FILE3.8:それぞれのプライド
非常に遅くなりました、ほんと申し訳ないです。
しかもなんかまたかなり長いです。
再び守川駅、もとい本町に降り立ったのは十九時を回った頃だった。すっかり日も暮れて、ライトアップされた建物や、道行く人々のどことなく昼とは違うテンションによって、本町は夜の顔を見せ始めていた。携帯端末をいじる手を一旦止めて上を見ると、深い藍色に染まった雲一つ無い空に、微笑むような優しい光を放つ月が輝き、そんな町の風景を包み込むかのごとく見守っている。
いい夜だ。春特有の肌寒さもなんだか心地よい。充実した時間を過ごしてきたからか、ゆったりとした穏やかな気分で町の活気を感じられた。
駅構内の柱にもたれかかり、フッと息を吐いてから再び携帯を操作する。ナオさんに今から行く旨をメールしているのだ。朝電話でアポとった時に部品は調達しとくって言ってたから、行ってすぐに修理を始めてくれるだろう。
メールを打ち終えて、スマートフォン二つを若干小さくし、そのまま繋げて二つ折りにしたような、明らかに普通の携帯端末よりデカくてゴツい特警製携帯をポケットにしまった。同時に、視界の端にこちらに向かって来る人影を捉える。
「ごめーんゆう、お待たせ!」
手を拭いたのであろうハンカチを小さなハンドバッグにしまいながら、とたとたとみつきが走って来る。彼女はトイレに行っていたのだ。オレはそれを待っていたというワケ。
その謝罪に、首を振って応える。
「いや、いいよ。そんな待ってないし。今ナオさんにメールしといたから、すぐ行っちまおう」
「うん!」
元気よくうなずいた彼女の頭に軽く手を置いてから、並んで駅舎を出た。
ナオさんは本町の、駅から徒歩で十分ほど離れた少し入り組んだ場所に事務所、というか店を構えている。さすがに表立って堂々と銃工房を経営することはしておらず、表向きは別の店になっているのだ。ちなみに、職の表裏を問わずどちらも割と繁盛しているらしい。稼ぎ自体はやっぱり裏関係の方がいいみたいだけど。
ずっしりと重いガンケースを左手に提げて、夜の街を歩いて行く。隣をとことこ歩く楽しげなみつきを見て、たまにはこっちから話振るかと思い、口を開いた。
「みつき、」
「ん? どしたの?」
「なんつーか、相変わらず元気だったな、姐さん」
「そうだねー。いつも通りでよかった」
ほっと胸をなで下ろしながらみつきはそう言った。さっき電車の中で聞いたのだが、オレが病院から出て極と電話している間、みつきは頑張って選んだ服を光夜さんに褒められたらしい。それで彼女はごきげんなのだ。
みつきが言った通り、変わりなく姐さんは元気だった。まあ、逆に言えばいつもあのテンションというのが光夜さんの最も恐ろしいところではあるが。オレにとって。
「体調もよさげだったな」
「うん。ご飯もよく食べてたよ。最近は調子いいって言ってた」
そうは言っているがやはりみつきは少し心配そうだ。マザコンとかそういうの抜きにしても、自分の母親のことだし、無理もないだろう。
そんな彼女の肩に、軽く手を置いた。
「大丈夫だって。姐さんのしぶとさっていうか、強かさは最強レベルだから。たかがちょっと強い病気くれーに負けやしねぇよ」
そう、オレ達の親はみんな強い心を持ってる。真の意味で質実剛健が求められる特警にいたオレの両親は当然として、死の直前まで何にも屈せず、今夜の月のように柔らかい笑顔を見せていた月也さん。そして病と闘いながらも、やはりこの穏やかな夜のようにオレ達を包む光夜さん。もはやだれ一人としていつもそばにいることは叶わないが、思い出すだけで心の拠り所となる、強大な存在。
オレらにとっちゃある意味所長より強い、そんな人達だ。何が相手でも負けねーよ、みつき。
オレの言動に、みつきは一瞬きょとんとした表情を見せた。しかし、すぐに笑顔に戻り、
「うん、そうだね」
大きくうなずいた。
そうしているうちに、目的の場所に着いた。本町の表通りからは少し外れた場所にある、大きめのビル。そこに掛かっている看板に書かれた文字は【前田楽器店】。その名の通り、ナオさんは表向きには楽器店を経営しているのだ。店の隣には格安で借りられるスタジオもあり、よく若い兄ちゃん姉ちゃん達が中でギターやドラムの練習をしているのが小さく聞こえる。今日はまだ誰も利用していないらしく、中からは全く音がしない。
店の方に視線を戻すと、灯りは消えており、扉には【CLOSE】のプレートが掛かっている。点いているのは二階の電気だけだ。楽器店自体は十九時に閉店だが、ガンスミスの仕事はアポ取った時間にやってくれるから問題ない。
ひとまずノックしてみた。右拳でコンコンと扉を叩き、その後声を上げる。
「ナオさーん、来たよー。オレ、日向ー」
そのまま数秒待ったが、応答は無かった。建物は沈黙を守ったままだ。
「いないのかな?」
「いや、ナオさんはアポ取った時間は絶対守るはずだけど……。コンビニでも行ったのか?」
首を捻っていると、みつきが急に不安げな表情を見せた。そわそわしながらオレのジャケットの裾を引っ張る。
「もしかしたら、なんか事件とか……」
「いや、もし仮にそうでもナオさんになんかあったとは考えにくいな」
