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VS〜コノヨノコトワリ〜  作者: TERIS
FILE3:『再会』
21/33

FILE3.3:リミッター解除

最近更新ペース落ちてますね……。申し訳ないです。

 ソイツは、胸に明いた風穴から血を滴らせながらゆっくりと、しかし確実に立ち上がった。胸だけじゃない。オレやツジが撃った銃弾で、相手の体には抉れたような穴が多数存在していた。飛び散る紅が模様のようになったパーカーは、ずたずたで所々破れており、その隙間からわずかに女性らしく白い柔肌が覗いている。先ほどまで止まっていた胸部の上下、つまり心臓の鼓動は、再び活動を開始しているようだった。

 力なく垂れ下がった腕をぶらぶらと揺らしながら、直立したソイツは天を見上げる。のんびりと雲の流れでも見ているかのように上を向いたまま、その視線は動かない。だらしなく開かれた口から細い血の筋が垂れ流されている。

 その姿を呆然と見つめた状態で、オレは隠れたビルの陰から動けずにいた。もはやスナイパーのことなど頭から消えかけていた。それ以上に、目の前で起きている光景は常軌を逸している。恐らくは、ツジも同じだろう。

 なぜだ? すぐ近くで確認こそしていないが、呼吸は完全に止まっていた。動きもしなかった。誰かが蘇生処置を施した訳でもない。ただ一つ起きた事は、その死体に向けて何者かが狙撃を行ったことだけだ。人を殺す為の武器を撃ち込まれて復活する? そんなふざけた話があってたまるか。

 なぜ、ナゼ、何故と疑問を並べても、解決の糸口はまるでつかめない。もがけばもがくほど混迷の泥沼に引きずり込まれていった。

 そして、がんじがらめの思考を、更にむりやり動かそうとしたその瞬間、それは起きた。疑問を恐怖に変換する、その出来事が。

 オレ達に向けていたのと同じ、生気の無い瞳で空を見上げ続けていたソイツが、急に目をカッと見開いたのだ。瞳孔を全開にしつつも、視線だけは天を向いたまま動かず、全身を強張らせて細かく痙攣し始める。

 あまりに唐突なその変化に、何を思うより先に驚愕が全身を走った。しかしそれはすぐに、得体の知れない存在への恐怖に変わる。

(なんだ……、)

 なおも痙攣を続ける女性は、いきなり両手を動かすと、自分の首を絞めるように喉に手をやった。何かに苦しむように、そのまま小刻みに震え続ける。その間にも目は開け広げたままだ。

 まるでホラー映画でも見ているようだった。人間の形をしたモノが、人間のそれとは言えない行動を取る。自分と同じ姿をしているのに、その意図が読めない、意志疎通が図れないということが、こんなにも恐ろしいものなのだろうか。

(なんなんだ……!)

 そこで、オレは感じた。はっきりとした恐怖を。視認できる感情を。

 苦しみ続けていたソイツは、突如吐血すると、開ききった瞳孔を上に向けたまま、

『っっっっっっっぁぁっっっ――!』

 声ではない音で、叫んだ。戦場と化したビルの森に、反射して何重にもなった奇妙な音が響き渡る。

(なんなんだ、コイツは……!?)

 背中が粟立ち、額に気持ち悪い汗がどっと吹き出す。いつもより早い脈動が、頭蓋の中で響きまくる。膝が震える足が重くなる。恐怖を感じた時に起こるおおよそ全ての反応が、体のあちこちで発生していた。

 マズイ、と直感的に感じた。体の隅々まで、恐怖が毒のように浸食している。その毒は精神に直接作用して戦う意志を削ぎ、鍛えたはずの動きを鈍らせる。そしてこの場において動きの鈍化は、イコールで死を意味するのだ。

『っっ――、』

 長く響いていたその叫びが、突然止まった。開かれていた瞳孔が元に戻り、その瞳は再び生気の無いものに変わる。痙攣も治まって、喉元にやられていた腕は再びだらりと垂らされた。

 またも静寂が訪れる。いや、今回は違った。一つだけ、はっきりと聞こえる音があった。

 直立不動の狂化体が、異常に早いペースで呼吸を繰り返しているのだ。例えるなら、まるでマラソンを走った後の状態のようだが、それよりも更に早い。渇きを癒すようなそのハイペースな呼吸は、脱力し、死んだような瞳とはひどく不釣り合いだった。

 そのままゆっくりと、上げていた視線を下ろした相手は、

「っ!」

 初めからいるのがわかっていたかのように、オレを見た。暗い、死神のような視線と、自分の視線が絡む。

 恐怖に全身を侵されていたオレが一瞬ひるんだ隙に、ソイツは獣のように猛然と突っ込んできた。というより、消えた。

 見失った相手を再び視界に認識したのは、ソイツがすぐ目の前に姿を現した時だった。

(速っ……!?)

