FILE2.1:テスト去りし後に
すみません。非常に遅くなりました。
「チィッ!」
ダダダン!
カカン!キン!
発砲音の一瞬前に隠れると、相手が3点バーストで放った弾丸が、その壁に衝突して高い音を響かせた。遅れて空薬莢の落ちる、カラン、という音が微かに聞こえてくる。
「ヤロォ……!」
自動拳銃を片手に、体勢を低くして駆け出す。
プルルルルルル……、
四月下旬の昼下がり。実力テストの最終日程を終えてから、校門をみつきと一緒に出た瞬間、携帯に着信が入った。学ランの内ポケットから端末を取り出してディスプレイを見やると、そこには【特警守川支部:所長室】の文字。
「チッ」
舌打ちしてから、みつきに断りを入れ、通話ボタンを押す。
ピッ。
「はい、日向」
「仕事だ。今どこにいる?」
「ちょうど学校出るとこです」
後ろを向いて、今しがた出てきた校舎を一瞥しながら答える。
「水野銀行に二人組の強盗が入った。武器を多数所持し、建物内にいた従業員、客を無差別に攻撃。しかも相当正確に急所を狙い、たった1時間ほどで12人も殺してる。その後現金7000万を奪い逃走。町外れの廃ビルに入っていったという情報が入っている。凶暴性、殺害した人数から、特警が担当することになった。直ちにそのビルに向かい、現金を奪還せよ」
現金奪還ね。まあ、対象への対処は言うまでもないってとこか。あれ、なんかダジャレみたいになっちまった。
それにしても12人……。相当な奴ららしい。計画してたって簡単にやれるもんじゃない。
「わかりました。敵特徴は?」
「二人とも男で、三十代前半。体格はかなりいいそうだ。主武器はSMG(サブマシンガン)……、MP5らしいが、恐らく改造銃だな。3点バースト機構が付いていたと聞いた」
3点バースト機構というのは、引き金を一回引くだけで、3発の弾丸を発射できる機能……、と極が言っていた。撃ち過ぎてすぐ弾切れになるのを防止する為とかなんとか。
頭の中で情報を整理していると、更に所長が続ける。
「前途の通り、対象は相当な手練だ。お前に限って無いとは思うが、気を抜けばやられるぞ」
若干の信頼が垣間見える言葉。今さら嬉しいなどとは思わないが、言われた以上はその信頼に応えるべきだろう。
「了解。準備を整え次第、すぐ現地に向かいます」
「任せた。健闘を祈る」
その言葉を最後に、電話は切れた。残されたツー、ツー、という電子音が、オレを急かすように耳を突く。
テストが終わった瞬間にこれだ。解放感に浸るのはお預けってことね。
「仕事……?」
端末をしまっていると、不安げに上目遣いでこちらを見上げながら、みつきが問うた。小さな体が更に一回り小さくなったように見えて、少し罪悪感が芽生える。
「ああ。悪い。そうみてーだ」
「そう……」
「ごめんな。せっかくテスト終わったのに」
俯いて謝ると、みつきは何かを振り払うようにふるふると首を振った。
「仕方ないよ。仕事だもん」
「ほんとごめん。なるべく早く帰るから、待っててくれな」
「うん」
謝る事しかできない自分を不甲斐なく思いつつ、みつきを自転車の後ろに乗っけて家路を急いだ。四月も終わろうかというこの時期の風は、不快感など皆無の爽やかさでオレ達の周りを駆けていく。
しばらく走っていて気が付いた。みつきの手が、いつもより少し強い力でオレにしがみついている事に。今この時だけは離すまい、という思いが背中越しに伝わってくるようで、再びオレの中は罪悪感で満たされる。そんな気分を吐き出すように空を見ると、抜けるように青かった。いつか、この空のようにみつきを晴れ晴れとした気持ちにする事が、オレに出来るのだろうか。一片の曇りもない青は、黒に染まったオレには少し目が痛く感じる。
いつもより速く自転車を漕いで、家の前に到着する。しまった自転車の代わりに今度はバイクを引っ張り出し、急いで装備を整えた。
「んじゃ、行ってくる」
ヘルメットを被りながらみつきに声をかける。
「うん。行ってらっしゃい。晩御飯、グラタンだからね」
「お、いいな」
無理に笑顔を作って言ったみつきの頭を軽く撫でながら、少し表情を崩した。みつきのグラタンは超美味い。
「気を付けてね……?」
「ああ」
不安の抜けきらない声に、力強く頷いて、バイクを出した。後ろでは、みつきが少し涙ぐんでいるのを、オレは知っている。だけど、振り向かない。もし振り向いてしまったら、きっと仕事なんか投げ出してみつきの元へ戻ってしまうから。
そうしてオレは、所長の指示通り、現場に向かった。
それからかれこれ1時間、オレは廃ビルで強盗と戦っている。はっきり言って、戦況は芳しくない。どうやら奴らはここを拠点にしていたらしく、ビル内の構造を知り尽くしている。完全アウェイな状況なのだ。
しかし、だからといって負けていい理由にはならないし、元より負ける気などさらさらない。確かに腕は良いが、勝てないレベルではない。1時間の間にそう結論を出した。
「図に乗るなよ……!」
ダン!