オレ達特警の隊員や、タカフミのような情報屋、ナオさんのガンスミスという、裏社会に直接関わる稼業を生業にする人間には、自衛手段が必須だ。いつどこで誰に恨みを買うか、どんな敵に襲われるかわからないだけに、何かしらの手段で自分の身を護らなければならない。その為の術をしっかり身につけているナオさんが、事件に巻き込まれてヤバい、という事態に陥るとは考えにくいのだが……。
試しに扉に手をかけて引いてみると、施錠された時の引っかかりが無く、扉はゆっくりと開いた。鍵はかかってない……。
さすがに心配になってきた。嫌な予感とかは特に無いが、万が一ってこともある。
(一応……、事件の可能性も考えなきゃな……)
懐に右手を突っ込む。もし、本当にもしナオさんがやられていたとしたら、相手は相当な手練れだ。しかもオレはみつきを護りながら戦わなければならないし、銃だって普段使わないハードボーラー。条件としては不利なことこの上ない。
「みつき、」
「ど、どうしたの……?」
「まあ、もしもってこともありうるから。なんかあったらオレから離れんなよ」
「わ、わかった」
ハードボーラーを抜いて構え、安全装置を解除して言うと、みつきは緊張した面持ちでうなずいた。
体でみつきをガードしながら扉を開けて、暗い店内に入る。入口にガンケースを置き、左手で携帯を取り出した。側面にいくつか付いているボタンの一つを長押しすると、二つ折りになっている端末の接合部辺りから眩い光が発せられた。流石に専用の物よりは性能が劣るが、フラッシュライト機能が付いているのだ。
点けたライトで辺りを照らしてみると、綺麗に陳列された楽器の数々、特にサックス等の金管楽器が鈍い光を反射した。他の楽器に比べてやけにサックスが多いのはおそらくナオさんの趣味だ。
鋭く辺りを照らし、見回す。何かが盗まれたような形跡もないし、敵が潜んでいる気配もない。この階には特に何も無しか……。
(ん? そういや……)
と、そこでふと二階の電気が点いていたことを思い出した。二階はナオさんの生活スペースになっている。一階は全部店用で、台所も風呂も布団も全部二階だ。
電気が点いてるってことは、ナオさんは今二階に……?
「あ゛……」
その時、脳裏に閃くものがあった。まだ事件の可能性が完全になくなった訳じゃないが、この閃きの方が事実である可能性が高い。
思い出した。ナオさんは一つだけ弱点(?)がある。つか、ほっとくと結構ヤバい。
「みつき、悪い。急ぐぞ」
「え? う、うん」
混乱するみつきの手を引いて、階段を駆け上がる。一応、二階の部屋へのエントリー時にはハードボーラーで辺りを警戒するが、やはり敵は潜んでいない。これで事件性はほぼゼロだ。
みつきを部屋で待たせておいて、まっすぐ風呂に向かう。見ると、ここにも電気が点いている。間違いない。ここだ。
「ナオさん!」
風呂の戸を勢いよく開ける。ナオさんの姿は無い。
と、思ったら、浴槽に張られた湯の表面に気泡がぶくぶくと浮かんでいる。
慌てて駆け寄ってみると、
「ちょっ、ナオさーん!?」
予想通り、ナオさんが湯船に沈んでました。寝たままで。
「いやー、ごめんごめん」
あははは、と笑いながらナオさんが謝った。なんで死にかけたのに楽しそうなのか。相変わらずユルい人だ、とかそんな問題じゃ済まされない気がする。
「ごめんじゃないよ、ったく。なんで沈んでるのに気付かないんだよ」
「いやー、あんまりにも風呂気持ち良くって」
なんかこのテンションを見てると、銃構えて警戒してた自分がひどくアホに思える……。ちなみに何故鍵が開いていたのか聞くと、風呂に入ってたらオレ達が来ても出られないからあえて開けてたらしい。無警戒にもほどがある。
「ナオさん、一歩間違ったら死んじゃうよ?」
ワケを知ったみつきも心配そうに言った。兄貴分が死にかけりゃそりゃ心配だろうよ。
「うーん、さすがに危なかったねぇ。寝るだけならまだしも沈んだら死ぬよねー」
いや、寝るだけでも十分危ない。
結局、溺れる前に急いでナオさんを起こし、風呂から上がるまで数分待っていた。今はリビングでコーヒーをごちそうになりながら、ナオさんの生死の狭間について話している。なんでオレ達は人ん家でコーヒー飲みながら家主の生死の狭間について語り合っているんだろう。改めて考えるとすっげぇシュールだ。
ひとしきりみつきと二人で危ない危ない言い続けると、ナオさんは「気をつけるよー」とやっぱりユルく言って、腰を上げた。
「さてと、仕事するかね。友、銃は?」
「ああ、一応警戒しながら上がってきたから下に置いて来た」
「ならちょうどいいや。工房に行こう。光月ちゃんはどうする?」
ナオさんがみつきに問うと、彼女はオレを見上げた。小首をかしげながら問う。
「ゆう、一緒に行っていい?」
「いいけど……、置いてあるのは銃器ばっかだしオイルの臭いとかけっこうするぜ?」
「だいじょぶ」
絶対退屈だと思うけどなぁ……。まあいっか。
「まあ、オレはいいよ」
「ナオさん、私も行くー」
「ん。じゃあ行こうか」
そう言うと、ナオさんは壁のフックに掛けてある工房の鍵を取って下の階に下り始めた。オレ、みつきもそれに続く。途中、一階でオレは銃二挺が入ったガンケースを取りに行き、ナオさんと一緒に更に地下に下りる。
地下一階に続く薄暗い階段を下りきると、そこにはいかにも重厚な扉がある。銀行の金庫の扉みたいな金属製のものだ。ナオさんが鍵を突っ込んで回し、機械にパスワードを打ち込むと、その扉はゆっくりと開いた。
