FILE2.9:ごめん
自宅からバイクを走らせること30分。到着した本町の中心部に、オレとみつきはいた。休日の本町は、当然というべきか人が多い。特に、今日のように春真っ盛りないい天気の日には、家族連れや学生等、様々な人間によってメインストリートはカラフルに飾られる。そこかしこにある多種多様な店が、その色どりをいっそう際立たせていた。
そんな賑やかな通りを、みつきと並んで歩く。オレは自動販機で買ったブラックの缶コーヒーを片手に。みつきはきょろきょろと辺りを見回しながら、時折立ち止まっては、ショーウィンドウの中をじっとのぞき込んだりしている。
「ゆう、見て見て! コレかわいー!」
「ん?」
みつきが指さした先を見ると、透明なガラス一枚隔てた場所に指輪が展示してあった。シンプルなリングに、薄いピンクの小さな宝石らしきものが付いている。
「へー、確かに……、ってうわ、高っ」
値段を見ると、フツーに7桁の数字が書いてあった。思わず「0」を数え直したが、間違いなく7桁だ。さすがに高い。普段目にすることの無い数字に、ちょっとビビってしまう。
恐る恐るみつきの方を向く。
「みつき、まさか買えとか言わねーよな……?」
「あはは、さすがに言わないよぉ。でも、いつかゆうにこんなのプレゼントされてみたいなー、とは思ったかな?」
「あ、そう……」
うっとりとして語るみつきに、苦笑しながら相槌を打つ。
みつきは、なんというか見た目を裏切らないキャラで、平たく言えば少女趣味、乙女チック? ということになるのだろうか。まあ、ベタながら今時珍しい、非常に女の子っぽい女の子なのである。昨年、学校の文化祭で行われた『乙女な女子』と『妹系女子』の投票において、1年生の部で見事1位を獲得したという経歴を持っている(ちなみにオレは『無表情』『無愛想』『無口』の、『無』部門三冠を達成した)。
そんなみつきの今日の服装は、小さい薄ピンクの花柄が全体に描かれた白いレース素材のワンピースに、茶色いショートブーツという、オレとは対照的に華やかで春らしいコーディネートだ。いつもはそのまま垂らしている長い髪は、二つに分けて耳の上辺りでそれぞれ結んでいる。幼い顔立ちが、より幼く見えるのはなぜだろうか。そういう髪型なのかな?
まあ、よく似合ってるのだけは確かだ。ちっちゃくてふわふわした感じがいかにもみつきらしい。
「んで、みつき。何か買うのが決まってる物とかあんの?」
ショーウィンドウから目を離したみつきに、コーヒーを一口すすってから質問を投げかける。みつきは人差し指を口元に当てて目をぱちくりさせる、思案する時のいつものクセを経て、返答のために口を開いた。
「えっとね、この前、いつも使ってるバッグが壊れちゃったのは言ったよね?」
「ああ、聞いた聞いた。そういや新しいの買いたいって言ってたな」
「うん、そうなの。だから、とりあえずそれは買いたいかな? ゆうは?」
「オレは前言った通りだよ。CDくらい」
「じゃあ、CD先に見に行こ。ここから近いし」
「ん? いいのか?」
「うん」
みつきに許しを得たので、先にCD購入に動くことにした。空になった缶をカゴに捨てた後、50メートルほど歩いて、巨大な本屋に入る。本だけでなく、CDショップやレンタルコーナーもある店であり、オレが見る物はだいたいここに集中しているのだ。
CDの売り場に足を運ぶと、新発売のアルバムが陳列された一角があり、そこにオレ目的のアルバムもあった。
「お、あったあった」
店員の手作りであろう、大きなダンボール製ポップの下に置かれたCDを一枚手に取る。知ってはいるが、一応ケースの裏面に記載された値段を確認した。
とその時、みつきがオレのジャケットの裾をくいくいと引っ張った。振り向いて応答する。
「ん?」
「雑誌の方見て来ていい?」
「ああ、いいよ。コレ払ったらすぐ行く」
手を挙げて答えると、みつきはにこりとしてうなずき、雑誌コーナーに向かった。確か、みつきがよく読んでいるファッション雑誌の発売日が数日前だった気がするから、それを見に行ったんだろう。
レジに並んで数分後、CDの購入を終えて雑誌コーナーへ歩く。女性向け雑誌の売り場に、予想通りの本を読んでいるみつきがいた。近づくオレに気付いたみつきが紙面から顔を上げ、冊子を元通りに戻してから駆け寄ってきた。
「お待たせ。買わなくていいのか、本?」
「うん、いいよ。あんまり好きな服載ってなかったし」
「そ」
CDが入った袋を提げて、店を出る。春の日差しと、店内とは質の違う賑やかさがオレ達を迎えた。