先ほど銃弾が飛来してきた方向に、一発発砲。が、弾丸が対象に当たる事はなく、キン、と高い音を響かせてどこかにぶつかった。
「チィッ」
再び身をかくす。今の一発で弾を撃ち切ったようで、遊底が後退し、ホールドオープンの状態になっていた。空の弾倉を取り出し、新しい物に取り換える。遊底をスライドさせると、軽い音を響かせて薬室に初弾が送り込まれた。
再装填を終え、耳を澄ます。緊張感が張りつめた空間に大気の振動など存在せず、足音一つ聞こえない。まるで、光も届かない海底にいるかのような錯覚に陥る。それでも一たびこちらが不用意に動けば、次の瞬間にはハチの巣だろう。今回の標的は、それを可能にする腕も度胸も備えている。
熱を帯びた体を冷ますように、小さく息を吐く。一度拳銃をホルスターにしまい、額を拭うと、汗でじっとりと湿っていた。今は使われていない為か、建物内の照明はついておらず、攻めるよりも守る方が難しい。暗視スコープのおかげで、視界がゼロというわけではないが、それでも見通しが悪い事に変わりは無いのだ。いつも以上のプレッシャーの中で防御を行わなければならない。
「さてと……」
まずは接敵だ。オレの戦闘スタイルがCQB主体である以上、至近距離に入れば勝つ。どうせ暗い中で拳銃は当たりにくいんだから、一気に接近して一撃叩き込んでやる。
防弾ジャケットの内ポケットから、特殊警棒を取り出す。長さ20センチほどのそれを強く振ると、ジャキ、と音を立てて70センチに伸びた。
「っし」
2、3度振って手にグリップが吸いつく感覚を確かめ、再び歩き始めた。
壁に隠れつつ、ビル内の探索を続けていく。途中、極からメールが入り、この建物が全部で4階層であることがわかった。一階はほぼ全て見回ったが、今のところ敵が潜んでいる気配はない。
残るは――、
「ここか……」
一階、最後の場所が、このトイレ。先ほどこの中で、光のようなものがチラつくのが見えた。罠の可能性もあるが……。
(そうじゃないかもしれない、ってな)
だいたい、罠ってのは知らずに引っかかるから罠なんだ。警戒してたらそこまでの脅威にはならねえ――、とは父さんの理論。無茶苦茶に思えるが、ある意味その通りかもしれない。実際、それで今まで何度も助かっている。
警棒をしっかりと持ち、トイレ入り口の壁に背中をぴったりと付けて中の様子を窺う。音は全くしないが、
「!」
再び、中で光が揺らいだ。暗闇の中に、一条の光の刃が走る。
その瞬間、地を蹴った。攻撃、防御、回避。どの行動にも瞬時に移れるように、心構えをして飛び込む。
「っ!?」
しかし、発砲音がする事も、蹴りが飛んでくる事も、刃が突き出される事もなかった。突入と同時に振るった警棒は空を切った。
(ハズレか……? いや、でもなんで光が……)
疑問に思って前を向いたが、すぐさま疑いは晴れた。
トイレの奥にある棚に、マグライトが紐で吊るされており、ユラユラと揺れながら光線を辺りに撒き散らしていた。
「チッ!」
やっぱり罠か!