 少なくとも50メートルはあった距離を、ソイツはたったの5秒ほどで詰めてきたのだ。先の戦闘より更に速い。その素早さたるや、もはや人間ではなく野生動物の域だ。

「くっ……!」

 完全に反応が遅れた。既に相手は拳を振りかぶって、攻撃の準備を完了している。足に力を込める隙は無く、回避が出来ない。

 しかし、オレは腐っても特警隊員だ。いくら隙が出来ようとも、戦う為に練り上げた体は、自分に振りかかるダメージを抑えようとする行動を本能的にとる。考えるより早く、左腕が動いた。

 撃ち出された拳と体の間に、紙一重のタイミングでガードの左腕を入れる。その直後、ガードにパンチが衝突した。

(重い……!)

 叩きつけられた拳から伝わる衝撃は、先ほどの相手のそれより二倍も三倍も重い。まるで自動車がぶつかってきたみてーだ。肉が痺れ、骨が軋む。

「チィッ!」

 加えられる力に逆らわず、衝撃を逃がす為に後ろに跳ぶ。派手に数メートルふっ飛ばされたが、きっちり受け身をとって着地した。

 体にダメージが蓄積することは避けたものの、防御した左腕には青紫色のアザが残り、そこがビリビリと痺れる。自分から跳んでもこれだ。まともに喰らったら間違いなく骨が砕けるだろう。

「つーか、なんなんだアイツ……」

 起き上がる前の攻撃も十分異常な力を誇っていたが、今はそれより更に重く、鋭い。一般人が無防備な状態で頭部に攻撃を喰らえば、頭がフッ飛ぶんじゃないだろうか。とりあえず、腕一本で軽々と人を殺せる事に間違いは無い。

 左腕を振って感覚を取り戻していると、相手が再び間合いを詰めてきた。一度下がって距離をとろうと思ったが、駄目だ。相手が速すぎて間に合わない。

 狩りをする肉食獣のように、低い体勢で突っ込んできた相手が、下から突き上げるように拳を振った。それをかわせば、今度は大振りのフック。バックブロー、ストレート。

(いや、違う……)

 そんな技名を付けていいような攻撃じゃない。さっきよりもパワーは増しているが、その攻めの一つ一つは、ただテキトーに暴れまわっているだけのように見える。カウンターや、関節を極めてからの投げ等、高度な格闘術を使ってきていた敵とはとても思えない。

 そしてその様子は、オレ達が今までに見てきた、一般的な薬物狂化体と同じものだった。表情こそその他の狂化体よりも落ち着いているが、異常に速い呼吸を苦しげに繰り返し、ただ目の前の存在を攻撃するこの様こそ、狂化体の特徴なのだ。

 一方、一度恐怖という毒が体に回ったオレは、反撃に転じることが出来ないでいた。通り抜ける風切り音がその威力を証明する拳の数々を、ひたすらガードする、回避する、受け流す。

「くっ……、そっ……!」

 荒削りだが、その一撃は凄まじい威力を持って襲いかかってくる。照準の定まっていないマシンガンでむちゃくちゃに撃たれているようで、一瞬も気が抜けない。頭部への直撃だけは最悪避けなければ、喰らっただけで死ぬだろう。

 だが、このままじゃラチがあかねぇ。防戦一方じゃスタミナを削られ続ける。しかも、先の攻防でオレの体力は万全とはいえない状態だ。どうする――!?