さて、次はみつきのバッグ購入だが……。買う店はわかっているのに、場所を忘れた。
「店どっちだっけ?」
「あっちだよ。ちょっと遠いけど」
目当ての店の所在を問うと、指をさして教えてくれた。ここからでは建物が見えないから、みつきの言う通り少し離れた場所にあるようだ。
歩き始めて5分ほどした時、みつきが何か思い出したようにオレを呼んだ。
「ゆう、」
「ん?」
反応して顔をそちらに向けると、みつきはオレの目を覗き込むようにして続ける。
「あのね、土日どっちもお出かけしたいって行ったけど、明日はちょっと変更していいかな?」
「いいけど、なんかあんの?」
「母さんのお見舞いに行こうと思うんだけど」
「ああ、そういや、」
カーゴパンツのポケットからケータイを取り出して日付けを確認し、
「そろそろだな」
合点が行ってうなずく。
みつきの母親、愛本 光夜は、生まれつき体が弱く、ここ数年郊外の病院に入院している。月に一度ほど見舞いに行っているのだが、前回の訪問からそろそろ一カ月が経つため、みつきは提案したのだろう。
「んじゃ明日は光夜さんの見舞いに変更ってことで」
「ありがと、ゆう。急に言っちゃってごめんね?」
「いや、いいよ。ついでに今から土産も買っちまおう」
「うん!」
元気よくうなずいたみつきは、どことなく嬉しそうに見える。二人で暮らし始めてもう3年になるが、父親を早く亡くしたみつきにとって母親は唯一の肉親。たまに会える時は思いっきり甘えたいんだろう。みつき、ちょっとマザコンだし。
無邪気にはしゃぐ彼女の頭をよしよしと軽く撫でていると、いつの間にやら目的の店の前に到着していた。女子の持つ物とかはよくわからないが、どっちかというと可愛い系の物が多い店らしい。店先に飾られた服や小物を見たみつきの目が、キラキラと輝きを放つ。
数回みつきについて来たことがあるが、ここでのみつきは乙女チック全開になる。店員とも仲が良いらしく、ここでのオレは完全アウェーだ。ホントに場違い感ハンパない。
ガラス戸を開けて店内に入ると、すぐそこにいた店員の一人が「いらっしゃいませー」と言うのと同時に、みつきの存在を視認して駆け寄ってきた。
「あー、光月ちゃん久しぶりー! 元気だったー?」
「こんにちは有野さん! 元気ですよー」
「ふふ、相変わらずいい子だなー光月ちゃんは。あ、そうそう、妹から聞いたんだけど、昨日カラオケ行ったんでしょ?」
「そうですよ」
「いいなー、私も光月ちゃんとカラオケ行きたいー」
我がクラスの女子体育委員を一回り小さくした感じの女性とみつきがきゃいきゃいと話し始めた。それもそのはず、この女性は有野の姉ちゃんなのだ。どちらかと言えばボーイッシュな感じの有野とは対照的に、みつきに近いタイプの人である(姉妹の仲は非常に良好らしい)。
「あ、日向君もいるんだ。ということはぁ、デートかな光月ちゃん?」
「えへへ、そうなの」
ひとしきりテンションの高い会話を終えた後、有野姉はみつきの後ろに立つオレに気付いたのか、いたずらっぽい笑みを浮かべながらみつきに問うと、それにみつきは照れながら答えた。それを聞いた有野姉が「このこのぉ」と言いながらオレを肘で小突く。これだ。このテンションにオレは付いていけない。
苦笑いしながら固まっていると、満足したようにうなずいた有野姉が仕事を再開した。
「それで光月ちゃん、今日は何をお探しですか?」
「えっとね、バッグが壊れちゃったから新しいのが欲しいなーと思って。かわいいのありますか?」
「あるある! ちょうど昨日入ってきたの! あっちだよ!」
売り場の奥の方に促されたみつきが有野姉に付いて行く。オレもとりあえずその後に続いた。カバンのたくさん置かれたコーナーで二人は足を止め、色々手にとって見始める。有野姉はいろんな商品を手に持ちながら、みつきの要望に合わせて思考を巡らせていた。
凄いな。ふざけてるように見えてもやっぱちゃんと店員なんだ。
「あーもう、光月ちゃんかわいい! 今日はちょっとサービスしちゃう!」
前言撤回。ちゃんと仕事しろ店員。
頭の中でツッコミを入れたりしていると、みつきが有野さんのオススメの中から一つをチョイスし、身につけてからこちらを向いた。
「どう、ゆう? 似合うかな?」
「んー?」
ピンクのエナメル素材の本体に、細いチェーンが付いたショルダーバッグだ。みつきにしては珍しく原色寄りのカラーだが、なんか新鮮で似合ってる。
二度うなずいた。
「いんじゃね? 似合うよ」
「えへ。そう? じゃあこれにしちゃおっかな」
