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VS〜コノヨノコトワリ〜  作者: TERIS
FILE4:『約束』
30/33

FILE4.4:ジョーカーとCARD

またなんか長くなりました。

日常パートに気合いれようとしたらなんかグダったどうしてこうなった。

「……パス」

「友、大丈夫? なんかさっきからパスばっかりだけど」

 先ほどから三回連続でのオレのパス宣言を聞いて、向かい側に座った悟が声をかけてきた。その心配そうな悟とは対照的に、右隣に座った極と、左隣に座ったツジはニヤニヤした視線を向けてきている。四人で囲んだ机の上には、少なくなってきた山札と、手札から捨てられたカードの山。

 オレがターンを放棄したことにより、時計回りの順番に従ってツジが思考を開始する。数秒の後、彼は手札から一枚のカードを場に出した。

「んじゃはい、ドロー4。悟は?」

「僕もあった。ドロー4。極どーぞ」

「おお、飛ばすな二人とも。んじゃオレ、ドロー4三枚」

「ちょっと待てテメーら」

 オレの手札にドロー系のカードは無かった。

 今は昼休み。昼食を終えたオレ達は、一組の教室でジュース賭けてUNOをやっている。

 しかし、どうもオレの前の順番を極にしたのは間違いだったようだ。思考を読まれているのか、出そうとしていたカードがとことん出せない。結果、三人とは五枚ほどの手札差がついてしまっていた。そこへ合計五枚のドロー4。なんで一発で二十枚もカード引かなきゃいけないんだよふざけんな。

 しかし、誰がなんと言おうとルールはルールだ。おとなしく山札から二十枚のカードを引くと、手札が大変なことになった。スゲー持ちにくい。

 そんな状態から逆転する力などオレには無く、結局、そのゲームは手札が十四枚もあるうちに負けた。あーあ、ジュース奢りか……。

「お前相変わらず頭使うゲーム弱いよな。略して頭弱いよな」

「うっせえ黙れ」

「友はさ、もうちょっと先を見据えたプレーをした方がいいよ。展開を予測するっていうかさ。できないと任務の時とか困らない?」

「うっせえ黙れ」

「友はなんで極とツジと同じ特警なのに、こんなに差があるの?」

「うっせえ黙れ」

「そんなんだから体力バカって言われんだよこのクズ。頭を使えない人間には進歩がねーぞバカ」

「うっせえ黙れ」

 あれ? なんか一人多いような……?

 そっぽを向いていた視線を前に戻す。そこにいるのは、極、ツジ、悟と澤田さん……、

 澤田さん!?

「なんでいるんすか!」

 思わず素っ頓狂な声が出た。ほんと、どこにでも出没するなこの人は。というか勝手に学校入ってきていいのかよ。

「いちゃ悪いのか」

 本来なら関係者以外立ち入り禁止です。

「だいたいテメー、目上の者に対してうるさい黙れとはどういうこったこのカス。今すぐ『申し訳ございません澤田様』とか叫びながら全裸で窓から飛び降りて空中分解しろや」

「なんで謝罪だけじゃなくていつも余分な要素が入るんすか」

 明らかに全裸と飛び降りと空中分解無駄じゃねーか。

 しかし、何しに来たんだろうかこの人は。さすがに、校内に立ち入るのに許可は取っているだろうが、突然現れた謎の大男に教室中がガヤガヤと騒がしくなり始めた。一応ジャケットを羽織ってはいるものの、チラチラとショルダーホルスターとかベレッタ見えてるし。悟に至っては、急な事態に驚いたのかなんか放心している。

「澤田さん直々に来たってことは、なんかあったんですか?」

 オレが思っていたことを、椅子に背中を大きく預けた極が代弁した。さすがのコイツも澤田さんの前ではおとなしい。下手に刺激すると血を見るからな。

 ひとしきりオレを罵った澤田さんは、極の問を聞いてそちらを振り返った。

「ああ、少しな。メールでもよかったんだが、近くを通ったからついでに言いに来た。日向、藏城、辻山。今日学校が終わってから予定は?」

「特に無いす」

「オレも」

「部活休めば空きます」

 問われた順にそれぞれ答えを返すと、澤田さんは小さくうなずいた。

「なら、放課後に本部、所長室に行け。今から伝えて来るが、真田も同じ時間に行く。集合は十八時半だ。いいか?」

 所長からの指示と聞いて、オレ達の間に堅い空気が流れた。しかも、真田先輩まで呼ばれているということは、この学校にいる特警隊員が全員招集されていることになる。何か事件の予兆でもあったのだろうか。

 そんな分析をしつつ、出された指示にうなずきを返した。極もツジも同様に、首を縦に振っている。それを見た澤田さんは「よし」と言った後、腕時計をチラリと見て、教室出口に向けて踵を返した。

「オレは真田のところに行ってくる。じゃあな、全員遅れずに行けよ」

 そう忠告すると、澤田さんは教室を出て行った。去っていくその後姿に、一組の面々全員が注目している。その姿が完全に見えなくなると、喧騒に満ちていた室内が、一瞬静かになった。

 しかし次の瞬間には、凍った空気が融けるようにして、教室は再び昼休みの賑やかな空気に戻った。オレ達もようやく緊張を解いて、視線をカードに戻す。

「あーびっくりした」

「マジでどこにでもいるなあの人」

「珍しく変装してなかったね」

 澤田さんの神出鬼没っぷりを意見し合っていると、放心していた悟がようやく我に帰った。相当驚いてたみたいだが、無理もない。両脇の下に銃チラつかせた知らない大男がいきなり教室に現れたらオレだってびっくりする。

