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VS〜コノヨノコトワリ〜  作者: TERIS
FILE4:『約束』
31/33

FILE4.5:絡新婦

クソ久しぶりです。

リアルでの厄介事が片付いたのでまた更新していきたいと思います。

 目的の階である四階でエレベーターは止まり、眼前で扉が音も無く開いた。目に入るのは、廊下に面して左右にいくつかある部屋の扉と、突き当りに位置する所長室の扉。飾り気など皆無な、機能性のみを求められた空間は、張りつめた静けさも相まってまるで監獄であるかのように殺風景だ。

 エレベーターを降りると、開いた時同様、その扉は無音で閉じた。その様子を一瞥した後、オレ達四人は足を踏み出す。ツジも、真田先輩も、極ですら無言なのは、この空間が生み出す特有の緊張感のせいだろう。無論オレも、この空気の中ではうかつに言葉を発することが出来ずにいた。

 腕時計をちらりと見やると、二本の針は十八時二十六分を示している。結局、CARDを出たのは十七時半くらいだった。みつきのケータイに、美咲から返信があったからだ。オレ達の用事が終わるまで、彼女の家で一緒に遊ぶことになったらしい。タカフミとナオさんに見送られながらCARDを出て、天谷家までバイクを走らせ、二十分ほどででかい豪邸の前に到着すると、既に美咲は門の前で待っていた。オレ達がヘルメットを外しながらバイクを降りると、美咲はにこりと柔らかく微笑む。

「いらっしゃい、光月」

「やっほー美咲。急にお邪魔しちゃってごめんね?」

「いいのよ光月なら。先に入ってて。お母さんがリビングで光月来るの楽しみにしてるから」

 優しく笑みを浮かべた美咲の言葉にこくりとうなずくと、みつきはくるりとこちらを向いた。

「じゃあゆう、気をつけてね?」

「大丈夫だよ、任務じゃねーから。終わったら連絡して迎えに来るよ」

「……うん。待ってるから」

 じゃあね、と、少し寂しげな表情で小さく手を振ったみつきは、門をくぐって天谷家の玄関へと駆けていく。その姿を、美咲は目を細めて愛おしそうに見送った。

「みつきも言ってたけど、悪いな。急に」

 みつきの分のヘルメットをシート下にしまいながらそう声をかけると、美咲は首を軽く振った。

「いいのよ。私は久しぶりに光月と遊びたくて、その光月から誘いがかかった。何もおかしい事ないでしょ?」

「それでも、オレは助かるわ。緊急で招集がかかった時って、どうしてもみつき一人にしがちだから」

 オレのその言葉を聞いて、美咲は小さくため息を漏らした。呆れや哀れみ、やるせない気持ちが少しずつ混ざり合った、微妙な感情が漏れ出した仕草。そんな風に見えた。

「……何かあったの?」

「それがわからねぇ。ただ、なんとなく良くねー予感はするな」

 そもそも、所長から直々に呼ばれている時点で良い予感はしないのだが、今回はどうにも、切れない小便のようなすっきりしない感覚が体にまとわり付いて離れない。

 美咲は「そう」と呟くと、艶のある黒髪を揺らして軽くうなずいた。

「わかった。それを確かめに行くんだもんね。光月のことは心配しないでいいから、なるべく早く迎えに来てあげて」

「悪りぃ。頼んだ」

 こちらもうなずきを返してバイクに乗り込み、エンジンをスタートさせようとした時だった。

「友!」

 突然呼ばれた声に、何事かと振り向いてみると、今しがた玄関に向けて歩き出そうとしていた美咲がこちらを向いている。何か言い忘れだろうか。

「どしたい」

 一度装着したヘルメットを再び外しながら応じると、美咲は一度口を開きかけて、それをやめて、を二回繰り返した後、

「極に、終わったら電話してって言っておいて……」

 珍しく、照れたように口ごもりながら美咲はそう頼んできた。体の前で組んだ両手をごそごそと動かしているのは、彼女なりの照れ隠しなのだろうか。いつもは完全無欠の無敵超人である美咲も、極の事となると普通の女子だな。

