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幸福に生きたい不幸なあなたへ  作者: 木鳥
二章・友華 一部
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二十八話・桜の木の上には


 満開の桜が並木道を埋め尽くす。


 四月。学生にとっては心機一転、新しい門出の時期。

世界が春一色に染まり、一枚の絵画のような景色が広がる。この光景が毎年続いていると思うと、少し狂気じみたものを感じるが大方の新入生は今後の高校生活のことで頭がいっぱいだったのか景色よりはスマホや友人との会話に意識を集中させていた。

 俺も桜の木の下を歩き、初めて通る学校への道を踏みしめる。

 今日から俺は高校生になる。

 といっても何かに胸躍らせる訳ではない。

 家に近かったからという惰性的な理由で入った学校だ。

 適当に過ごして、適当に卒業して。

 この学校の生徒の進路は多くが大学への進学らしいが、そんなことはせず。適当に何かの職に就ければいい。

 そんな思いで、いわば怠けたくて高校に入ったのが俺だ。

 学校行事なんて参加する気もない。社会人になるまでの、息抜きになればそれでいい。

 だから、目の前の圧倒的な自然が織りなす芸術的な風景とは相反して、俺はまるで寝室に向かうようにスイッチを切った状態でその道を歩んでいた。

 そう。学校に楽しみなんて見いだせなかったんだ。


 ある瞬間一際大きな風が吹く。


 桜は大量に巻き上がり、目の前で渦をまいた。春一番という大風だったのだろうか。

 真横にあった木からも多くの桜の花びらが舞い散る。

 それにすら興味が無かったので、白雪に染まった眼前の光景にさえあくびを垂れた。


「――お」


 不意に春の雪が俺の鼻に落ちた。

 冷たくもないし暖かくもない。

 だが視線はその落下してきた方向へと向く。


「凄いな、この町の自然は」


 風で吹かれてもまだまだ雄大に咲きわたっている桜。

 だが、その間から黒い何かが落ちてきた。

 落下する直前で声が聞こえる。


「お前危ないわよ!」


 しかしもう遅い。俺の頭上にそれは落ちた。


「がは!」


 目に一瞬火花が散る。

 ハンマーで殴られたような衝撃、は少し言いすぎかもしれないけど、とにかく何か重いものが勢いよく俺の上に降ってきたのだった。


「わ! や、やってしまったわ……。どうしたものかしら。救急車? いいえ、とりあえず埋めるのが先よね。人が来る前に隠さないと」

「速攻で隠蔽しようとするな!」

「あら、無事だったの?」


 勢いよく上半身だけ起き上がった俺を上から人が見降ろしている。

 木の上に昇っていた頭のおかしい人間が、俺の真上に落ちてきたのだろう。

 ったく、どんな狂暴な奴なんだよ。このご時世に木登りだなんて、それも道路脇の木で。多分、猿のような野蛮なやつだろう。


「――っ!」


 目を開いて。上から降ってきた女を視界に入れた瞬間、俺は息をのんだ。

 狂暴そうな、猿のような女じゃない。


 クセのなく綺麗に手入れされた黒の長髪を風になびかせ、凛とした目つきで俺を見据えている。アサガオのような透き通った紫色の瞳に、不満そうに真一文字に結ばれた薄紅色の唇。引き締まったウェストに、その、高校生にしては大きめの胸が目に入る。

 男を選ぶ側にあるような容姿。

 野蛮人、というよりは吹けば飛びそうな儚さと一本の刀のような凛とした美しさが両立している不思議な雰囲気の女だった。


「ん? あら、何を呆けているの? もしかして頭の打ちどころが悪かったのかしら」

「違うわ! どんな野蛮女かと思って観察していただけだ! ったく、気をつけろよな」

「木からこんな美少女が落ちてきたのよ? 感謝こそすれ、苛立つ要素があるのかしら。……もしかして女の子に興味がない感じ? それだったらごめんなさい。ええそうよね、性の自由は尊重されるべきだと思うわ」

