FILE2.7:CARDにて
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6時間目終了を宣告するチャイムが鳴る。それと同時に、教室内の空気が一気に弛緩した。
「終わったー」
「帰ろうぜー」
「お前今日掃除じゃね?」
「何ィ!?」
6時間目終了とはつまり、その日の学校終了を表す。一日の学業を終えた学生達は、みな一様にリラックスした表情をしていた。帰り支度を始める者、部活の準備をする者、しぶしぶ掃除に向かう者。それぞれの予定を遂行する為に動き出す。
かくいうオレも、カバンに筆箱とルーズリーフ。教室後ろにあるロッカーに、置き勉している教科書を放り込んで帰る準備を終えたところだ。
今日は金曜、明日は休み。毎週休みの前日は、みつきと夜ふかししてDVD見たり、ゲームしたりするのだ。確か今からは、みつきが見たい映画があるって言ってたからDVDをレンタルしに行く予定だったはず。
カバンを提げて椅子から立ち上がる。みつきの方を見ると、今まさに帰る態勢が整ったようだ。
「よし、DVD借りに行くか」
「うん!」
「ちょーっと待った日向ぁぁぁ!」
一歩踏み出そうとした時、教室中央から声が上がった。その声が、オレの名を呼ぶものだったから、ってこれ昼にもあったな?
しかし、オレを呼んだのは寺居ではなく、寺居と同じ体育委員の片割れ、有野だった。その周りには数人の女子。
「どしたい有野」
「今から光月と帰るのね?」
「まあ、そうだけど」
「ダメ!」
ダメってなんだよ。受け答えおかしいだろ。
「ちょっと光月借りるから!」
「どーゆーこったよ」
「光月、ちょっとおいで」
有野がみつきを手招きする。首をかしげたみつきは、それに従ってとことこと歩いていった。
みつきを呼び寄せた有野は、その耳元に口を持っていき、何やらひそひそと言っている。なんなんだいったい。
話を聞き終えたらしいみつきが、またとことこと戻ってくる。
「なんて?」
「なんかね、『クラスマッチに向けて作戦会議するから、女子バレーチームはカラオケに行くよ!』だって」
嘘だろ。絶対オケがメインだろ。見ろ。サービス券まで取り出して『フリータイムいくらだっけー』とか計算してんじゃねーかアイツら。
見え見えの魂胆を見破り、こっちを見上げているみつきに視線を戻す。
「みつき、なんつーか、運動があんまり得意じゃないってのは言った?」
「言った」
「んで、なんて?」
「『いいの、みつきはいるだけで和むんだから。たまには一緒に遊ぼうよー』だって」
遊びたさ全開じゃねーか! 本音を隠す気もねえ!
「ゆう、どうしよう?」
「え? オレの許可いんの?」
「『腐ってもカレシなんだから一応聞いてきなさい。有無は言わせないけど』だって」
聞く意味皆無じゃねーか。
「んー。みつきはどうしたいよ?」
「わたし?」
「うん。行きたいか?」
問うと、みつきはしばらく悩んだ末、こくんとうなずいた。
その頭をポンポンと軽く叩く。
「じゃ、行ってきなよ。オレの許可なんかいいって」
「DVDは?」
「終わってから借りに行けばいいじゃん。どうせ見るのは夜中なんだから」
わがままと言っても、みつきは本質的に自我が強いわけじゃない。特にオレのこととなると、つい自分を抑えがちなのだ。今みたいに友達の誘いでも悩むことは珍しくない。
でも、オレ達はまだ高校生だ。友達付き合いも大事だと思う。付き合い悪いオレが言っても説得力無いけどさ。
「帰る時間だけ連絡くれたら迎えに行くからさ」
「うん。じゃあ行ってくるね」
にっこりとして首を縦に振り、みつきは有野達のもとへ走っていった。何やら有野が問いかけ、みつきがうなずく。許可を得たか聞いているんだろう。