 シートに跨ったまま、ヘルメットを被りながら右手を上げて了解の意を示した。その後、本部に向けてバイクを走らせ現在に至る、という訳だ。

 つい先ほどまでの行動を思い出しながら歩き続けると、あっという間に所長室の前に到着した。相変わらず、物々しいという印象がぴったりな扉だ。ただ部屋の名前を示すプレートが取り付けられただけの徹底的なシンプルさが、どうにも近寄りがたい雰囲気を発している。

 その扉の前に、四人の若手特警隊員が横一列で並んだ。扉に向かって右から、オレ、ツジ、極、真田先輩の順だ。

 この扉の向こうで何が待っているのかは、まだわからない。まあ、ほぼ間違いなく厄介事ではあるだろうが、オレ達はそれを解決するために呼ばれた。前に進まなくてはならない。

「っし」

「行こうか」

「おう」

「うむ」

 オレから順に、全員が気合いのこもった声を発する。準備は万端。

 よし行こう、と一歩踏み出す、はずだったが……。

「ん?」

 おかしいな。誰も足を動かさない。なんでやねんと思って左を向くと、みんな同じ考えなのか、全員誰かしらの顔色を窺っていた。

「いや、何してんだよ。ほらツジ、開けろって」

「やだし。怖いじゃんよ。極なら大丈夫じゃね怖いものなんか無さそうだし」

「いやいや。決してビビってる訳じゃないが、やはりここは年長者が道を切り開くべきだと思うんだ。重ねて言うが決してビビっている訳じゃないぞ。という訳で先輩、お願いします」

「いや、私は日向が適任だと思うぞ。今、所長室の扉を開けるというこの瞬間の為に日々研鑽を積んできただろう。だから日向、お前に任せよう」

「オレの日々を妙な使命で捏造しないでください。だいたいオレよりツジのが、」

 ぎゃあぎゃあ。

 ダメだ。会話が無限ループし始めた。つまり、所長室が発する威圧感に全員ビビって一歩を踏み出せない状態ということか。いやむしろ人間四人を一度に足止めするような雰囲気醸し出してるこの部屋はなんなんだ。

「何を言っている友、オレはビビってなどいないと何度言わ……、」

「ならオメーが開けろ」

 心外だとばかりにツっこんできた極を一蹴する。しかし、さすがは極というべきかなんというか。ヤツはタダでは転ばなかった。

 数秒俯いて思考すると、極は急に右手を挙げた。

「わかった。じゃあオレが開けるとしよう」

 なぜか凄まじいドヤ顔だ。なら最初っからお前が行けよ、と内心で溜息をついていると、

「いやいや、やっぱ僕が開けよう」

 ツジも挙手した。やっぱりドヤ顔だ。しかし、この一瞬でコイツらの魂胆が読めた。

(しまったそういうことか!?)

 だが、時既に遅し。オレが動き出すより早く、先輩が高々と右手を挙げてしまった。

「まあ、よく考えたら藏城の言う事も一理あるな。私が行こう」

 端正な顔にドヤ顔を浮かべた先輩の動きとともに、腰の刀が少し音を立てると、それが合図であったかのように、三人が同時にこっちを向いた。なにこれ最低なチームワークだな。

 しぶしぶオレも右手を挙げる。

「じゃあ、オレが、」

「どうぞどうぞ」

 瞬間、凄まじいスピードで三人がこちらに手のひらを差し出してきた。なにこのノリこいつら本当に緊張してたのかよふざけんな。

「いやいやちょい待ておかしいだろここはもっとこう厳かな空気で」

 はたから見れば見苦しいことこの上ないであろう言い訳を繰り出す。だがオレはガチだ。こんな軽いノリで罰ゲームを押しつけられてたまるか。

 混乱寸前の頭で言い訳を考え続けていた、その時だった。

「痛ってぇ!」

 その頭に、不意に激痛が走った。頭痛などではなく、物理的にブッ叩かれたような鋭い痛み。

 痛む箇所を手で押さえながら振り向くと、そこには鬼が立っていた。

「遊んでねーでさっさと入って来いクズ共」

 拳を堅く握った状態で鬼がすごむ。フツーに怖い。ギラギラと凶悪に光る両脇の下のベレッタが、猛獣の牙に見えてきた。どうやら、物理的にブッ叩かれたような、ではなく、本当に物理的にブッ叩かれたらしい。

