FILE4.3:もう変わらない
遅くなりました。
本編に直接関係はないですが、FILE4.2のタイトルがどうも気に入らないので、変更しました。内容は変化なしです。
さすがに二十三時も近くなってくると、普段賑やかな本町でも静かになる。メインストリートやその周辺の建物は灯りが消え、等間隔に設置された街灯の光にだけ照らされた道路は、ぼんやりと浮かび上がっているようにも見える。未だ賑やかなのは町の中央付近から少し離れたところにある、夜の生気が充満する場所、歓楽街だけだ。毎夜宴の行われるその場所にリョウはこの後用事があるらしいが、一応オレに雇われている身だから家まではきっちり送ってくれるらしい。
静まり返った本町を抜け、オレの家がある住宅街まで帰ってくると、辺りはよりいっそう静寂を濃くする。家々の明かりはほとんど消えており、人通りは皆無に等しい。オレ達がこうして車で走行する音すらとてつもなく大きな音に聞こえてしまうほどだ。
「っくぁー」
我が家であるアパートまでもう少しというところで、リョウが大きなあくびをもらした。
「おいおい、大丈夫かよ。居眠り運転とか簡便だぜ」
「ねーよ。何年オレが車運転してると思ってんだ。だいたいこの後も行くとこあるんだから居眠りくらいで死ぬわけにはいかんだろ」
行くとこって、つまりまたキャバクラだろ。眠いのによく行くぜホント。オレには理解できん。
「キャバ行かずに寝るって選択はオメーにはねーのか」
「ねーな。今日はリサちゃんに行くって言っちまったからなぁ」
何がリサちゃんだ。タラシめ。
とはいえ、ここまで帰りが遅くなった原因はオレにもけっこうある。送ってはもらった訳だし、コーヒーくらいは飲ましてやってもいいかな。
顔は前に向けたままで、運転手に声をかけてみる。
「アレだったら、眠気覚ましにウチでコーヒーでも飲むか? 一杯くらいなら時間あるだろ」
「おお、そりゃありがたいな。んじゃお言葉に甘える」
オレの提案にリョウはうなずいてハンドルを切り、丁寧に曲がり角を曲がった。
それから二分ほどして、車は我が家の前に到着した。アパート隣にある二台分の駐車スペース(とはいっても他に車は停まっていない)のうち片方ににシビックをバックで駐車し、オレとリョウは降車してアパートに向けて歩き出す。
「そういや今日、光月ちゃんはどうした?」
アパートの敷地内に入ったところで、リョウがそう問うてきた。振り返って応答する。
「なんでよ?」
「連れて来なかったじゃん」
ああ、それでか。そういえば前回はみつきを連れて行ったんだっけ。
サタデーナイトスペシャルに向かう時、家にみつきを一人で置いておくのも不安だから、彼女に予定が無い場合はいっしょに連れて行っているのだ。通常は一般人禁制が会合の絶対条件なのだが、タカフミは特例ということでそれを認めてくれている。だから店にいた客達はみつきのことを知っていたというワケ。あの場所に女性は滅多にいない上に、集まる男が割と屈強なのばっかりだから、そこにいるみつきは凄い浮いてしまうけど、みんな気のいい人だから彼女とも仲良くしてくれている。
まあ、そうは言ってもあの集まりは催されている場所が場所だ。まさに今日みたいな事態が起こる可能性もゼロではないから、タカフミから開催が通知された時、みつきにはなるべく誰かとの予定を入れるように言っている。
目線を前に戻してからその質問に答えた。
「今日はクラスの友達と遊びに行ったよ。タカフミからメール来た後、急に誰か誘うように言ったからさ、さすがに誰も予定空いてないかと思って駄目元でクラスメイトにメールしてみたんだと」
「で? どうだったんだ?」
「『光月から誘ってくるなんて感激! ちょうどお姉ちゃんも今いるから三人でカラオケ行こ!』って返信がきたらしい」
ちなみに、誘った相手は有野だ。お姉ちゃんってのはショップ店員の有野さんのことだろうな。
「光月ちゃん凄いな。どこ行っても人気者じゃん。お前と違って」
リョウ、澤田さんの毒が感染ってるぜ。
気にしたり反論したりしてたらキリがないから、無視して続きを紡ぐ。
「ちなみに、帰り遅くなるようだったら家の辺りまで送ってやって欲しい、ってオレからもメールしたんだけどよ」
「ふんふん」
「『オッケー任せて。言われなくてもそうするつもりだったし。むしろウチに泊まってもいいのに。そしたら日向は三日くらい帰ってこなくてもいいよ?』って返ってきた」
