FILE3.5:生きた者の義務
今回ちょっと場面の切り替わりが多いですね……
先ほど闇に浸食されていった景色が、今度は眩い光で埋め尽くされていく。鋭利な銀色が、意識の闇黒を切り裂いていく。目の前に開いていた死への扉が閉まり、霞むようにして消えていった。
――まだ、死んでないのか。
光が一際明るくなり、思わず目を閉じた。オレの疑問に応えるように迸ったその光に全身を包まれ、再びゆっくりと開眼した時、意識の中の世界は消えて、そこには現実が戻ってきていた。
それと同時に、何かを突き刺し、貫いたような鈍い音が聞こえた。未だ朦朧としている意識を必死に働かせて視線を下げる。そこには、信じがたい光景があった。
あれほど死人のような、生気の無い瞳をしていた狂化体の目が、大きく見開かれたのだ。今までとは違う、普通の人間と同じような瞳で、何かに驚いたような表情をしている。
途端に、喉にかかっていた力が一気に弱くなった。一瞬で拘束は緩み、力を無くした相手の腕が、ずるずると下に落ちる。それに伴って、空中にあったオレの体もゆっくりと下降した。もがきながら空を掻いていた足が地面を捉える。
そして下降と共に視線が下がったその瞬間、見えた。相手の左胸から突き出しているモノが。意識の闇を斬り払い、オレの命を救ったその一閃が。
(刃……)
そう、相手の心臓を貫き、突き出していたのは、白銀の刃だったのだ。神々しいまでの獰猛さを放ちながら、血に濡れた刀身は日の光を反射している。その光は、全てを忘れて魅入ってしまうほどに美しい。
地に足は着いたが、その足に力が入らない。踏ん張りきれずに膝を折ってしゃがみ込んでしまった。
「ゲハっ……、ゴホっ……」
急激に呼吸を再開して、激しく咳き込む。それと同時に、上から何か生温かい液体が降ってきて、顔にかかった。目の付近の液体だけ腕で拭ってみると、べっとりとした感触と共に、その腕は真っ赤に染まった。
血液。そう認識して上を向くと、相手の口元もオレの腕と同様、鮮やかな紅に濡れている。どうやら相手が吐血したようだ。見る見るうちに相手の荒く、早い呼吸が落ち着いていき、常人のそれとほぼ同じスピードになった時、先端だけ見えていた刃が不意に引っ込んだ。
その瞬間、オレ同様に相手の体が崩れる。膝をついた後、糸が切れた操り人形のように地面にうつ伏せに倒れ伏した。この数時間の凶暴性を疑いたくなるような、あまりにあっけない結末。だが当然だろう。オレの銃とは違い、あの刃は確実に相手の心臓を射抜いたのだから。体の根幹を貫かれて死なない人間はいないのだ。
元・狂化体が崩れ落ちて、その後ろに人影が現れる。太陽を背にし、逆光ではっきりと顔は見えないが、それが誰かを見間違える訳がない。その存在はあまりに強大だから。
「どうした、日向。お前らしくもない」
この状況に終止符を打った張本人、真田拓海は、とても落ち着いた口調でオレにそう語りかけた。
「真田先輩……」
もしかしたら、自分はもう死んでいて、今見ているのは幻なのではないか。疑念を抱きながらその名を呼ぶと、目の前の人影はゆっくりとうなずいた。その動作は完全に現実のそれだ。
どうやら、ホントにオレは生きてるらしい。吸いこむ空気も、肌に感じる気温も、ついでに喉に残る痛みも全部本物で、自分が生存していることを再確認させる。
無様にしゃがみ込んだオレの目の前で、先輩は美しく光る日本刀を二、三度振るうと、腰にさした鮮やかな朱の鞘にその刀身を収めた。納刀の瞬間、鍔と鞘がぶつかる独特の高い音が小さく響く。
流れるような動作で武器をしまった先輩が、手を差し出してきた。
「立てるか?」
うなずいて、その手を掴んだ。
一つ年上の真田先輩は、高校、特警の両方で先輩だ。銃を一切使わず、刀一本で闘う戦闘スタイルながら、若手では最強の実力を誇っている。かの有名な戦国武将一族、真田家の末裔だとかそうじゃないとか。
掴んだ先輩の手に引っ張り上げられ、なんとか立ち上がることが出来た。未だ膝は震えているが、根性で力を入れる。
「体は動くか?」
「まあ、なんとか……」
先輩の問に、歯切れの悪い返事をする。なんというか、無様な自分の姿を思い出すと、バツが悪かった。
しかし、すぐに自分の面子より大切なことを思い出した。オレが生きていようが死んでいようが関係ない。アイツは……!