ウチのクラスってみんないいヤツなんだなぁ。ふと、そんな事を思った。生活の都合上、積極的に関わることはどうしても少なくなるけど、そんなの関係なしに付き合える時は付き合ってくれるんだから。寺居しかり、有野しかり、他のクラスメートしかりだ。普段は考えないけど、多分もの凄くありがたいことなんだと思う。
みつきから話を聞いた有野は、黒いショートヘアを揺らしながらこちらを振り向く。
「んじゃ日向、光月借りてくよー」
「どーぞ」
「けっこう遅くなるかも」
「りょーかい」
手を挙げて応えると、有野は快活にニッと笑い、みつきを連れて教室を出ていった。小さく手を振ってきたみつきに、手を振り返す。
「フラれたな友」
後ろからアホの声がした。
振り向くと、そこにはアホの極が。
「なに、お前いたの?」
「え? 冗談だよな? さすがに酷いぞそれは」
「いや、すまん。ガチでいんの気付かなかった」
極が体育座りでヘコんだ。
「しょ、しょーがねーだろ。先帰ったと思ったんだから」
「ふん。この色ボケ野郎が」
「口だけは達者だよなお前」
「やかましいぞ。だいたいお前は……、」
極が何か言いかけた時、ケータイが鳴った。オレのじゃない。極の物らしい。曲は……、
「極……、」
「なんだ」
「着うたが軍歌ってのはどうなのよ」
「素晴らしいだろう?」
オレには理解できない。
着信音がすぐ止まったから、メールだったようだ。極はスラックスのポケットからケータイを取り出した。
「む、美咲か……」
極の目がケータイのディスプレイ上を滑っていく。10秒ほどで読み終えたらしく、端末をパタンと閉じた。
「よし、友、俺は行くぞ」
「は?」
「美咲の買い物に付き合うことになった。お前とゲーセンでも行こうかと思ったが、まあ仕方ない。また今度誘ってやる」
「はぁ!? おま、ふざけてんのか……、」
「お、見ろ友! ヨーロッパの灯だ! という訳でさらば」
アホが教室から走って出ていく。ふははは、と高笑いを残しながら。残ったオレは、呆然とそれを見ていた。
なにアイツ? すげームカつくんだけど。色ボケ野郎はどっちだ。月曜に本気で関節を極めてやろう。
まあ、あんなバカは放っとくとして、
「さてと……、」
ヒマになった。悟は部活だろうし、特に行きたい所とかもない。一人でゲーセンって気分でも無いし……。
十数秒考えた末に、
「タカフミんとこでも行くか、久しぶりに」
予定を大雑把に決めて教室を出た。出会ったクラスメート達と別れの挨拶を交わしながら、玄関へと向かう。ハイカットのスニーカーを取り出して履き、上履きを靴箱にしまう。つま先で地面をトントンと二回叩いてから、玄関を出た。
駐輪場で自転車を引っ張り出し、カゴにカバンを突っ込んで漕ぎ始める。昼よりは若干気温が下がったようだ。急いで漕いでもそれほど汗は出てこない。
腕時計を見ると、時刻は15時半を回るところだった。みつきが帰るのを21時と仮定すると、5時間以上もヒマになる計算になる。
「ヒマだ」
口に出してもヒマさが減るわけがなかった。
無心で家までの道のりを自転車で走る。やがて、自宅であるアパートが見え始めた。
敷地に入り、駐輪スペースまで自転車を押す。バイクの隣に停め、ロックをかけた。
「店は18時からだったっけ……」
もう一度時計を見ながら、目的地の開店時間を呟く。バイクなら20分くらいで行けるから、家を出るのは17時30分くらいか。
予定の確認を終え、家に入った。自室にカバンを置いてから、学ランを脱いでクローゼットに掛ける。スラックスも同様に掛け、上下ジャージに着替えた。
「っし」
腕を曲げ伸ばししながら本棚に手をかける。本を取り出すことはせず、手をかけた状態で引き戸を開けるように動かすと、本棚は本当に引き戸のように音も立てずにスライドした。その奥には、地下に続く階段。