 キレ気味の澤田さんは今にも銃を抜きかねない雰囲気だったが、ため息を深くついて全員にゲンコツ一発ずつかますと、目的の部屋を親指で指した。なんかさっきの一発入れてオレだけ二発殴られたけど文句言ったら殺されるから黙っとこう。

 しかし、所長室に一歩足を踏み入れたその一瞬で、緩い空気や思考全ては消え去った。灰色の空間に満ちるのは、息をするのも苦しいと錯覚するほどの堅い空気。懐に吊った銃の重さが、いきなり倍ほどに感じたのは気のせいだろうか。

 四人全員が入室し終えると、澤田さんは自身も部屋に入って扉を閉め、中央に置かれたシンプルな応接セットのソファにどっかと腰を下ろした。

 そのソファの向こう側。椅子に座って、重厚なデスクに両肘をつき、手を軽く組んだ状態の人物こそ、この重苦しい空気の発生源だ。

 デスクの前に、先ほどと同様の順番で並んだ。鋭い視線をオレ達一人ずつに順に巡らせた後、所長は組んでいた手をほどく。

「ここに入りづらいのはわかるが、遊んでる場合じゃないぞ。事はかなり深刻だからな」

 呆れを含んだ声色でそう注意すると、所長は立ち上がってソファを親指で示す。座れ、ということらしい。

 伝達だけ、って訳じゃ無さそうだな。わざわざ座れってことは、腰を据えてするような話ってことか。

 四角いテーブルの三辺に、コの字を描くように置かれた黒い革張りのソファのうち一つに、四人が並んで腰掛ける。部屋の雰囲気にそぐわず、柔らかくて座り心地はかなりいい。テーブルを挟んで反対側に所長が座り、澤田さんは残りの一辺部分のソファに腰を下ろした。

 全員が着席し終えた直後、所長が口を開いた。

「さて、突然呼んですまなかった。若手ばかり招集されて驚いたろうが、藏城、もう三人には説明したのか? 隊員の出撃状況にお前のPCからアクセスがあったぞ」

「はい。成人隊員の人手不足、ですよね」

 極が首を縦に振りながら返答すると、所長もうなずきを返した。

「そうだ。理由がわかってるなら話が早いな。藏城の言った通り、最近は隣県での事件等が相次いで、人員がいつも以上に少ない状態だ。しかしそんな時に限って、少々厄介事が舞い込んできやがった。そこで、若手の中でも上位の実力を持った隊員を対策に充てることになった」

 オレ達四人の顔を順に見ながら、改めて所長は招集の理由を説明した。いよいよ、本題が発表されるらしい。緊張からか、空気が重く感じる。部屋の重力が急に強くなったかのように錯覚した。

 数秒の沈黙があった。壁の高い位置に取り付けられた時計の針が動く小さな音だけが、やけに大きく響く。その針が十ほど動いた後、所長はテーブルの上に置かれたリモコンを手に取った。

「お前達は、絡新婦(じょろうぐも)という妖怪を知っているか?」

 そのリモコンを操作しながら、所長が小さく問うた。呟くようなその問を聞いて、張っていた気が、乱されたように緩む。

(妖怪、って……)

 正直、所長の口からそんなオカルトな単語が出るとは意外だった。ちらりと、横目で他のメンツを見てみると、三人ともオレと同じ理由で面食らっているらしい。皆一様に、目を見開き、口を半開きにしている。

 そんな軽度の驚愕状態から一番早く回復したのは、真田先輩だった。口元に手を当てて数秒思考し、先輩は徐に口を開く。

「絡新婦、というと、蜘蛛の妖怪ですよね。美しい女に化けて男を惑わせ、その肉を喰らうという」

 先輩の言葉に、極もうなずいている。なんでみんな知ってるんだ。妖怪のこととか知らねーし、話についていけない。

「知ってっかツジ?」

「いや、知らない」

 ツジに小声で聞いてみるが、知らないらしい。よかったオレだけじゃなくて。

「おいコラ、ちゃんと聞け。話はこっからだぞ」

 ツジとの会話を澤田さんに注意されて、所長の方に向き直る。その澤田さんから何やら書類を受け取った所長は、頭をガリガリと掻きながら、苦虫を噛み潰したような表情を見せた。