「びっくりしたー。なんだったの今の人?」

 男子にしては高い声で悟がオレ達に問うた。なんだったって言われるとなぁ……、

「直属じゃないけど、一応上司? ってことになるのか?」

「なんか、よく毒吐く人だったね」

 オレが首を捻りながら返答すると、悟は的確に澤田さんの印象を述べた。大当たりだぜ悟。あの人を表す言葉は、毒舌とバグキャラで事足りるからな。

 その後、気を取り直してもう一戦、と思ったが、昼休み終了まであと五分だったから、やめた。UNOを片付け、一組の二人に手を振ってから、極と教室に戻る。

「っくあ。五時間目なんだっけ?」

 あくびをしながら問うと、極はいじっていたケータイを片付けてから返答してくる。

「確か英語だな」

「マジかよ宿題やってねぇ」

「おお。さすが追試組。受けるのは必然というわけだ」

「正論でオレを追い詰めるな」

 しかしヤバいな。ただでさえ追試受けなきゃいけないのに、宿題まで忘れたとか先生への印象が悪過ぎる。英語は嫌いだけど先生はいい人だからあんま困らせたくない。

 仕方ない、気は進まねーけど……、

「極、」

「なんだ、宿題見せろか」

「わかってんなら話が早い。見せて」

 オレが手を合わせて頼むと、極は案の定「ほうほう」と楽しそうにニヤつき始めたが、ここで引くわけにはいかない。

「プリント一枚だけだろ? ソッコーで写して返すからよ」

「しかしなぁ、ぷぷぷ。オレの完璧な解答を、追試受けるような人間が写したら不自然な結果が出来上がらないか?」

(くそーマジうぜー)

 いや、我慢だ、我慢……。

 確かに極の言うことも一理あるが、そこはどうとでもなる。

「適度に間違えて写すし、そこは問題ねぇ。後でジュース一本奢るからよー」

「ふむ、なるほど。まあオレも鬼じゃない。そこまで言うのなら貸してやろう。ではその代償として『ありがとうございます極様』とか叫びながら全裸で窓から飛び降りて空中分解するがいい」

「堂々と一言一句間違わずにパクるんじゃねーよ。で、くれんのかくれねーのか、どっちだ」

 そこまでやりとりしたところで、二組の教室に着いた。ドアを開けて入室しつつ極に問うと、彼は顎に手をやって数秒考え込んだ後、

「ジュースの権利はさっきのUNOで得てるからな。売店でアイス二個だ。それで手を打とう」

 そう条件を出した。地味に個数が増えてるが、まあいい。一個は美咲にでもやるんだろう。

 小さくうなずいた。

「わかった。それでいい」

「よしよし。聞き分けがいいじゃないか。せいぜい次からはちゃんとやってくるんだな」

 自分の席にたどり着き、椅子に腰を下ろしながら極はそうのたまった。正論だが言い方マジウザい。

 オレも席に座って、隣を見てみるが、みつきはまだ帰ってきていないようだ。まあ、昼休み終了のチャイムが鳴るまであと二分ある。そろそろ戻ってくるだろう。

 みつきの席と時計を順に見てそんなことを考えていると、極が何か思いついたように「ん?」と声を上げた。

「なんだよ。どうかしたか?」

 振り返って聞いてみると、極は首を捻っていた。

「お前さ、わざわざオレに宿題借りるの頼まんでも、光月に頼めばよかったんじゃねぇの? 英語なんだからヤツでもやってるだろうし、どう考えても奢りなんて事態は発生しないだろうに」

 もったいないヤツだ、と続けて、極はケータイをいじり始めた。

 まあ、極の言うことは正しい。みつきに頼めば何も条件などなく見せてもらえただろう。

「いや、まあそれはよ……、」

 ただでさえ追試の勉強教えてもらうってのに、宿題まで見せてくださいじゃ、オレの安いプライドが……。

 歯切れの悪いオレの様子を見て、極は「あーなるほど」と納得したような声を上げた。

「プライドが大安売りだな」

「上手くねーんだよ黙れ」

 悪態をつくと、極はやれやれと大げさに肩をすくめ、カバンの中からプリントを一枚取り出してオレに渡した。件の英語の宿題プリントだ。

「量はそんなにないからさっさと写しちまえ」

「あんがと」

 受け取って礼を述べる。前を向いて机の上にプリント二枚、自分のと極のを広げ、シャーペンを握って写し始めた。

 それからほどなくして、昼休み終了を告げる予鈴が鳴り響いた。他のクラスに行ったり、学食に行ったりで教室を離れていたクラスメートが、次々に戻ってきている。一分ほどすると、教室後ろのドアが開いて、小さな人影が入ってくるのが視界の隅に見えた。その人影は、オレの姿を見つけると、たたたっと短い距離を駆けて来た。

「ゆーう、ただいま!」

 声を聞いてプリントから顔を上げると、そこにはみつきがいた。満面の笑みの彼女は、手に数個の飴を持っている。

「おう、おかえり。どうしたんだそれ?」

 いったん手を止めて、みつきの手元を指差しながら聞いてみた。すると、待ってましたとばかりに彼女は答え始める。

「美咲にもらったの。ゆうと極にもあげてね、って。優しいよね、美咲」

 はい、と言いながらみつきが飴を一つ渡してくれた。レモン味。さすが美咲、オレの好きな味を知ってるな。

 極も、みつきからグレープ味の飴を受け取っていた。授業開始まで間もないというのに、すぐさま包装を解いて飴を口に放り込んだ極は、みつきの方を向いて何やら問い始めた。

「美咲、なんか言ってた?」

「なんで?」

「いや、土曜に一緒に出かけてたんだけど、仕事入って途中で解散したから」

 極がちょっとバツが悪そうにそう告げると、みつきは「うーん」と言いながらかわいらしく小首をかしげた。

「特に何か言ってはなかったけど、そう言われるとちょっと元気なかったかも」

「やっぱりか。くそー。放課後は予定入っちまったしなぁ……」

 悔しそうに極は肩を落とした。オレ達戦闘員ほどではないが、特警隊員である以上は急な呼び出しは日常茶飯事だ。極も、オレと同様のジレンマを抱えているんだろう。

(っと、そういや所長に呼ばれたんだった)