そのライトに気付くのと同時に、背後に殺気を感じる。
(マズい……!)
振り返ると、ヒュン、という空気の裂ける音と共に、黒い巨木のような脚が唸りを上げて迫って来ていた。
「くっ……!」
迫る脚と自分の体との間に、咄嗟に警棒を縦にして入れ、蹴りを受ける。
みしり、と、軋むような音がする。特殊な強化素材で出来ている警棒は、折れはしないものの、あまりの衝撃に悲鳴を上げた。警棒を握っている手にも、思わず取り落としてしまいそうなほどの衝撃がビリビリと伝わってきた。
防御には成功したが、相手の放った蹴りは止まる事なく、振り切られた脚はオレの体を容赦なく吹き飛ばした。
「っつ!」
体が宙に浮く感覚。しかしそれは一瞬で、次の瞬間にはなんとか両足で着地していた。
凄い力だ。確かに並の相手じゃねえな。罠かもしれない、って意識が無かったら、確実にやられてた。
感心はするが、状況は思った以上に悪い。相手は素早くSMGを構えていた。
今の蹴りでトイレの奥、逃げ場のない空間に追い込まれた。閉所での撃ち合いならどう考えてもSMGの方が有利。拳銃じゃ勝ち目がない。
「やっべ……!」
バン!
迷っているヒマはない。目に入った個室のドアを引き開けて、中に転がり込んだ。
途端、
ダダダダン!
ガン!ダガン!
相手の放った銃弾が、開けた扉に衝突してもの凄い音を立てた。木製の扉が抉れ、虚空に木屑が舞う。
「チッ!」
敵の舌打ちが聞こえる。
よっしゃ。二撃目は防いだ。したら次は――、
(反撃!)
天井に向けて、ピンを抜いた閃光弾を投げつけ、目を閉じた。
まっすぐに放たれて、天井に黄色い卵がぶつかる。刹那、眩い光の奔流が溢れ出し、一瞬で滝のように降り注いだ。
すかさず個室を飛び出す。さすがに奇襲が効いたのか、敵は入り口に立ち尽くして目を腕で擦っていた。SMGの銃口は下を向いている。
ここで、初めて敵の姿をはっきりと認識した。身長185cmくらい。体格は、服の上からでもわかるほどがっちりしている。迷彩柄のカーゴパンツに、濃い茶色のジャケットを羽織っている。
「っしゃ!」
この隙を利用しない手は無い。3歩で敵に走り寄り、右側にあった洗面台を踏み台にして跳躍する。
上昇の後、一瞬の無重力。そして、物理法則に従って、体は落下を始める。その間、全ての景色がスローモーションになる。空中で右脚を振りかぶる間に、相手がこちらを驚愕の表情で見ているのがわかった。
さあ、今度はこっちの番だぜ――!
「せい!」
気合いの声と共に、相手の左肩に、荒ぶる戦斧のような右踵を振り下ろす。
確かな手ごたえ(脚だけど)を感じた。確実にダメージは与えられたはずだ。落下の勢いも相乗して、オレの脚は蹴りの瞬間、確かに一振りの武器となった。
「ぐ……!」
相手の呻き声が、僅かに漏れる。まだ視界がはっきりしない中では、何が起こったのかすぐには理解できないだろう。
しかし、相手は倒れる事はなく、膝もつかなかった。まさに動かざること山のごとし。見かけ倒しじゃないって事か。
(なら……、)
二撃目だな。
相手の左肩に脚を置いて支えにした状態で、オレの体はまだ空中にある。そのまま体を捻りながら、左脚をバネのように縮める。力を溜めつつ、相手の胸部に狙いを定めた。
「はっ!」
再び声を上げ、力の集約した左脚を一気に伸ばして蹴りを繰り出す。
相手の胸にめり込んだオレの足は、衝撃を体内に直接叩き込んだ。骨の軋む音が、微かに聞こえた気がした。
「かはっ……、」
またも呻く男の口から、液体が吐き出された。暗い中でうっすらと見えたその色は、深紅。きっちりとダメージを与えた証拠だった。
蹴りを繰り出し、溜めたエネルギーを放出しきった体が、相手の体からの反作用を受けて後ろに引っ張られる。同時に、作用を受けた相手の体も、オレとは反対側に倒れ始めた。弾かれたように、互いの体は離れていく。
左手で着地し、そのまま片手のハンドスプリングで体を起こして立つ。
前を向くと、相手も咳き込みながら立ち上がる所だった。
休んでいるヒマはない。警棒を構えて地を蹴る。
居合いの要領で、腰だめに構えた警棒を一気に振る。狙いは頭部だ。ヒュォッ、という、空気を斬る音が鋭く聞こえた。
完璧に入ったと思われた、その時。
ギン!