「お前達の中で、俺が今から言う意味がわかるのは、おそらく真田だけだな」

「私ですか」

 突然名前を出された先輩は、何やら思い出そうと記憶に検索をかけたようだが、結局、何故自分のみ名指しされるのかはわからなかったらしい。お手上げです、というように、ややオーバーに先輩は肩をすくめた。

 所長は何も言わずに、手に持ったリモコンをテーブルに向けて、ボタンを押した。すると、その表面が薄い光を放ち、ちょうどテーブル一面がタブレット端末の画面のように変化した。ブルーの背景に、いくつかのファイルやフォルダのアイコンが並んでいる。

 所長はそのうちの一つ、『S_LANK』と名前の付いたフォルダを指でダブルタップした。すぐにそのフォルダが開かれ、中に置かれた複数のファイルから更に所長は一つをダブルタップする。小さく息を吸った直後、所長は、この小会議の最重要項目を発した。

「この町に、絡新婦が現れた」

 その一言、たった一瞬。それだけで、先輩の表情は何かを恐れているかのように強張った。所長、澤田さん、真田先輩から、異様な空気が発せられる。オレやツジ、極がその空気に戸惑う中、数秒の沈黙を経てやっと先輩が口を開いた。

「まさか……!?」

「月並みな言い方だけどな、そのまさか、だ。ビッグトラブルってヤツだな」

 掠れたような先輩の言葉に、澤田さんが答えを返した。所長も、険しい顔で小さくうなずく。

「えっと、つまりどういう事なんですか? 絡新婦ってのは一体……」

 話題に置いてきぼり喰らいかけたところで、ツジが困惑した声色で所長に問いかけた。ちょうどオレも同じことを考えていた。この話題が招集の目的であることはなんとなく理解できたが、どういう真意が込められているのかさっぱりわからない。

 ツジの問を聞いた所長は、「そうだったな、すまない」と呟いた後、テーブルのサイドにあるスイッチを押した。

「絡新婦、というのは、裏社会(アウトロー)での通称だ。お前達も、実際の名前を聞いたらわかるだろう」

 説明と同時に、テーブルの画面上に光る何かが現れた。照明で照らされた室内でもはっきり見える。ホログラムディスプレイ。SF映画なんかでよく見かける、空中に光で映像等を映し出す技術だ。最近実用化され、特警にも正式に導入された。特警開発部の技術により、一昔前では考えられなかったほど鮮明な表示の実現に成功している。

 今、テーブルのホログラム機能で映し出されているのは、先ほど所長が開いたファイルの内容らしい。よく見るとそれは、特警内で独自に作られる手配書だった。

 ホログラムを挟んだ向こう側で、所長の口が動く。

「実際に殺り合ったことはなくても、名前くらいは聞いたことがあるはずだ。今回、この町に現れたのは……、」

 所長はそこで一度言葉を切り、光で3D表示されたファイルを少しスクロールさせた。そして、ついにその名が告げられる。

「紗理奈、だ」

 波一つ無い大海に一滴の水を落とすかのごとく、所長の言葉は静寂の空間に静かに落ちた。だが、その比喩に狂いは無い。水滴が落ちたということは、そこから波紋が広がるということだ。そして所長の宣告も、確実にオレ達の意識に波紋を生み出した。

 数秒経って理解したその名は、訳のわからない状態だった脳に強烈にブッ刺さった。この界隈で裏社会に関わっているヤツなら、名前を知らないヤツはいない。無論、ツジと極も同じだ。