本棚を元に戻してから、壁に設置されたスイッチを入れ、電気をつけてから地下への階段を下りていく。
1分ほど下りると、階段は途切れた。そこに現れたのは、ただっ広い地下室。体育館ほどの面積がある、地下とは思えないくらい明るい室内に、射撃訓練スペースやジムほどの設備があるトレーニング機器、実際にCQBの訓練をする為のスペースが設けられている。
見た目はただのアパートだが、この建物は特警の管理物件なのだ。オレ達のような身寄りのない未成年隊員に優先して貸し出されている(よって現在、このアパートにはオレ達しか住んでいない)。
隊員専用ということで外観に反して設備は充実しており、人体通信を元にしたセキュリティー機能、この地下室のようなトレーニングルーム等、かなり高性能な造りとなっている。わざわざ本部まで行かなくても割と本格的なトレーニングが出来るというのは、本当に助かっている。
出発時間までは、ここでトレーニングをして過ごすことにした。ひとまず、筋トレに入る。ベンチプレス、ランニングマシン、ダンベルに懸垂と順にこなしていく。少し休憩してから今度は腹筋、背筋、と部位を変えつつ負荷をかける。近接戦闘型であるオレにとって、フィジカル面というのはとても重要な要素だ。実力が拮抗した相手だった場合、生死を分けるのは基礎的な筋力という事態は珍しくない。そうした事態に備えて己を鍛えるのは、特警に入隊した頃からの日課になっている。
1時間ほど続けると、さすがに肉体が悲鳴を上げた。床に大の字で寝転ぶ。全身がまんべんなく、内側から痛む。
「っぐあー、やっぱきちーわ」
思わず声が出た。汗がだくだくと滝のように流れ、寝転んだ輪郭にそって床に染みを作っていく。首だけ動かして壁にかけた時計を見ると、もう17時。そろそろ準備を始めた方がよさそうだ。本当は射撃訓練もしたかったが、時間が無いからやめにした。
しばらく荒い呼吸を繰り返して息を整え、落ち着いたところで立ち上がる。部屋の隅に設置されたシャワースペースで汗を流し、体を拭きながら小走りで階段を上った。
地下に入った時同様、本棚の扉を開けて自室に戻り、棚は元に戻す。ジャージを脱いでジーパン、Tシャツに着替え、黒のライダースジャケットを羽織る。そして、脇の下にショルダーホルスターを吊るし、リボルバーを収める。本当はあまり好きではない位置なのだが、街中で腰に下げた丸見えの状態で歩くわけにもいかない。もう一丁、自動拳銃はアタッシュケースに入れた。
財布や鍵、ケータイと携帯を持ったか確認し、靴を履いて外に出た。鍵穴に鍵を突っ込んで回し、しっかりと施錠する。
駐輪スペースからバイクを引っ張り出した。シートを上げ、メットインスペース内のヘルメットと、手に持っているアタッシュケースを入れ替える。ヘルメットを被ってからエンジンをスタートさせ、バイクを出した。
目的地は本町。町の中心部である為に必然的に大きな道を通る事になるが、時間が時間だけに車が多い。そこかしこに仕事帰りらしいサラリーマンの車が走っている。
結局、20分ほどかかる距離に30分かけてしまった。ようやく着いた本町の駐輪所にバイクを停め、施錠してから荷物を取り出す。ずしりと重いアタッシュケースの代わりに、ヘルメットをしまった。
そのまま大通りには向かわず、少し奥まった道の方に入った。メインの通りと比べると、人通りは格段に少なくなる。日が傾き始めたせいか、少し暗い。
5分ほど歩くと、目的地の看板が見えてきた。木製のボードに書かれ、上からライトで照らされている装飾文字は【Bar:CARD】。そう、目的地とはこの【CARD】というショットバーだったのだ。知り合いが経営している店で、割とよく来る場所。