突如、金属音が響いた。
「な!?」
驚いて見ると、いつの間に出したのか、相手もオレと同じような特殊警棒を取り出して、オレの警棒を受け止めていた。
「こんの……!」
ぎりぎりと音を響かせながら、鍔迫り合いになる。押しつ、押されつ。互いが力を込める度に、警棒の先は行ったり来たりを繰り返した。
「ぐぅっ……!」
「ふうっ……!」
一歩も引かない応酬。漏れる声と共に、滴る汗がぽとりと落ちた。
「んなろォ!」
決着を付けてやろうと、更に力を込めた時だった。
不意に、体が前に流れた。
「えっ……!?」
慌てて体勢を立て直そうとするが、もう遅い。前に全力で踏み込んでいた体は、後ろから押されたかのようにつんのめった。
簡単な事だ。お互いに押し合っていた所で相手が力を緩めれば、当然オレは止まれない。押し相撲でフェイント喰らった感じだ。
そのオレの腹に、相手は膝をブチ込んだ。
「がはっ!」
胸から熱を持った物がせり上がる。こらえきれずに吐き出すと、べっとりと紅かった。
「ゲホッ……、」
前進しようとした勢い。それとは反対方向に膝蹴りを喰らった。普通に蹴られる時に比べてダメージは2倍にも3倍にもなる。カウンターと同じ状況を作り出された。
いつもならかわせるはずの攻撃だが、相手の動きには全くクセも無駄もなかった。所長の情報に偽りはない。相当な手練だ。
「ちょっと油断したな、兄ちゃん」
初めて男が喋る。肉食獣を思わせる、低い、唸るような声だ。カチャリ、と音が聞こえたが、恐らく銃をこちらに向けた音だろう。
「ガキにしちゃいい動きだけどな、ちょっと調子に乗り過ぎだよ。ガキはガキなりに大人しく撃たれとけや」
コツコツと、額に銃口が押し付けられる。
「どこの機関のモンかは知らねえが……、」
引き金が引かれていく。距離はゼロ。かわさなければ死。腹は蹴られて痛いし、口の中はベタベタ。おまけに膝までついてる。状況は最悪の一言。極限状態とはまさにこの事だな。
だけど――、
「あばよ……、」
ここじゃ、死ねない。
ダダダン!
3発の弾丸が発射される直前に、オレは左に転がった。対象を失い、弾丸は直前までオレがいた所を削った。
「むっ!?」
男が驚嘆の声を上げる。まあ、逆の状況だったらオレも驚いているだろう。ゼロ距離で銃をかわす事なんざ普通はできない。
「クソッ!」
男が悪態をついて再び銃を向ける。動作にかかる時間は一秒にも満たないが、その隙があれば十分だ。
「ふっ!」
相手の右手に、警棒を鋭く振る。バシン、と音がして、黒い棒は男の手にぶつかった。
「っつ!」
ガシャン!