 さっきの澤田さんからの指示を思い出した。オレがいない間みつきをどうするかも考えなくてはならない。

 ちょうどプリントを写し終わったから、極のものを持ち主に返し、みつきを呼ぶ。

「みつき、」

「ん? どしたの?」

 オレの声を聞いて、極を励ましていたみつきがこちらを向いた。

「今、極が言ったことなんだけど、さっき澤田さんが急に来てさ。なんか放課後に本部行かなきゃいけなくなった」

「えー、そうなの……?」

 みつきの表情が、みるみるうちにしょんぼりしたものに変わる。それを見て心がキリキリと痛んだが、こればっかりはどうしようもない。

「ごめんな。戦闘の招集じゃないから、心配はいらねーんだけど……」

「うー……、どうしても?」

「所長からの指示だからなぁ。悪い」

 力なく問うてくるみつきに、両手を合わせて謝った。まだ何か言いたげではあったが、結局みつきは小さく息を吐いて肩を落とすと、極の方を向いた。

「極も呼ばれてるんだよね? 美咲にはそれ言ったの?」

「ああ。今ちょうどメールした」

 その答えを聞いて、みつきは再びオレの方に向き直ると、ケータイを取り出した。

「じゃあ、美咲にちょっとメールしてみるね。今日は放課後ヒマって言ってたから、いっしょにいられるかもしれないの」

「マジごめん。帰りは迎えに行くからよ」

 オレの言葉に、みつきはこくんと小さくうなずいた。そのまま、ケータイでメールを打ち始める。元々小柄なその姿が、更に一回り小さくなってしまったように見えた。

(あーあ、くそっ……)

 後頭部をガリガリと掻いた。いくら仕方ない事態とはいえ、彼女のテンションを一気に下げてしまう自分には毎度苛立ちが募る。代わりに何かすればいいってもんじゃないが、せめて、埋め合わせでもしてやれないものか……。

 と、その時、教室前のドアが開いて、英語教員である永重先生が姿を現した。同時に、休み時間気分で談笑していたクラスメート達がバラバラと席に着き始める。オレの席の脇に立っていたみつきも、自身の椅子に着席した。

 全員が着席し、日直が起立、礼の号令をかけた。授業終了の儀式を終えたところで、先生がよく通る声で話し始める。

「よし、んじゃ宿題のプリントを集めるからな。後ろから前に回してくれるか?」

 その言葉を聞いて、皆が指示通りに動き始めた。一番後ろの席から、前の席に向かってプリントが回り始める。先頭まで到達すると、そのプリントの束は先生の手に渡った。

 それらをクリアファイルにしまった永重先生は、教科書を開いて教壇に立った。

「じゃあ、今日は前回の続き。教科書二十九ページの本文の訳からやるぞ。一行目を、豊城、読んでくれるか」

「はい」

 指名された豊城が英文を音読し始めたのを聞きながら、ぼんやりと思考を巡らせる。どうにかしてみつきを喜ばせてやれないか、と。

(ガッコが終わるのが十五時半……。集合まで三時間か……)

 いろいろ出かけるには中途半端な時間だし、やっぱり出発まで家でのんびりするくらいしかないかなぁ……。

 もっとなんかないんかい、と内心で自分を叱咤していると、不意に土曜の夜の出来事が頭をよぎった。まあ大変だったけど、皆で飲んだりトランプしたりは楽しかったなー、と。タカフミには悪いことしたけど……、

(ん? タカフミ?)

 その名前を思い出した瞬間、以前みつきが言っていた言葉が脳裏に浮かんだ。

『美味しいもん、タカお兄ちゃんのキャラメルマキアート』

 よし、方針決定。今日はタカフミとキャラメルマキアートに頼るとしよう。

 そうと決まれば話は早い。タカフミが普段営業している『CARD』は通常十八時開店だが、遊びに行くって名目でアポ取れば店に入れてくれるかもしれない。

 机の下でこっそりケータイを開き、電話帳から『近藤隆文』の文字を探し、メール作成画面を起動する。

『今日ガッコ終わってから、十六時半くらいなんだけど行ってもいい? みつきにキャラメルマキアート飲ましてやりたいんだけど。開店前で悪いが』

 文章を素早く入力し、送信ボタンを押した。ディスプレイ上で便箋がくるくる回るアニメーションが表示された後、『送信しました』の文字が現れたのを確認してケータイを閉じる。

 そのまま端末をスラックスのポケットにしまい、ノートを取ろうとペンを握ろうとした瞬間、

「うおっ!?」

 ポケットの中でケータイが震えた。慌てて取り出し、再び机の下でサブディスプレイを確認すると、そこには今しがたメールを送った相手の名前が表示されていた。

(返信早っ!?)

 なにアイツ暇人なの? と思いつつ受信ボックスから新着メールを開いた。そこに書かれていたのは、たった一言。

『もーまんたい』

 もーまんたい? 無問題? なんで中国語なんだよ。

 ツッコミ所は多々あるが、とりあえず行って問題は無いらしい。すぐさま『んじゃ行く。

ありがと』と返信してケータイをしまった。

 っし、とりあえずアポは取った。あとはみつきをお誘いすればいいな。

 机の中でごちゃごちゃになっているプリントの中から、だいぶ前にあった数学の小テストを一枚取り出した。何も書かれていない真っ白な裏面に、ボールペンを走らせる。

「っし」

『本部集合までちょい時間あるから、それまでタカフミんとこ行くか? 開店前だけど行っていいってさ』っと。これでいいかな。つーかオレ字ぃ汚ねぇな。

 即席手紙を半分に折りたたみ、右手に持った。先生が板書の為に黒板の方を向いた瞬間、その手を伸ばしてみつきの机をトントンと軽く叩いた。反応したみつきがこちらに顔を向けて、「どしたの?」というような視線を送ってくる。

 叩いた机に即席手紙を置いて、それを数度指差した。気付いたみつきは、飛びつくようにそれを手に取ると、素早く開いて読み始める。数秒かけて紙面に視線を滑らせた彼女は、しばらく落ち着き無い様子で頬に手を当てたりしていたが(多分、普段オレから何かに誘うことが少ないからだろう)、ようやく状況を飲み込めたのか、目をまん丸にしてこちらを向いた。

「ほんとに!?」

 無声音でみつきが問うてくる。喋ったら手紙の意味無いじゃん、と思いつつ首を縦に振ると、彼女はまん丸にした目を一気に輝かせながら、筆箱の中からピンク色のペンを取り出した。そのペンで、即席手紙に何やら書き込み始めた。

 頬杖をついてその様子を眺めていると、十数秒ほどでみつきはペンを置き、オレの机に即席手紙を両手で置いた。さっき喋ったんならついでに口で言えばいいのに。

 キラキラと凄まじい輝きを含んだみつきの視線を感じながら紙を開いた。

『行く! 絶対行く!』

 オレの汚い字で書かれたお誘いの下に、女子特有のかわいらしい丸文字でそう返事が書かれていた。そのたった数文字から、彼女の喜びが溢れ出ているのがわかる。

 よかったよかった。埋め合わせというには軽過ぎるが、とりあえず喜んでもらえたみたいだ。このくらいしかオレには出来ないが、何もしないよりはいい。

(ついでに土曜の分の金も持って行くか)