工房に入ると、まずはオイルの臭いが鼻をついた。すぐにナオさんが壁のスイッチを押し、真っ暗な部屋を照明の光で満たす。一瞬、視界が白で埋まるが、すぐに目が慣れて風景は工房のそれになっていく。
「どっかテキトーに座ってねー」
メガネを押し上げながら言ったナオさんに続いて、更に室内に入る。
すぐに目に入るのは、壁に掛けられた大量の銃。M16、M14、M4、と言ったアメリカ軍関係のライフルから、AK、G3のような有名なライフル。ベネリやスパス等のショットガン。その他にも、それぞれを全て挙げればキリが無いほどの銃器が大量に置かれている。一見エアガンのショップみたいだが、当然全て実銃だ。あとは部品が入れられている棚や引き出し、工具のセットがバラバラと散らばっている。
「ごめんねー、散らかってて。昨日整備の依頼終わってから片づけてなくてさー」
壁際に置いてあった椅子を二つ持ってきて、一つをみつきに渡していると、ナオさんが部品を持って来ながら言った。確かに、前に来た時よりか散らかってるな。
作業台の上に散らばった部品を脇に避けて、出来たスペースにガンケースを置く。ロックを解除してケースを開けると、中にはオレのメインウエポンが二挺。コルト・パイソン6インチ、ブラックモデルの.454カスールカスタム。そしてデザートイーグル.357口径の同じくブラックモデル。鈍い光を黒く反射させながら、その二体の蛇と鷲はクッション素材の上に鎮座していた。
右手にパイソン、左手にイーグル。それぞれのラバーグリップを握り、ナオさんに差し出す。
「ん。じゃあお願い」
「はいはい」
ナオさんとオレのやりとりを、みつきは椅子に座ったままで不思議そうに見ている。そりゃそうか。普段関わることのない世界の光景を目の当たりにすれば、当然それは不思議にも見えるだろう。
まず、ナオさんは手なれた動作でパイソンを通常分解した。まあ、ぶっちゃけリボルバーの整備くらいなら自分でもできるのだが、たまにはその道のプロに見てもらった方がいいと思って、こうして時折ナオさんに整備をお願いしているのだ。
「んー、こっちは全然問題ないねー。普段からちゃんとクリーニングしてるでしょ」
「まあね」
分解し終えたリボルバーの部品を見ながら言ったナオさんに、うなずきを返す。銃を使う度に自分で最低限の整備をしておけば、少なくとも汚れが原因で起きるジャムの可能性はほぼ無くなる。もし整備を怠って、それが原因でジャムを起こし、その隙に死にでもしたら悔やんでも悔やみきれないからな。
手際良くリボルバーの整備、清掃を終えたナオさんは、再び部品を組み直して元に戻した。先ほどよりも美しく金属の艶を見せるパイソンがその姿を現す。
続いて、ナオさんはイーグルの分解に取り掛かった。整備やクリーニングの為に行う通常分解とは違う、本格的な修理の為の完全分解。数種類の工具を駆使して、丁寧かつ迅速に複雑な構造の自動拳銃を分解していく。
(相変わらず、すげぇな)
銃を扱った事があるからこそわかる、その動作の軽快さ。思わず魅入っていると、あっという間に一挺の自動拳銃はバラバラになった。
内部の方の部品を取り上げたナオさんが怪訝な顔をした。
「これはひどいな。友、何個か部品とかスプリングがひん曲がってるよ。どんな使い方したらこんなになんのさ」
背中から思いっきり叩きつけられてブッ壊れました、とはみつきの手前言えない。言ったら多分死ぬほど心配して質問攻めを始めてしまう。
「いや、まあ敵が強くて……」
バツが悪くなり、あさっての方向を向きながら言うと、ナオさんは呆れたように首を振って壊れた部品を取り除いた。やはり手際よく各パーツを洗浄して、一つ一つ歪みや欠損が無いかチェックしていく。それを終えると、『D・E』と書かれたボックスから壊れた物と同じ型で新品の部品を取り出して、再び元の形に組み上げ始めた。
「ナオさんって手先器用だねー。早いし、鉄砲のこととかよくわかんない私でも丁寧なのがわかる」
素早く組み上がっていく銃をさっきから凝視していたみつきが感嘆の声を上げた。大きな瞳をまんまるにして驚いている。
「まあ、ずっと師匠に教わってたからねぇ。それに俺がここでミスでもしたら、もしかしたら友が仕事中にピンチになるかもしれないからね。テキトーには出来ない作業だよ」
手は止めずにナオさんが照れ笑いを浮かべながら言った。その言葉には、職業としてより、職人としてのガンスミスのプライドが窺えた。こういう信念を持って整備をしてくれるからこそ、オレの両親はいつもここに銃を持ってきたし、オレもそれに倣っているのだ。生か死か。自分の命運を決定づける銃という武器を、この人になら預けて大丈夫だという、いい知れぬ安心感、信頼感がある。
「よし、出来た」
しばらくして、ナオさんが声を上げた。どんなものかと構えてみていたMP5を壁に戻して作業台に戻ってみると、綺麗に磨かれたデザートイーグルが鎮座していた。戦闘になると荒々しく破壊を撒き散らす鷲は、その時の熱など忘れているように大人しくしている。
「ありがと、ナオさん」
「いいよいいよ、仕事だからね。撃ってくる?」
「うん」
問に対してうなずくと、ナオさんは工房の入り口とは反対側にある扉を指さした。あまり広くはないが、防音完璧で設備も充実した本格的な射撃場があるのだ。