「お前はお前でどこ行ってもそんな感じだな」
うっせぇもう諦めとるわ。
そんな会話を交わしているうちに、家の前に到着した。カーゴパンツのポケットからキーケースを取り出し、家の鍵を引っ張り出して鍵穴に突っ込む。
「まあ、そういうことがあったんだよ。さすがにもう帰ってるはずだけど……、っし開いた」
カチリという開錠の音を聞いてから、キーケースを再びポケットにしまう。もしかしたらみつきは寝ているかもしれないと思い、ドアノブにかけた手は静かに回した。そのままゆっくりドアを引く。
「ただいまー……」
小声で呟くように言うと、廊下に面した左右にいくつかある部屋のうち一つ、みつきの自室の扉が開いた。
一秒と間を置かず、その部屋の主が廊下に飛び出してくる。
「おかえりなさいゆう! ご飯にする? お風呂にする? それとも牛丼?」
いつもの薄ピンクパジャマを着たみつきが、一部何か間違った要素を含んだお決まりの質問を投げかけてきた。むっちゃ笑顔だから、おそらくギャグじゃなくてマジで聞いているんだと思う。
しかしみつき、そんなの考えるまでもなく決まってるだろ。
「もち、ぎゅ……、」
っといやいや待て待て、何が決まってるだろだ。なんにも決まってねーよ。
「……じゃなくてコーヒー」
出かかった言葉を慌てて軌道修正した。何やってんだオレは。
オレの答えにみつきは一瞬きょとんとしたが、すぐにまた笑顔に戻り、トタトタと駆け寄ってオレの腹辺りに抱きついた。
「おかえり、ゆう。遅かったね?」
「あー、悪い。ちょっと面倒事があってさ。んでもう一個悪いんだけど、客連れてきた」
右こぶしの親指だけ立て、その指で後ろを指差しながら言うと、みつきはオレから離れてそちらを覗き込む。
「おっじゃましまーす」
同時に、開けっ放しにしていた扉からリョウが入ってきた。みつきと目が合うと、笑みを浮かべながら片手を挙げる。
「よっ、光月ちゃん」
「あー! りょーくんだー!」
予想外の来客だったためか、みつきがびっくりした時の声を上げた。そしてすぐにこちらを振り返る。
「どーしたの?」
「送ってもらったんだよ。オレ今日歩きで行ったろ?」
「あ、そっか」
再びリョウの方を向いたみつきは、少し背伸びして、挙げられていた彼の右手とハイタッチした。
「久しぶり光月ちゃん。元気か?」
「元気だよー。りょーくんの方は相変わらずってこの前ゆうが言ってたけど、あんまり女の子泣かせちゃダメだよ?」
無邪気にみつきがそう言うと、リョウは凄まじくメンドくさそうな表情でこっちを見た。
「お前普段オレのことなんて言ってんの?」
「変態で金の亡者でキャバ好きのタラシ」
いやーしかし、そんな変態で金の亡者でキャバ好きのタラシとでも分け隔てなく接するみつきは偉いなー。それともあれか。極のおかげで変態慣れしてんのかな。
中指を立ててきたリョウに同じ動作を返して、みつきに事情を説明する。
「オレの用事でけっこう遅くなっちまったから、コーヒーでも出そうと思ってな。行くとこあるからすぐ帰るらしいけど。みつきも飲むか?」
「うん!」
元気よくうなずいたみつきの頭を軽く撫でてから、リビングに向かった。装備を外してテーブルの上に置き、リョウの銃は棚の上に置いておくように指示する。
「なんか手伝うかー?」
「いいよ、客なんだから座ってな」
らしくない気遣いのセリフを投げてきたリョウにそう返し、コーヒーメーカーをセットした。我が家では基本的にコーヒー係はオレなのだ。
コーヒーを淹れている間、テーブルを挟んで椅子に座ったみつきとリョウは何やら談笑していた。ちらほら聞こえた言葉から、好きなアーティストの話だと推測する。そういえば前にあの二人が会った時、リョウがみつきに何か音楽を薦めてたな。
出来上がったコーヒー二杯と、カフェオレ・みつきスペシャルをトレーに乗せてテーブルに運ぶ。立ち昇るコーヒーの香りが、気分を落ち着かせてくれた。それぞれのコップを卓上に置くと、不意にみつきが何か思い出したように立ち上がった。
「そうだ! 二人ともお腹空いてない?」
「あー、まあ空いてるっちゃ空いてる」
「オレも。運転すると腹減るし」
オレ、リョウの順に答える。それを聞いたみつきは、にこりと笑みをこぼした。
「さっきね、ありちゃんと有野さんがいっしょに作ったクッキーもらったの。せっかくだからいっしょに食べよ?」