 店をブッ壊してしまった時の修理代は、次にタカフミに会った時に払う予定だったが、思ったより早く返せそうだ。我ながらいいタイミングで思いついたもんだな。

 未だこっちにキラキラ視線を送ってきているみつきに、右手でOKサインを作ってみせると、彼女は感極まったといった表情で頬に手を当てたり、そわそわしたり、とりあえず目に見えてうきうきし始めた。出かける+タカフミ+キャラメルマキアートの相乗効果はかなりでかいようだ。

 まあなんにせよ、喜んでいるみつきを見ているとオレまでなんか幸せになる。これはみつきが天然で持ってるすごいスキルだ。彼女が誰とでも仲良く接することができるのは、無意識のうちに相手を幸せにしているからなんだろうな。

 弾むような笑顔でノートを取り始めたみつきを見て、少し表情を緩めてから、オレもシャーペンを手に取った。

 その後、五・六時間目と二限連続であった英語の授業を無事に終え、掃除時間になった。オレと極は校舎外、体育館周辺の担当だったが、あんまり汚れていなかったから座って駄弁っていることにした。まあいわゆるサボりだが、この辺先生めったに来ないしな。未だ太陽は元気だが、体育館が作り出す影の中は涼しい。何かを話すのには最高の環境だ。

 とはいっても、何か楽しい話をするわけじゃない。話題は必然的に今日の招集についてになる。特に若手中の主要メンバーが全員呼ばれているとなると、けっこうな事件があった可能性も無いとは言えない。

「なんなんだろうな」

「さあなぁ。土曜にオレが呼ばれた時点では何も言われなかったが」

 オレの問かけに、極は首を捻りながらそう応じた。情報管理部で何も言われてないってことは、まだ明確な情報が無いってことになるのか。基本的に、特警内で公式に情報が発表される時は、確実に裏がとれている時だし。

「所長から直に呼び出しってのがなんともなぁ……」

 呟いて、頭を抱える。オレが無い知恵絞ったところで、それらしい予想は浮かびそうも無い。極ですらわからないんだから、完全にお手上げ状態だ。

「あー……、」

「むぅ……、」

「オイコラ、オメーらぁ」

 無意味に唸る声を体育館裏に発していると、若い男の声がした。瞬間、オレも極も思考を止めて硬直する。

(やべぇバレたか!?)

 そういえばオレら掃除サボってるんだった。一応マジメな話をしていたせいで忘れていたその事実を再認識した。無意識のうちに立ち上がり、箒を手に掃除をしているポーズをとって、体育館裏に繋がる道に目を向けたが、そこには誰もいない。

「あれ?」

「バカ野郎どこ見てんだ。こっちだこっち」

 落ち着いて聞いてみれば、先生の声ではない。声のした方を向いてみると、そこには学校の敷地と公道を隔てる金網の向こうで仁王立ちしている澤田さん……、

 澤田さん!?

「なんでまだいるんスか!」

 とっくに帰ったんじゃないんかい!

 昼休みに続いて素っ頓狂な声を上げたオレを、澤田さんはジロリと一瞥した。

 あ、毒が来る。

「うるせぇこのゴミクズ。人目につかない場所だからって堂々と掃除サボりやがって。そんなんだから心が汚れて根暗になるんだよ。焼却炉に放り込むぞ」

 予想通り毒が来た。澤田さんの毒マシンガンは弾切れを知らねぇなマジで。

 毒のフルオート射撃を受け続けていると、放置されていた極が割って入ってくる。

「で、澤田さん、帰られたんじゃなかったんですか?」

 極に問われて、ようやく澤田さんは罵詈雑言の速射砲を止めた。

「学校からはとっくに出てるよ。他の用事も終わって本部に帰ろうとしたらお前ら見つけたってだけだ。つーか藏城、テメーもだ。当たり前みたいにサボってんじゃねぇクズ」

「す、すみません」

 謝る極は、おそらく割りとマジでビビッている。それほどこの人のバイオレンスっぷりは手に負えないのだ。悪い人ではないが、怒らせると次の瞬間にはオレ達の額に穴が開いていてもおかしくない。

 最後にもう一度オレ達を睨むと、澤田さんは隣に停めていた自身のバイクに跨った。暴走族でも裸足で逃げ出すような、バカでかいハーレーだ。改造しまくって、時速三百キロくらいは余裕で出せるらしい。本人曰く、なんか武装までしてるとか……。

「まあいい。とりあえずこれ以上クズに成り下がりたくなかったら集合時間には遅れんなよ。いいな」

「はい」

「了解す」

 極、オレの順でうなずく。冷や汗ダラダラ、顔も引きつっている状態で横の極をチラリと見やると、彼も同じ状態だった。顔は見りゃわかるし、開襟シャツは汗で背中に張り付いている。まだ死にたくない。オレ達の脳内はその言葉が支配していた。

 幸い、澤田さんはすぐにバイクをスタートさせた。近所迷惑必至の排気音を辺りに響かせまくりながら急発進し、凄いスピードで走り去っていく。恐らく、彼の辞書に安全運転の言葉は無いのだろう。

 あっという間に、体育館裏は元の静けさを取り戻した。

「……っはぁー……」

 ハリケーンが過ぎ去った事実に安堵し、大きく息を吐き出した。息と一緒に、胸中を埋め尽くしていた緊張も抜けていく。澤田さんの毒は、彼がその場にい続ける限り効力を発揮するらしい。

 極も同じなようで、珍しく死人のような表情をしている。オレは普段から毒吐かれまくってるから割と耐性ある方だけど、極なんかたまにしか喰らわないからキツイだろうな。

 澤田さんに怒られ、少しは真面目に掃除するか、と思った瞬間、掃除時間終了を表すチャイムが鳴った。校舎や体育館に跳ね返ったチャイム音が、不思議な響きを作り出す。そんな幻想的な一瞬とは裏腹に、改めて掃除をサボった感が湧いてきたオレは、後味悪くてなんか憂鬱になった。さっきの言葉は訂正だ。澤田さんの毒は、彼がこの場にいずとも効力を発揮し続ける。

 結局、後味悪いまま掃除道具を片づけ、オレ達は足取り重い状態で教室に向けて歩き始めた。授業、掃除が終わったら、あとはショートホームルームがあるだけだ。どうせ大した話は無いだろうから、すぐにみつきをCARDに連れて行けるだろう。

 中庭を抜け、校舎に足を踏み入れようと、靴から上履きに履き替えたまさに、その時だった。

 ――さわ……、じょう……、なるよ……、

 オレの頭の中を、一つの記憶、というより、言葉が駆け抜けた。本当に突然、なんの前触れもなくだ。はっきりとではなく、駄目になりかけたカセットテープのように断片的にだが、それでも確かに脳裏に響いた。

(なんだ……?)

