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VS〜コノヨノコトワリ〜  作者: TERIS
FILE2:『闘争』
13/33

FILE2.4:我が相棒に捧ぐ

 動けない。杭で体を地面に縫いつけられたように、動くことができない。声だけでこれだけの圧力。見ずともわかる。間違いない、ヤツだ。今オレが殺した、この男の相棒だ。銃をホルスターにしまったことを後悔し、精神を尖らせつつゆっくりと振り向く。

 そこには、予想通りの人物がいた。電柱のような巨体が、部屋の入り口でSMG(サブマシンガン)を構えている。鋭い眼光はこちらを睨んだままで、まったく揺るがない。

 しばらくそのまま睨み合った状態が続いたが、やがて男が部屋の隅を顎で指した。

「両手挙げて壁まで下がれ」

 低く深い声が響いた。一瞬判断に迷ったが、ここは閉所だ。そして相手はSMG。下手に動けば死ぬ可能性の方が圧倒的に高い。いったん様子を見るべきだと、冷静に考えた。

 指示通りに両手を上に挙げ、ゆっくりと壁際に下がる。オレが一歩下がるたびに男は銃をこちらに向けたまま部屋に一歩踏み込んだ。そのまま男は、今しがたオレが殺した相手の方へと向かっていく。

 下がり続けて、ついに壁に背を付けたときには、男は相棒のもとへたどり着いていた。そしてやはりSMGの銃口は動かさずに、緩慢な動作でその場にしゃがんだ。

 男は跪いて左拳を胸に当て、目を閉じた。静かな黙祷。沈黙の中、男は石像のように動かずに同じ姿勢をとり続ける。どう見ても隙なはずなのに、既にこの世にはいない相棒へのどこか厳かな祈りを見ていると、なぜだか銃を抜くことができなかった。

 何分ほどそうしていただろうか。男がおもむろに目を開けた。

「なんつー顔して死んでんだよ……」

 笑顔のまま死んだ男を見てポツリと呟くように言う。呆れたような、でも全てわかっていたような。それは、真に相棒の事を理解して言った言葉に思えた。

 その様子を見て、不意に極の顔を思い出した。アイツだって、オレの相棒だ。もしアイツが死んだら、オレもこの男のように黙祷するだろう。きっとその逆、オレが死んだ場合でも、極は同じように祈りをささげる。オレ達のような裏社会で生きる者の間には、時に何物にも代えがたいほどの絆が生まれることがあるのだ。

 男は相棒の首に手を伸ばし、そこにかかっていたネックレスを取り外して自分の防弾ジャケットの胸ポケットに入れた。同じように、相棒のカーゴパンツのポケットから携帯を取り出し、自分のカーゴパンツのポケットにしまう。

 遺品の回収を終え、男は座った時と同じように緩慢な動作で立ち上がった。一度もブレなかった銃口をこちらに向けたままで正面から見据えてくる。ストックを肩に付けて、狙いをしっかりとオレに定めた。

「まさか、コイツが殺られるとは思わなかったよ……」

 男は言いながらドットサイトを覗きこんだ。照準を示す赤い点は、オレの心臓に重なっているのだろう。

「どうだ? 強かったかよ、俺の相方は?」

「ああ。久々にバケモンを見たって感じだな」

 両手を挙げたままで問に答える。狙いを固定した状態で、男が口元だけで二ヤリと笑うのが見えた。

(しかし……、)

 余裕ブッこいて喋ってはいるが、状況は非常にマズい。MP5はかつて過剰性能と評されたほど命中精度のいいSMGだ。狙って撃たれただけで致命傷になる。しかもセミ・フルオート切り替えに3点バースト付き。怖ぇ。改めて考えるととんでもねぇ性能なんだな。あれ、つーか所長、3点バーストで改造銃って言ってたけど、モデルによっちゃ普通に機能として付いてなかったか?

 っと、いやいや。余計な事考えてる場合じゃないな。このままじゃ絶対負ける。

 無駄な思考を振り払っていると、男はその場から動かずに喋り始めた。

「こんな世の中だから、死ぬなとは言えねぇけどよ。相棒(コイツ)を殺した相手が目の前にいるんだ。悪いがきっちり仇討ちさせてもらう」

 サイトを覗きこんだまま、ゆっくりと男の指が引き絞られていく。

 どうする……? かわすにも限界があるんだ。フルオートで弾をバラまかれたらまず防ぎきれない……。

 目だけ動かして辺りを探る。倒れた男の死体、今にも牙を剥きそうな銃口。そして大量に積まれた会議机――!