不意の事に反応できなかったのか、男は銃をとり落とした。すぐにそれを、トイレの出口に向けて蹴り飛ばす。回転しながら、SMGは地面を滑っていった。
追撃しようと、更にハイキックを繰り出すが、男は怯まずバックステップでかわした。
すかさず、腰からリボルバーを抜いて相手に向ける。が、その相手も全く同時に銃を抜き、こちらに向けていた。ソーコムピストル。強襲攻撃用の拳銃だ。
先の攻防から、一瞬にして膠着状態になった。オレはオープンサイトで、相手はレーザーサイトで互いの心臓に狙いをつけたまま、微動だにしない。呼吸さえも忘れそうなほどのプレッシャーの中で、殺意だけが明確だった。
いつまで続くのかと思われた膠着だったが、終わりは意外に早く訪れた。
「いい腕だな」
不意に、男が口を開いたからだ。言葉に皮肉な響きは無く、ただ純粋に感心しているといった言い方だった。
少し驚いた。この男は慢心していない。目の前の相手がガキだとわかっていても、そんな事は関係なしに、実力からオレという人間を掴んでいる。
実力がありながら、相手の力を正しく評価できる人間は、強い。力量を見間違う事がないからだ。『敵を知り、己を知れば、百戦危うからず』とはよく言った物である。そういう意味では、目の前の大男は想像を超えた手練という事か。
「よォ、おっさん」
黙っていると、迫力に呑まれそうだ。プレッシャーに潰されない為に、声を出した。
「なんだ」
「あんたさっき、『どこの機関のモンかは知らねえが』、つったよな」
「言ったな」
「なら、教えてやるよ」
警棒をしまい、左手を右のポケットに突っ込み、携帯を取り出した。パチン、と音を立てて開くと、青く光るディスプレイに特警のマークが回転している。
それを、相手に画面を見せるように顔の前にかざした。
「これ見りゃ、わかんだろ」
男は一瞬、目を見開いて画面を凝視したが、すぐに合点のいった顔で唇の端を吊りあげて笑った。
「なるほど、特警か……!」
どうりで、と男が呟く。ゴクリ、と唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
犯罪者にとって、現在の日本で最も恐ろしい組織であろう、特警。過去の組織とは違い、ターゲットは確実に始末するというその理念から、犯罪者は畏怖を込めて、警察やSATの発砲すら厳しく責め立てる、人権派の弁護士達は皮肉を込めて、時にオレ達を『公共の殺し屋』と呼ぶ。なるほど、言い得て妙な表現だ。公的とは名ばかりで、やっていることは確かに殺し屋となんら変わりない。
しかし、今の日本には、力でしか対抗できない犯罪が蔓延しているのも事実だ。オレだって、人を殺したくはない。それでも、被害を止めるための力を持っている以上、黙って犯罪者を野放しにはできないのだ。
「納得したかよ」
「ああ。その歳で大したもんだ」
しかし、特警を相手にしているとわかっても、男は動じることがない。オレの心臓の上にあるレーザーの赤い光は全く揺るがず、ぴたりと狙いをつけていた。
(ホントに冷静なおっさんだな……)
正体をばらして、多少は動揺したところで奇襲を仕掛けようと思ったのだが、これではできない。
互いに動かないまま、時間がじりじりと過ぎる。動いた瞬間が勝負だが、うかつに動けばハチの巣だ。一瞬の判断が勝負を分ける。
(研ぎ澄ませ……)
研ぎ澄ませ研ぎ澄ませ研ぎ澄ませ。全ての感覚を、氷点下へ。心は鍛え上げられた名刀のように、強靭にしてしなやかに。考えて動いては間に合わない。第六感すら味方につけ、相手のコンマ数秒前に動く。迷っているヒマはない。できなければ死ぬのだ。
すーっ、と、頭の中の温度が下がっていくような感覚があった。クールという言葉通り、体中の熱が消えていく。それと同時に、脳と、手と、足と。五体全てが繋がっていく。何がきても、この状態なら反射的に行動できるのだ。ある意味、戦闘時の究極の状態とも言える。
さあ、準備は整った。後は動くだけだ。絶対零度の頭の中で、5秒のカウントを始める。
(ごぉ……、)
足の親指に力を込め、地面をしっかりとつかむ。
(よん……、さん……、)
丹田を意識しながら、大きくゆっくりと深呼吸。体の隅々まで酸素を満たす。
(にぃ……、いちィ……!)