 まさかりのようなローキックを跳んでかわし、着地した直後、通信が入った。

『友、聞こえるか!?』

 ツジだ。そういえばさっきから姿が見えないが、まさか負傷でもしたのだろうか。

「ああ、聞こえる。つっても、っと!」

 応答しつつ、右フックのような攻撃をスウェーしてかわし、バックステップで少し距離を取る。

「あんまりのんびり話してらんねーけどな! どうした!?」

『手短に言うよ。閃光弾はまだあるか?』

 ツジの言葉を聞いて今日の戦闘を思い出すが、いつも二つ持ってくる閃光弾はまだ一度も使っていない。

「ああ、あと二つ」

 蹴り足をかわして答える。

『なら、いったん退避しよう。友の体力も危ないし、相手が規格外過ぎる。一回作戦を練り直してから攻勢に出た方がいい』

 冷静な声で、ツジは退避の提案をした。

 なるほど。その為に退避場所を探していたのか。

 恐らくツジは、オレが反撃に出ない理由もわかった上で言っている。戦闘時における協調性が高いということは、つまり相棒(バディ)のコンディションを理解した上で動けることでもある。攻めるしか能の無いオレが攻めていないとなれば、ツジの判断は妥当だろう。

(情けねぇ……。ビビって守勢に回るのがオレの戦闘かよ……!?)

 自身の不甲斐なさを感じ、体に苛立ちの熱が溢れる。だが、今は私情を挟む場面じゃない。この場で生きる最善の方法を選択しなければならない。そして、その策をツジが提示しているのだ。

 拳を受け流して返答する。

「……わかった。どうすればいい?」

『携帯に場所を送っといた。閃光弾で相手の視界を潰してから、そこまで来てくれ』

 それを聞いて、ポーチから黄色い卵型の物体を取り出した。顔面に向けて相手が撃ってきた拳をしゃがんでかわし、閃光弾のピンを口で引き抜きながら地面を転がって相手の後ろに出る。

 すぐさま反応した相手がこちらを振りかえるのと、オレが閃光弾を地面に投げつけるのが、ほぼ同時だった。

「ほらよ、」

 腕を振る。

「受け取れ!」

 地面にぶつかった卵から、白い光が溢れ出した。景色が白に染め上げられる――。






「っはぁ、はぁっ」

 あちこちから悲鳴を上げる体に鞭打って、携帯に送られていた地図の場所まで走った。疲れか、痛みか、はたまた酸欠か。何度も意識が途切れそうになるが、根性で耐えてただ走る。

 地図によると、ツジが指定したのは表通りではなく裏路地の方にある場所のようだ。暗く、入り組んだ建物の間を、猫のように素早く進んでいく。

 その途中、何かに足が引っ掛かってつまずいた。不意に前に引っ張られ、転倒しそうになる体をなんとか持ち直し、足下を見た。

「っつ……!」

 思わず、息が止まりそうになる。が、目は逸らさなかった。逸らしてはいけないものが、そこにあったから。

 その何かは、死体だったのだ。服装や背格好からして、中年男性のものと思われる。足が変な方向に曲がり、背中から大量の血を流してうつ伏せで横たわっていた。

 恐らく、避難する前に狂化体にやられたのだろう。多分、この人だけじゃない。犯罪が増えるにつれて、緊急時における一般人の対応は迅速になってきてるけど、それでも逃げ切れずに命を落とす人はたくさんいる。今回も、最低でも数人の被害者は出ているはずだし、もっと多い可能性の方が圧倒的に高い。

「クソッ……!」

 抑えきれない怒りを込めて、すぐ横にあったビルの壁を拳で叩く。固く噛んだ唇から血が滴った。

 ふざけやがって。オレ達のような組織があってもこれだ。どうあっても犠牲者が出ちまう。

 何が公共の殺し屋だよ。結局は、なすべき事なんか何も達成できてないじゃねぇか……!