(これだ……!)

「死ねよ……」

 男が指を引き切る瞬間、体を右に動かす。

 ダダダン、と発砲音を響かせながら、3点バーストで銃弾が吐き出される。直進した弾丸は、直前までオレがいた場所を通り抜けて壁を削った。

「チッ!」

 男が照準を動かしながらセレクターを操作する。多分フルオートにして弾幕を張る気だろうが、そうはさせない。

「させっか、」

 積まれた机を一つ、両手で引っつかむ。ヒビの入った左腕に激痛が走るが、そんな悠長なことを言っていられる場合じゃない。体を捻りながら遠心力を利用して机を男に向かってブン投げた。

「よォ!」

 男の顔面に机が飛ぶ。舌打ちし、転がって避けた男は、膝立ちになって再び銃をオレに向けた。男の後ろで会議机が地面に落下し、激しい音を立てる。

 が、それだけの時間があれば状況を立て直すには十分過ぎた。自動拳銃(イーグル)を抜いて構え、オープンサイトに男を捉えて牽制する。同時に、左手でポーチを探った。爆薬用のボトルと同じくらいの大きさの筒状の物体を握って、取り出して真ん中から折り、地面に落した。

 途端に、落とした小さな筒から、その大きさの筒から出るとは思えないほどのもの凄い量の煙が溢れ出した。たちまち辺り一帯に濃い白のカーテンが張られていく。

 男が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。それが見えたのも一瞬で、次の瞬間には煙で遮られて見えなくなる。それを確認してから、部屋の出口方面に向けて走り出し、ジャケットのポケットから暗視スコープを取り出して装着した。

 男がいた方を向いてみると、グリーンの画面の向こうに、オレと同じように暗視スコープを付けて辺りを見回している人間の姿がはっきり見えた。時々あさっての方向に銃を撃っているが、どれも壁や机を削っているだけで意味をなしていない。

 ただのスコープじゃ見えねぇよ。特警(ウチ)特製の煙幕は。

 特警製の煙幕、つまり発煙筒は、小型でありながらかなりの量の煙を吐き出す。しかも一般の暗視スコープ(ナイトビジョン)では見通すことができない特殊な煙の為に探知や詮索も妨害する、最高の緊急煙幕用品なのだ(特警のスコープは専用に作ってあるために視界の確保が可能)。

 だがいくら煙幕を張ってもいつかは晴れるし、テキトーに銃を乱射されたら危険だ。銃撃戦になるにしても、相手がSMGである以上は閉所より入り組んだ場所の方が立回りやすい。ここはいったん退散した方がいいな。

 男の銃口の向きに注意しながら部屋の出口に走る。弾が切れたらしい男が再装填(リロード)を終え、目を閉じた。しばらくそうしていたが、不意に目を開けて銃口をこっちに向ける。

「げっ」

 とっさに前に転がると、発砲音の後に背後を銃弾が通過していった。あぶねぇ。当たるとこだった。

 外してからも、確実とは言えないがだいたいの狙いを付けて撃ってくる。見えてなくても音から判断してるようだ。

(どんだけ立て直し早ぇんだよ、ったく)

 敵の冷静さに感心しつつようやく出入口にたどり着き、部屋を脱出しようとした時、なぜか背中に嫌な感じが走った。無数の針で刺されているような、痛みとも悪寒とも取れる感覚だ。何かある。このまま部屋を出るのは危険だと本能が訴えている。

(なんだ……?)

 立ち止まり、目を凝らして見ると、足下の方で何かに部屋の光が反射した。一瞬のことだから、注意して見なければ絶対に気付かなかったはずだ。

 しゃがむと、嫌な感じの正体が理解できた。極細のワイヤーが低い位置にピンと張られている。その先をたどってみると、手榴弾に結びついていた。オレが足を引っ掛けたら起爆する、という意図で仕掛けられたものだろう。

「ベタなトラップ……」

 しかし、ベタということはそれだけ信頼性の高い、よく使われる手ということだ。今だって何も考えずに部屋を出ていたら、確実にドカンだった。

 処理しようと思ったが、タイミングの悪いことにだんだんと煙が晴れてきた。もたもたしてるとハチの巣にされそうだ。ワイヤーをまたいで部屋を出て、すぐさま左へと曲がる。

 ダダダン!