 無意識のうちに、足が止まる。間違いない。オレの記憶の中から引っ張り出された言葉。その言葉が、何か重要な事柄を示唆しているような気がしてならない。

 突然立ち止まったオレを、一歩前を歩いていた極が振り返った。怪訝な表情を浮かべた彼は、何事かとオレに問うてくる。

「オイ友、どうした」

 その問は、オレの耳に届きはした。しかし今のオレに、それを頭脳で処理する余裕はない。現時点でオレの脳のリソースは、断片的に聞こえた記憶の声を完全再生することにのみ使われているからだ。

 学生が行き交う廊下に立ち尽くしたまま、頭脳をフル回転させる。聞こえた断片的な言葉に、記憶で肉付けしていくと、だんだんと思い出してきた。それを聞いたのは、土曜日の夜。あの逃がし屋ゲッタウェイドライバーを見送る時に、聞いた言葉……!

 そしてついに、完全となった記憶が、はっきりと再生される。

 ――澤田さんに売った情報は、近いうちにお前も知ることになるよ。

「っ!」

 瞬間、複数の事柄が一本に繋がる感覚が、電流となって体内を走った。なんの前触れもなく、ってのは、正確に言うと違った。澤田さんの出没が、ある種のトリガーだったんだ。

 うつむいていた顔を上げると、そこには相変わらず怪訝な表情を浮かべる極がいる。その極に、問を投げかける。

「極、」

「ど、どうした」

 突然立ち止まったかと思えば、急に堅い表情で喋り始めたオレの呼びかけに、極は困惑を含んだ声色で返答した。彼には悪いが、今そこんとこを気遣っているヒマはない。

 質問を続ける。

「お前さっき、土曜に美咲と出かけてる途中に仕事が入ったって言ってたよな」

「ああ」

「それって、何時から何時までだ?」

 鋭く問うと、極は顎に手をやって少し唸った。数秒で目的の記憶を発掘したらしく、そのままの姿勢で答えを返してくる。

「十七時から十九時までだったな。仕事と言っても、資料整理の補助に呼ばれただけだったが」

 その返答を聞いて、小さくうなずく。やっぱりだ。澤田さんがリョウから買った情報が特警情報管理部に渡ったのは、おそらくサタデーナイトスペシャルが終わった後。つまり情報管理部員でありながらも極がその情報を知らないのは当然のことなのだ。極が本部にいた間には、まだ本部に情報は届いていないのだから。

 再び少し俯き、澤田さんとリョウが真剣な表情で話していた様子を、鮮明に思い出す。普段はふざけているようでも、二人とも裏社会ではトップクラスの実力を持ってる人間だ。そんな二人があれほどの異様な雰囲気を醸し出してやりとりしていた情報なら、それほど異様な事態が起こっていると考えても不思議じゃない。

 オレ達の知らないところで、何かが起きている。それがいい事か悪い事か、現時点ではわからないが、どうやら所長がその答えを握っていそうだ。

「だ、大丈夫かよ友。なんかお前顔怖いぞ」

 そこまで考えた時、少し畏怖を含んだような声が、耳に届いた。ハッとなって顔を上げると、極がガラにもなくマジで心配そうな顔でこっちを見ているのが目に入る。そんな怖い顔してねーだろ、と思いながら自分の眉間に指で触れてみると、皺ができていた。どうやら深く考え込むうちに、相当険しい表情になっていたらしい。

 いつの間にやら、廊下を歩く学生の数も数えるほどになっている。腕時計を見てみると、ショートホームルーム開始まであと三分しかない。

 首を数度振った。

「いや、悪い。ちょっといろいろ考えてたから」

「何をだよ」

「とりあえず教室戻ろうぜ。歩きながら話す」

 そう言って歩き始めると、極もそれに倣った。二年二組の教室に歩を進めつつ、隣を歩く極に、自分の考察を述べてみた。

 サタスペで、リョウと澤田さんが怖いくらいマジな表情で何事か話し合っていたこと。先ほど思い出した、リョウがウチを出る際に言ったセリフ。そして今日の招集命令。これだけ材料が揃っていながら思い出せなかった自分が恨めしい。

 極はオレが話すのを黙って聞いていたが、全てを話し終えた瞬間、「むぅ」と唸った。

「なるほど……。招集があるということは、今日までの間に、リョウから買った情報の裏が取れたということだろうな。何かが起こったか、その予兆か……」

「ああ。ったくなんで今まで考え付かなかったんだか」

 難しい表情でまとめた極に、頭をかきながらそう返した。ホント、澤田さんとの一回目の遭遇で気付いてもおかしくない事を今やっと思いつくとか、我ながら頭が悪いにもほどがある。

 二人して唸りながら歩いている間に、教室に到着した。先生の姿は見えないから、まだホームルームは始まっていないようだ。みつきは……、有野とかと話してるな。

 自分の席にどっかと腰を下ろし、大きくため息を吐く。極は席に着いた瞬間、ノートPCを取り出して何やら操作し始めた。

「何やってんだ?」

 そちらに顔を向けて問うと、極はしばらく無言でPCのキーを叩き続けた後、顔を上げた。

「なるほど……。そういう訳か……」

「何がだよ」

「今回、主要な若手隊員が皆呼ばれただろ」

「ああ」

 うなずくと、極は机の上に置いたPCをくるりと回転させ、こちらにディスプレイを向けた。

「これを見ろ。おそらく、今回の招集の理由だ」

 そう言われてディスプレイを覗き込む。そこには、数個の項目からなる表が描かれていた。

「なんの表だ?」

「守川支部に在籍している隊員の任務状況。お前の名前もあるだろう」

 言われた通り、画面を下にスクロールしてみると、確かにオレの名前があった。『任務状況』の項目には『未出撃』と書かれている。

 画面から顔を上げ、極の方を向いた。

「これがどうかしたのか?」

「気付かないか。大人の方の状況を見てみろ」

 先ほど下にスクロールした画面を、今度は上に動かす。そこには、学生であるオレ達、通称若手の部と呼ばれる括りとは逆の、大人の部と呼ばれる一般隊員の任務状況が表示されていた。