「先輩、ツジは!?」
「辻山なら大丈夫だ。腕にヒビくらいは入ったかもしれんが、死んではいない。脳震盪を起こしていたようだぞ」
動揺して問うたオレに、先輩は落ち着いた口調で答えた。そうか、ツジが動かなかったのは、脳震盪で……。
ひとまず相棒の安否を知って胸をなで下ろしていると、先輩は不意にオレから離れ、数メートル先に落ちていたパイソンを拾った。再びこちらに向かって歩きながら、それをオレに投げてよこす。
右手でキャッチし、異常が無いかを確認して、右腰のホルスターに銃をしまう。さすがリボルバーだけあって、落下の衝撃だけじゃどこも壊れてはいなかった。けど、イーグルは本格的に修理だな。
それにしても、なんで先輩はここにいるんだろう。確か、今日は別の任務で出てたはずだ。先輩のボディーアーマーに乾いた返り血が付いてるから間違いない。
「先輩、なんでここに?」
携帯を取り出して何かを確認していた先輩は、オレの質問に対してゆっくりと答えた。
「なに、私も別任務で出ていたのだが、予定より随分早く片が付いてな。ちょうど帰ろうとしていた時に、『念の為、辻山と日向に加勢してくれ』と所長と藏城から連絡があったのだ。お前達が出ているのなら大丈夫だろうと思ったのだが、諜報部の件を聞いて嫌な予感がした。ギリギリだったが、助太刀が間に合ってよかったよ」
先輩の言葉には、オレ達後輩を思う心からの心配が込められていた。なるほど、先輩が急に現れたのは、そういう理由からだったのか。どうりでタイミングがいいはずだ。
「そう、スか……」
そう返答して、俯く。唇を噛んで拳を握ると、その拳は小刻みに震えていた。
助けられたのは、当然ありがたいことだ。先輩が来てくれなければ間違いなく死んでいた。しかし、助太刀が必要と判断されたということは、オレ達では力不足と判断されたことに等しい。
オレと、ツジの二人がかりでも、あの狂化体を止められなかったのだ。
(クソっ……!)
『無力』という二文字が肩に重くのしかかる。それを生み出したのは、紛れもなく自分自身の弱さに他ならない。リボルバーで心臓への狙いを外したのも、最後にジャムったのも、全てオレという存在の弱さが生んだ結果。自ら死を招き寄せたようなものだ。
固く噛みしめた唇から、血が滴る。まさしく、痛感だった。自己への戒めを、痛みで感じた。
先輩はしばらく黙っていたが、オレの足下に紅いモノが散ったのを見て徐に口を開いた。
「処理班は私が呼んでおいた。それと、医療部の救護車もな。辻山ももちろんだが、お前もそれに乗って一旦本部に戻れ。ちゃんと治療を受けた方がいい。無傷では無いのだろう?」
「いや、大丈夫です。バイクもあるし、自分で戻って報告を……、」
虚勢を張って歩き始めようとした、その瞬間だった。
「っ……!?」
膝、というより足全体から力が抜けて、立っていられなくなった。いや、足だけじゃない。湯を張った風呂桶の栓を抜いたように、全身から力が急激に抜けていく。
地面に膝をついた。そのまま体はからっぽになるかと思ったが、そうはいかなかった。力が抜けた代わりに、凄まじい激痛が体中を満たしたのだ。
「っづぁ!?」
視界が黒くなって、白くなって、また黒くなる。それを数回繰り返した後、ぼんやりとする景色の中に、目を見開いた先輩の顔が見えた。端正な顔立ちに驚きを浮かべながら、先輩はオレの隣にしゃがむ。
「これは……。日向、お前アレを打ったのか?」
先輩は、自分のタクティカルジャケットのポケットを叩きながら言う。その質問に、なんとかうなずきだけ返し、肯定の意を示した。
普段『Re-BIRTH』のことを忘れていると言っても、「なんとなく思い出せない」程度なので、オレの様子を見れば薬の副作用というのは先輩もわかるのだろう。本来体が限界で動けない状態から、痛みをアドレナリンで打ち消している状態で激しく動き回るため、薬の効果が切れた後は打った時よりも痛みが増して帰ってくる。