飾り気は無いが、どこか洒落ているドアを開けると、カウンターの中でグラスを拭いていた人物、近藤隆文がこちらを向いた。
「いらっしゃーい、ってなんだ。友かよ」
「オレじゃ悪いかよ」
「別に。開店して一発目の客がお前だったからがっか……、あ、いやいや、ようこそ当店へ」
わざとらしく修正してからカウンターを勧めてきた。ムカつく。
バーのマスターであるこの男はまだ25歳。なのに、玉本センセくらいのイケメンで作る酒も美味いらしく、あまり大きくないながらも店は繁盛している。隠れ家的な、とでもいうのだろうか。
まあ、繁盛している理由はそれだけじゃないのだが……。
勧められた通り、カウンターに座る。黒を基調としたシックな印象がある店内を見回すと、最初に目に入るのは巨大なピアノと、壁に掛けられて後ろから照明でライトアップされた半紙って……、
「隆文、」
「あ?」
「いつも思うけど、オシャレなバーに飾ってあるのが書道の作品ってのはどうなのよ」
「そのギャップがわからないからお前はガキなんじゃん?」
全く意に介さず隆文は言うが、「卵かけご飯」とか「電気回路」とか毛筆で書いてある作品が飾られているバーはそう無いと思う。ちなみにこれは隆文の趣味で、書道は八段らしい。確かに達筆だとは思うけど……。
「書く内容がなぁ……」
「気にしたら負け。で、何にする?」
「ウーロン茶」
「わざわざバーまで来て?」
「と、焼き鳥」
「わざわざバーまで来て?」
「無いのかよ」
「あるけど」
あるんかい。
注文を受けた隆文が、カウンターの中で串に刺さった鶏肉を焼き始める。食えるのは嬉しいけど、頼んだ物がなんでも出てくるバーってどうよ?
とは思ったが、この男、もといこの店にツっ込み始めたらキリが無い為、思考を打ち切る。カウンターに出されたウーロン茶を一口飲んだ。
「ったくよ、未成年がちょくちょくバーに来て、挙句たまに酒飲んでるとは、日本も終わりだな。ハイ、出来た」
ブツクサ言いつつ、皿に乗った焼き鳥を差し出してきた。悔しいが、いつ見ても美味そうだ。
いただきます、と手を合わせてから焼き鳥を口に入れる。塩コショウだけのシンプルな味付けだが、美味い。
「つか、客来ねぇな」
「今日はナオさん来るって言ってたけどな」
「ふーん」
3本出てきた焼き鳥を食べ終わり、皿をカウンターの中に返す。隆文はそれを受け取ると、ウーロン茶の入ったポットを持ってみせた。
「茶のおかわりは?」
「もらう」
「Certainly,sir」
カッコつけて応えると、隆文はシェイカーにウーロン茶を注ぎ……、
「おい待て」
「ん?」
「まさかそれでシェイクした茶をオレに飲ます訳じゃないよな」
「That’s right」
このヤロォ……。
「客に泡立った茶を飲ませるバーテンダーがどこにいる」
「あー、不味いよな。ガッコ着いて茶飲もうと思ったら、カバンの中で揺れまくって泡立ってた時とか」
「あ、あるある」
一瞬油断した隙に、隆文はシェイカーを振り始めた。
「あっテメ……!」
「はい出来た。ウーロン茶のバブルシェイクバージョンでございますっと」
泡立ってビールみたいになったウーロン茶がグラスに注がれる。しばらく待ってから飲もう……。
憎々しげな視線で隆文を見ると、全く気にしてない様子で何か思い出したように問うた。
「そういや今日、光月ちゃんは?」
「みつきは友達とカラオケ行った」
「ふーん、フラれた?」
極と同じようなこと言いやがる。
「クラスマッチの作戦会議っつー名目だと」
「なるほど。で、友は傷心を癒やしに来たと」
「人の話を聞け」
極といいコイツといい、なんでオレの周りにはこんなヤツしかいないんだろう。