ちょっと待ってて、と言い残すと、みつきは菓子が大量に入った彼女専用の棚に向かった。
「なんというか、あの娘はいい嫁さんになると思うわ」
その後姿を見たリョウが、しみじみとした口調でそう呟いた。そのまま首を捻ってオレに呆れたような視線を向けてくる。
「なのにお前ときたら……。自覚あんのか無いのか知らんけど、お前相当な幸せ者だぞ」
「んなこたぁ何年も前から自覚してるっつの。で? オレにはもったいないとでも言うか? 言われんでもそれも自覚してるからなオレは」
コーヒーを一口すすって自虐を投げ返していると、クッキーの包みを持ったみつきが戻ってきた。見てて眩しいほど満面の笑顔だから、よっぽどクッキーが楽しみなんだろうな。
その自虐を聞いたリョウは頬杖をついて数秒オレを見ていたが、やがてみつきに視線を移し、オレを指差して、
「光月ちゃん、こんな無口無愛想無表情体力バカ甲斐性無しでも好きなん?」
あらん限りの悪口を並べながらそう問いやがった。さっきの変態で金の亡者で(以下略)の仕返しのつもりだろうか。しかし全部ホントのことだから反論の余地が無いのがなんとも悔しい。
クッキーを机に置いたみつきが、先ほど同様きょとんとした表情を見せる。しかしそれは一瞬で、すぐに笑顔で答えた。
「でも、ゆうは優しいよ。だから私はゆうが大好き」
その笑顔は、素直に眩しいものだった。打算と偽りが渦巻く裏社会の常識からは考えられないほどの、まっすぐな心からまっすぐに発せられる言葉と表情。わかっちゃいるけど、リョウの言葉を改めて実感する。オレは自分の殺伐とした状況が全てバカらしく見えるほどの幸せ者なんだと。
「そっか」と言いながらうなずいたリョウが、こっちにニヤニヤした表情を向けてくる。だから自覚はあるって言ってんだろこの変態。
みつきは自分の椅子に座ると、床についていない足をぶらぶらさせながら少し怒ったように頬を膨らませた。
「それにりょーくん? ゆうはクールなだけなんだよ? そんな悪口で表すのは違うと思う」
「うーん、まあ光月ちゃんが言うならそういうことにしとくか。よかったなぁ友、彼女がこんないい子で。あーオレも彼女欲しい」
ならキャバ行くなよ。
その後、三十分ほどゆったりとした時間を楽しんだ。コーヒーをすすり、有野姉妹作のクッキーを食べ(すっげー甘かったからオレは二枚しか食ってない)、和やかに談笑する。机の上に置いた銃が視界にチラチラと入らなかったら、さっきまで廃都でドンパチしてたことなんか忘れてしまっていただろう。
そうこうしているうちに、そろそろ時間なのかリョウが腕時計を見ながら椅子から立ち上がった。
「よし、オレもう行くわ。二人ともごちそうさん」
「おう」
「うん。また来てね」
それを聞いて、オレとみつきも席を立った。みつきはリョウに笑顔で手を振りながら後片付けを始めたので、オレは玄関先まで客人を送ることにする。
「みつき、ちょっと見送ってくるから」
「はーい」
一応声をかけてから、リョウと共にリビングを出た。再びホルスターを装着してから玄関で靴を履くリョウに、背中から話しかける。
「リョウ、」
「あん?」
手は止めないまま振り向いた彼に、一つ問うてみる。
「さっき、澤田さんに情報を売った、って言ってたよな」
「ああ」
「それって、個人的なものか? それとも仕事関係?」
せっかくの和やかな空気を壊してしまうのは本意ではないが、さっきから気になっていたことを、結局聞いてしまった。なるべく平静を装って聞いたつもりだったが、話題が話題だけに無駄だった。案の定、口を閉じたリョウから堅い空気が発せられる。
サタデーナイトスペシャルは、ただ酒を飲んで談笑するためだけに開かれる会ではない。裏社会に生きる人間が集まるという事は、表社会では絶対に知り得ない情報が大量に集まる事と同義だ。特に、情報屋が持っている情報量はそこらの探偵では足元にも及ばないほど膨大で、しかも確実な物が多い。表立ってやりとりできないような情報を互いに交換、売買するのが、あの集会の真の目的とも言える。
通常、国家組織ともなればそんなアウトローな場所で情報を得ることはほぼ無いのだろう。しかし特警という組織は国によって設立されておりながらほぼ独立して活動しており、半分アウトローという認識が一般的だ。中でも諜報部はそれら裏社会の人脈や情報網を駆使することで事件や標的の詳細を探ることが多い。凶悪事件を、文字通り全て終わらせるという特性が、そんな国家組織としてはあり得ない立ち位置を可能にしている。