少し頬を染めながら笑みを浮かべたみつきが、有野姉にカバンを渡す。
「有野さん、これにします」
「はいはーい。日向君、お財布の方は大丈夫?」
「まあ、そこそこ持ってきたんで。いくらスか?」
「こちらになります」
見せられた値札に書いてある数字は、6500円。ちょっと高いが、久しぶりの買い物だ。奮発してやろう。
「大丈夫です」
「はい、ありがとうございます。じゃあ光月ちゃん、レジへどうぞ」
再び促されて、今度はレジへ足を運ぶ。有野さんが商品を包装している間に、財布から代金を出した。
「えーっと、5500円ね」
「え?」
先ほど見た値段と違う金額を提示され、驚いて有野さんを見ると、彼女は当然のように商品を指さした。
「サービスしちゃうって言ったでしょ?」
ホントにするんかい。
「いや、冗談かと……」
「本気だよ。光月ちゃん常連さんだし、店長とも仲良しだから気にしないで」
ぐっ、とサムズアップしながら語る有野姉。それでいいのか店員。つか、みつきのネットワークすげぇな。
まあ、安くなるんならそっちの方がいいから、大人しくサービスを受けることにした。取り出していた3枚の紙幣のうち、1000円札を一枚財布にしまう。レジの横にある、装飾の施された小型トレーに、残った5000円札と1000円札を置いた。
「6000円お預かりします。これお釣りね」
差し出された500円玉を受け取って財布に入れる。その後、薄いピンク色をした大きな紙袋がカウンターに置かれた。
「はい、ありがとうございました」
「ども」
ポケットに財布をしまい、会釈しながら紙袋を提げる。意外に重量感がある。どうせ手ぶらだし、オレが持って歩こう。
みつきは瞳の輝きMAXといった感じで、オレを見上げる。
「ゆう、ありがと! 大切にするね!」
「ん」
なんつーか、むちゃくちゃ喜んでくれたみたいだから良かった。
売買契約を終えたので、店を出る為に出口に向かうと、有野さんが両開きのガラス戸を開けてくれた。
「じゃあ光月ちゃん、またお越しくださいね」
「うん。ありがとうございます有野さん」
「日向君もね」
「まあ、みつきといっしょの時は来ます」
小さく手を振る有野さんに頭を軽く下げてから建物を出た。
再びメインストリートの喧騒に飛び込み、みつきと並んで歩き始めた。昼時ということもあってか、来た時よりも更に賑やかになった気がする。通行人の談笑する声、車の走る音、店から流れる音楽等、この場に流れる全ての音が、賑わう本町のBGMを作り出していた。
みつきと喋りながら、数分歩いた時だった。
「あ、ゆうごめんね、買った物持たせっぱなしだった」
不意に、オレの手に提げられた紙袋を見やったみつきが少し慌てた口調で言った。申し訳なさげな表情で、右手を差し出す。
その申し出に、首を振った。
「いいよ。意外に重いし、どうせオレ手ぶらなんだから」
「でも、わたしのだし……」
「あー、気にすんな。たまの外出くれー手放しで楽しめよ」
「な?」と言ってみつきの頭に手を乗せる。みつきは一瞬きょとんとしたが、その後少し頬を染めて小さくうなずいた。
それから、みつきの買い物にちょいちょい付き合って、本町にあるファミレスで昼飯を食べ、光夜さんのお土産を買いに家の近くまで戻った。みつきの母親なだけあって、あの人も相当な甘党だ。という訳で、近所にある美味しいケーキ屋にお菓子を買いに行ったのだ。
クッキーとマドレーヌを買って店を後にし、買った菓子を置く為に一度自宅であるアパートに戻ったところで、時刻は14時。バイクから降り、腕時計から目を離して、みつきの方を向く。
「みつき、今からどうする?」
「どうしよう? まだお昼だし、わたしはもうちょっと出かけたいんだけど……」
「ああ、いいよ。時間はあるし、いったん家にコレ置いてから――、」
菓子の入った袋を掲げて提案しかけた時、
「――、チッ」
ポケットの中で嫌な振動があった。無意識のうちに舌打ちし、震える携帯端末を取り出す。
「ゆう、どうしたの……?」
「いや、ちょっと悪い」
不安げなみつきの問に歯切れの悪い返答をし、通話ボタンを押した。
「はい、日向」
『仕事だ。本町北の外れにある、ビル建設中の工事現場に、被洗脳者一体が出現した』
いつも通りの低く、無機質な所長の声。しかし、その言葉に一つ違和感があった。
“被洗脳者一人”ではなく、“一体”と所長は言った。言い間違いではない。その単語の違いは、標的のある重要な性質を示唆している。
「所長、」