冗談だよ、と言って隆文は更に問う。
「でも、ただ来た訳じゃないだろ?」
そのセリフで、オレ達を包む空気が変化したのがわかった。たわんでいた糸がピンと張るような、そんな変化だ。
「まあね。なんか新しい情報とかあれば買いにきた」
オレの返答に隆文は大きくうなずく。
このバー、そしてマスター近藤隆文のもう一つの顔。それは、裏社会における情報屋だ。そこいらの探偵事務所顔負けのありとあらゆる情報がここには集まる。目の前でシェイカーを弄んでいるこのイケメンも、オレ達同様タダ者ではない人物の一人だ。
例えば、ここでオレが懐からパイソンを抜けば……、
「っと」
自分に向いたリボルバーの銃口を気にせず、カウンターの中から取り出したワルサーをオレに突き付ける。その反応たるや、特警隊員に劣らぬ速さだ。
「どしたい友。穏やかじゃないね」
「別に。ちょっと試しただけ。悪い」
素直に謝ってパイソンをホルスターに戻すと、隆文も銃をしまった。
「しかし、情報ねぇ……」
隆文が顎に手をやり考える。泡立ちが引いてきたウーロン茶に口をつけると、思考を終えた隆文は答えた。
「お前さんの目的に関する情報は入ってない、かな」
静かな声でそう言ったマスターに、そっか、とだけ答える。カウンターに両肘を突いて顔の前で手を組み、目を閉じる。
隆文が言った、オレの目的。何も珍しいことじゃない。マンガや小説ならごくありふれたベタなものだ。
有り体に言えば復讐。両親を死に追いやった組織を、この手で潰す。ただそれだけの事。
3年前の事件後、オレは所長の申し出を断って特警に残った。最たる理由は、みつきとの生活を護る為だ。しかし、もう一つはオレ自身の目的の為。オレ自身のエゴを通す為だ。
そうすることで自分の罪を帳消しにできるとは、全く思っていない。けど、どうしても許せないのだ。今この瞬間にも、ヤツらのせいで誰かの人生がオレと同じように狂っていると考えると、憎悪という熱ではらわたが煮えくり返る。
そのせいで、みつきを幸せにしきれない事を知っていても。
だからオレは、特警という場所で非合法を合法にしている。なんの感情も無く、標的を死に追いやっているのだ。
矛盾とジレンマを抱えながら。
目を開けて、グラスの中のウーロン茶を一気に飲み干した。空になったグラスを、トンとカウンターに置く。
「スコッチは?」
「いらない。みつき迎えに行くためにバイクで来てるから」
隆文の問に、首を振りながら答える。その時、後ろでドアが開く音がした。数人の女性客が入ってくる。どうやらそろそろ人が増えてくる時間らしい。
入ってきた客は、オレから幾分離れた席に座り、何かカクテルを注文したようだ。隆文が注文の品を作っている間に楽しそうに話していることから、常連らしいことがわかる。
客のグラスにカクテルを注いだ隆文は、その客に断りを入れてこっちの席に戻ってきた。
「友、」
「ん?」
呼びかけた声に応えると、隆文は声のボリュームを落として囁いた。
「お前の目的に直接関係ないけど、一つ情報は入ってる」
「何?」
「最近この辺で、禁止薬物のでかい取引があったらしい。それも狂化系の」
その情報に、思わず耳を疑う。
「マジで?」
「ああ。けっこう大規模な取引だったらしいから、お前にも任務で回ってくるかもしれねーよ」
「知らないよりはいいだろ」と言って隆文はオレのグラスにウーロン茶を注いだ。親指と人差し指で「0」を作ったから、サービスらしい。
「狂化系、か」
狂化系薬物とは、最近犯罪に使われることが多い危険な物だ。主に被洗脳者に打ち込まれる薬物だが、一度で強い中毒症状を発生させ、打たれた人間は理性と感覚を無くす。代わりに筋力等の身体能力が爆発的に強化されるのだ。そして、狂ったように殺戮を繰り返すただの無差別殺人マシンと化してしまう。