二挺の銃を一度ガンケースに収め、歩き出そうとした時、ナオさんが何か思い出したようにオレを呼びとめた。
「あー、そういや友ちょっと待った」
「あ? どしたの?」
立ち止まって聞き返すと、ナオさんは上の方(多分二階)を指さして言った。
「夕飯を作り過ぎちゃってね。みつきちゃんと一緒に食べてかない?」
「何作ったの?」
「親子丼だって!」
質問の答えはみつきのはしゃいだ声で返ってきた。イーグルの修理中、オレだけ作業台を離れていたからその時に二人で話してたのかな。
しかしこれは超魅力的な提案だ。ナオさんの親子丼はマジ美味い。卵のトロトロ具合とかもう神の領域だし。それもあってみつきも大はしゃぎなんだろう。
「ふーん。いいの?」
「いいよ。も、何人分よコレ? ってくらい作ったから」
「ならお言葉に甘える」
「あいよ。じゃあ上でみつきちゃんと準備してるから。撃ち終わったら来るといい」
「あんがと」
「あとでねーゆう!」
「ああ」
そうしてオレは、降ってわいた夕飯の楽しみに心を軽くしながら、シューティングレンジに向かったのだった。
ナオさんの所に言ってから一週間と一日が経った月曜日。銃は直ったし、親子丼はマジ美味かったしでテンション若干高い状態(……のはずがクラスメイトには「相変わらず機嫌悪そうな顔してんな!」と言われた)で日々を過ごしていたのだが、そんな浮かれた気分をフッ飛ばすメールが極から入った。
〈From:極
Sub:昼飯コロッケパンと焼そばパンどっちがいいと思うよ?
所長が今日ガッコ終わったら来いってよ〉
これはなんだ。件名はネタなんだろうか。
まあ、所長からお呼びがかかったってことは例の事件の真相が明らかになったんだろう。珍しく今回は時間がかかったな。
携帯を操作し、返信を打つ。
〈To:極
Sub:迷わず両方
了解〉
簡潔な内容だけ打ち込んで、【送信】を押した。そのせいでなんか本文より件名の方が長かったけど。
とにかくそういうやりとりが昼休みの間にあって、オレは今、所長室の前にいる。みつきはと言うと、極も呼ばれてるからと美咲が引っ張って行った。一緒に遊んでくるらしい。相変わらず空気を読むのが上手いお嬢様だ。
目の前にそびえる、所長室への扉を見上げる。この扉の向こうで、オレは真実を知らなければならない。事件の背景で何があったのか。オレの頭では皆目見当もつかないが、何か大きな力が働いていることはなんとなく感じている。しかも相手はオレ達を丸ごと実験材料に使うという、ケンカ売るようなマネまでしてきてるんだ。売られたケンカは問答無用で買う。
気を引き締めて扉をノックした。二度の乾いた音の後に、
「入れ」
所長の重い声が返ってきた。ドアノブに手をかける。
「失礼します」
扉を開けて室内に入る。相も変わらず殺風景な部屋の中にいたのは、椅子に座り、デスクに両肘をついて両手を組んだ所長と、帯刀してそのデスクの前に立っている真田先輩。
「先輩?」
「む、日向か」
こっちをチラリと振り向いた先輩がそう言った。先輩も呼ばれてたのか。会釈して、その隣に同じように立った。
(ってことはツジも……?)
そう思った矢先、背後でコンコンという音が響いた。誰かが外から扉をノックしているのだ。
「入れ」
オレの時と全く同じように所長が言うと、「失礼します」のセリフと共に扉が開いて小柄な人影が入ってきた。
「あ、友と先輩も呼ばれてたんだ」
紛れもなく、この前オレと一緒に戦った辻山鷹行、通称ツジだ。後ろ手に扉を閉めてから、同じくオレの隣に立つ。これで所長のデスクに向かって右から先輩、オレ、ツジが横一列に並ぶ格好になった。
しかし何故かツジはその瞬間、所長を見て怪訝な顔をした。どうした、と聞こうとしたが、その前に所長が口を開く。
「さて、ここに集まってもらった理由はわかっていると思うが……、」
「あの……、」
直後、ツジが遠慮がちにその発言を遮った。先輩が驚いたような表情でツジを見る。もちろんオレもそうだ。一応は所長の発言中なのに、何かあったんだろうか。
どうも合点がいかないといった表情のツジは、顎に手をやりながら口を開いた。
「……もしかして、澤田さん?」
ツジの発言に、その場の空気が固体化した。当然ながら、この場に存在しない者の名前が突如として挙がれば誰しも驚く。しかもツジが問を投げかけている相手は他ならぬ所長だ。だいたい質問の内容がそもそもおかしいだろう。
ツジに向いていたオレと真田先輩の視線が、今度は所長に向く。数秒、所長は同じ体勢を保っていたが、やがて組んでいた手をほどき、ボソリと一言漏らした。
「バレちまっちゃしょうがねぇ」
そう言って所長(?)は顔の下側を引っつかみ、手を上に動かした。その動きに伴って、皮のようなものが顔の表面からベリベリと剥がれる。
オレ、先輩が目を見張る前で特殊メイクを取り去り、そこに立っていたガタイの良い男性は、諜報部部長である澤田 渉さんだった。
「さすが辻山っちだ。よく見破ったな」
大仰な言い回しで、特警守川支部第二のジョーカー・バグキャラとの呼び声高い澤田さんはツジに言う(第一は本物の所長)。声まで所長そっくりに変えてたらしい。ちなみに、前に極が言ってた「諜報部最強の男」とはこの澤田さんのことだ。
え、ちょ、つか、
「何してんすか澤田さん!?」
マジで気付かんかった!
