるコーヒーカップからは、微かに湯気が上がっている。
「報告か?」
所長が問う。低く深い声だ。落ち着いたというよりも、余分な感情が籠もっていないと言う方が合っている。
「はい」
「聞こう」
その答えを聞いてデスクの前まで移動し、報告を始める。工場や蜘蛛の事、改造人間の事、そして狩野の事。自分が見た事、聞いた事、感じた事。感覚器官で得た情報は全て話した。
その間、所長はただ黙ってオレの話を聞いている。相槌を打つ事もなければ、途中で他の仕事をする事もない。ただ時折軽く頷くだけだ。
20分ほどで、全て話し終わった。
「そんな感じです」
「そうか……」
所長は少し息を吐いて呟くと、椅子に背を預けて顔をこちらに向けた。
「なるほど。体はどうだ」
「ほぼ無傷ッスね。数発喰らいましたけどボディアーマーは着てますし、素人より少し上くらいのレベルの格闘術相手なら、ダメージなんてもらいませんよ」
「ならいい。報告は終わりだ。何か言う事とかあるか?」
デスク上の書類をまとめながら所長が聞く。
言いたい事、というより、聞きたい事ならある。
「所長」
「なんだ」
「オレには言いませんでしたけど、知ってましたね。狩野がサイボーグを造ってたの」
オレの問に、所長が一瞬手を止める。しかし、ある程度予測はしていたのか、すぐに口を開いた。
「ああ。知ってたな」
やっぱりか。
「教えてくれてもよかったでしょう」
「言う必要があったか?」
「事前に敵の兵力くらい知っときたかったとは思います」
若干不満を込めた声色で言うと、所長は大きくため息を吐いた。
「なら日向、」
「なんスか」
目の前の落ち着き払った男は、コーヒーカップを手に取り、二口ほど飲んだ。カチャン、と音を立てて、ソーサーにカップが戻される。
「逆に聞く。お前にその情報を事前に伝えたとして、冷静でいられた自信があるか?」
もはや事務的などいう言葉すら生温いほどに淡々と、所長は言った。いつもそうだ。オレの予想など遥かに超えて、凄腕のスナイパーなんかよりも確実にこの人は核心を射抜いてくる。
「それは……、」
全てを見透かしたようなその言葉に、言い返すことができなかった。反論材料など無い。所長の言う通り。事前に情報を聞いていたら、何かしらの感情がオレの中に生まれたに違いない。今、自分はこうして生きているが、そんな状態で闘っていれば、あるいは……。
握りしめた右手に、じわりと汗が滲む。冷静な判断を失った挙句、ナイフで腕を斬り落とされる光景が、本当に見えた気がした。
「納得したか?」
やれやれといった風に所長が首を振る。呆れている、というよりは、「今更何を言ってる」と言われているように感じる。
「はい。すみませんでした」
「わかればいい。しかし、それにしても……、」
まとめた書類をデスクの引き出しのしまうと、所長はふんぞり返るような動作で椅子に大きく体を預けた。
「生きて帰ってきたか……」
ほとんど独り言のような声が聞こえた。辛そうな響きにも聞こえたのは気のせいだろうか。
「聞き捨てなりませんね。オレに死んでこいとでも?」
「いや、そうじゃない。だけどな、」
体を起こした所長が、まっすぐこちらを見据えて続ける。
「仕事の時のお前を見てると、未だに友喜と優奈に縛られてるようにしか見えん。今のお前は家族がいるから普段こそマシにはなったけどな。ボロクソになって帰って来た時なんかは、後悔が服着て歩いてるように見えて、いっそ殺してやりたいと思う事もあるよ」
オレに向かって話しているというのに。その声は、誰か違う人間に語りかけているように思えた。その対象がオレの両親なのかどうかはわからない。あるいは、本当に独り言のつもりだったのかもしれない。うっかり口を衝いて出た、というようにも見えた。
3年前の、オレがもう一度生きると誓ったあの日、所長は「特警を抜けてもいい」と言った。通常ならあり得ない話だ。一度入隊した以上、死ぬまで関わり続ける事になるのが特警という組織。それでも、所長は「責任は全部俺が持つ。お前が辞めたければ、辞めてもいい」と、死んだ部下の息子であるオレに言ったのだ。当然、その「責任」とは尋常じゃないほど重いものだろう。それでも、所長は被る覚悟があると言った。
確かに、オレには後悔も、自責の念も、人を殺す業に対する恐れもある。それは一生逃れられない、オレを縛る鎖になりえる。あのまま何もなければ、所長の言葉に従っていたと思う。
しかし、オレはその時、出会ってしまったのだ。ただ一人の、自分の手で護るべき存在に。元より、あの時「日向友」という人間は一度死んだ。ならば、もう一度「生きて」と言ってくれた相手の為に生きる。そして、オレにはその相手をこの世の中から護るだけの力があった。その力をどうして手放す事ができよう? 逃れるなどという選択肢は、初めから無かった。
今も同じだ。オレが例えどんな風に見えようと、それはオレの罪の結果だ。罪を引きずってでも、力が必要だった。ある種悪魔との契約じみたその意識と、両親への責任だけが、戦場に立つオレを動かしている。
「所長、」
質量すら持ちそうなほどに重い視線を発する目を、真っ向から睨み返す。