 その極が、メガネを押し上げながら所長を見た。

「本当ですか」

「九十九パーセント本当と言える。澤田がリョウから買った情報に加え、この二日でその情報の裏も取れたからな」

 所長がうなずいたのを見て澤田さんの方を向くと、彼もまた煙草に火を点けながらうなずいた。

 胸中に渦巻いていた嫌な予感の正体を知り、今度は先ほど所領が開いたファイルに目を落とす。そこには、件の紗理奈についての情報がまとめられていた。

 紗理奈。数年前に、突如裏社会に現れた女だ。素性不明にして神出鬼没。この守川市付近に姿を見せるのも稀にだから、普段はあちこちを転々としているのだろうと言われている。

 しかし、確実にわかっている事が一つある。ヤツが、特警からS級のランクを付けられるほどの実力を持った犯罪者だということだ。

 オレは実際にやり合ったことは無い。ツジも無かったと思う。でも、先輩は……、

「先輩、確か、」

「ああ、二年前に一度な。だが……、」

 オレの問に、真田先輩は途中まで答えて一度言葉を切った。そのまま先輩は、何かを思い浮かべるように目を閉じたが、数秒後、首を振りながら続けた。

「はっきり言おう。歯が立たなかった。不意の背後からの一撃で気絶させられて、そのまま戦闘不能だ」

 若手で最強の実力を持つ先輩の敗北宣言は、所長室の空気を異様な緊迫に変えた。ツジもオレも緊張し、極すら身を引き締めるその空気の中、所長は続ける。

「後でこのファイル内容は印刷して配るが、ひとまず紗理奈についての概要を話そう。真田も復習のつもりで聞いてくれ。澤田、」

「了解。とりあえず、全員ファイルに注目しろ」

 指示を受けて、若手全員の視線が空中に表示されたファイル内容に集まる。その様子を一瞥し、澤田さんは口を開いた。

「紗理奈。六、七年ほど前、突如裏社会に現れた犯罪者だ。なぜ現れたのか、どこから現れたのか。詳しいことはあまりわかっていない。ただ、上がってる情報すらもとんでもねェものばかりでな」

 そう言うと澤田さんは、空中に表示されたファイル内容を指でスクロールした。するすると滑らかに動いた文字や画像の集合体は、澤田さんの指が停止するのと同時に止まる。

「これを見りゃ、事態の異常さがわかるはずだ」

 空中に浮かんだ、光の文字の羅列。『現在までに確認されている情報』という題の付けられたその項目には、紗理奈についてわかっているいくつかの情報がまとめられていた。

『・性別:女性 ・身長:推定約百五十センチメートル』

『・年齢:不明だが、外見からの推定では中学生ほどではないかと言われている』

『・裏における異名:絡新婦、吸血姫(ドラキュリナ)

『・特警で初めて紗理奈の姿が確認されたのは七年前(二○二○年現在)。その初遭遇時より、外見年齢に変化が見られない、いわゆる不老の人物である。原因はわかっていないが、どの地域、どの隊員の目撃情報も一致しているため、不老である事自体は間違いないようである』

『・最大の特徴として、紗理奈は人間の血液を吸引、接種する事が確認されている。基本的に、各地域で紗理奈の存在が発覚するのは、血液量の異常に少ない遺体が発見された時である。吸血姫の異名はここから来ていると言えよう。その目的は不明で、猟奇的な思考からなのか、食事としての行動なのか、生命維持としての行動なのか、いくつか考えられる候補はあるが、解明には至っていない』

『・得物は主に、頑丈なワイヤー製の闘鞭、ナイフ等で、銃器の類は使用していない。幼い容姿から受ける印象に違わず、非力で格闘術も威力は無いに等しい。しかし、それをカバーするには十分過ぎるほどの判断力、毒物の知識、更に心理戦の知識を持つ。なお、これらを併用することによる……、』

(なん、なんだよコレ……!?)

 突然、濁流のように押し寄せた情報の群れに、全て読み終わる事すらできないうちに脳のキャパシティがオーバーした。いや、普通の情報ならまだ処理しきれたのかもしれない。しかし、内容があまりにも異常だ。澤田さんは、見れば事態の異常さが理解出来ると言ったが、それにも限度ってもんがある。オレには、無理だった。

 紗理奈の名前を聞いた事はあった。こっちの社会では有名な犯罪者だ。しかし、その詳細は今初めて見る。正直、訳がわからねぇってのが感想だ。

「どういうこったよこれぁ……!? オレらは悪魔の城にでも乗り込むことになったってのかよ……?」

 まったく意図はしていなかったが、声が勝手に出た。不老? 吸血? 馬鹿げてる。そんなファンタジーでの常識が、この世界に存在してる訳がねぇ……!