「っと、あぶね!」

 曲がった瞬間に銃弾が壁を削った。改めてMP5の集弾性能にビビりながら走る。その間に手榴弾を取り出して5秒の設定になっていることを確認。ピンを抜いて、今しが出た部屋の入り口に向かって投げた。

 放物線を描いて飛んだ手榴弾が地面に落ちようかという時、男が部屋から飛び出してきた。ナイスタイミング。

(もらった!)

 もう1秒ほどで爆発しようかというその瞬間、手榴弾は地に着いた。ダメージは確実だと思ったが、男は信じられない早さで反応し、ショートバウンド気味の手榴弾を左手でキャッチした。

「なっ……!?」

 キャッチの流れのままで右手に手榴弾を移し、素早く腕を振り、投げる。その一連の動作を、この男はほぼ1秒ほどでやってのけた。

 ドバン!

 そして手榴弾は、オレと男の中間地点辺りの空中で爆破した。暗い廊下に、小さな炎の花が咲く。

「マジかよ」

 あのおっさん絶対元野球部だ。間違いない。ポジションはショートかセカンドと見た。

 ダダダン!

「っと!」

 のんきな事言ってる場合じゃなかった。足下に弾丸が突き刺さる。

「なろっ!」

 ダン!

 後ろ手に自動拳銃で発砲する。が、当たった気配はない。

 撃たれては撃ち返す。互いに決定打を与えられないままで、その応酬はしばらく続いた。入り組んだ建物内で、時折同じルートを走りつつ、逃走と反撃を続ける。

 いくつか角を曲がると、頭上を何かが飛んでいくのが見えた。

「ん?」

 黒い影が、目の前にポトリと落ちる。それを見た瞬間、背筋が凍りついた。

「チィッ!」

 ピンを抜いた手榴弾が転がっている。このままでは、すぐに爆発してオレの命を奪うだろう。

 走って勢いのついていた体をむりやり止め、手榴弾を蹴っ飛ばす。蹴られたそれは暗い廊下を飛んでいき、遠くの方で爆破した。

 爆発の脅威は去ったが、状況は悪化した。今の一瞬で男に追い付かれたのだろう。背後に強力な殺気を感じる。左腕を負傷した状況で、まともに接近戦ができるのか……?

(いや、)

 出来るかじゃない。殺らなきゃ殺られる。それ以外の選択肢はこの場に存在しない。殺られたら終わりだ。ならば――、

(殺る!)

 ドクン、と、心臓の動く音が聞こえた。銃をホルスターにしまい、懐から特殊警棒を取り出す。強く振ると、振り出された部分が固定される。グリップが手に吸いついてくるような感覚を確かめながら、一度小さく振った。

 背後で空気の裂ける音を聞き、振り向きながら特殊警棒を横に薙ぐ。

「っはぁ!」

「ッしィ!」

 ギィン!

 甲高い音を立てて、火花を散らしながら互いの武器が交錯した。一階での戦闘のフラッシュバックのように、鍔迫り合いになる。押しつ押されつ。互いの警棒の先が行き来する。それを見ていると、屈辱的な記憶も蘇ってきた。

「ああ、そういや、」

 不意に言ったオレに、男は訝しげな視線を向けた。

 構わず続け、足を振りかぶる。

「さっきはこっからやられたんだった、な!」

 膠着状態のままで、男の脇腹に右中段回し蹴りを入れる。肉に衝撃を加えた鈍い音が響いた。

「ぐっ!」

 男は体をくの字に折り、よろめきながら一、二歩後ずさる。交差した警棒が離れた。

 警棒を左手に持ち替え、ホルスターからパイソンを抜く。

「っらえ!」

 すだん!

 即座に狙いを定めて撃つ。轟音が響き、右腕が跳ね上った。しかし、引き金を引く一瞬前に男は動いていたようで、はずれた弾丸は彼方へ消えていった。

 かわした男も警棒を持ち替え、SMGをこちらに向けた。

(来いよ……!)