感覚が無いということは、当然痛覚も無い。理性も無いから、殺しをためらう事も無い。ただ中毒症状に苦しみ、超人的な肉体でひたすら暴れまわる。そんなあり得ない存在が出来上がってしまうのだ。
一度そんなものが出現すれば、一般人に対する被害は尋常ではないものになるのは明白だ。実際、今までに起こった被洗脳薬物中毒者による犯罪では、一度に死者が100人を超えることもざら。特警でも最もてこずる相手だ。通常のケースでは、被洗脳者は拘束して洗脳解除を行うのが定石だが、薬物が絡むとそう悠長なことは言っていられない。その場で迅速に殺害することとなる。
例え、元来その人物になんの罪が無くてもだ。
対峙した時に一番厄介な存在の情報を事前に知れたことは大きい。隆文に礼を言い、財布から情報料1万円札を出して渡した。
うなずいて紙幣を受け取り、隆文は再び女性客の方に戻った。その間にも、客は少しずつ増えていく。
(なんだかんだで流行っちゃいるんだな)
オレ以外にも情報を買いに来る客はいるんだろうけど。
それから1時間ほどちびちびウーロン茶を飲んでいると、店のドアが開いて見知った顔が入ってきた。
「いらっしゃーい。お、ナオさん」
「よーっす」
店主らしく客を迎えた隆文に、入ってきた人物は手を挙げて応える。隆文はその人物に、オレの隣の席を勧めた。
「ども」
「おお、友もいんの」
会釈すると、メガネをかけた男性が人当たりのいい笑みを浮かべながら隣に座った。肩に担いでいた大きな黒いハードケースを床に置く。
「っくぁ。一人?」
「うん」
あくびをしながら質問されたことに対し、うなずいて答えた。
ナオさんこと、前田直勝がメガネを外してレンズを拭いていると、隆文が別の客から放れ、こっちに来て問うた。
「ナオさん、何にします?」
「んー、キャラメルマキアートで」
「わざわざバーまで来て?」
「無いの?」
「あるけど」
あるんかい。
注文を聞いた隆文は、冷蔵庫からキャラメルマキアートを取り出すと、グラスに注いでナオさんの前に出した。それをナオさんは美味そうに飲む。29歳男性が美味そうにキャラメルマキアートを飲む姿は、本人には悪いけどシュールだった。さすが甘党。みつきと仲良しなだけある。
「あ、そだ。ナオさん、」
グラスが空になった時、声をかけると、ナオさんはこちらを向いた。
「今度、まあ次の任務が終わってからでいいんだけど、パイソンとイーグルの点検お願いできる?」
「ん、いいよ。ホントよく整備するよね友は。プロフェッショナルと言えばそうなんだろうけどさ」
オレの要求に、ナオさんは首を縦に振って言った。その拍子に少し下がったメガネを、右手で押し上げる。
物腰柔らかいこの人も、裏社会ではかなりのキレ者だ。この近くの地下で、日本では珍しいガンスミス(銃の販売、整備をする人)をやっている。オレの両親がお世話になっていたガンスミスの弟子で、最近本格的に仕事を師匠から任されたらしい。その他、特警の許可を得て武器類の販売、整備もやっており、この人から武器を調達する隊員は多い。
「んじゃ、今度行くわ」と言って頭を下げた瞬間、
「あー、ナオさん来てるー! 私今日ツいてるわー」
オレの次に来店した女性客がナオさんを見つけ、嬉しそうに声を上げた。それを聞いた他の常連客からも同じような声が上がる。
店内の雰囲気に照れたように手を挙げたナオさんは、オレにうなずいてから持ってきたハードケースに手をかけた。それを開けると、中から現れたのは金色に輝く大きな楽器。テナーサックス。それを目にした客から、また歓声が上がる。