そんな裏社会の情報屋、それもここら辺りではトップクラスの実力を誇るこのリョウという男から、諜報部部長である澤田さんは情報を買ったという。もしかしたら、何か大きな事件が起こっているのかもしれない。そう思っての質問だった。
リョウは、すぐには喋らなかった。まあ、当然と言えば当然だ。コイツにとって、情報とは商品。それをタダで「ハイ、そうですか」と教えてくれるとは思えないし、オレもダメ元で聞いたようなもんだしな。
「それは言えないな。商売にゃ守秘義務ってもんがある。聞きたけりゃそれ相応の対価を払うのが筋ってもんだ」
靴を履き終わって立ち上がったリョウは、オレの質問にそう答えを出した。やっぱりそうなるか。一戦闘員のオレにはよくわからないが、商売ってのはそれだけシビアな世界なんだろう。
「そっか」と返して話を終わりにしようと思った時だった。
「まあでも、コーヒーの礼くらいはするか。一つヒントを教えてやるよ」
リョウが話題を引っ張り戻すという、予想外の事態が起きた。右手の人差し指を立てた彼は、こちらを振り向いて言う。
「澤田さんに売った情報は、近いうちにお前も知ることになるよ。オレが喋れるのはここまでだな」
「これ以上は無理だぞ」と付け足して、リョウはつま先で地面を数回叩いた。
その言葉が、頭の中で数回リピート再生される。そうしているうちに、理解した。リョウはヒントと言いはしたが、実際はほぼ答えを言ってるようなものだ。澤田さんが買った情報をオレがすぐに知るという事は、つまりは特警としての情報購入だったという事だろう。
何か事件か、その予兆があったのかもしれない。それがわかっただけでも大きな収穫だな。
ドアノブに手をかけたリョウに礼を言う。
「サンキュな」
「よせや気持ち悪りぃ。ま、もう帰るし。今日の代金は今度請求書送るから、振り込んどけよ」
「あいよ。あー、あと、」
「わかってるっつの。『因果の連中について何かわかったら真っ先に教えろ』だろ」
「そゆこと。頼んだぜ」
「おけおけ。んじゃな。光月ちゃんとケンカすんなよ」
扉を開けてヒラリと手を振ると、リョウは出て行った。一瞬冷たい夜風が大量に吹き込んでくるが、扉が閉まっていくにつれてその量も少なくなっていく。
小さく音をたてて扉が完全に閉まったのを見てから、鍵をかけてリビングに引き返す。
明るい室内では、ちょうど食器の後片付けを終えたところらしいみつきがタオルで手を拭いていた。戻ってきたオレを見つけると、タオルをテーブルに置いてこちらに歩いてきた。
「りょーくん帰ったの?」
「うん」
問に答えてソファーに腰を下ろすと、みつきも隣に座った。そのまま頭をオレの肩に預けてくる。
「ねぇゆう?」
「ん?」
「今日何かあって遅くなったの?」
体勢はそのままでみつきが聞いてくる。なかなか鋭いな。
対応としては邪道と思うが、あえて質問に質問を返してみる。
「なんで?」
「うーん、ゆうとりょーくんから火薬? っぽいにおいがしたから、鉄砲を使うことがあったのかなぁ、って思ったの」
なるほど、そういう事か。鼻が慣れてしまっているからか自分じゃ気づかなかったけど、あんだけ派手に撃ち合えば火薬臭くもなるだろう。
うなずいて、彼女の問に答える。
「うん、まあちょっとな。いろいろあって、百人近いチンピラに追われた」
「え、そんなに!? だ、大丈夫なの怪我とか!?」
いきなり慌てふためくみつきに「大丈夫だって」と笑いかけ、さきほど客人が出て行った扉の方向を指差す。
「リョウを逃がし屋として雇ってたし、店にも澤田さんとか小窪さんがいた。こんだけメンツが揃ってて負けるとしたら、相手が対戦車ミサイルを大量に持ってるイカレ野郎とかだった時だけだな」
「へー、みんな凄いんだねー」
冗談めかして言うと、みつきも笑ってくれた。そうそう、みつきは笑顔が一番。
「みつきはどうだった、カラオケ」
オレからも聞いてみると、みつきはぱっと顔を輝かせた。
「うん! 楽しかった! 有野さんとカラオケ行くのは初めてだったけど、さすが姉妹だよね。二人とも上手なんだよー」
「へー、そなんだ」