 相手の指と銃口の向きに意識を集中する。それ以外の、他一切が意識から消え去った。

 見える。銃口から伸びた一本の線が。敵の指のわずか1ミリほどの動きが。自分に銃弾が突き刺さる光景なんか浮かばない。ただ浮かぶのは、かわしたオレが元いた場所を虚しく通り抜ける9mmパラベラム弾だけだ。

 足に力を込める。視界と筋肉を極限までリンクさせる。考えていては間に合わない。反射だ。見る、動くを同時に行う。それが理論上可能な、しかし常人には不可能な事を可能にするのだ。

 今のオレに必要なのは、ただそれだけ。

 男が指を引き切る瞬間、地を蹴った。

 3発の弾丸がほぼ同時に発射された。ただでさえ高性能な銃から発射される弾は、確実に狙いの場所へ到達するだろう。そうすれば、対象となった人間は簡単に命を閉ざしてしまうに違いない。

 そこに、人間がいればの話だが。

 3発の弾丸は、虚空を切り裂いて、どこかへ消えていった。

「チッ、ホントに見えてやがんのかよ……!」

 男が舌打ちと共に毒づくのが聞こえた。SMGのセレクターを操作し、3点バーストからフルオートに切り替え始めた。

(遅ぇ!)

 リボルバーを瞬時にしまい、同じく瞬時に自動拳銃を抜く。

「Fire!」

 ダン!

 一瞬のブローバックで、手首に反動の衝撃が走る。空薬莢が吐き出され、視界の外に消えていった。発射された.357マグナム弾は、早撃ちに反応できなかった男の腹部に命中する。

「がっは……!」

 着弾点を押さえて男が膝をつく。ボディアーマーがあるために貫通はしていないようだが、衝撃は逃がしきれない。ダメージはバカにならないはずだ。

 しかし男は、

「クソ……、速ぇなあ!」

 膝をついたままでSMGの銃口を向けてきた。その顔は自嘲的に笑っている。

「なっ!?」

 マジかこのおっさん……! いくらボディアーマーあるからって、.357マグナムだぞ……!? ストッピングパワーとかガン無視じゃねーか!

 マズい。この一撃で止めた所を集中攻撃するはずが、予定が狂った。

 男が引き金を引くと、SMGから大量の拳銃弾が乱射され始めた。

「クソッ!」

 Uターンし、男から離れるように走る。少し先に曲がり角が見えた。とりあえずあそこを曲がって……、

 あと1メートルで曲がれる距離まで走ったその時、鈍器で殴られたような衝撃が背中に叩き込まれた。銃弾が数発当たったみたいだ。

「っぐぁ!」

 足がもつれ、前に倒れそうになるが、足を踏ん張ってなんとか持ち直す。短い距離を一気に走り抜け、曲がり角に飛びこむようにして左へ跳ぶ。その瞬間にも、左頬を弾丸がかすめた。

 肩から着地し、受け身をとるように転がる。心臓がもの凄い勢いで拍を打っており、胸を圧迫されてるみたいだ。吐き気にも似た感覚がある。裂けた頬を伝う血が地面に落ちて、紅い染みを作った。頬もだが、それよりも背中のダメージが大きい。痛みを直接撃ち込まれたような気すらする。

「痛ぇ……」

 ジャケットにベストの二重防弾だからだいぶダメージは緩和されているが、それでもかなりの衝撃だった。骨折はしてないと思うけど、打撲にはなっているだろう。痛いで済んだだけまだマシだ。

 深呼吸で体を落ち着けていると、連続した射撃音が止んだ。多分弾切れだ。フルオートで撃てば弾なんて数秒で尽きる。

 即座に隠れた場所から飛び出した。すぐに男の頭に照準をつけ、自動拳銃をブッぱなす。

 しかし、狙いがずれたのか、撃ち出された弾は男の左肩に当たった。再装填(リロード)中だった男が呻き、弾倉をとり落としそうになる。だがそれでも、男は持ちこたえてSMGに弾倉をはめ込んだ。カチン、と音を立て、銃に次弾を送り込む準備が整う。

(どこまでタフなんだよおっさん……!)

 銃口が再びこっちを向くのを見て、飛び出したばかりの曲がり角にとんぼ返りする。コンマ1秒遅れて、避ける前にオレがいた場所を銃弾が走った。

「くっそ……、」

 相当タフだあのおっさん。肉体だけじゃなく、精神的な忍耐力がハンパない。常人ならとっくに意識がブッ飛んでるはずの痛みを、気合いで抑え込んで立ってる。こりゃちょっとやそっとじゃ勝てそうにない。

「やるっきゃねぇか……」

 こうなったら手段は一つしかない。ダメージとか余計なことは考えずに、短期決戦の一撃で仕留める。相手の方がタフな以上は長期戦になると不利だ。

 狙うのは心臓。ナイフで一突きして捻じる。それで終わりだ。

(大丈夫だ。絶対やれる……!)