「オレだって、特警の一員です。自分で決めた事ですよ。オレは自分の意思で仕事に向かうし、自分の意思で生きます。所長だって、オレの両親だって、特警にいる人間は皆そうでしょう」
逃げる事も隠れる事も、かわす事もせずに、決然と言い放つ。虚勢を張った訳でもないし、上辺の意見を言った訳でもない。オレ達隊員は、皆自分で生きる為に特警なんて組織にいる。非合法を無理矢理合法にしてでも、しなければならない事があるのだ。
所長は目を閉じた。それから数秒して、口元だけで笑い、二、三回首を振って「そうだよな」、と小さく漏らす。そして不意に立ち上がり、
「悪かったな、しょうもない事言って。改めて、任務終了。もう遅いから、解析なんかは後日だ。今日は帰っていいぞ」
いつもの調子で仕事の終わりを言い渡した。
失礼します、と言いながら頭を下げ、部屋の扉に向かう。
「日向、」
ドアノブに手をかけたところで、名前を呼ばれた。振り向かずに答えだけ返す。
「はい」
「最後にもう一つ答えろ。さっき、『自分の意思で生きます』って言ったな。なら、なんで生きようとする? 両親の事なら、お前のせいじゃないから気に病むなと昔言っただろう」
純粋な疑問と、少しの心配が混ざり合ったような、そんな問いだ。多分所長は、今は亡きオレの親の代わりに、オレという人間を気にしてくれている、のだと思う。
だが、オレはいつまでも立ち止まってはいられない。だから、答えた。
「親の事も、完全にとは言えませんけど、ある程度割りきってます」
「なら、なんでだ?」
単純な事だ。約束したからな。
首を捻り、顔だけ所長に向ける。
「三角関数、教えなきゃいけないんで」
それだけ言って、部屋を出た。
それからシャワーを浴び、軽い身体検査を受けて、帰路につく。時刻はもう23時を指していた。家までは30分ほどかかる。随分遅くなってしまったので途中、コンビニに寄ってプリンを買った。
先ほどまで降っていた雨は、今は小雨になっていて、あまり濡れずに済んだ。体にぶつかっていく冷たい風も、これから帰るのだと思えばさほど気にならない。
やがて、遠くに家の灯りが見え始める。それだけで、痛いほどに張っていた気が緩む。難航中の船が灯台の光を見つけた時は、こんな気持ちになるんじゃないだろうか。そんな事を一人思いながら、バイクの速度を少し上げる。
ほどなくして、アパートの前に到着した。駐輪スペースに愛車をしまい、メットを外す。シートの下に、外したメットを収納し、代わりに黒いアタッシュケースを取り出す。シートを元に戻し、ロックがかかっているかをしっかり確認した。
右手に銃入りのケース、左手にプリン入りのコンビニ袋を提げるというシュールな状況に苦笑しつつ歩いて、家の前に着いた。一旦ケースを置き、ズボンのポケットからキーケースを取り出し、家の鍵を引き出す。鍵穴に差し込んで回すと、カチリという音が解錠を知らせた。
「ただいまー」
扉を開け、いつも通り言う。玄関にアタッシュケースを置き、靴を脱ぐ。
すぐにトテトテと足音が聞こえてきた。
「おかえり!」
正面の突き当たりにあるリビングから、みつきが飛び出してくる。風呂には入ったらしく、可愛らしい薄いピンクのパジャマを着ていた。
もう一度「ただいま」と言うと、みつきはオレに抱きついて少し泣いた。
「よかった……。無事で……」
涙声で言うみつきの頭を軽く撫でる。すべすべとした髪から、シャンプーの甘い香りが立ち昇ってきた。
「ごめんな。久々に遊びに行ったのに、中断した上に遅くなって」
袋を下ろして空いた左手で、小さな体を抱き寄せながら謝った。みつきはふるふると首を振る。
「いいの。無事に帰ってきてくれたんだから」
「いや、ホント悪い。お詫びと言っちゃなんだけど、プリン買ってきた」
コンビニ袋を指さす。
「コンビニので悪いけど」
「ううん。嬉しい」
みつきが濡れた目で微笑む。この顔見れるだけで、生きて帰ってくる意味あるよな。そう思うほどに眩しい笑みだった。
ごしごしと目を擦って涙を拭ったみつきが、リビングの方を向いた。
「さっ、ご飯食べよ。カレー作ったの」
「なんだ。食ってないのか。もうちょいで日付け変わるぜ?」
今までにも何回かあった事なのであまり驚きはしないものの、それでもつい聞いてしまう。
当のみつき本人は、
「イヤよ。ゆういないのに食べるなんて。一人じゃおいしくないもん」
と言っている。
「そっか」
苦笑しながらそう返す。ホント、かわいいヤツ。
それから、二人でカレーを食べて、みつきはプリンを見て「クリーム乗ったのだー」と喜んで。オレは風呂に入って、三角関数は明日な、なんて言いながら、布団に入った。また明日も、みつきが幸せでいられるように、オレが自分の意思で生き続ける事を誓いながら、眠りに身を投じる。
「おやすみなさい、ゆう」
「ああ。おやすみ」
電気を消す。部屋が、安らかな闇に包まれた。
明日の朝飯当番は、オレだ。
FILE1、終
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