オレから見ると女子はみんな歌上手いんだけどなぁ。クラスで文化祭の打ち上げとかした時にカラオケに行ったけど、女子で下手な人ってのはあんま見たことない。
「有野さん、テンション高かったろ。この前カバン買いに行った時みつきとカラオケ行きたいって言ってたもんな」
「うん、二人ともずっと楽しそうだったよ。絶対また行こうね、って言われちゃった」
えへへ、とみつきがなぜか照れている。さっきリョウも言ってたけど、ほんとどこ行っても人気者だなみつきは。誰に対しても素直で裏表がないからだろう。
その頭を数回撫でてみた。
「よかったな。また連れてってもらえよ」
「今度はゆうも行く?」
「いや、さすがに行かない」
凄まじいアウェー感になると容易に予想できる。むしろ「なんでいるの?」みたいな空気になること間違いなし。というかオレの存在そのものが空気になること間違いなし。
もーつまんない、と笑うと、みつきはオレの正面に回り、ソファーに腰掛けたオレに向き合うように、膝の上に座ってそのまま抱きついてきた。
「でも、やっぱりゆうといっしょにいるのが一番いいよ……」
みつきがひっついたところが、やわらかい温かさで満たされる。微かに立ち上るシャンプーの芳香が鼻腔をくすぐって、つい一時間前までのあわただしさが嘘のように、リラックスした気分になれた。
確かに感じる。オレも同じ。みつきといっしょに過ごす時間が、一番の至福なんだと。
小さな背中をトントンと軽く叩きながら、言った。
「ただいま、みつき」
「おかえりなさい、ゆう」
たったそれだけのやりとりに、大きな幸せを感じた。
土曜の夜の騒動のせいで、どうにも休んだ気がしないまま、月曜日となった。オレは学生だ。当然平日は学校があり、そして学校とはダルいものなのだ。
今こうして自分の席に突っ伏している時ですら、チャリをこいできた疲労と、近づく夏の暑さのせいで非常にダルい。時刻はまだ八時半。窓の外はむっちゃいい天気。
「あーダルい」
「まったく、始業前からダルいダルいとうるさいヤツだな」
覇気が無いにもほどがある声で言うと、後ろの席の変態こと極が文句垂れてきた。テメーはいいだろうよ。PCにUSB扇風機つないで涼風を満喫してんだからよ。メガネ割るぞコラ。
最近暑くはなってきたが、今日は特に蒸し暑い。ちょうど今日から六月に入って衣替えになってなかったらマジで死んでいたかもしれない。学ランなんか着てたら煮えちまうよ。開襟シャツ万歳。
同じく開襟シャツの極が、そのシャツの胸元を引っ張って風を送り込みながら「むぅ」と唸った。
「しかし、お前の言うことも一理ないこともないな。くそ暑いのは事実だし」
「くそー、マジでもうバイクで来ようかなー」
「それもアリだとは思うが、どうだ友。ここは一つ涼しくなるような体験をするというのは」
「あー? 怪談でもすんのか?」
オレの問に、極は人差し指を振りながら「チッチッチッ」とベタな動作を始めた。こういう時コイツはロクな事を言わないから、話半分に聞いておこう。
「女子更衣室に忍び込むとか……、」
「そうか、頑張れ」
やっぱりロクでもなかった。変態はどこまでいっても変態ということか。一人で実行して美咲に殺されればいいのに。例えバレなくてもオレがチクる。
「甘いぞ友。男は皆変態とはよく言うが、変態と書いて探究者と読むのが正しい」
「心読むんじゃねーよ!」
なんか最近しょっちゅう読まれるんだけどなに、読心術でも流行ってんの!?
オレがテンパる姿を見てひとしきり満足したらしい極は、操作していたPCをシャットダウンし、話題を変えてくる。
「そういや、土曜は行ったんだろ、サタスペ。どうだった?」
PCをケースに入れ、カバンにしまった極が、今度は机に頬杖突いてケータイを操作しながら問うてきた。サタスペって……。んだよその土曜日放送のニュース番組の名前にでも使われそうな略し方は。
頭の中で我ながらビミョーななツッコミをかましてから、その問に答えた。
「どうっつっても……。店自体は特にどうともねーよ。みんなフツーに飲んで駄弁ってただけだし」
「ほー。清々しいくらいいつも通りだな。誰が来てた?」
「んー、澤田さんと、小窪さんと、あとリョウもいたな」
「ほう、我が同士が来ていたか。やはりオレも行くべきだったな」
同士とはつまり、変態間に生まれる妙な結束力ということか。ロクでもねぇな。変態メガネが二人って、何それ影分身?