ここに来る前に、最後に見たみつきの顔を思い浮かべた。まるで世界に独りで取り残されでもしたかのような、不安でいっぱいの顔。本当はあんな表情させたくない。いつも笑ってて欲しいなんて、ありきたりな考えを、オレも持っている。
心配すんなって。絶対、生きて帰る。久々にお前が作ったグラタンも食いたいしな。
一瞬だけ表情を緩める。それでも、張りつめた気はそのままだ。すぐに表情も戻す。
さて、始めるか。銃のグリップを、強く握りしめる。
(ゼロ!)
カウントが終了する瞬間、強く地面を蹴った。当然、ほぼ同時に相手も発砲する。
オレと相手の距離は、たったの7メートルほど。男の腕は相当のものだ。しかも、レーザーであらかじめ狙いを付けられていた。これだけの条件が揃っていれば、よほどの事がない限りは外しようがない。
しかしオレは――、
「っふ!」
その『よほどの事』を起こした。常人なら不可能なスピードで、右へ回避。狙い通りにオレの心臓を射抜くはずだった銃弾は、肌に触れるほどすれすれの所を通過し、床に突き刺さった。
「なっ……!?」
さすがの相手も、これには驚きを隠せないらしい。素人でもない限りは、外す方が難しい距離でかわされたのだ。しかも、さっきに続いて、かわされるのは二度目。無理もない。
オレが相手よりも速く動いた時間は、ほんのコンマ数秒だ。その僅かな時間に、オレは活路を見出した。
次はこっちの番だ。反撃に転じる為、今度は相手に向かって地面を蹴る。人の限界を超えたスピードは、もはや稲妻に近い。
「チッ!」
舌打ちしながら相手が銃を構え直すが、先の動揺のためかそれがほんの少し遅れた。銃口が完全にこちらを向く前に、その銃に向けてリボルバーをブッぱなす。
ずだん!
ギン、と金属音が響く。454口径カスール弾が、男のソーコムを射抜いた。機関部が大破したソーコムは、持ち主の手から弾け飛び、先ほどのSMGと同じように床を滑っていく。
「くっ……!」
「もらったぁ!」
相手の懐に入った。つまり至近距離。ここはもうオレの間合いだ。
体勢を低くしながら、少し後ろにステップして、力を溜める。小さく息を吸い込むと、冷たい空気が肺に満ちていく。
左足に溜めた全体重を、無駄なく右足に移動する。その勢いで右足を踏み込みながら、右の肘を男の鳩尾に突き入れた。
ゴリッ、と鈍い感触があった。その感触と引き換えに、相手の体内に直接衝撃を叩き込む。頭上で呻き声が漏れた。急所に突き刺さった肘を、更にねじ込む。
「かはっ……!」
「っらあ!」
とどめにもう一歩踏み込むと、目の前の巨体が、ぐらりと揺れた。岩のように頑強だった相手が、とうとう崩れたのだ。
「ゲハッ……、ゴホッ……、」
体をくの字に曲げ、膝を突いて激しく咳き込んでいる。痙攣するように、体が小刻みに震えているのがわかる。
カチリ。
その後頭部に、銃口を突き付けた。撃鉄を起こすと、回転式の弾倉が回り、発射準備が完了する。あとは引き金を引くだけで、男に死を与えられるのだ。
「残念だったな、おっさん」
男に負けないくらいの低い声で言った。そうする事で、相手の精神的な逃げ場を無くし、自分の優位を確固たるものにするためだ。
「慢心は無くても、どっかで油断はあったんじゃねぇか? 『まさかこんなガキに負けるはずは無いだろう』ってよ。さて、」
本当は、オレもかなり息切れしているが、ここで弱みを見せては完全に追い詰められない。なるべく余裕のあるフリをして次の言葉を紡ぐ。
「吐け。もう一人と、強奪した現金7000万はどこにある」
未だ咳を続ける男を見下ろして続けた。震えは収まったらしいが、まだ立てないようだ。
簡単には吐かないだろう。しかし、この状態ではそう長く黙秘できないはず。粘り強く続ければ、必ずボロが出る。