素っ頓狂な声を上げたオレに対して、澤田さんは、
「はぁ!? うるせーぞテメー日向このクズ! 貴様ごときのクソガキがこのオレにケチつけようなんざ二千万年早えぇんだよ!」
とんでもねぇ罵声を浴びせてきた。ちなみにこれは澤田さんにとって「おう、久しぶりだな日向」とだいたい意味を同じくする言葉らしい。どういう誤変換なのかオレが知りたい。
しかも、澤田さんは暴言だけで終わる男ではない。とにかくバイオレンスなこの人は、いつの間に抜いたのか、両手に二挺の銃を構えていた。
「ちょっ!」
ガンアクションマンガに出てくる主人公の海賊姉ちゃんをパクったらしい、ベレッタM92Fステンレスシルバーモデルのバレルを6インチに延長した物の二挺拳銃。しかもそれに加えてセミ・フルオートの切り替え機構まで備えたカスタム銃だ。ヤバい。確かにあのマンガは面白いが、だがしかしヤバい。
体は勝手に反応して直りたてのイーグルを抜いていたが、それよか避けないとヤバい。射線から体を外そ……、
「やめろ。澤田」
……うと思ったら、誰かが背後から低い声で言った。無機質で、感情の一切無いこの声は……。
「所長……」
振り返った真田先輩が、助かったと言いたげな苦笑いを見せる。先輩もさすがは特警隊員。澤田さんの銃が見えた瞬間、左腰に提げた刀に手をかけていた。ツジも似たようなもので、懐に手を突っ込んだまま固まっている。
こんな危険過ぎる状況にも所長は全く動じず、ため息を一つついただけで再び口を開いた。
「全員武器から手を放せ。それに、澤田。俺の代わりにここで待ってろとは言ったが、遊んでろとは一言も言ってないぞ」
「堅てぇこと言うなよ所長。珍しく昨日ちょっと負けが続いて気が立ってただけさ」
両脇の下に吊るしているショルダーホルスターに、それぞれ銃一挺ずつを収めながら澤田さんが言う。珍しく負け、ってのは多分またギャンブルだな。この人凄腕のギャンブラーらしいから。パチンコ屋から商品を山のように持って出てきたのを見た事ある人がいるらしい。
オレもイーグルをバックサイドホルスターにしまい、先輩、ツジもそれぞれ武器から手を放したところで、澤田さんが所長のデスクから退いた。
デスクの本来の主である所長がその椅子に座り、数枚の書類を卓上に置いた。
瞬間、室内の空気が痛いほどに張りつめた。この支部内で、所長以外は誰も出す事の出来ない、鋭く切れるような雰囲気。心の弱い者はこれだけで足がすくんでしまう。そう言っても過言ではない。この威圧感こそ、この人が所長たる所以だろう。
「さて、今日お前達を呼んだ理由についてはもうわかってるはずだ。例の薬物狂化体の事件についての詳細が挙がってきたからな。それの伝達をする。とりあえず事件の詳細について、澤田、頼んだ」
書類の一枚を澤田さんに渡しながら所長が言う。それを受け取った澤田さんは、先ほどとは打って変わって冷静な声で説明を始めた。
「現場の状況なんかはお前ら、特に日向と辻山はわかっているとは思うが、一応説明するぞ。今回相対した薬物狂化体、以下狂化体と略すぞ。狂化体は今までにない変化を見せた。この変化の前を第一段階、後を第二段階とする。ここまではいいな」
オレ達三人がうなずくと、澤田さんは続けた。
「まず第一段階。お前達が藏城に話した内容を聞いたが、文字通り狂って暴れまわる通常の狂化体よりもかなり様子が落ち着いていたらしいな。かといって能力的に弱いと言う訳でもなく、むしろ強力なままで冷静な判断力、戦闘力を持った、今までの狂化体よりも性質的に進化したものと考えられる。特に、本格的な格闘術まで使っていたというのは前例が無い。銃よりも格闘術重視、おまけにパワーにスピードとタイプの違う日向と辻山に柔軟な対応を見せたのだから、実力は本物だろうな」
確かに、タイプ的には正反対のオレ達にもそつなく対応していた。打撃だけでなく関節技まで狙ってきたし、達人と称される実力者となんら変わり無い格闘レベルだろう。
「さて、次は今回の事件で重要な項目の一つ、狂化体の第二段階についてだ。何者かが、おそらく死亡状態にあった狂化体になんらかの物体を遠隔からの狙撃で撃ち込み、それによって狂化体が蘇生。更には筋力、敏捷性、反射神経等、およそ戦闘における全ての重要な要素が増強し、性質も通常の狂化体と同様、力任せに暴れまわるといったものに変化したと。辻山がリミッター解除と称した状態だ。間違いないな」
「はい」
「間違いないです」
澤田さんの問いかけに、オレ、ツジの順で答えた。真田先輩はうなずきながらその説明を聞いている。
一度書類に目を落とした澤田さんが、再び顔を上げた。