 右拳で、胸をトントンと叩いた。自分の中に核をイメージした。数回深呼吸して、精神をその核に極限まで集中する。刀を研ぐように、精神を研ぎ澄ます。尖らせる。切れ味を増す。感情も躊躇もいらない。自分が生きる為に、相手を殺さなければならない。

 その覚悟は、3年前にもう出来ている。

 脳が焼き切れそうになる。精神は冷え切っているのに、体は熱い。氷を炎で包んでいるようだと思った。

 銃と特殊警棒をしまい、心臓の鼓動に、呼吸を合わせた。

 吸う。

 ドクン。

 吐く。

 ドクン。

 吸う。

 その動作を数回繰り返した時。

(来る……)

 心音が、

 ド……、

 消えた。

(ここだ……!)

 思うのと同時に、足が地を蹴っていた。もはや頭では考えていない。反射と同じスピードで曲がり角から飛び出し、90度向きを変えて男に向かい走る。

 男がSMGを構えるのが、スローモーションのように見えた。遅い。遅過ぎてあくびが出そうだ。その代わりに、男とSMG以外のモノが全て見えなくなった。色すらも無くなっている気がする。音もほとんど聞こえない。さっきまで感じていた痛みも消えた。人間の限界に限りなく近づいていることが、感覚として理解できた。

 速く。速く。ただ速く。

 銃口から体を外すように、前に転がった。その直後に頭上を銃弾が通過していく。あらかじめ打ち合わせでもしたみたいに、ぴったり同じタイミングだった。

 180度転がり、頭が下になった瞬間、両足を開きながら、逆立ちのように右腕を伸ばす。銃を突き出していたせいで、伸びきった状態になっていた男の右肘にオレの左足を当てた。

 緩めるな。尖らせ続けろ。

 その状態で、両足を閉じるように、男の前腕に向けて右足を高速で動かす。左足を当てた肘を支点、右足をぶつける前腕を力点にして、関節と逆に力を加えてやればどうなるか。結果は明白だ。

「っらああぁあぁあああ!」

 声を上げる。アドレナリンが過剰に分泌され、感覚がさらに鋭敏になっていく。

 両足が、交差した。

 ゴキャッ。

「っづあぁぁ!」

 ガシャン。

 その瞬間、無くしていた全ての感覚が戻ってきた。辺りに響いた何かが折れるような鈍い音も、男の叫びも、男の手から放れたSMGが地面に落ちる音も、全部聞こえた。同時に、背中と左腕にも痛みが再び走る。

「くっ……、」

 限界から一気に引き戻され、体が悲鳴を上げる。でも、まだだ。まだ止まるな……!

 ハンドスプリングの要領で右腕だけで跳び、両足で着地する。見ると、男の右腕は肘と逆方向という、あり得ない方向に曲がっていた。肘を支点に、右足で叩き折ったからだ。折れた骨が、肉を突き破って露出している。

 終わらせろ。あとは心臓を突くだけだ。

 それだけを実行するために、オレの脳は足に命令を出した。ナイフを抜いて右手に持ちながら、男に向かって駆け出す。感覚はあるが、感情はない。オレは、オレの意志をもって、コイツを殺す。

 もはや反応することすらできない男のこめかみに、右のハイキックを入れる。あれだけタフだった男は、枯れ枝のようにあっさりとうつぶせで地面に倒れた。

 倒れた男の背中に膝を乗せ、ナイフを振り上げる。頭上まで上げて一度止め、

「あの世で悔いろ。特警に狙われた事をな!」

 一気に振り下ろす。

 ドス。

 ブレードの根元まで深々とナイフが突き刺さる。男の脈動が、ナイフごしに伝わってきた。そこから更に、時計回りに捻じる。

 ブレードが男の体内を抉る。あらゆる器官を破壊された男の体が、数回ビクンと震える。そして数秒の後、完全に動きを止めた。

 男は、死んだ。

「っはあ、はぁ……、」

 荒い息を吐くが、まったく呼吸が整わない。返り血を浴びて真っ赤に染まった手が、微かに震えている。

 殺した。オレが、この男を。今だって手に残っている。金属の刃で、心臓を抉る感覚が。忘れたい、けど、決して忘れてはいけない感覚が。

 死体が固まってしまう前に、震える手でナイフを抜く。(シース)にしまい、手と同じように震える膝に力を入れて立ち上がった。

 倒れ伏した男の死体を見下ろす。

「許される訳無いんだよ。人の命を奪うことは。お前も、お前の相棒も」

 誰も応えるはずはないのに、口をついて言葉が出た。一つの命が消えた空間に、やけに大きく声は響く。喋ろうと思ったわけじゃない。ただ、本能が口を開かせた。そんな感じだと思う。