 無力、という二文字が、自分の不甲斐なさを痛感させた。

 叩いた壁からは、痛みしか返って来ない。しかしその痛みが、現状を思い出させてくれた。波のように押し寄せていた熱が、同じく波のように引いて行く。

 ――ここでアレを止めなきゃ、犠牲者はまだ出る。止められるのはオレ達だけだ。

 そうだ。嘆いてももがいても無駄。そんなことをする為にここに来た訳じゃない。今やるべきは、あの化け物を止めること。そしてみつきに約束した通り、生きて帰ることだ。

 既にこの世にいない男性の脇にしゃがんで、短い黙祷を捧げる。不思議と、体に回った恐怖が抜け出ていくのを感じた。もう大丈夫だ。戦える。

 立ち上がって、口から垂れる血を拭う。最後にもう一度目を閉じてその場に踵を返し、再び駆け出した。

 やがて、ディスプレイにGPS機能で表示された自分の位置と、目的地の位置が重なった。立ち止まって視線を上げる。

「ここか……」

 そこにあったのは、四階層ほどの高さがあるビル。だが壁から突き出た看板は、書いてある字が読めないほどボロボロで、このビルが既に使われていないということがわかる。

 念のためもう一度ディスプレイを確認し、腕時計に向かって声を発する。

「ツジ、着いたぞ」

『了解。ビル一階、階段すぐ横にある部屋にいる。ノックは三回してくれ』

「おう」

 一秒と間を置かずに返ってきた答えにうなずき、周囲を見回してから、ビルに足を踏み入れた。

 一応、自動拳銃を抜いて警戒しながら、ゆっくりと進んでいく。ツジの言っていた階段横の部屋は、案外すぐ見つかった。

 扉の前に立ってノックを三回。数秒でツジの声が返ってきた。

「クラスで一番アホは?」

 暗証番号代わりの質問だろう。答えは考えるまでもない。

「極」

 答えると、扉がゆっくりと開いて、中から銃を握ったツジが顔を出した。手招きされて、部屋の中へと入る。

 そこは、部屋というより倉庫の中だった。狭く暗い空間に、いくつかの棚やダンボール箱が申し訳程度に置かれている。扉と反対側に窓はあるが、建物自体が裏路地にあるためか光はほとんど入って来ない。

 オレが入ると、ツジは急いで扉を閉め、室内にある全ての物を扉の前に置き、バリケードを築いた。

 それを終えると、こちらに向き直って口を開く。

「意味があるとは思えないけど、無いよりマシだろ。さて……、」

 ツジが腰を下ろし、床にあぐらをかいて座った。同じようにオレも腰を下ろす。緊迫した表情でツジは口を開いた。

「どうだった、アレは」

「正直、何がどうなってんのかはさっぱりわかんねぇ。普通の狂化体に性質が近くなってる、とは思う。ただ、」

 攻撃を受けた左腕をさする。

「認めたくないけど、パワーは更に増してるな」

 オレの言葉に、ツジは口元に手をやって「なるほど……」と呟いた。

「友が言うんなら、パワーの事は相当だね。なんだろう、イメージとしては、リミッターがかかっていたのが解除された、って考えるのが近いのかな」

「多分。つーか、現状じゃその考え方が一番正しいと思う」

「となるとやっぱり……」

「ああ」

 問題は、あの狙撃だ。確信を得るだけの情報がある訳ではないけど、現時点では、何者かが狙撃によって狂化体にリミッター解除を施した、と考えるのが妥当だろう。

 ツジは合点がいったようにうなずいたが、すぐに何か思い出したように首を捻った。

「友に撃ったのはなんでだろう?」

「オレに撃ったっつーより、狂化体に近づこうとしたから止めたんじゃないか? 外したんじゃなくて、わざと足下を狙った、みたいな」

 しかし、そう言いつつも疑問を感じた。きっちり足下を狙って撃てるほどの腕を持った狙撃手(スナイパー)なら、なぜ初めからオレを狙わなかったのか? さっき考えたように、狙う隙はいくらでもあったはずなのだ。優秀な狙撃手なら、殺傷範囲(キリングレンジ)は二キロにも及ぶという。オレ達を殺すのが目的なら、狙撃という手段の方がはるかに効率的なのに、何故?