「なるほど……。アレを思い出すほどの相手だったか……」
先輩は携帯を取り出しながら、小さく呟いた。とうとう吐き気を催して、嘔吐したオレの背中をさすりながら、操作した携帯に向けて喋る。
「戦闘員、真田です。救護車の手配、もう一台お願いします。ええ、一人『Re-BIRTH』を打ってまして。専用治療の出来る物で。それと、バイク二台の運搬を……、」
その声を聞きつつ、オレの意識は落ちた。眠ったんじゃない。体に色んなものが蓄積し過ぎて、容量オーバーで気絶したのだ――。
日も暮れ、夜の帳が下りた二十時、オレは特警の医療部棟で目を覚ました。というより、意識を取り戻した。多少体に痛みこそ残っていたものの、その時には既に起き上がれるくらいに回復しており、折れたあばらも、『Re-BIRTH』を打った副作用も、治療された後だった。
真っ白なシーツの敷かれたベッドから体を起こすと、ちょうど担当医療師が病室に入ってくるところだった。その医療師に話を聞くと、安静にする必要はあるが、もう動いていいとのこと。相変わらず高度な医療技術に感心しつつ医療師に礼を言って病室を出ると、そこにはツジと真田先輩が待っていた。
ツジの脳震盪は、幸いすぐに回復したらしい。腕の骨に入ったヒビと、数か所の打撲だけ治療を受けたと本人が説明してくれた。一般的に見ればけっこうな怪我だが、特警隊員からすれば一日で治る骨のヒビくらい日常茶飯事。負傷がその程度で済んだことに対してツジは、「まあ、僕は回避がメインの防御だから」と苦笑していた。
ツジとオレ、お互いの無事を知ったところで、まずは真田先輩に二人で礼を述べた。先輩が来なければオレは喉を潰されて死んだだろうし、気絶していたツジもやすやすと殺されたはず。それに対し先輩は、「気にするな、仲間の危機に助太刀するのは特警として当然のことだろう」とうなずいた。
その後、所長への報告をしようとしたのだが、それは先輩に止められた。理由を問うと、今日はオレ達三人に直帰命令が出たらしい。治療が済み次第各自直帰し、報告等は後日とのこと。
例外こそあるが、こういう時はたいてい事件の調査が完了していないというのが通例だ。この前の銀行強盗と同様に、不意に現れた脅威を抹殺することが先決だったため、事件の背景や内容の調査に時間がかかるのだろう。特に今回は現場で諜報部隊員全員への通信が途絶えるという、前代未聞の事態が起こっている。諜報部や処理班、情報管理部が慎重になるのも無理はない。
オレとツジの疲れも相当だったし、先輩も当初は別の任務で出動だった。とりあえず今日は解散、事件の反省や分析なんかは後日報告の時にするということで、オレ達三人は報酬も受け取らずに帰宅したのだ。
「はあ……」
大きく、深く息を吐き出す。事件の一部始終を思い出すだけでも、まるでもう一度事件を体験したかのように緊張していた。忘れるほどに小さくなっていた体の痛みが再び戻ってきた。深呼吸を繰り返すことで、張っていた神経が少し緩ませる。
あまりに色んな事があり過ぎた。狂化体が更にもう一段階リミッターを外されるとか、大事な場面でジャムるとか。だというのに、未だに事件の全貌どころか、内容の欠片すらも見えてない現時点では、イマイチ頭の中で情報を処理しきれない。三十年前のコンピュータに、現代のスーパーコンピュータ並の処理をさせようとしてるようなもんだ。
(でも……、)
だけど、ただ、はっきりと一つ言えることがある。あまりに高く、目の前に立ちはだかる現実。オレが眠れないのは、その現実から逃げられないからなのだ。
本来ならオレは既にこの世にいない、という、あまりに恐ろしいその現実から。