しばらく、相手の言葉を待った。沈黙に逃げようものなら、まずは銃弾を右肩に撃ち込んでやる。あと十秒喋らなかったら執行だ、と思っていた時、
「別に、油断なんかしてねぇさ」
男が口を開いた。ひどく落ち着いた口調だ。こんな状況で喋っているとは思えない。
だが、質問の答えにはなっていない。時間稼ごうってんならそうはいかねぇぞ。
「答えになってねぇよ。まともにこた…、」
「なに、これが俺の答えさ。ここで屈するんなら素直に答えるが、俺はおいそれと負けを認めるようなタチじゃねえ。俺がこんなザマになってるのは、油断したわけじゃない。俺の予想よりも兄ちゃんが強かったからさ。流石は『公共の殺し屋』、特警。ただものじゃないな」
そう言って、男は「ははっ」と軽く笑った。焦りは微塵も感じられない。気の知れた同僚にでも話しているかのような口調だ。
背筋を冷や汗が伝った。暗雲が立ち込めるように、胸の中で言い知れぬ不安が広がっていく。
この男は何を考えてる……?体はガタガタ、銃は無し。おまけに後頭部には銃口だ。どう見たって余裕を保てる状況じゃない。
「皮肉は結構だよ。さっさと吐け」
苛立ちを隠せないまま、更に続けた。しかし、ここでオレはある事に気付く。
おかしい。なぜオレが焦ってる?追い詰めてるのはオレ。優位に立ってるのもオレ。なのになんで相手が落ち着いて、オレが焦ってるんだ……?
「はは、せっかく一流の犯罪対策組織が出向いてくれたんだ。オレ一人で相手すんのは野暮ってもんだし、何より分が悪い」
焦りを生み始めたオレに、男は軽い口調で言った。状況を楽しんでいるようにすら見える。その姿には不気味なものを覚えざるを得ない。
と、その時、しゃがんでいる男の手から、何かが転がった。350ml缶を一回り小さくしたような、筒型の物体だ。
マズイと思った瞬間、その筒が、爆ぜた。
ドバン!
もの凄い爆発音とともに、先ほどの閃光弾のように、光の奔流が迸った。狭い空間内を一気に広がり、たちまち景色が白く染まってゆく。
視界が痛いほど真っ白だ。おまけに爆発音のせいで、耳鳴りがうるさく、聴覚がまともに機能しない。
これは――、
「クソッ……、音響閃光弾……!」
小さく悪態をつく。名前の通り、光と音で視覚、聴覚、平衡感覚を同時に攻撃する手榴弾の一種。男の態度に動揺して、反応が一瞬遅れたせいで、まともに喰らってしまった。
視界はゼロに近い。それでも、出口に向かって逃走する影がうっすらと見えた。
「こっちもけっこうなダメージなんでな、次の相手は俺の相棒だ!」
やはりうっすらと、声も聞こえる。ヤバい……!このままじゃ逃げられる……!
「逃がすか……!」
すだん!すだん!すだん!
連射のきかないリボルバーで、照準もまともにつけないまま、無理矢理連射する。発砲音に混ざって僅かに聞こえたのは、洗面台が割れたのであろう、陶器の大破する音と、「ぐっ!」という男の呻き声。
やがて、発砲音は、カチン、カチン、という、回転式弾倉が空回りする音に変わった。弾切れだ。男に当たりはしたようだが、近くにいる気配は無い。無我夢中で撃ちまくったものの、やはり逃げられてしまったようだ。
しばらくすると、耳鳴りも治まり、視界も戻ってきた。目に入るのは、バラバラになって、水道から水が垂れ流されている洗面台。使い物にならないソーコムピストル。
ターゲットである男の姿は、やはりどこにもなかった。
「クソッ!」
怒りにまかせて壁を殴る。激しい音とともに手に帰ってきたのは、鈍痛だけだった。
なかなか納得いかずに何回も直して遅くなった割には、微妙な出来になってしまいました…。
ちょくちょく修正するかもです。