「これについては、狂化体の遺体を解剖した結果と、処理班の現場検証によって詳細が判明した。詳しいことはまだ調査中だが、どうやらリミッター解除を施す専用の弾丸を狙撃で撃ち込んだらしい。証拠を残さない為か、人体で自然に融ける素材で作られた弾丸だったようだが、幸運にも融けきらずに弾頭が体内に残っていた。まあ、かなりおおざっぱなイメージで言えばこっちで言う『Re-BIRTH』を狙撃で撃ち込めるようなもんだな」
本当にかなりおおざっぱな例えだが、似通う点はある。ただ、敵のリミッター解除とオレ達の『Re-BIRTH』の一つ大きな違いは、死亡状態から蘇生して能力を強化するか、瀕死の状態から疲労と負傷を無くすか。つまり状態をプラスにするか、ゼロに戻すかだ。当然ゼロよりはプラスの方が強力だし、何より敵の技術では遠隔からその強化を施すことができる。
隣に立っている先輩が、小さく唸った。
「こちらからすれば、相当厄介な技術ですね。ただでさえ強力な狂化体、それも格闘術を用いて効率的にこちらを追い詰めてくる相手だと言うのに、それを苦労して倒したかと思えば更に強化されて復活するとは……」
先輩の意見に、所長、澤田さんの両者が首を縦に振った。
「真田の言う通りだ。当然、狂化体の第一段階を倒すだけでも隊員はかなり苦戦するだろう。苦戦し、疲労、あるいは負傷した状態で更に第二段階と戦わなければならないとなれば、今度は隊員が圧倒的に不利だ。こっちにも『Re-BIETH』という手段こそあるが、相手の技術に比べると制約が多過ぎるからな」
所長が冷静に現状を分析する。的を射た指摘に、その場にいた全員がうなずいた。
澤田さんは咳払いを一つすると、更に続ける。
「そしてもう一つ重要な点、かつオレが一番腹立たしい点だ」
そう言った澤田さんの声には、明らかに怒りが籠もっていた。理由はわかっている。澤田さんは諜報部の部長。それだけで十分過ぎるほど、今回の事件は異質な事態が起こっているのだ。
「澤田、」
所長が何か言おうとしたが、澤田さんはそれを手で制した。「わかってる」と小さな声で言い、再び事件の概要を話し始めた。
「誰もが予想外だったと思うが今回、戦闘員と、現場にいた諜報部全員の連絡が途切れるという事態が起きた。これも特警創立以来、過去に前例が無い事態だ。少し人員が足りず、現場にいた諜報部員は六人だったが、その全員が――、」
そこで一度澤田さんは言葉を切った。溢れ出しそうな感情を必死に押し込める為に、固く唇を噛んで、握った拳を震わせながら、ゆっくりと続きを紡ぐ。
「何者かに襲撃されて……、死亡、していたらしい」
誰も何も言えなかった。特警に在籍している以上、死とは日常にいつも付きまとう問題だ。誰もが死を覚悟して入隊し、日々の任務に身を投じていく。仲間の死だって、当然いつ訪れてもおかしくはない。
だが、だがそれでも、澤田さんは部長だ。自分が育て、共に諜報部として過ごしてきた部下を失うことは、同僚を失うのとはまた違う辛さがあるのだと思う。それはオレにも、ツジにも極にも、真田先輩にだってわからない痛み。そんな身を裂くような痛みをいくつも越えて、この人達は各部署のトップに立っている。さっきの妙な激しいテンションも、負けが続いたギャンブルも、その吐き出しどころのない辛さを誤魔化す為の行動だろう。そうして明日も、何事もなかったかのように任務に赴くんだ。凄まじい精神力だと、強く感じた。
変色するほど強く握った拳を壁に叩きつけようとした澤田さんは、それを途中でやめた。無理矢理といった感じでその拳を開くと、静かな声で続ける。
「知っての通り、諜報部は特警の中でも最も万能と言われる部署だ。戦闘員ほど専門的にではないが、護身の為の戦闘技術も当然鍛えられる。得た情報を確実に持ち帰り、次からの戦闘に活かすことを最優先とするべく、戦闘員の任務に関わることは原則上禁止されているが、自身が生還する為にはその戦闘員にも劣らぬほどの実力を発揮する。その諜報部がやられたとなれば、相手の強大さは理解できるだろう」
澤田さんの発言に偽りはない。諜報部の戦闘力はオレ達戦闘員より若干劣る程度で、そんじょそこらの犯罪者なら余裕で返り討ちに出来る。実際部長である澤田さんはオレ達よりも強いくらいだ。つまりその諜報部を全員殺したという敵は、相当な実力者であることがわかる。
オレ達がうなずいたのを見て、澤田さんは書類をデスクの上に戻した。辛そうな表情のままで、報告の終わりを宣言する。
「事件の概要については以上だ。あとは所長から」
そう言って、澤田さんは一歩後ろに下がった。話し手を引き継いだ所長は、残りの書類を手に取ると、澤田さんの肩を一度叩き、立ち上がった。