「影分身というと、実体がある方か」
「だから読むなっつの」
チャクラでも練ってろよタコ。
なんか印を結び始めた極に、かわいそうなものを見る目を向けていると、不意に彼は何かに気付いたように「む?」と声を上げた。
「店自体は、ということは、何か他であったのか?」
「相変わらず変なところで鋭いなお前。まあな。ちょっと訳あって、百人近いチンピラに追われた」
土曜にみつきにしたのと同じ説明をすると、極は呆れたように肩をすくめる。当然だが、みつきよりもずっと落ち着いた反応だ。
「百人て……。お前何したんだ?」
「廃都で中学生くらいの女の子がチンピラに絡まれててよ。ちょっと派手に追っ払ったらそのボスが手下連れて復讐に来た。タカフミにゃ悪いけど、店がリアルにイエロー・フラッグ状態だったぜ」
ニヤリとしながら話すと、極も楽しげに声を上げて笑った。なんかマンガネタの応酬になってきたな。
「なんだ、撃ち合いか。澤田さんがいたってことは、チンピラは災難だったろうな」
「はは、ご名答。店ん中で三十人くらい蹴散らしたけど、そのうち二十人は澤田さんがやってるからな。ホント、バグキャラにもほどがあるよあの人」
「言い得て妙だな。それで、どうなった」
「リョウを逃がし屋で雇って店出たんだけどよ、その場にいたチンピラ全員車で追って来やがった。家に帰る為にカーチェイスしたってこった」
「まったく、本当にどうしようもない街だなあそこは。まあ、あのブッ壊れた空間を街と呼んでいいのかは甚だ疑問だがな」
朝っぱらから教室でするにはあまりにバイオレンスな話だが、こういう自嘲的な会話を極とするのは、なんか楽しい。というかまあ、こんな話アウトロー関係の人間としか出来ないしな。面白がるような話ではないけど、ドンパチが非日常的なんて考え、オレ達の場合はとっくの昔に南極辺りにブッ飛んじまってる。場合によっちゃ、こんな風に笑い話にすらなってしまうのだ。
二人で爆笑(主にオレがフルオート全弾外したこととか)していると、教室後ろのドアが開いて、小柄な人影が入ってきた。
「ゆうー、ただいまー」
みつきだ。五組まで美咲に会いに行っていたはずだが、もうすぐ始業だから戻ってきたのだろう。オレ達と同じく夏服になったせいか、こちらに駆け寄って来る動きも心なしか軽やかに見える。白と水色を基調としたセーラー服が光を反射しているため、なんかみつき自身が光の粒子を振りまいているみたいだ。
自分の席に戻ってきたみつきは、椅子に座るとすぐにこちらに軽く頭を下げた。すべすべした頭に、天使の輪っかが出来たのが見える。これはみつきの「撫でてー」というサインなので、とりあえず数度その頭を撫でておいた。
その間、みつきは気持ちよさげに目を細めていたが、不意に何か思い出したようにオレを呼んだ。
「あ、ゆう」
「ん? どした?」
横で極が、突然ナチュラルにみつきを撫で始めたオレを見て驚いているが無視してそう返す。するとみつきは、少し不思議そうに小首をかしげながら、
「あのね、教室に入る前に寺居君に会ったんだけど、『友がなんか爆笑してるんだけど、今日雨でも降んの?』って言ってたの。なんでかな?」
そう報告してくださった。
「マジかよ寺居ひでーな」
というかさっきからなんかクラス中から変な視線を感じると思ったらそういうことか。どうやら我がクラスにおいてオレが爆笑しているという事態はひどく珍しいことらしい。
「さすが根暗の代表格だな」
「うるさい黙れ」
「そうだよ極。ゆうは根暗じゃないよ。クールなだけだよ」
「クールっつーか、目が死んでるからどっちかってーとグールじゃね? あれ、なんか僕上手いこと言っちゃいましたかね?」
「激しくうぜぇ。新品の耳の穴をこさえてやるから表出ろ」
オレの脅しを大仰に笑って流した極にうんざりしていると、みつきが椅子に座ったオレの背後に移動し、おぶさるように体を預けてきた。密着した状態だからか、女子特有の微かに甘い匂いが、鼻腔をくすぐる。
「でも確かに、ゆうが声出して笑ってるのって珍しいよね。なんか面白い話してたの?」
「いや。土曜にあったこと話してただけ。まあ普通に考えたら面白い話じゃねーよな」
ははは、と笑うと、みつきは「もー、こっちは凄く心配したのにー」と言いながら、オレにおぶさった状態で体を前後に揺らす。それでも声は楽しげだから、怒ってるわけじゃないらしい。
ケータイをしまった極が「ふん、駄カップルめ」というのと同時に、教室前のドアが開いた。直後、教師にあるまじき大あくびをしながら一人のイケメンが入室してくる。
「っふああ。おーしホームルームすっぞー」
出席簿を団扇代わりにするという、教師にあるまじき行動をしながら教卓に立った先生は、「あーマジダルいわホームルームとか」などと教師にあるまじきセリフを発している。なんというか、総合的に教師にあるまじき人だな。
全員が着席するのを待って、玉本先生はホームルームを開始した。
「えーと、今日は連絡事項が一個。この前英語の実力テストがあったそうだな。んで、その英語の永重先生から連絡。実力テストで五十点未満だった者は追試を行うそうだ。該当者は五人。しっかり勉強しとくように」
先生の言葉を聞いて、教室が一瞬ガヤガヤと騒がしくなった。何人か頭を抱える人間がいたから、そいつらが追試を受ける面々なのだろう。
しかしなぜだ。先生は該当者五人と言ったが、教室を見渡す限り残念なリアクションとってるヤツは四人しか見受けられない。残りの一人はそんなに余裕なのだろうか。余裕なら最初っから点取っとけばいいのに。
(ん? 実力テスト……?)