先輩の助太刀があってなんとか助かったが、実質オレはあそこで死んでいるのに等しい。だってそうだろう? もし、先輩が来るのが一瞬でも遅かったら? 極と所長が念の為先輩に連絡しなかったら? 『Re-BIRTH』の効果が先に切れていたら? そんな死の理由を偶然にも回避して、オレは今生きている。だが逆を言えば、それだけ命を落とす危険があったということに他ならない。そう考えると、今こうして布団の上に横になっているのが不思議に思えるくらいだ。
そして何より腹立たしいのが、それらを引き起こした原因が全て自分の弱さにある、ということ。
たらればを言っても意味が無いのはわかってる。けど、相手がリミッター解除した瞬間に恐怖したのは誰だ? ツジが作った千載一遇のチャンスを、射撃ミスで逃したのは? 最後のジャムだって、即座に切り替えてナイフを取り出していれば、あるいはトドメを刺せたかもしれない。それがなんだ。ジャムと認識した途端に考えたのは「逃げる隙は無い」だと?
それがオレか。特警隊員の日向友かよ……!
「クソっ……!」
無声音で小さく漏らし、床を地面で殴りそうになるが、隣にみつきが寝ているのを思い出してやめた。
強く握っていた拳を解いて、両目を手のひらで覆った。真っ暗になった視界の中、再びため息を大きく吐く。
頭では理解してる。弱いんなら、強くなればいい。恐怖を押さえこめるほどの強さを手に入れればいい。
「ああ、ちくしょォ……」
強くなりてぇ……。誰が、何が相手でも負けないくらい。どんな相手でも即座にブッ倒して、早くみつきのもとに帰れるように。父さんや、母さんや、所長にだって負けないほど、強くありたい。
どうせ戦うことしか能が無い人間なんだ。願うのは、それだけでいい。
そこまで考えたところで、疲れを思い出したかのように体が不意に重くなった。思考が一段落したからだろうか。それに伴って、痺れるような眠気も襲ってきた。
目を覆っていた右手を、体の横に戻した。
(寝よう……)
深く考えるのは、報告の時に全てを知ってからだ。その前に、光夜さんの見舞いに行かなきゃいけないし、ナオさんの所に銃の修理も頼みに行かなきゃならない。今は、ゆっくり眠って疲れを抜こう……。
「んー、ゆう……。おかーさん……」
一足先に見舞いに行った夢を見ているらしいみつきが、何やら寝言を言っている。少し表情を崩して、その頭を数度撫でてから、目を閉じて意識を手放した。
「……ぅ、ゆう?」
水の底から、だんだんと水面に浮かんでいくような感覚と共に、自分の意識を認識した。閉じたまぶたを光が照らしているようで、やけに眩しい。ああ、朝か。なんとなくそうわかった。
その瞬間、体が小さく揺れていることに気が付いた。地震、じゃないな。誰かに揺すられてるのか。
「ゆう、起きて」
聞き慣れた声で名前を呼ばれ、薄ぼんやりとした意識がだんだんと覚醒する。朝なら、起きなきゃな……。
「ん……」
「ゆう? 起きた?」
視界が眩しいのを我慢しつつまぶたをこじ開けると、みつきの声がはっきりと聞こえた。薄ピンクのパジャマを着たまま、仰向けに寝ているオレの顔を覗き込んでいる。ふんわりと柔らかくほほ笑んで、起床したかの確認をしてきた。
頭を掻きながら上半身を起こす。
「おはよ、ゆう」
「あー、っはよ。もう朝か……」
「随分ぐっすり寝てたね。ゆうが私より遅く起きるのって久しぶりじゃない?」
「んー、かもな」
大きなあくびを漏らしながらみつきに受け答え、眠気を飛ばすように頭を数度振る。完全にとは言わないが、多少すっきりした。
「今何時?」
「もう八時だよ。私も十分前まで寝てたんだけど……」
問うと、みつきは時計を見てそう教えてくれた。眠りについたのが多分三時頃だから五時間は寝ているはずだが、まだ三十分しか寝てないような気分だ。なかなか眠れなかったのに、寝てからはぐっすりだったらしい。泥のように眠っていたせいで時間の感覚がまるでない。