「俺からは、敵そのものについての説明をする。この話は三人とも、特に日向、お前は落ち着いて聞け」
「オレすか」
突如名前を出され、少し慌てる。わざわざ名指しで注意するとは、どういうことだろうか。
何か、嫌な予感がしてきた。はっきりと認識できない、黒い霧のような予感を胸に抱えたまま、所長の言葉を待つ。
数秒、所長はオレの目を見ていたが、やがて書類に目を落とし、本題に入った。
「今、澤田から報告のあった通り、敵はかなりの手練れだ。敵にとっては厄介な存在である特警諜報部を先に始末しようという発想はごく自然だが、それを本当にやってのけるんだからな。だがお前達も知っての通り、ウチの諜報部員を全員抹殺するとなれば、それが出来る相手はかなり少なくなる。……いや、はっきり言おう。ほぼ無くなると言っても過言ではない」
オレ達三人全員が、強くうなずいた。
「実際、敵についての調査で一週間を費やしたようなものなんだ。何しろ敵の正体に繋がるような情報がほとんど見つからなくてな。だが、澤田を始め、諜報部のヤツらが、仲間の仇を討つ為に必死で探索してくれたよ。その結果、」
所長はおもむろにデスクの引き出しを開けると、中から何か小さな物を取り出して、オレ達に見えるように持ち上げた。
「コイツが、見つかったんだ」
それは、ケースに入ったマイクロSDカードだった。それも一般の物ではなく、特警仕様の防水、防塵、耐衝撃性に優れた物だ。
更に所長は小型のプロジェクターを取り出すと、それにSDカードをセットした。その後プロジェクターを少し操作すると、部屋の白い壁に一枚の画像が投影される。
その画像に写っていたのは、一人の男だった。しかし顔は写っておらず、個人を特定できるような情報は何一つ見当たらない。わかるのは、その男が防弾衣、というよりは戦闘服を着て腰に減音器を装着した拳銃……、おそらくFN社のFive-seveNを吊っており、どう見ても表の人間ではないということだけ。男は携帯を取り出そうとしたところのようで、ポケットから半分ほど覗いた端末を右手で持っている。場所はどこかビルの屋上、だろうか。
察するに、この男が敵、ということだろう。だが、この画像だけじゃ敵が使用している銃の種類くらいしかわからないんじゃないか。
「所長、この男が敵ってことですか? でもこれじゃ得られる情報がほとんどないんじゃ……」
まさにオレが今思っていたことを、ツジが所長に問うた。しかし、所長はすぐさま首を横に振る。
「いや、この画像には敵の正体を限定しうる情報が写っている。とりあえず辻山の言う通り、この男が敵というのは間違いないはずだ。実はこの画像が入ったSDカードは、今回殉職した諜報部員のうちの一人、名前は木戸 義治というが、彼の物でな。その木戸が潜伏していたビルの前にある植え込みに、このSDは落ちていた。おそらく写真に写っている男に襲撃され、瀕死の状態となったが、最後の力を振り絞って敵の姿を携帯のカメラで写したんだろう。そして撮影した画像を敵の手から守る為に、SDを携帯から抜き取ってビルの屋上から投げた。お前達も知っていると思うが、特警の携帯で撮影した画像は本体とSDの両方に保存される。携帯端末の方はデータを全て消去された上に完全に破壊されていたが、敵に見つからなかったSD内のデータは無事だった、という訳だ。澤田、上司として誇りに思え。お前の部下は死してなお、諜報部員の任務を立派に果たしたぞ」
所長の言葉に、澤田さんは強くうなずいた。悲しみを無理矢理飲み込むように、「木戸、よくやった……」と小さく呟きながら。
所長もまた、小さくうなずくと、もう一度プロジェクターを操作する。すると、壁に映し出されていた画像が拡大された。それにも関わらず画像が鮮明で細部まで見えるのはさすが特警の技術といったところか。
画像は、男が手にしている携帯端末を中心に拡大された。所長はオレ達三人の目を順に見ると、強い口調で唸るように言った。
「よく見ろ。この携帯、見覚えがあるだろう」
その言葉に押されるようにして画像を見た。その瞬間、
「これは……!」
「っ!」
「……!」
先輩は目を見張り、ツジは息を呑み、オレは頭に血が昇った。反応は三者三様、しかし抱いた感情は全て驚愕。それほどの衝撃を、その画像はオレ達に同時に与えたのだ。
画像に写っている携帯。オレ達特警が持っている携帯に外見はそっくりだが、一つだけ違う部分がある。端末の表面に刻まれている、尾を噛んで無限のマークをかたどった蛇、ウロボロスのマーク。それこそが所長の言った、敵の正体を限定しうる情報……!