端末の通話口に向けて、その真意を確かめる呼びかけをした。その呼びかけを聞いた瞬間、何かを予感していたらしいみつきの表情が、目に見えて暗くなった。端末を見た時から覚悟はしていたようだが、オレの通話相手を知ってから確信を得たのだろう。
その悲哀に満ちた表情を見て、思わず通信を断ち切りそうになった。また彼女を置いて行くのか、一人苦悶の時を過ごさせるのか。そんな自己嫌悪の言葉が、脳内で渦巻く。
しかしオレは――、
「“一体”ってことは、薬物狂化体ですね」
心を鬼にして続きを紡いだ。このジレンマは、特警に残ると決めた瞬間に覚悟したはずだ。そして決めた以上は、逃げることも、かわすことも、目を逸らすことも許されない。揺らぐな。オレが生きているのは、そういう世界なんだ。
オレの問に、所長は微塵も感じさせない声で答えた。
「ああ、そうだ。既に5人の死者を出してる。至急現場に向かい、鎮圧しろ」
痛みを伴って、その命令は耳を通り抜けた。耳鳴りのような雑音が、周囲の音を消し去って行く。
輝きを失った瞳で見上げてくるみつきを、正面から見つめ返した。オレにはわからないだろう。その無垢な瞳の奥に、どれほどの苦しみが潜んでいるか。それでも、ここで視線を逸らすことは、オレを信じて待つみつきへの冒涜だと思った。だから、逃げない。まっすぐな目にまっすぐ応えた。
『返答は?』
有無を言わせぬ口調に、有無を言わない口調で答える。
「了解。準備を整え次第、すぐに現場に向かいます」
『了解。健闘を祈る』
それだけ言い残して、所長は通信を切った。静かになった端末をたたんで、ポケットに放り込む。
「仕事、なの……?」
それと同時に、みつきが口を開いた。風にすら掻き消されそうな小さな声で、わかりきった事実を否定したいかのように問う。
オレの答えは、そんな彼女の僅かな希望を奪い、どん底に突き落とすようなモノだ。だが、もう時は動き始めている。この瞬間にも、誰かが死に、誰かが苦しんでいるかもしれない。その予感に、オレの体は既に戦闘時の状態にスイッチし始めていた。
「ああ、悪い」
それでも、視線だけは決して逸らさず、懺悔を込めて答えた。
「なるはやで帰る。ちょうど家だし、鍵だけはちゃんと閉めて待っててく……、」
停めたバイクを離れ、自宅に向けて一歩踏み出した瞬間、後ろからジャケットの裾を引っ張られた。
驚いて振り返ると、そこにはうつむいて唇を噛んでいるみつきがいた。裾を掴んだ小さな手は、微かに震えている。
「どした?」
みつきの方に向き直り、中腰になって視線を合わせると、
「行っちゃ……、イヤ……」
絞り出すような小声で、みつきはそう哀願した。あまりに切実で、しかし意外なその行動に、思わず目を見開く。
珍しい。みつきが仕事のことで不満を言うとは。いっしょに暮らしたこの3年間でも、数えるほどしか無かったのだ。それだけ、オレはみつきに寂しい思いをさせている。普段言わない不満を言ったということは、その感情がピークに達したからだろう。
だが、オレはもう引き返せない。今のオレに出来るのは、なるべく早く、生きてみつきのいる場所に帰ることだけだ。
その頭を、ポンポンと軽く叩いた。
「約束するよ、絶対生きて帰るって。だから、待っててくれ。な?」
諭すように静かな口調で語りかけると、みつきはハッとしたように顔を上げ、ジャケットから手を離した。
「……、ごめんね、ゆう。わがまま言って」
「謝るなよみつき。悪いのはオレだ」
しょんぼりとして謝るみつきに、そう答えた。
一度家に入って、5分で装備を整えた。防弾ベストの上に防弾ジャケットを羽織り、各ポーチやポケットに武器を収める。最後に銃入りのホルスターを吊るし、全ての準備が完了した。
アパート前の道路で、バイクにまたがる。全身に身に付けた武器類で、体は重い。まるで枷でも付けているようだ。
「じゃ、行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい。気を付けて」
手だけ挙げてその声に応え、バイクを起動させようとした瞬間、
「ゆう、」
みつきがオレの名を呼んだ。無言で振り向く。
「私も、愛してるから」
私も、つまり、昨晩調子に乗ったオレへの答えだろう。そうだな。今は照れる必要も、緊張する必要も無い。
大きく、強く、一度うなずいた。
「ああ、オレもだよ」
そうしてオレは、悲しげな頬笑みを浮かべたみつきを残し、バイクを出した。
――みつき、ごめん
FILE2、終
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