(それだけ疲れてたってことか……)
腰と首を捻ると、ゴキゴキと音がした。体の痛みは無い。寝ている間に完治したようだ。
傍らに座るみつきの頭に、ポンと手を乗せる。
「ありがとな、起こしてくれて。何も無かったら多分昼まで寝てたわ」
「ううん。いいの。それよりゆう、体は……?」
心配そうに言ったみつきに、腕を回してみせる。
「大丈夫だよ。もう完治した。特警医療部の技術は一流の病院が裸足で逃げ出すくらいだから。どうってことねぇ」
表情を崩してそう言うと、みつきはまだ少し不安そうな顔をしながらも、こくんとうなずいた。
昨日は任務が終わってからすぐ気絶してたせいで帰りがかなり遅くなったし、不安だったんだろうな。出かけたのも中断した訳だし、悪いことした。
「っし」
膝に手を置いて、一気に立ち上がる。疲れは抜けた。しかも、昨日の今日で任務は入らない。特警では、任務があった翌日には絶対に次の任務を入れてはいけないことになっているのだ。最低一日のインターバルは必要とのことらしい。
同じく立ち上がったみつきの方を向く。
「んじゃ、準備すっか」
「うん!」
寝室を出て、お互いに出かける準備を始めた。
光夜さんが入院している病院は、ここから電車で一時間くらいの静かな場所にある。駅までバイクで行ってもいいのだが、今日はお土産を持って行くからバスを使うかな。すぐ近くにあるバス停からは約三十分ごとにバスが出ている。
だいたいの計画を練りながら顔を洗うと、腹が豪快に、授業中だったら確実に恥ずかしい思いをするくらい音を立てて鳴った。いや、一人でも音がでかいとけっこう恥ずかしいな。
そういえば朝飯はどうしよう。今日の当番はオレだけど、今から作って食うにしてもそこそこ時間かかるし……。みつきに聞いてみっか。
「みつきー、」
洗面所から呼んで数秒待つ。が、返事がない。
「あれ?」
おかしいな。また寝てんのか? いやでも、マザコン気味のみつきが光夜さんの見舞いに行くのに二度寝とは考えにくい。
不思議に思いながら洗面所を出て、みつきの部屋に足を運ぶ。見ると、扉が閉まっていた。それでも、洗面所からはすぐ近くにある部屋だから呼んで気付かないことはないだろう。
とりあえず、ドアを二度ノックする。乾いた音に反応して、中から「はーい」という声が返ってきた。
ドアノブを捻り、室内に向かって押すと、扉は静かに開いた。
(……、相変わらず少女趣味な部屋だな……)
ごちゃごちゃして装飾過多なんてことは全然無く、むしろきちんと片付いている。が、なんというかスゲー女の子の部屋って感じだ。雑誌とかならまだしも、たまに銃弾なんかが散らばってるオレの部屋とはえらい違いだな。間取りは同じなのに。
みつきはと言うと、その室内で鏡(姿見って言うのか? 全身がうつるサイズのでかい鏡だ)の前に立ち、数枚の服をあれでもないこれでもないと合わせていた。時々服をしまっては、また新しいのを引っ張り出している。その途中、慌ててこけそうにもなってる。
(あー、)
うん、すっげーそわそわしてるな。どんだけ楽しみなんだよ。遊園地行く前の子供みたいだぞ。まあ、行くのは病院だけどな。
「ゆう? どうしたの?」
いったん服選びを中断して、みつきがこちらを向いた。楽しみ感が隠し切れてない。目むっちゃ輝いてますよみつきさん。
(……買うか、朝飯)
買って食いながら行くか。作ってたら時間かかるわ。
質問する前に結論が出た。早く母親に会いたいだろうしな。
「いや、朝飯さ、作って食ってたら遅くなるからコンビニで買おうと思うんだけど、どうよ?」
喉まで出かかっていた質問を引っ込めて、代わりに提案する。
それを聞いたみつきは、一瞬ぴくりと反応したが、すぐになんだか後ろめたそうな表情でもじもじし始めた。なんだ?