 それに一通り目を通した後、あることに気付く。

「これは……、」

 大人の部隊員の任務状況は、大多数が『出撃中』だったのだ。それはつまり、守川支部に大人の隊員がほとんどいない事を表している。

 そういえばここ最近、この辺りだけじゃなく、近隣の県とかでも凶悪事件が相次いでる。そのせいで大人の出撃が多くなってるのか。

「なるほど……。それでオレ達が呼ばれたってことか……」

 支部内の人員が手薄な状態なら、若手でも遠慮なく駆り出される。何かあったというならなおさらだ。これで若手招集の理由は見えた。

「あとは招集の内容、ってわけだ」

「ああ。まあそこんとこは、現時点で判断がつかないだろう。実際に所長の話を聞くまではな」

 PCを返しながらまとめると、極は肩をすくめつつそれをケースにしまった。

 極に「みたいだな」と返し、椅子から立ち上がって大きく伸びをする。どうやら何か起こっているらしいが、どっちにしろカンケーねぇ。オレ、ツジ、真田先輩、おまけに極までいてどうにかならない状況なんて、そうそう無いだろう。

 メンバーの頼もしさに、ある種の安心感を覚えながら体を伸ばしていた時だった。

「ゆーうー!」

 両腕を頭上に伸ばしきっていたせいでガラ空きだったオレの胴に、みつきが飛びついてきた。

「あだ!」

 突然の衝撃にすっ転びそうになったが、足を踏ん張ってなんとか耐える。いくら体重の軽いみつきとはいえ、人ひとりぶつかってきたら衝撃ハンパない。地味に痛かった。

 いったんみつきをを引き剥がしてから、衝撃を受けた腰をさする。向こうの方で有野とかがニヤニヤしてるのは気のせいだと思いたい。

 数秒そうして、痛みがおさまってきてからみつきの方を向いた。手を後ろで組んだ状態で、体を左右に揺らしているみつきに声をかける。

「で、どうしたみつき。いきなりタックルはちょっと痛いぞ」

「えー? でもありちゃんが、『光月チャンス! 日向がノーガードだから抱き着いてやりな! かわいい光月にスキンシップされたらあの甲斐性なしでもイチコロよ!』って」

「やっぱりアイツらか」

 予想はしていたさ。つか、イチコロって死語だろ。

「痛かったんならごめんね」と、ちょっとしょんぼりしたみつきの頭を軽く撫でた。みつき、お前は悪くない。悪いのはあっちでニヤニヤしてる女子の集団だ。

 その時、教室前のドアがガラリと開いたかと思うと、担任である玉本先生が現れた。突然の先生の出現に、騒がしかった教室が一瞬静かになる。そして次の瞬間には、全員がバラバラと席に着き始めた。

「あー、待て待て。そのままでいいから聞いてくれ」

 しかし、なぜか先生は皆の着席を手で制した。てっきりショートホームルームを始めるのかと思っていたクラスの全員が、予想外の指示を聞いて再び動きを止める。聞け、ということは、まだ何か指示があるのだろう。

 玉本先生は教室内をざっと見渡すと、小さくうなずいた。

「よし、全員いるな。悪いが、俺は今から職員会議がある。今日は伝達事項も無いから、ショートホームルームはなし。帰っていいぞ」

 先生のその言葉に、教室はまたも騒がしくなった。ほぼ全員が喜んでいる状態だ。ぶっちゃけショートホームルームなんて十分そこらで済むのだが、やはり少しでも早めに帰れるというのは心理的に嬉しい。

 先生はそんなクラスの様子を見て苦笑すると、その喧騒に被せるように言葉を発する。

「んじゃ、全員気を付けて帰宅するように。部活あるヤツはしっかり練習すること。以上、解散!」

 そう言うやいなや去って行った先生に倣うように、数人のクラスメートが手を振りながら教室を出て行った。遅れて、帰りの支度や部活の準備を終えたヤツらもそれに続く。早く帰れる時の学生のテンションって凄まじいなと、同じ学生ながら思った。

 まあでも、嬉しいのはオレも同じだ。オレの隣にいるヤツは、もっと喜んでいるだろう。

 右隣を向くと、支度を終えたみつきが、弾むような笑顔で立っていた。

「さて、行くか」

「うん!」

 声をかけると、待ちきれないといった感じでうなずくみつき。相当楽しみらしいな。

 みつきが手を引っ張ってくるが、歩き出す前に極の方を向いた。

「じゃあ極、後でな」

「おう。遅刻すんなよ」

「お前もな。もし遅れてみろ。ジョーカーが耳の穴を一つ増やしてくれるぜ」

 オレのジョークを聞いて「はは、その通りだな」と笑った極が、右手を軽く挙げる。こっちも同じ動作を返して、みつきと共に歩き始めた。

 教室に残っているクラスメートに冷やかされながら廊下に出て、玄関に向かって進んでいく。放課後という、自由な時間を手にした学生の声がガヤガヤと響く廊下は、独特の開放感に満ちていた。そんな空気の中にいると、こっちまでなんとなく浮足立ってしまうから不思議だ。

 そんな軽やかな雰囲気の中を進んでいると、不意にみつきがこちらを見上げた。

「ねぇ、ゆう?」

「ん? どした?」

 そちらを向いて応じると、みつきは小首をかしげる。

「さっき極に言ってた、ジョーカーってなんのこと?」

「澤田さんのこと。トランプでジョーカーって大概いろいろ使えて強いだろ? 澤田さんもだいたいなんでも出来てしかもバカ強えぇんだよ」

 スパイに通信機器操作に情報操作に車両運転に変装に尋問拷問その他もろもろ出来て、射撃の腕は支部内最強、おまけに並の戦闘員より戦闘力高いって、改めてどんなバグキャラなんだよあの人。