 考えても、狙撃手の心理も犯罪者の心理もわからないオレの頭じゃ、正解は出せそうに無い。苛立って頭を掻く。

「友を止める為に撃ったんなら、狙撃手(スナイパー)は狂化体に関係ある人間ってことだよね」

 オレ同様に考え込んでいたツジが首を捻ったまま発した問に、肯定の意を込めてうなずく。それを見て、ツジは再び黙って考え込んだ。

 それから数分して、ジャケットからファーストエイドキットを取り出し、体の応急処置を始めた時だった。不意にツジが口を開いた。

「友、処置続けながらでいいから聞いてくれ」

「ん?」

 一瞬止まった手を、指示通りすぐに動かしながら反応する。

 ツジはうつむいていた顔を上げると、先ほどよりも更に緊張した表情を浮かべた。

「これは僕の予想だし、あくまで推測の域を出ないけどさ、」

「うん」

 そこまで言って一度言葉を切り、小さく息を吸ってツジは続けた。

「もしかすると、実験なんじゃないか?」

 推測の域を出ない、と言いつつも、ツジの言葉は半ば確信を得たといった感じに聞こえた。実験という、この場に不似合いな単語が、頭の中でリフレインする。

 必死に考えるが、予想外の言葉に思考が追い付かなかった。結論を出すことが出来ず、確認を込めて聞き返す。

「実験、つったよな?」

「ああ」

「どういう意味だ?」

 数秒、ツジは黙ったまま口を真一文字に結んでいた。その様子に、思わず目を見張る。明朗闊達なツジにしては珍しい。多少の事には動じず、迷わずに真実を話してくれるヤツなのだが。

 だが、堅く結ばれたツジの拳を見て、オレはその訳を知った。あぐらをかいた膝の上に置かれたその拳が、小刻みに震えていたからだ。

 その動作が意味する感情は、いくつかあるだろう。代表的なもので恐怖、もしくは怒り。見ただけでそれを見分けることは困難だが、こんな世界に長くいればいるほど、人の感情の機微には敏感になる。その真意が、オレには理解できた。そして、今ツジの胸中を支配している感情は――、

「すっげー腹が立つんだけどさ……」

 紛れもなく、後者だった。温和なツジがここまで怒りに震えているのを、オレはほとんど見たことが無い。

「僕達と、あの狂化体、そして今回犠牲になった人たち。つまり、この事件そのものが、サンプルってことだよ」

 一言一言、噛みしめるようにツジは自身の考えを吐露した。口調こそ落ち着いているが、その言葉の中にどれほどの感情が込められているかは、オレでも理解できた。

 先ほどのツジのように、オレもうつむいて頭の中を整理していく。

 実験、サンプル、狂化体、スナイパー、リミッター解除、犠牲者。この事件に関わる全ての事柄が、浮かんでは消えていく。

 やがて、それら一つずつが繋がっていき、ツジの推理が読めてきた。同時に、その怒りの理由を知る。

 顔を上げ、ツジを正面から見据える。

「まさか……、」

 オレの言葉を聞いて、ツジが強くうなずく。それだけで、オレの考えが的を射ていることを証明するには十分過ぎた。

 ツジは更に続ける。

「スナイパーの行動から、この事件が組織絡みのものだってことはわかるよね」

「ああ」

「多分、その組織で新しい狂化系薬物が開発されたんだ。状況に応じてリミッターを外す機能を備えたタイプのね。それが正しく動作するか、加えて威力、一般人の対応、特警の対応なんかをまとめて知る為に、この事態を引き起こした」

 最後の方は吐き捨てるように言って、ツジは床を拳で叩いた。静寂の中、鈍い音が響いた。

 脳みそが一度別の場所にブッ飛んで、また戻ってきたような。それほどの衝撃が、体中に走る。

 右手の手のひらが痛い。何故かと思って視線を下ろしてみれば、オレも知らず知らずのうちに拳を握っていたようだ。短く切っている爪が、それでもなお手のひらに食い込んでいる。

「ツジ、」

 視線を下げたまま、相棒に声をかける。視界の端でツジが顔を上げるのが見えた。

「ここに来る途中、人が倒れてたんだ。死んでたよ、多分、アレにやられて。血ぃ流して、足も変な方向に曲がってさ」

 そう、きっと、あの人にだって家族がいたかもしれない。もちろん、逆にいなかったかもしれないけど、オレとみつきのように、誰かがあの人をかけがえの無い存在と思っていたはずなんだ。あの人だけじゃなく、狂化体として体を使われた女性だって同じ。その人にはその人の生活があって、その生活を護りながら必死に生きてたっていうのに。

 その命を、奪ったことが、実験だと、サンプルだと言うのか――!