そこまで考えたところで、ふと思い出すことがあった。記憶を頼りに机の中を漁ってみると、件の英語実力テスト用紙が出てくる。
折りたたまれたそれを開いてみると、
「……」
四十五点。
オイオイ勘弁しろよ。五人目オレじゃねーか。
(そういえば……、)
点数を目の当たりにして、だんだん記憶がよみがえってきた。このテストの前日までオレもみつきもテストがあること自体すっかり忘れてて、急いで勉強しただけの付け焼刃の知識で試験に臨んだんだった。英語が得意で、今までの知識がきっちり身についてるみつきは余裕で九十点超えしてたが、オレはその半分以下の結果だったというわけか。何このハンパない情けなさ。
衝撃の事実に戦慄していると、後ろから肩をポン、と叩かれた。
嫌な予感を感じまくりながら振り向くと、極が生温かい目でオレを見ていた。
やめろ見るな。そんななんともいえない目でオレを見るな。
思わず視線を逸らすと極はおもむろに言葉を発した。
「衝撃っつーか、笑劇の事実……?」
「上手くねーんだよ黙れ」
直後、極が爆笑する気配を感じ取ったオレは、その頭頂部に手刀を思いっきり叩き落してやった。
「っげぶごあ!」
蛙が戦車に轢かれたような声を上げて、極の上半身が机に倒れこんだ。
突然発せられた、人間から出たとは思えないような声を聞いて、クラス中の視線がこちらに集まる。先生も机に突っ伏した極をダルそうに見て、その後オレに視線を移す。
「日向ぁ、蔵城はどうした」
「寝不足らしいす」
「ならいいや」
いいのかよ。
ものの見事に極をスルーした先生は、ホームルームを終えると教室を出て行った。つか、仮に寝不足だとしてもホームルーム中に寝てる生徒がいたら起こすだろフツー。オレの中で玉本センセの教師にあるまじきポイントが二百くらい上がった気がする。
授業開始まであと数分だが、ホームルームを終えた教室が再びガヤガヤと騒がしくなった。その賑やかな空気の中、右上に『45』の数字が書かれたテスト用紙を再び開く。
「あーあ……、」
はあ、追試かぁ……。メンドくせーなー。ただでさえ英語苦手なのに。
だが、ヘコんでいても追試は無くならない。幸運にもオレの彼女であり家族である右隣の席に座る女子は、このテストで九十五点とった猛者だ。なんかもうこの事実だけで負ける気がしない。
「みつき、」
椅子に座ったまま正面から右へ、九十度向きを変え、その猛者の名を呼ぶ。
猛者という猛々しい字面にはそぐわない、小柄で可憐な彼女は、オレの呼びかけにぴくりと反応してこちらを向いた。
「どしたの?」
「英語教えてくださいマジお願いします」
プライド? 知らん。そんなものは夕日の海に捨ててきた。
膝に手をつき、頭を下げてお願いした。数秒経ってからゆっくり顔を上げると、みつきはちょっとびっくりした様子で目を丸くしていた。
さすがのみつきも呆れたのかと思ったが、どうやらそうではなかったみたいだ。一秒と間を置かずその瞳が輝き、彼女はこくこくとうなずいた。
「任せて! 今度はゆうが百点取れるように私も頑張る! あ、でも、ちょっと厳しくしちゃうかもよ?」
悪戯っぽく、みつきが笑みを見せた。突然のなんか凄いハイテンションに、思わず圧倒される。
「お、おう。んじゃ頼むわ」
「うん! がんばろーね!」
ちょうどその瞬間、教室の中央辺りにいた有野と数人の女子が、みつきを呼んだ。それに反応したみつきは、テンション高いままでそっちに向かっていく。
「凄いテンションだな」
女子の集団に撫でられたり、飴で餌付けされたりし始めたみつきを見ていると、右横から声がした。極がいつの間にか復活したらしい。顔は教室中央に向けたまま、その声に返答する。
「だろ? どうしたんだろうな急に」
「どうせアレだろ。『ゆうに頼られちゃった!』とかそんな感じだろ。直接的にお前が光月になんか頼むことってそう無いだろうからな」