この人はたまに、この店でサックスの演奏をやっているのだ。普段銃を扱っているとは思えないほどの腕前なので、この時間を楽しみにする人は(オレ含めて)多い。他にも楽器、例えばピアノが出来る人だったらピアノで参加したり、フルートならフルートで参加したりと、即興の音楽会になることもある。
店の真ん中で一礼したナオさんは、トントンと足でリズムをとってから、演奏を始めた。
途端に店内が、美しい音色で満ちる。空気に溶け込み、触れた者の心を癒すような、柔らかい音だ。その場にいる客は、皆一様にその音を楽しんでいる。まさに、音楽を感じているのだ。
有名なクラシックから、客のリクエストに応えた曲まで。ナオさんは様々な曲を演奏した。途中、ピアノを弾ける人が来たため、その人も参加。店はジャズバーみたいな雰囲気になった。誰もが音に酔いしれ、至福の時を過ごす。
1時間ほどで、その小さいながらも素晴らしい演奏会は終了した。ナオさんがぺこりと礼をすると、客は全員拍手喝采。最高潮の盛り上がりを見せる。
オレもパチパチと拍手をしていると、ジーンズのポケットの中で振動があった。ケータイを取り出して見ると、みつきからのメール。時計は20時半を指している。だいたい予想通りか。
メールを開く。
〈From:みつき
Sub:無題
今終わったよ。駅の近くのシダにいるから、迎えに来て?〉
【返信】を押して、返事を打つ。
〈To:みつき
Sub:Re:
了解。すぐ行く。〉
簡潔な内容だけ打ち込んで、【送信】を押した。画面の中で便箋のマークがくるくると回転し、やがて【送信完了】の文字に変わった。
ケータイを閉じる。
「隆文ー、」
「ん?」
カウンターの中に呼びかけると、気付いた隆文が歩いてきた。
「どした」
「みつきからメール来た。もう帰るわ」
「そっか」
「焼き鳥200円と、ウーロン茶100円が3杯だから500円だろ」
財布から500円玉を取り出してカウンターに置く。
「ごちそーさん。また来るわ」
「毎度。今度はみつきちゃんも連れてきな」
「ん」
踵を返してからひらっと手を振り、アタッシュケースを持って出口に向かい歩く。途中、他の客と話していたナオさんと目が合った。手を振られたので、軽く会釈を返す。
ドアを開けて外に出ると、少し冷たい空気と本町の喧騒がオレを迎えた。突然の寒さに肩が少し震えた。空はもう暗く、散りばめられた星が光を放つ。両手で作った器に息を吹きかけて、駐輪所に急いだ。
停めた場所で大人しく待っていたバイクを起動し、カラオケボックスに向かった。本町とは駅周辺のこの辺りを指すから、5分もかからない。ここから駅の上部が微かに見えるくらい近いのだ。
風のように町を走り抜け駅周辺に出ると、みつきの言っていたカラオケボックスが見え始めた。建物の前に数人の人影が見えるから、あの中にいるんだろう。
建物の前にバイクを横づけすると、気付いたみつきが駆け寄ってきた。少し驚いたような顔をしている。
ヘルメットを外し、みつきと視線を合わせる。
「よっす」
「早かったね。びっくりしちゃった」
「ちょうど出てたんだよ」
みつきと話していると、女子がわらわら寄ってきた。全員がバイクとかオレとかを物珍しそうに見ている。
「すご。間近でバイク見たの初めて」
「光月これに乗るんだー」
「日向のくせにカッコつけてんじゃないわよー」
なんでだよ。
“日向のくせに”発言をした有野がオレをビシッと指さした。
「そう、日向!」
「あんだよ」
「あんたの愛情表現がビミョー過ぎるせいで光月が不安になってんのよ! まったく、こんな可愛い娘を不安にさせるなんて男の風上にも置けないわ」
ひでぇ言われようだ。
しかし、みつき以外の女子は全員うんうんとうなずいている。こーゆーの多勢に無勢って言うんだっけ?