 ああ、ツジ。お前の怒りも納得だよ。特警にいれば、人の命の重みは嫌というほど知る。自分の手で人の命を奪うからこそ、その大切さを忘れてはならないからだ。

 なら、する事は一つだろ。

 頭に熱が上がりそうになるのを、オレは意志で押し戻した。恐怖の毒は抜いた。怒りも既に押し込めた。準備は、整った。

 オレが唯一出来るのは、戦うこと。それしか能は無いけど、それが出来る人間のみが、アレを止められるんだ。

 傷を塞いだ包帯を、きつく結ぶ。その時生まれる僅かな痛みが、犠牲者を出してしまったオレへの小さ過ぎる戒めだ。

「許すかよ……」

 低い声が漏れた。この事件をただの茶番で済ませようとしたクソ野郎も、それを止められなかったオレも。どちらも許さない。戒めを力に、後悔を気力に。捧げろ。救えなかった人に。

「ツジ、」

 もう一度、その名を呼ぶ。少し驚いた様子でツジはこちらを向いた。

「止めるぞ。ぜってぇな」

 決意を込めて、拳を突き出す。すぐに応じてくるかと思ったが、ツジは毒気を抜かれたような顔をしたまま呆然としていた。

「どした?」

「いや、ブチキレると思ってたから……」

「あ、そう……」

 思わず苦笑いが漏れる。まあ、いつものオレならキレてるだろうから、そんなイメージでもしょうがないか。

 同じく苦笑いのツジだったが、すぐに表情を引き締め、オレの拳に自分の拳を軽くぶつけた。

「ああ、やろう。止められるのは僕達だけだ」

 互いにうなずき合って、決意を確かめる。特警守川支部で最強のパワーを持つオレと、最速のスピードを持つツジ。そのコンビが負ける訳ねぇよな。

 ちょうど応急処置も終わり、作戦を練り始めた。ヘタに二人がバラバラで動くより、二人一組(ツーマンセル)の利を生かして戦った方がいい。その為には、しっかりとした作戦の共有が必要だ。

 この場で最も分析力があるのはツジだが、軍師的なポジションにはもっとふさわしい人間がいる。ソイツを呼ぶ為に、携帯を取り出した。電話帳から一人をピックアップし、通話ボタンを押す。

 二回のコールの後、その相手が応答した。

『はい、情報管理部、藏城』

 オレとツジの間で、クラスで一番アホという認識が一致している極だ。アホにはアホだが、状況判断と分析においてコイツの右に出る者はいない。

『どしたよ友。諜報部から全然連絡が来ねぇけど、順調ってことか?』

「そうのんきな話じゃねぇんだよ。あー、話そうと思ったけど、よく考えたらオレよりツジのが現状は理解してっから、替わるぞ」

『ん? ああ』

 極の応答を確認し、会話が聞こえるようにスピーカーホンのスイッチを押してから、ツジに端末を手渡す。

「極、僕だ。さっそくだけど、手短に現状を話す」

『あいよ』

 ツジは重要な箇所をかいつまんで、狂化体のこと、諜報部と連絡が取れないこと、狙撃手のこと、そして自分の推理を数分かけて話した。その間、極は黙っていたが、ツジが話し終えるのと同時に『なるほど……』と呟いた。

『色々言いたいことはあるが、諜報部と連絡がつかないってのは相当だな』

 端末のスピーカーから、驚きを隠せない極の声が発せられる。

 やはり、極もそこは気になったようだ。ある種特警の中で一番万能と言われる部署だけに、事態の異常さは際立っている。

 しかし、極はそれ以上そこには突っ込まず、淡々と情報を整理し始めた。

『まず、ツジの推理は十中八九当たってるな。それだけ材料が揃っていれば妥当な考えだ。相手が組織で動いてるのもまず間違いない。むしろそれなら、諜報部と音信不通なのも納得がいく』

「なんでだよ」

 頭のいいヤツが考えることはいまいちわからない。思わず聞き返してしまった。

『いい質問ですねー』

「うるさい。ネタやってる場合じゃねぇんだよ」

『といのは嘘だ。愚か者。ツジの推理通り、特警の対応を見ることも目的なら、諜報部が出てくることも予想しているはずだ。組織的に動くヤツらなら、まず厄介な諜報部を組織的に狙うことなど想像に難くないだろう』

 そういうもんなのか? よくわからずにツジを見ると、うんうんとうなずいているから、そういうものらしい。

 極は続ける。

『まとめるぞ。極論を言えば、ここでお前らが狂化体を殺しても、相手組織に痛手は全く無い。実験目的なら、倒されることもデータのうちだからな。リミッター解除前、後の戦闘データは両方取れて、相手の目的はどうにしろ達成されることになる』