 存在してるはずは、無いんだ……。

 そう言って一蹴してしまいたかった。信じたくなかった。けど……、

(あぁ、クソッたれ……!)

 今オレがいる場所は特警のトップの部屋で、今オレが見ているのは特警公式の調査書だ。これがもし、そこらの飲み屋で出た話なら、つまんねぇジョークだと笑い飛ばせただろう。だけど違う。この場所が、状況が。そんなジョークにもならねぇような話を動かしようのない事実にしちまってる。

(まいるぜ、全く……)

 パンクして重くなった頭を片手で支え、小さくため息を漏らす。そうでもしないと、まともな精神状態を保てそうになかった。メインディッシュを食う前に満腹になっちまった気分だ。

「顔上げろ日向。お前の言いたい事もわからねぇでもないが、この世にゃメインストリート以外にも、人通りのない裏路地がたくさん存在するんだ。オレ達はそれを避けては通れねェんだよ」

 頭の上から、澤田さんの言葉が降ってくる。正論だ。認めたくなくても、目を逸らしたくても、そこにその事実は確かに存在している。オレ達特警は、そこから逃げる事など出来はしないんだ。

 数回、首を横に振った。イメージの中で余分な思考を振り払い、脳の処理能力を回復した後、「すません」と小さく声を出した。とりあえず、話を全て聞かなければ。あれこれ考察するのはその後だ。

「ったく、相変わらずメンタルは豆腐だなお前」

 オレがやっと落ち着いたのを見て、澤田さんは呆れたようにため息をついた後、再び手持ちのファイルに目を落とす。

「まあ、とりあえず対象がブッ飛んだヤツだってこたぁわかったろ。普通の犯罪者とは毛色が違うってことが理解できりゃそれでいい。残りの情報についてはオレが説明する」

 その言葉を聞いて、全員の視線が澤田さんに集まった。たった今、彼の言った通り、紗理奈は通常の犯罪者とは異質の存在だ。セオリーが通用しない以上、知り得ている情報は全て共有し、しっかりとした対策を練る必要がある。これから述べられる情報は、一言も聞き洩らすことが出来ない。

「まず紗理奈の危険度だが、これは特警内でSランクという結論が出てる。言うまでもない事だが、最も危険と判断されるランクだ」

 澤田さんの言う通り、特警でSランクが付く犯罪者といえば、規格外の化け物レベルのヤツらばかりだ。Aランクまでの犯罪者なら、どんなに手強くても戦闘員一人で対応できるレベルだが、その上のSともなると、複数人での対応が必須となる。具体的には、オレが以前戦った銀行強盗二人組はAランク。この前の薬物狂化体はSランクの危険度となる。

「だが、一つ他のSランク犯罪者と違う点がある。普通、そんなランクが付く奴らは、特警隊員を何人も殺してるようなクソ野郎共ばっかりだ。けど、紗理奈は違う。ヤツがこれまで殺害してる特警隊員は、二人だけだ」

 その発言にうなずいたのは、先輩だけだった。オレとツジ、極は思わず目を丸くした。特警隊員と殺りあって生き残ってるだけでも大したもんだが、その数が二人ならいいとこAランク止まりのはずだ。そんなヤツがSランク……? どういう事だ?

 しかし、澤田さんもオレ達が疑問に思うのは予想していたらしい。こちらが問うより早く、彼は続きを紡いだ。

「お前らの言いたい事は最もだ。通例なら、Aランクが妥当な評価だろう。だが、ヤツの最大に恐ろしい所は、そういう事で量れるような物じゃねぇんだ。日向、さっき読んだファイルに書いてあったろ。ヤツが裏社会に姿を見せたのはいつだ?」