「まあ、とにかく凄いんだよ澤田さんは」

「ふーん。怒ると怖いの?」

「ぶっちゃけ、怒らせたら死を覚悟するレベル」

「そ、そんなに?」

 みつきに澤田さんの恐怖エピソードを語っていると、あっという間に駐輪スペースに到着した。これからチャリで家まで帰り、着替えてバイクでCARDに向かう、と。こんな流れでいいだろう。

 自分とみつきのカバンをカゴに放り込んで、みつきが後ろに乗ったのを確認する。

「準備いいか?」

「うん、大丈夫!」

「はいよ」

 元気よく返ってきた言葉に小さくうなずいて、ペダルを勢いよく踏み込んだ。






「ゆうー、早く早く」

「あんま走るとすっ転ぶぞ」

 守川駅付近の駐輪場にバイクを停めると、降車するやいなやみつきは軽い足取りで走り始めた。彼女の小さな体が跳ねる度に、オフホワイトのシフォンブラウスの裾や、黒地に白い水玉模様の描かれたミニスカートがひらひらと踊る。夕方になっても元気な太陽の、熱を含んだ光線の中でも、その姿は軽やかだ。私服もこの前衣替えしたから、みつきの格好は制服同様、涼しげなものに変わっている。

 そんなみつきの後を、バイクのロックを確認してから小走りで追いかけた。開放感溢れる装いのみつきとは対照的に、懐に銃を忍ばせたオレの体は重い。この後本部に行くから、完全にプライベートモードという訳にはいかないのだ。一歩足を踏み出す度に、ショルダーホルスターに収まったハードボーラーは、重量をもってその存在を主張する。

 すぐにみつきに追いつき、歩調を合わせて隣に並ぶと、彼女は腕にしがみついてきた。左下に顔を向けてみると、少し照れたような、はにかんだ表情のみつき。少し表情を緩めながら、その頭に右手をポンと一度乗せて、目的地へと歩を進めた。

 少し奥まった通りに入ると、見えてきた。看板は出ていないが、CARDの建物だ。みつきの手を引いて店の前まで移動し、扉に視線を向けると、掛かっているのは『CLOSE』のプレート。しかし、取っ手に手をかけて引いてみると、施錠時の感触はなかった。頼んだ通り、開けてくれてるみたいだ。

「タカフミー、来たぜー」

 扉を手前に引きながら、建物内に足を踏み入れる。開けた扉を手で止めておき、みつきが入ってきてからゆっくりと閉じた。

「おう、いらっしゃい」

 店内に目を向けると、タカフミがカウンターの向こうで本を読んでいるところだった。既に開店準備は済ませているらしく、薄明るい照明で照らされた店内の床は綺麗に磨かれ、テーブル等もセッティングされている。壁にかけられた書道の作品は……、『キムチ鍋』。タカフミ、今は夏ですよ……。

 店主の謎のセンスにげんなりしながらカウンターに向かうと、スツールに一人の男が座っているのが見えた。思わず目を見開く。開店前だというのに、他に客がいるとは思わなかった。

 その男が、グラスを片手にこちらを振り返る。そして、笑みを浮かべながら右手を挙げた。

「おーっす」

 のんびりとした口調でそう言ったのは、ナオさんだった。

「え?」

「ナオさん!」

 オレが呆けた声を上げる隣で、みつきは驚きながらも弾んだ声でその名を呼んだ。直後、みつきが落ち着きなくオレとナオさんの間で視線を彷徨わせ始めたので、苦笑してその頭に軽く手を置き、カウンターに向かった。

 ナオさんの隣にみつきが座り、その隣にオレが座る。ナオさんとオレでみつきをサンドイッチする形だ。スツールに座ると、即座にみつきはナオさんにあれこれ喋り始めた。自分と、なぜかオレの近況まで報告している。ナオさんも、いつもの柔らかい笑みを絶やさずに、時折グラスの中のキャラメルマキアートを口に含みながらそれを聞いている。

 みつきのテンションに再び苦笑しながら、タカフミにコーヒーと、キャラメルマキアートを注文した。普通に注文しててうっかり忘れそうになるけど、ここは喫茶店じゃなくてくショットバーなんだよな。しかし、そんな場違いに思える要求を店主はあっさり了承した。カウンターの中で飲み物を作り始めたタカフミに問うてみる。

「ナオさん、どうしたんだよ」

「いやー、お前からメールあってすぐ呼んでみたんだよ。ナオさん来たら光月ちゃん喜ぶだろうなー、と思って」

 なにこのイケメン。

「なかなか粋な計らいするじゃん」

「まあどっちにしろ弾注文してたから、店開けてから来てもらう予定だったんだけどな。せっかくだから早めにと思って」

 そう言うとタカフミは、カウンターの内側から紙袋を出して、オレの前に置いた。中を覗き込むと、9パラと、12ゲージのショットシェルの箱が数個、オイルの缶なんかが入っている。土曜の夜に使ったからかな。

(っと、そうだ土曜の金)

 忘れるとこだった。店ブッ壊した分を払わなければならない。

「タカフミ、」

「ん?」

「土曜の金。悪かったな騒がして」

 任務の報酬が電子マネーでチャージされている携帯を取り出しながら言うと、タカフミはすぐに首を振った。

「いや、いいよ。ちょうど棚のもん入れ替えようと思ってたとこだったし、どうせあんな場所にある店だ。壊れてなんぼだろ。ホントにヤバくなったらそん時にまとめて直すよ」

 紙袋をカウンターの裏に戻しながら、タカフミが小さく笑う。つまり、どうせ壊れるから金はいらない、ってことらしい。店主が言うならそれでいいのかもしれないが、原因を作った人間としてはなんかスッキリしない。