「それは、確かにそっちの方が早く行けるかもしれないけど……。で、でも、ゆうはいいの? それで?」
上目遣い気味に問うみつき。なるほど、嬉しいには嬉しいが、露骨に賛成するとオレに悪いと思っているらしい。わかりやすいなぁ。
内心でちょっと笑いつつ、二度うなずく。
「いいよ、せっかくコンビニ近いんだし。んじゃ九時に出て、朝飯買ってから九時半のバスに乗るってのでどう?」
時計を見て案を出すと、みつきはこくこくと即座にうなずいた。苦笑しながら「了解」と返す。
「んじゃ、邪魔したな。オレも準備するから」
「うん、ありがとゆう!」
笑顔でうなずいたみつきにうなずき返し、部屋の扉を閉める。室内からは、相変わらずトタトタと浮かれた足音が聞こえた。
「ふぅ」
扉を背にして、小さく息を吐き出す。いやー、あそこまで喜ぶとは思わんかった。我ながらストライクな提案をしたもんだ。みつきの母親好きにも参るな、ホント。
「準備、するか……」
これで遅れたら、みつきはショックで寝込んでしまうかもしれん。
自室に入ってジャージを脱ぎ捨て、タンスとクローゼットから服を引っ張り出す。選ぶのにものの十秒もかからなかった。
……みつきはあんなに悩んでたのに、オレのファッション選択時間は十秒以下か。大変なんだな女子は。いや、オレが持ってる服が全部似たような感じだから悩む必要が無いだけか?
自分が取り出した服を見てみると、昨日と大差無い黒のジャケット、赤地に長い英文が書かれたTシャツ、フェイクジーンズ。ほぼ昨日と変わらん。
(まあ、極みたいに謎のおもしろTシャツ着てるよりかマシか)
悩んでも持ってる服は増えないし、自分が好きで買ってるんだから良しとしよう。
無理矢理自分を納得させてから出した服を身に纏い、今度は武器をしまっている両開きの棚の扉を開けた。
見舞いに行くだけでわざわざ銃なんか持ち出したくないのだが、特警隊員は仕事柄、いつどこで誰に恨みを買っていても文句は言えない。自己防衛も仕事のうちなのだ。プライベートな外出時でも気は抜けない。
この前タカフミの店に行った時は、自動拳銃用のショルダーホルスター(脇の下に提げるホルスター)を無くしていた。仕方なしにパイソンを隠し持って行ったが、でかい銃だから持ち歩きにくいことこの上ない。幸い無くしていたホルスターは見つかったし、今日は自動拳銃を提げて行こう。
(つっても、イーグルは壊れてんだよな……)
顎に手をやってしばらく考え、数種類ある拳銃の中から一つを選んだ。
アメリカのAMT社が開発した、ハードボーラーのロングスライドモデルだ。同じくアメリカの名銃、ガバメントのクローン銃。通常はシルバーカラーだが、オレのは黒で作ってある。
脇の下にホルスターを吊るし、そこにハードボーラーを収める。これもでかい銃と言えばそうだが、リボルバーよりはかさばらない。あとは予備マガジン二つと、バタフライナイフを持っておけば武装はOKだ。
「っし、いいかな」
準備完了。あとは、ナオさんに連絡しよう。アポが取れるんなら今日中にイーグルを直しておきたい。
携帯を取り出し、電話帳からナオさんの番号を選択して、通話ボタンを押す。数回のコールの後、眠そうなナオさんの声が聞こえた。
『ふぁーい、友?』
「うん。ごめん、寝てた?」
『まー、寝てたけど、仕事用でかけてきたって事は店に用事でしょ? どしたの?』