「飛躍しすぎだろ!?」


 立ち上がって目の前の女の行き過ぎた考えに驚愕する。

 よくもまあ、あれだけの言葉でここまで妄想を駆り立てることが出来たものだ。


「勘違いさせたお前が悪いわ。 見た感じ新入生よね。先輩に対しては敬意をはらうものよ、ほら鞄持ちなさい」


 今度はそう言って鞄を俺に差し出してくる。

 もしかしなくてもこの女は頭のネジがぶっ飛んでいるやばい女だ。この場は早いこと退散するのが吉だろう。


「悪いな、急いでいるんだ。下級生をパシらせるならもっと気の弱そうな女とかに声をかけるんだな」


 俺は女の鞄を受け取ることなく、無言ですたすたとその横を通過しようとする。

 しかし少し通り過ぎた瞬間に制服の襟を掴まれて、喉がぐっと締まる。

 急にそんなことをされたから、息が詰まってしまい咽こんだ。


「げほ! がっは! なんなんだよお前は!? 上級生だろうが女だろうが調子に乗ってたらなあ――ぶほ!?」


 振り返り少し脅そうとするが、それは後ろを向いた時に頬にずぶっと食い込んだ女の指で遮られてしまう。

 女はそんな俺を見ておかしそうに笑った。


「ふ、あははは! お前面白いわね! ええ、私は元気のある男は好きよ。よく見たら表情もちゃんとあるし、中々リアクションも大きいじゃないの」

「表情ってな……」


 女が指を頬から離す。俺は呆れたように女を見るが、相手の方はそんな視線は気にもかけない様子だった。


「ええ、表情。木の上から歩いて来るお前を見ていたけど、まるで自殺でもするような顔をしていたじゃないの。中学の友達と一緒の学校じゃないよー、悲しいよー、みたいな不安気な感じではなかったし。そんな奴を見たら、ここまでリアクションが出来るなんて思わなかったから素直に驚いているわ」

「……」


 淡々と語る女の言葉に俺は何も言い返せなくなる。

 通学路を歩く人間の顔をそこまで鮮明に見ていたのもおかしいが、俺を見てそんなに考えを巡らせていたのはもっと不思議だ。


 まったく初めて関わるようなタイプの人間。

 俺が何も情報を持ち合わせていない目の前の女については、ただ一つ俺の常識で測れるような思考を持ち合わせていないということだけはわかった。


「その、お前は一体何なんだ? 何でそんなに朝から突っかかってくる? 別に知り合いって訳でもないだろ」


 その時、女が出合って一番の笑顔を浮かべた。まるでそう聞かれることがわかっていたかのように、大袈裟に身振り手振りをつけて話し始める。

 少し意地の悪そうに笑いながら。


「ふっふっふ。あっはっはっはっは! よくぞ聞いてくれたわ! 私の名前は如月友華! 万人から天才と評される頭脳を持ち、加えてモデル顔負けの容姿を持った神が二物を与えた存在! それこそが私、それこそが如月友華! 生まれながらの勝ち組とは私の事よ。あ、ついでにお前の名前でも聞いておこうかしら」


 誇らしげに、おもちゃを手に入れた子供のようにそう語った。

 それが誇張だとは思うのだが、何というか雰囲気でこの女が嘘をつくような人間には思えなかった。


「う、うわあ……。俺の名前は山元優作だよ……」


 とはいえこの女、如月友華がおかしい奴というのは変わりない。


「じゃあ、そろそろ本題に入るわよ」

「そ、そうなのか。それじゃあな、友華先輩。達者で」


 そそくさとその場を去ろうとするがまたもや友華に後ろから掴まれる。


「待ちなさい、そそっかしい。話があるから最後まで聞きなさい」

「ああもう! 何なんだよ、本当に! 俺はお前に構ってるほど暇じゃないし、関わる理由がないんだよ! これ以上何か言うようだったら女だからってただでは――」

「黙りなさい。ゾンビ人間」

「っ、ゾンビ人間?」


 怒りでつい荒い口調になったが、友華の一言には聞き返してしまう。それくらい突拍子のないものだったからだ。

 何故か少し頬を膨らまして不機嫌になっているその理由がわからない。


「ええ、折角の入学式の日。希望も何もない死んだような目をしているお前は、まるで生きた死体みたいよ。我ながらかなり見事な例えだと思っているわ」

「つかめない奴だな。結局何が言いたいんだよ……、冷やかしなら俺の負けだからもう帰ってくれ」


 流石に頭を抱えてしまう。

 何で朝からこんなに疲れる必要があるんだ。

 友華はそんな俺の気も知らずに、びしっと指を差してくる。


「そこでお前に提案よ! 楽しさの欠片もない高校生活を面白おかしくて素晴らしいものにするとっておきのね!」

「ああもう、なんでもいいから……。話があるんだったらさっさとしてくれ」


 昔、どこかで聞いた言葉にこんなものがある。

 桜の木の下には死体が埋まっている、と。

 確かこれは桜が美しすぎるから、下には醜悪な何かが埋まっていると考えたどっかの文豪の作品に出てくる言葉だった。

 ならば桜の木の上には何があるのだろう。子供ながらにそんなことを気にしていたっけ。

 なあ、あの頃の俺よ。

 その答えは身をもって知ることになるぞ。


「喜びなさい! 私が創る予定の新部活、オカルト研究会の部員一号としてお前をスカウトするわ!」


 桜の木の下には死体がある。

 そして、それほどまでに美しい桜の木の上に土足であがる奴は。

 桜の木の上には、馬鹿がいるんだ。


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