 確かにそうだ。隣でツジもうなずいている。

「じゃあ、オレらがアレを殺っても意味ねぇってことか?」

『バカを言うな。止めなければ犠牲者が出ることに間違いは無い。どちらにせよ目的が達成されるのなら、お前達の役目は危険要素を全力で潰すことだ』

 極はそう言った後、PCを操作したようだ。スピーカーの向こう側からカタカタとキーボードを叩く音がする。

『だが、俺とてむざむざヤツらの作戦を成功させる気は全く無い。俺の予想では、データを集める為の観察員なり、そのスナイパーなりがまだその辺りに残ってるはずだ。ソイツを叩けばいい』

「そりゃそうだけど……、どうやって?」

 ツジが首をかしげながら問う。オレもちょうど同じ疑問を持った。

 しかし、さすがというかなんというか。既に手回しは済んでいるらしい。極は『安心しろ』と前置きをし、

『今、諜報部最強の男に連絡をしておいた』

 そんなことを口にした。一瞬、耳を疑う。

 数秒経って、半信半疑で聞き返す。

「極、」

『む?』

「あの人を呼んだのか?」

『うむ』

 ツジと顔を見合わせる。色々とツッコミ所はあるが、とりあえず後回しだ。今はオレ達がやるべきことをやらなければ。

「まあ、なら敵のことは大丈夫だな。所長並のバグキャラが出るんだから。そんで、オレ達はアレを殺るだけでいいんだよな」

『その通りだ。まあ、今の俺は軍師だから、それらしい指示を出しておこう』

 不意に、極の言葉が重くなった。緊張を解こうと軽い口調で話していた今までの様子とは一変し、この場を仕切る者としての自覚に満ちている。

 それに伴って、オレとツジの間にも糸を強く張ったような緊迫した空気が流れる。感覚が鋭敏になり、ベタに言うなら、戦闘態勢へと体が変化していく。

 すぅっ、と息を吸う音がした後、

『友、ツジ。何が何でもその狂化体を止めろ。これは、その為に修練を積んできたお前達にしか出来ないことだ。失われた犠牲者と、俺達の同朋である諜報部の仇、確実に果たせ!』

 極にしては強い語調。だがそれだけで、オレ達の士気を高めるのには十分だった。

「ああ、任せろ!」

「やってやんよ!」

 力強くうなずいて、ツジとハイタッチを交わす。響く乾いた音が気力を高める。さすが軍師。一声でアドレナリンを出させやがった。

 オレ達の答えに満足したのか、極は『うむ』と偉そうに言うと、

『では、健闘を祈る。見敵必殺サーチアンドデストロイだぞ!』

 所長のマネらしきセリフとネタを残して、通信を終了した。

 端末をポケットにしまい、ツジとコンビネーションの確認を始める。

「友、今回僕はアシストに回る。悔しいけど、僕の攻撃じゃ軽過ぎた。ここはパワーのある友が一撃を決めた方がいい」

 自分、オレと順に指さしながら提案したツジに、軽くうなずいて肯定する。

「とは言っても打撃じゃ限界があるだろうし、攻撃のチャンスもそう多くないと思う。だから、友の銃をフィニッシュに使おう」

 ツジがオレの腰に提げられたリボルバーを見ながら言った。とりあえず、ホルスターからパイソンを抜く。

「これか?」

「ああ。なんだっけ、そのリボルバー、改造で.454カスールが撃てるんだよね? 確か、グリズリーとか一発で撃ち殺せるっていう……」

「ああ、それが特長だからな」

 西部劇のように、くるりと銃を回してみる。ツジも自分のグロックを取り出したが、すぐにしまった。

「残念ながら、僕のは銃も威力不足だから。ただ、友の銃の破壊力でヤツの心臓を撃ち抜けば、確実に倒せる。だから友、」

 ツジは拳を握って、また開いてから、強い視線でオレを見た。

「僕がなんとしてでも隙を作る。一発必中。その隙に、確実に心臓を狙ってリボルバーをブッぱなしてくれ。それで、全部終わりだ」

 指で作ったピストルで、オレの心臓辺りを狙うツジ。その作戦は、完璧に理にかなっている。ツジのアシストの上手さは支部内でも随一だし、一撃必殺ならオレの信条だ。

 銃をホルスターに収め、左手のひらに右拳を打ちつける。

「任せとけ。絶対決める」

 そう、意気込みを込めて言った時。

 部屋でただ一つの窓ガラスが、激しい音を立てて粉砕された。

今回ラストの方がなんかビミョーですね……。

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