「えっと……、」

 突如指名を受け、慌てながらも記憶を検索する。とはいっても、さっき見た情報だ。数秒もかからずに思い出せた。

「七年前、でしたよね。それ以来ずっと……、」

 そこまで言って、気が付いた。無意識のうちに顔が上がり、澤田さんと目が合う。

「そうだ。隊員を殺した数こそ少ないが、特警の捜査網と戦闘を七年もかいくぐって、現在まで生きてるんだ。しかも、中学生の女子程度の体格でな。これは並大抵の事じゃない。小動物が猛獣のテリトリーで生き残ってるようなもんだ」

 確かにそうだ。犯罪者を捜索し、鎮圧するという目的において、特警は世界でもトップレベルに位置する機関だと言われている。Sほどのランクがつく犯罪者なら、真っ先に捜査して攻撃をしかけ、優先的に潰していく。一年もその追跡から逃れ続けたらたいしたもんだ。そんな特警に追われて五年以上生き残っているヤツなんて、紗理奈以外では因果の連中くらいしかいない。

「その間、吸血対象以外の人間に手をかけた事も無ければ、盗みや詐欺を行った記録も無い。それどころか、特警と戦闘になった場合、狙ってくるのは気絶や負傷等の戦闘不能状態。自分が勝てないと悟ると即座に撤退することすらある。信じられるか? 裏社会でも上位の実力を持つと言われてる犯罪者が、そんな筋の通った義賊のような真似をしてやがるんだ。どう見たって特警に最上級の危険度を付けられるようなヤツじゃない」

「じゃあ、なんで……、」

 頭をガリガリと掻きながら言い切った澤田さんに、ツジが遠慮がちに聞いた。オレにもさっぱり意味がわからない。Sランクなどという、趣味を聞いたら人殺しですとでも答えそうなイカレた連中の中に、なぜ紗理奈は名を連ねているのか。

 問いかけられた諜報部の部長は、即座にそれに答えることはせず、着ているタクティカルジャケットの内ポケットから二本目の煙草を取り出して火を点けた。それを咥えて、一度煙を吸って吐くと、重々しい口調でやっと空気を震わせる。

「紗理奈が特警にマークされる理由、んなもんたった一つだけだ。戦闘における技量は当然だが、それすら温いと感じるほど、ヤツには恐ろしい点がある。そいつは……、」

 一瞬の空白があった。澤田さんの呼吸に合わせ、煙草の先端に灯った炎が赤く光る。

「生への、生き残る事への異常なまでの執着だ」

 言い放たれた事実。それは裏社会に身を置く者なら誰でも持っている、絶対の信念だった。

 煙草の灰を、卓上の灰皿に落とすと、澤田さんは重い雰囲気を纏ったままで続ける。

「……さっきも言ったが、紗理奈は特警隊員を二人殺している。これも、ヤツが仕掛けてきた訳じゃない。特警の強襲を向こうが迎撃した。確か、四年前の話だったはずだ。ウチじゃなく、関西方面の支部からの出撃だった。その時、出撃した戦闘員の数は七人だったらしい」

「七人て……、マジすか」

 驚愕から、思わず心中の言葉が漏れた。数だけ見ると少なく見えるが、たった一人に強襲を仕掛けるのに、戦闘員が三人以上駆り出される事なんてほとんど無い。それを七人。とんでもない数だ。

 澤田さんは、小さくうなずいてオレの問に肯定の意を示した。

「冗談に聞こえるかもしれんが、本当の話だ。当時の紗理奈はまだAにも満たないランクだったが、それでも特警の追跡はかわし続けていた。そこで、最強の布陣で紗理奈を始末する話が上がったらしい。メンバーも惜しみなく、その支部のトップ7をフル投入した。一説によると、米軍特殊部隊の一個中隊ともまともにやりあえるメンバーだったそうだ」

「量、質ともに最強のメンツで狩りに出かけたって事ですか……」

 普段の様子からは想像もつかないほど厳しい表情をした極が、呟くように確認する。その言葉に、澤田さんは大きくうなずいた。

「ああ。特警が創立されて以来、個人に対する出撃としては過去最大規模だ。逃走対策に諜報部も多数配置し、特警側はまさしくネズミ一匹逃がさないほど万全の体制だった。そして予定通り、紗理奈とエンカウントしたんだ。さて、どうなったと思う?」