「いや、それがさ、この前タカフミんとこで整備頼んだじゃん?」
『うん』
「そっち行く前に昨日の任務でイーグルやっちゃって。内部機構がイカれたっぽいんだよね」
『あらら』
「今日は今から出るんだけど、夕方くらいには帰る予定だから、十九時くらいかな? そっち寄ってもいい?」
『ちょっと待ってねー』
そう言って、ナオさんは通話を中断した。紙をめくる音がしてるから、手帳を確認しているんだろう。
十数秒で、ナオさんは通話に戻ってきた。
『お待たせ。大丈夫っぽいよ。壊れてるのはイーグルの方だけ?』
「うん。パイソンは整備だけでいい」
『はいはい。んじゃ部品調達しとくよ。じゃあまた夕方に』
「ありがと」
【切】を押して通話を終了した。故障の度合いにもよるが、これで早くても明日までにはイーグルも直るだろう。
財布にケータイと携帯、キーケースなんかを持っているか確認してから、銃二挺を収納したアタッシュケースを持って自室を出た。
一応洗面所で適当に髪を整え、歯だけ磨いてリビングに向かう。案の定、みつきはまだ支度中だった。時計は八時半を指しているから、まだ余裕だな。
玄関に新聞を取りに行ってからリビングに戻り、ソファーに座ってのんびり読み始める。記事に昨日の事件はまだ出ていなかった。昨日の今日ってのもあるが、特警が報道規制をかけたのかもしれない。
ニュース欄、スポーツ欄、テレビ欄と目を通し、最後に四コマ漫画を読んでいた時、ジーンズのポケットの中で携帯が震えた。メールかと思ったが、振動が長い。どうやら電話らしい。
「んだよ朝っぱらから……」
今日は任務無いはずなのに、なんかあったのか?
携帯を取り出してみれば、サブディスプレイには【所長】の文字が表示されている。不審に思いつつ通話ボタンをプッシュした。
「はい、日向。どうかしたんですか?」
『事件じゃない。体はどうかと思ってな』
なんだ、そんなことか。
「もう完治しましたよ。医療部に集中治療されましたから」
『そうか、ならいい。すまなかったな昨日は。調査内容が多くて仕事から手が放せなかったんだ』
「いや、先輩に聞いたんで」
『もう数日で調査結果が出るはずだ。日時は追って連絡するから、辻山、真田と報告に来い』
「はい。じゃ、失礼します」
そう言って回線を切ろうとした時、
『日向、』
所長の声が、スピーカーから微かに聞こえた。慌てて耳元に携帯を戻す。
「なんスか?」
『あまり自分を責めるなよ。生きて帰ってきたんなら、また次に生きる方法を考えればいい。それが、現場で生き残った人間の義務だ。いいな』
所長の声に感情は無い。それでも、その言葉はオレの葛藤に深く染み入った。胸に渦巻いていた黒雲に風穴を明けるような、物事の中心を射る言葉だ。
慰めようとした訳じゃないだろう。所長は、さながら父親のように、特警隊員としてあるべき姿をオレに説いただけ。けど、それは何より大切なことなのだ。
生きて帰ったことを悔やむのは、過酷な任務で命を落としていった他の隊員への侮辱になる。その事を、オレ達は忘れてはいけない。
「……ええ、わかってます」
ゆっくりとそう返したオレに、所長は「そうか」とだけ言って通話を終了した。通信終了を示す、断続的に鳴る電子音が耳をつく。数秒その音を聞いた後、【切】を押して携帯をポケットにしまった。
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