 真っ赤な右手で拳を握り、最後にポツリと付け加える。

「そんなお前らを殺した、オレ自身だってな」

 死体に踵を返す。手も膝も、もう震えてはいなかった。





 建物内を探索していると、4階の一室に、いくつかの武器と一緒に置かれた金庫を発見した。衣装ケースほどの大きさの金属製の箱が、ほとんど切れかかった部屋の照明を反射しながら鎮座している。まあ、十中八九あの中に今回の目的、現金7000万円が入っていると見て間違いないだろう。

 金庫を調べると、鍵と暗証番号を併用するタイプらしいことがわかった。鍵穴の横に、テンキー付きのディスプレイが設置されている。

「先に番号か……」

 ズボンのポケットから携帯を取り出す。USBコネクタにケーブルを接続し、前回工場でエレベーターを作動させたのと同じソフトを起動した。

 十数秒後、【COMPLETE】の文字が携帯の液晶画面に表示され、金庫のディスプレイには10個の「※」が表示される。Enterキーを押すと、ディスプレイの表示が【OK】に変わった。

「相変わらず高性能な」

 苦笑しつつ呟いて、今度は鍵の方に取り掛かる。ジャケットの胸ポケットからピッキングツールを取り出し、少し調整してから鍵穴に突っ込む。

 ただのピッキングツールなら金庫の解錠は難しいだろう。しかし、特警製のモノとなれば話は別だ。

 1分ほどすると、カチリと手ごたえがあった。ツールをしまい、ゆっくりと金庫の戸を開ける。

 そこには、

「ビンゴ」

 大量の札束が入っていた。一応束を数えてみたが、きっちりと70個、中に入っている。

 任務完了、だな。

「久々に大変だった、か」

 思わず声が出た。それほど、今回の敵はやっかいな相手だったのだ。

 再び携帯を取り出す。電話帳から【特警守川支部:所長室】を探し、通話ボタンを押す。

 4回のコールの後、ガチャリという音が、所長の応答を知らせた。

『はい、特警守川支部所長室』

 機械音声じゃないかと疑うくらい、いつもと変化が無いセリフ。その声に、オレもいつもと同じように答えた。

「オレです」

『日向か。どうした』

 その問に、目の前の現金の山を見ながら報告する。

「任務終了。銀行強盗2名を殺害、及び現金7000万円の奪還を完了しました」

『了解。よくやった。いつもと同じだ。これから処理班を送る。それまでは現場で待機。いいな』

「了解」

 ピッ。

 「切」を押すと、電子音と共に通信が切れた。携帯を閉じてポケットにしまう。

「ふー」

 上を向いて目を閉じ、ゆっくりと大きく息を吐き出す。風船の空気を抜くみたいに、緊張が抜けていく。それと同時に、我慢していた体の痛みが急にリアルさを伴って襲ってきた。

「ははっ、いってぇ……」

 ああ、痛ぇ。でも、生きてるから痛いんだよな。

 とんでもないヤツ二人が相手だったけど、オレは今確かに生きてる。またいつものように、みつきの待ってる家に帰れるんだ。そう思うだけで、痛む体が少し楽になった気がした。

 その時ふと、部屋がやけに明るい事に気付いた。時計を見るともう21時30分だ。部屋の蛍光灯はもう寿命なようで、わずかな光を発してはいるがほとんど意味をなしていない。なのになんで、こんなに明るい……?

 部屋を見回す。そして気付いた。その訳は、空にあった。部屋に一つだけある窓から外を見てみると、闇夜の空に、低くて大きな月が浮かんでいる。部屋が明るいのは、その光のおかげだった。

 返り血で真っ赤に染まった手を、月にかざしてみる。手の輪郭が、ぼんやりと青白く光った。

 同じ光る月でも、みつきにはこんな手は見せられない。あいつの前では、普通の人間でいたい。出来うる限り、この世の中から護って、幸せにしたい。

 この願いは、未来永劫変わることはないだろう。

「みつき……、」

 小さく彼女の名前を呟く。月の光が、ほんの少しだけ優しくなった気がした。


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