 クイズのような問いかけをしつつ、その目は全く笑っていない。むしろ、真相に近づくにつれていっそう鋭くなったようにも感じる。

 その眼光を前に誰も口を開けないオレ達に、澤田さんはついに真実を吐露した。

「ヤツはまず逃げようとした。誰がどう見たって実力差は歴然だからな。賢明な判断だろう。だが、相手は特警だ。逃げ切る事は出来ず、戦闘員全員での総攻撃で、一時は対象を追い詰めた。正直、こっちから見てもここまでやるか、って思うほど徹底的にだ。しかし紗理奈は、満身創痍の状態のたった一人で、戦闘員も諜報部の追跡も突破し逃走。その際、最後まで追い続けた戦闘員一人と諜報部員一人を殺害してな。その時のヤツの表情たるや、まさに鬼気迫るという表現がぴったりくるほど、必死だったらしい。修羅場も生死の境も通ってる特警隊員が恐怖するほどの必死さだったと記録にあるから、相当な執念なんだろうよ」

 口から白い煙を勢いよく吐き出すと、「さすがのオレも、初めて話を聞いた時は寒気がしたぜ……」と、らしくないセリフを澤田さんが漏らす。

 一方オレは、正直、感じた事の無い畏怖が頭の中を満たしている状態だった。いつの間にか握っていたらしい拳には嫌な汗がべっとりと滲み、心臓は凄まじい勢いで早鐘を打っている。口の中は唾液が全て干上がったかのようにカラカラだ。しかしそんな体の、無意識な反応だけでは表しきれないほど、胸中は不穏な暗い影で溢れ返っていた。

 常軌を逸していることはわかっていた。だが、想像していたものとは次元が違う。

 強い意志が実力差を埋める展開は、何も漫画だけで見られる非現実的なものではない。生きる、という強固な決意は、疲弊した体に力を生み、折れかけた精神に鉄芯を取り戻す。事実オレも、意志の力で自分より実力で勝る相手を倒したことが何度もある。

 だが、それでもだ。紗理奈の話はそういうレベルの話じゃない。非力な兎が、戦闘の為に訓練された虎の群れと闘って生き残れるか? 答えはNOだ。サイズ、パワー等、あらゆる要素で劣る兎が、なすすべなく虎に食われて終わりだろう。しかし紗理奈は違った。強大過ぎる敵を相手にしても生き残る事のみ考え、逃走が不可能の状態から、無理矢理突破口をこじ開けた。一生かかっても埋まらない力量の差を、生への執念だけで埋めたのだ。そんな事は、この場にいる誰も、所長ですら出来ないだろう。

「……それからだ。紗理奈がSランクの犯罪者と言われるようになったのは。以前と変わらず、時折ふらっと現れては、人間の血を啜り姿を消す。普段は何をやってるのかはわからねェ。一説によると、便利屋をやったり、娼婦まがいの事をしてるとも言われてる。まあ、表じゃ生きていけない上に、体はガキだ。男相手に腰振って稼ぐ事もやむないんだろうよ」

 部屋の中に、今日最大の重い空気が充満する。インパクトなんてチャチな言葉じゃねぇ。冗談のようでも実際に起こった出来事が、質量としてこの部屋の空気を作り出している。

 時計の音と、PCがハードディスクを読み込むカリカリという音だけが、静寂の空間に無機質な響きを落とす。所長すらも押し黙っているこの状況で、オレ達が言葉を発することができるわけが無い。そもそも声を発するという概念すら無くなってしまったかのように、誰一人として口を開かなかった。

 異様な雰囲気のまま、時計の秒針が一周した。ちょうどそれを合図に、澤田さんは吸っていた煙草を灰皿に押し付け、火を消した。

「オレからの情報伝達は以上だ。あとは所長から、今後の動きについて説明がある」

 吐き出すように言うと、澤田さんはソファの背もたれに体を大きく預け、足を組んで俯いてしまった。無理もない。同じ特警隊員がやられた話をするのは、決して気分の良い事じゃないだろう。

「……ああ」

 澤田さんからバトンを渡された所長は、小さく返答すると、オレ達四人の方に向き直った。

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