極が珍しくまともな分析をしてきた。言われてみればその通りだ。オレがみつきに何かをお願いする、ってシチュエーションは確かに珍しいかもしれない。
椅子の背もたれに体を大きく預けた。
「たまにはまともな事言うじゃんよ」
「たまには、は余計だ。まあしかし、変わらんな光月は。小学生か、もっと言うとその前からあのままだ」
「そりゃお前もだろ。変わらず変なヤツじゃねーか」
「変、とはオレにとって褒め言葉だぞバカめ。だいたい、変わってないといえばおま……、」
何か言いかけた極が、突然止まる。文脈から察するに、「変わってないといえばお前もだろう」とでも言おうとしたはずだが、いったいどうしたのだろうか。皮肉を途中でやめるなんてコイツらしくもない。
「おい極、なんかあんなら言えよ」
「いや、なんでもない。悪かったな」
軽い口調で言ったオレに対する答えも、どうも歯切れが悪い。その上謝ってくるとか、もしかしたら熱でもあるんじゃないか。
その後、なぜだか互いに無言のまま数分が過ぎた。そんなオレ達とは反対に、授業開始まで三分を切った教室内は未だ賑やかだ。楽しげに話すクラスメイトの姿がなんだか眩しく見えるのは、決して真っ白な夏服を纏ったからだけではないだろう。
そんなことをしみじみと考えていると、不意に極が椅子から立ち上がった。ぼんやりしていた意識をそちらに向け、声をかける。
「もう授業始まるぜ。どっか行くのか?」
「トイレだ。オレが戻るより先に先生来たら言っといてくれ」
「あいよ」
教室後ろのドアに体を向けながら言った極に、肯定の意を示す。そのまま極は歩き始めたが、三歩も動かないうちに立ち止まった。
ホントにどうしたんだコイツ。さっき頭を強く殴り過ぎたんだろうか。
「どしたよ。漏らしちまったか?」
オレのジョークにも、答えが帰ってこない。極はただ、オレに背を向けて立っている。その背中が何か言おうとしていることは、あまり考えなくてもわかった。
たっぷり十数秒の沈黙の後、極は「友、」とオレの名を呼んだ。
「んだよ」
「お前は、もう変わってくれるなよ」
返答したオレにそう言い残して、極は教室を出て行った。その間、一度もこちらを振り向かず、何かを振り払うように早足で。唯一彼の意志として残された言葉を、自分の中で何度もリピートする。
もう変わってくれるな、というセリフの、「もう」の部分は、オレに一度なんらかの変化があったことを示唆する。そしてそれは恐らく、三年前のあの日のことを意味している。
さっきみつきを介して聞いた寺居の言葉、「友が爆笑してるのって珍しい」ってのは、決して的外れな指摘じゃない。みつきにもう一度生かされたあの日以来、オレは感情の半分をどこかに置き忘れてきてしまった。今じゃ自分でも信じられないが、あの日以前は毎日賑やかに笑って過ごしていたのだ。今より感情も、表情も、口数だって、ずっと豊かだったように思える。
極がオレに「これ以上変わるな」と言ったのは、昔のオレと今のオレ、その変化の理由を、誰よりよく知っているからだろう。みつきも極も昔から変わっていないが、オレだけはそうじゃなかった。幼馴染として三人一緒に成長してきたというのに、オレだけが、少しずつその流れから外れていってしまったのだ。極はそんなオレのことを、裏社会で生きる相棒として、みつきとは違う視点から心配してくれているんだと思う。
(けどな、極、)
オレはもう変わらねぇよ。みつきに生かされて、オレは彼女を護って生きていくという芯を得た。その芯だけは、絶望しようと死にかけようと、何があっても絶対ブレねぇ。例えブレそうになっても、まっすぐに変わらないみつきとお前が、両側から支えてくれるだろ。だから、心配いらねぇ。
「もう変わらねぇよ。絶対にな」
親友が出ていったドアに向けて、呟くように答えを返す。同時に、授業開始を告げるチャイムが鳴り響いた。