これは……、
「因果……!」
無意識にオレの口から漏れた言葉に所長も澤田さんもうなずいた。すぐに所長が口を開く。
「そう、この一件には、因果の連中が関わってる」
『因果』。現代の日本で、最も巨大とされる犯罪組織だ。凶悪犯罪の起こるところには、必ず因果の影があると言われている。いや、そう噂されている、と言った方が正しいか。何せその存在すらはっきりと確認されてはいないのだ。人数、本拠地、首謀者等、全ての真相が闇に包まれており、特警ですらなかなかその情報を得られていない。百人で一人を殺したことがあれば、一人で百人を殺したこともあるという。わかっていることと言えば、ヤツらが特警と同程度かそれ以上の技術力、戦闘力を有しているということ。そしてウロボロスのマークが刻まれた携帯を持っているということ。オレ達と同じく殺しをためらわない連中だということ。
標的は人間のみならず、建造物、車両に船舶、航空機となんでもござれ。つまり因果とは、テロリストであり、殺し屋であり、暗殺者でもある。今回同様、これまでにも幾度となく特警は因果と戦っており、犠牲になった隊員の数は数え切れないほどだ。特警にとって最も厄介で、強大な宿敵と言える。
だが――、
「また、アイツらが……!」
だが、それだけじゃない。それ以上に、オレには切っても切れない因縁が奴らとの間にある。
うつむいて低く、絞り出すような、凶悪さすらうかがえる声で呟いたオレを、真田先輩もツジも、いたたまれないような、やるせないような表情で見ていた。今にも銃を抜きそうなほどに拳を震わせているオレを見かねてか、所長が咎めるような口調で言う。
「日向。言っただろう、特にお前は落ち着いて聞けと。今は私怨を挟む時じゃない。死ぬ間際にまで職務を全うした木戸がせっかく残した手がかりだ。それを無駄にすることは俺が許さん」
――ああ、わかってるさ所長。わかってるけど……!
こればかりはいつまで経っても割り切れない。少し自我を失えば、例え画像だとわかっていてもそこに銃弾をブチ込んでしまいそうになる。オレ達の手が及ばない場所で奴らがまた誰かを苦しめていると思うと、体の奥底から溢れ出そうとする苛立ちの業火を止められなくなる。復讐の為だけに銃を抜けば奴らと同じだと、わかっているのに。
オレが何故ここまで因果に対して私怨の炎を燃やすか。理由はただ一つ。
――奴らが、因果こそが、父さんを殺し、オレが母さんを撃つきっかけを作った組織だからだ。
オレが抱くエゴの根源、最大限の殺意の矛先。因果という組織を滅ぼす為に、俺は特警で非合法を合法にねじ曲げて殺しを続けている。オレが生きる理由も、戦う理由も、全てはみつきを護り、奴らを潰すことにある。それだけの存在意義を纏って、オレは生きている。この炎が消えるのは、自らの手で因果を討ち滅ぼした時だけだ。
そう、所長の言う通り、全て私怨。それをわかって所長はオレに忠告したのだろう。
本当なら、今すぐにでも衝動を爆発させてしまいたい。だが今は、奴らに近づく情報が少しでも必要だ。それに、部下を大勢失った澤田さんの手前、自分の身勝手な行動は許されないと、頭の片隅に僅かながら残っていたオレの冷静な部分が叫んでいた。
目を閉じて、頭の中を冷やしていく。拳の震えが治まり、熱が引くのと同時に、口元を何か液体が伝っているのに気がついた。右手で拭ってみると、べっとりとした感触と共に手の甲が紅く染まる。どうやら無意識のうちに唇を噛み、そこから血が流れていたらしい。
オレの様子が落ち着いたのを見て、所長はプロジェクターの電源を切って片づけた。既にデータのコピーは済んでいるらしく、抜き取ったSDはその持ち主の上司である澤田さんに渡した。
それらの動作を終えると、所長は椅子から立ち上がった。ただでさえ圧倒的な威圧感が、より強く感じられる。まるで無理矢理抑えられている所長の感情が漏れ出しているかのようだ。
「とにかく、恨みがある無いに関わらず、因果は俺達の最大にして最強の敵だ。お前らは今回の事件で今までにない凶悪な技術を目の当たりにした。恐怖を体現するような、恐ろしい技術だっただろう。だが忘れるな。奴らは事件そのものを実験に使って罪なき一般人を大勢殺害し、その上俺達の仲間の命を奪った。しかしそんな中でもなお、その仲間は特警の一員として奴らにつながる手掛かりを残したんだ」
どこか厳かにも聞こえる、所長の強い声。この人にしか出せない迫力を内包したこの声は、オレ達に事実を再確認させると共に、任務途中で殉職した仲間への懺悔と、感謝を語った。
澤田さんだけでなく、所長だって悔しいのだろう。特警全体の長である所長にとって、殉職した諜報部員は直属でこそないが部下であることに変わりない。普段から部下の命を最優先して考える所長のことだ。きっと自分を責めたに違いない。それでもこの人には、落ち込んでいる暇なんて無いのだ。自分が折れれば、また失われる命があるとわかっているから。
「特警の誇りにかけて、とは言わない。元々俺達は、立場以外は人殺しとなんら変わりないんだ。だが俺達が一つ持っている物は、特警のではなく自分自身の誇り、プライドだ。そのプライドと、命を落としながらも俺達に情報を残した仲間の恩に報いる為、」
一瞬の静寂。そして、
「必ず、因果を叩き潰せ!」
空気が震えた。ビリビリと、鼓膜を揺らしてそのまま体内で揺れるような。珍しく部屋中に響き渡るほどの大声で言った所長。少しでも敵に対して臆する心があれば、その心ごと殴り飛ばす、力を直接空気に乗せたような声だ。この人は凄い。己の発する声一つで、人の心を動かし、鼓舞する。こればかりは、支部内のどこを探しても真似出来る人間はいないだろう。
だが、何も問題はなかった。この場には、いや、この特警守川支部の中には、未知の敵や技術を相手にして、臆し、逃げ出すような隊員はいない。例え初見で恐怖を覚えても、それを戦いへの力に変える。戦場に立てば、体は目標に向けて勝手に動くのだ。
それが生きる為に戦う、オレ達のプライドだ。
「了解、必ず!」
部屋の中にいる所長以外の四人、全員の声が重なった。
FILE3、終
今回ヒロインの影薄っ!?