あんまりここにいると、どんどん立場が悪くなる気がしたからさっさと逃げることにした。みつきにヘルメットを渡して被らせる。
タンデムシートにみつきが座ったのを確認して、エンジンを起動する。うるさい排気音が辺りに響いた。
「んじゃ、帰るわ」
「じゃーね、みんな。楽しかったよ」
「じゃーねー光月!」
「また行こうねー」
「日向になんかされたら相談すんのよ!」
しねーよなんにも。
手を振る女性陣に背を向けて、バイクを出した。
家への道を走っていく。昼は暑かったのに、今は風が冷たい。この辺が夏とは違うところだな。体の周囲を冷気を孕んだ風が通り抜けていく。
家までの道を半分ほど走ったところで、少し進路変更した。目指すはレンタルショップ。DVDを借りに行くのだ。あまり遠くない場所にあるので、数分も走れば着いた。
店の前にバイクを停める。外したヘルメット二人分をしまい、店内に入った。
自動ドアをくぐってすぐの場所にあったカゴを手に取り、みつきが軽い足取りで歩く。オレはその後をついて行く形になった。
棚を見つつ歩いていたみつきが、不意にオレを振りかえる。
「ねぇ、ゆう?」
「ん?」
棚から目を戻して応えた。
「どこ行ってたの?」
「タカフミんとこ」
「あ、なるほど。それで早かったんだ」
「そ。ナオさん来てたぜ」
「えー、そうなの? 私も行きたかったなー」
甘党のみつきは、同じく甘党のナオさんと仲良しだ。みつきがピアノを少し引けるため、店でいっしょに演奏したこともある。
少し落胆したみつきの頭を、苦笑しながら撫でる。
「今度はみつきも連れてこいってタカフミ言ってたからさ、また行ったら会えるんじゃない?」
「そぉかな?」
「うん。ナオさんあそこのキャラメルマキアート好きみたいだし」
「あ、私も好きだよ。美味しいもん、タカお兄ちゃんのキャラメルマキアート」
楽しそうにみつきは笑う。無垢という言葉をそのまま表しているような、純粋な笑みだ。
談笑しながら店内を回り、オレとみつきが映画を1本ずつ借りた。カウンターで代金を払い、DVD2本が入った袋を受け取る。
再び自動ドアをくぐる。CARDを出た時と同じく、冷気が肌を刺した。みつきが両手を擦り合わせている。
「寒いねー。お昼は暑かったのに」
「ホントな」
体が芯から冷える。何か温かい物が飲みたくなった。
みつきに「ちょっと待ってな」と言い、自動販売機に向かう。500円硬化を投入口から滑りこませ、自分のコーヒーと、みつきのミルクティーを買った。
バイクの隣で座っているみつきの所に戻り、プルトップを開けたミルクティーを渡す。
「ん」
「わー、ありがと」
みつきは両手でそれを受け取ると、缶に口を付けて美味そうに飲んだ。オレもブラックコーヒーを喉に流し込む。温かい。体の中心から熱が広がっているような感覚だ。
お互いに無言で温かい飲み物を飲み続けた。先にオレが飲み終わり、次いでその10秒後にみつきが飲み終わる。空になった缶を受け取って、自動販売機横のゴミ箱に入れた。
戻ってくると、みつきはにこりとしながらオレの前に立った。
「ありがとゆう。寒かったからすっごく美味しかった」
「ん。さて、帰るか」
「うん!」
取り出したヘルメットをみつきに渡し、自分も被る。後ろに座ったみつきに準備はいいか確認し、バイクを出した。
満天の星の下、家までの道を走っていく。
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