 空中で止まっていた、携帯を持った右手を迷いながら引っ込める。

「ホントにいいのかよ」

「いいって。その金で光月ちゃんになんか買ってやりな」

 なにこのイケメン。

「まあ、それなら飲み食いした分だけ払うわ。いくら?」

「ああ、それはもらおうか。二千円だったっけ?」

「ん」

 ドタバタして払えなかった代金、千円札二枚を財布から取り出してカウンターに置いた。タカフミはそれを手に取ると、「毎度」と言いながらレジにしまった。

「んで、どうしたんだ今日は。わざわざ開店前に」

「急に所長から招集がかかったんだよ。そのせいでお姫さんの機嫌を損ねちまって、苦し紛れにショットバーを喫茶店として使う策を思いついたって訳だ」

「なるほど」

 事の経緯を聞いたタカフミは、肩をすくめながら、オレの目の前にグラスに入ったブラックコーヒーが置いた。浮かべられた氷が動いて、カランと涼しげな音を奏でる。

「はい、光月ちゃんはコレな」

 同様に、みつきの前にはキャラメルマキアートが置かれた。ただでさえナオさんとの遭遇でテンションの高いみつきは、好物を目の前にして歓喜を爆発させる。

「ありがと、タカおにーちゃん!」

 満面の笑みで礼を述べると、グラスを手にしたみつきは喉を鳴らしながらそれを飲み始めた。その間、ずっと笑顔だ。こんなに美味そうにキャラメルマキアートを飲む人間は、みつき以外いないだろう。

 その姿を眺めながら、オレもコーヒーを啜った。冷たく、苦い味わいを残しながら、すとんと胃に落ちていく。相変わらずコーヒー淹れるの上手いなタカフミ。余裕で喫茶店出せるレベルだわ。

「ゆう、聞いて聞いて!」

 コーヒーの味に感心していると、みつきが隣から服の裾を引っ張った。

「んー? どしたい?」

「ナオさんね、今度コンサートで演奏するんだって!」

「へー。マジ?」

 はしゃぐみつきの向こうに座るナオさんに視線を向けると、彼は少し照れたような表情でうなずいた。

「楽器店の方の常連さんがやるコンサートに誘われたんだ。来週、市民ホールでやるから出ないかって」

「スゲーじゃん。スカウトってことか」

「そんな大層なもんじゃないよ。助っ人としてってことだからね」

「でも、ここで演奏してるのを聴いて誘ってくれたんでしょ? やっぱり上手いから誘われたんだよー。すごいじゃんナオさん!」

 サムズアップしながらみつきが発した意見ににタカフミといっしょにうなずいていると、ナオさんは「だといいけどね」と言いながら苦笑した。

 実際、ナオさんのサックス演奏の腕前は、素人目から見ても凄い。この店でのファンも多いんだし、スカウトされたのも納得だな。

 コーヒーを飲み干しながらそんなことを考えた時、真横から視線を感じた。反射的にそっちを向くと、みつきがなんかニヤニヤしながらこっちを見ている。

「ど、どしたいみつき」

 なんだよその明らかになんか企んでる顔は。

 表情筋が勝手に苦笑いを作った。その状態でみつきに問いかけてみると、彼女は人差し指でオレの肩をつんつんとつつく。

「ねーねー、ゆうもナオさんの演奏聴くの好きだよねー?」

「ま、まあな」

 もう展開が読めた。

「私も好きだけどー、ゆうはここに一人で来ちゃうことが多いからー、あんまり演奏聴けないよねー」

「そ、そうだな。コンサート行き……、」

「行く!」

 即答かよ。

「行きたいのか?」と言い終わらないうちに、なぜか挙手しながらみつきが元気一杯で答えた。普通に行きたいと言えんのかこのお子さんは。

 まあ、みつきの言うことも一理ある。みつきがいなくてヒマな時にCARDをよく訪れるから、必然的にナオさんの演奏をみつきが聴けないことは多くなるからな。

「ナオさんナオさん、」

「ん?」

 コーヒーを飲み干して名前を呼ぶと、同じくキャラメルマキアートを飲み干したらしいナオさんが応答した。気を利かせたタカフミが、オレ達のグラスそれぞれにおかわりを注いでくれる。

「ということらしいんだけど、みつきも行って大丈夫?」

「うん。呼べる呼べる。知り合いとか招待していいって言われてるから」

 再びグラスを手に取りながら、ナオさんが指でOKサインを作った。視線を下げて、みつきの方を向く。

「だってさ。よかったなみつき。楽しんで来いよ」

 頭をポンポンと撫でながら言うと、テンション上げっぱなしだったみつきの表情が、にわか雨が降る前のようにいきなり曇った。ジト目の上目遣い(本人は多分睨んでるつもりなんだろう)でこっちを見ながら、黙り込んでしまう。経験上、みつきがいきなりブンむくれるのは、オレが何か余計な事を言った時だ。というか、うん。今の発言を見直したらなんか原因がわかった気がする。

 多分、一人で行って来いよ、みたいな言い方がマズかったはず、だ。

 恐る恐るみつきを見ていると、口をへの字に曲げた彼女は、呟くようにか細い声で何か言い始める。

「ゆうは、」

「うん」

「なんでいっつもそんななの?」

 そんなとはまたアバウトな。

「いや、悪い。言った後に失言だって気付いた」

「信じられない。わざわざいっしょに行きたいってニュアンスで言ったのに。ゆうのにぶちん。わからんちん」

 やっぱりそうか。女子は難しいな。相手がみつきだったからなんとかわかったけど、違う状況だったら絶対気付かなかった自信がある。

 すっかりご機嫌斜めになってしまったみつきの頭を苦笑しながら撫で、ナオさんに視線を向ける。なんか今日は苦笑い浮かべてばっかりだな。

「ということらしいんだけど、大丈夫かな? オレも行って」

 オレの質問に、ナオさんは愉快そうに「ははは」と笑った後、先ほど同様OKサインを作って応えた。タカフミもグラスを拭きながら小さく笑って、「乙女だもんな光月ちゃんは」などと言い、みつきはこくこくうなずいている。なんだかな。どうにもオレは、徹底的に甲斐性無しなようだ。

「悪かったってみつき。いっしょに行くから」

 謝るオレを、みつきは相変わらずジト目で見ながら「うー」と小さく唸っていたが、しばらくすると腕に引っ付いてきた。

「もー……。絶対だよ?」

 謝罪したことで機嫌が少しは良くなったのか、小首をかしげながらこちらを見上げてくる視線は、幾分か柔らかいものになっている。その視線をまっすぐに受け止めながら、オレはコーヒーをすすった。

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