文化祭の後に②
お店のフロアの奥にある厨房へと続く扉を開ける。
入って右奥の方に物置のような場所が見えその横に階段が見えた。よく見ると玄関にもなっている。
確か以前アリスをおぶってこの家に来た時に、インターホンを連打したのはあの物置にあるドアだったな。
幸耀さんが基本的に一人で動いている厨房なので広さはそれほどなく、人が三人入れば動きはかなり困難になりそうだ。
顔程の高さに吊り下げられた調理器具に視線を移しながらも、階段へと進んでいく。
木製の階段は意外と段数があり喫茶店の天井を高くしようというマスターたちの心遣いがわかる。
――アリスの部屋は一番奥にあるんや! 部屋の前には幸耀さんおるからわかると思うで。
マスターの話を思い出しながら二階に行く。
まずは大きな机のある部屋が見える。テレビや幾つかの棚もありリビングのような場所だと感じた。
すぐ横の部屋に続く襖があるがそれを無視してリビングの奥にある通路を進む。
いくつかドアがあったが、一番奥のドアの前には椅子に座った幸耀さんがいた。
幸耀さんは俺に気づいていたようで、顔が見えるなり声をかけてくる。
「山元くん、どうかしたのかい?」
少し下を向いていた顔を上げ、いつものように優しそうに笑っていた。
思えば幸耀さんと二人きりになるような状況は初めてだ。
理由は分からないが、少し緊張してしまうな。
「あ、いえ。マスターからアリスが限界だと聞いて……」
その限界の意味が分からないので肝心なところは口ごもったが、幸耀さんは納得したように頷いた。
「ああ、奏がね。ふふ、山元くんも信頼されているじゃないか」
「信頼……ですか?」
「うん。奏はアリスのことになると若干周りが見えなくなる部分があるから、そんな彼女がアリスを男の子に任せるなんて凄いことだよ」
任せるって、何か大袈裟じゃないか?
俺はアリスの体調を聞きに来ただけなのに、幸耀さんは少し勘違いしたように笑っている。
というかだ。部屋の目の前に椅子を置いて座っている今の状況。
もしかして。
「アリスは、よく体調を崩すんですか?」
「崩すよ。昔から体が強い方じゃないからね。それなのに無茶ばっかりするから、より一層倒れることは多かったよ。――アリスは自分より人のことを優先する子だから、少し危なっかしい面があるんだよね。親としてはそれがいけないことだって注意できなくて、見守ることが多くなってたんだ。この前一年の昏睡から起きて以降は、アリスからの提案で何でも不満は言っていいって言われたから、今は無理したら僕も奏も怒るようにはしているんだけどね」
あはは、と頭をかきながらそう言った。
アリスは本当に家族との関係を改善しているらしい。幸耀さんはアリスだけが飛びぬけて人に優しいように言ったがそれは違う。
きっとアリスが自分よりも他人を優先してしまうのは、両親がそのような人物だったことが影響しているのだろう。
すごいな。この家族は。
「子は親に似るっていうじゃないですか。多分その影響じゃないですかね。あいつを見て優しい人間だって思えるのなら、親の幸耀さんも負けない位人として立派ってことだと思いますよ」
俺の言葉に幸耀さんは目を丸くしていた。
「そ、そうなのかな? はは、まさか娘と同い年の子に慰められるなんてね」
「慰めなんかじゃないっすよ。自慢じゃないんですけど、俺は結構空気が読めない方らしいので」
「なるほどね。アリスが君を気にいる理由が少しわかった気がするよ」
「は、はあ……」
最後の言葉の意図がわからなかったので空返事になってしまったが、幸耀さんは満足そうに頷きドアの方に目をやった。
「僕は少し奏の方に行ってくるから、山元くんはアリスの様子を見てきてよ。下の騒ぎに混ざりたいだろうから、元気があれば連れてきてね」
そう言って椅子から立ち上がり、俺が来た方向に歩いて行ってしまう。
「え、わ、わかりました!」
まさかこんな状況になるとは思ってもいなかったので緊張で変な返事をしてしまった。
幸耀さんは振り返る訳でもなく満足そうに歩いていく。
お、俺もアリスの様子を見るか。
な、なーに。体調を確認するだけだ。決してやましいことはないだろ。
紳士になれ。山元優作よ。
ドアノブに手をかけてぐるりと回す。
そして、まるで泥棒のように音を立てないよう抜き足差し足で部屋に入った。
ドアを閉めてからゆっくりと部屋の方に視線を向ける。
そこには。
「――っ」
思わず声を失った。
規則正しい呼吸で胸を隆起させ、まるでこの世の汚れを一つも知らないかのような安心しきった笑顔で目をつむっている。
印象的だった銀髪は、窓から差し込んだ月光に照らされることで幻想的になり目の前の少女を妖精のように感じさせた。
触れれば壊れてしまいそうな儚さがそこにはあった。
ああ、そうだ。
確か最初に出会った時もこんな事を考えていたっけ。
大方この世のものとは思えないほどの美しさ。
それがアリスに対して俺が抱いている変わることのない印象なのだ。
「寝て、るのか?」
窓際に置かれたベッドに近づく。
枕元に勉強机、机の横には押し入れ収納がある。
俺が入ってきたドアの横には本が入れられている棚があり、少し女子の部屋としては殺風景な気もしたが何だかアリスっぽくて納得できてしまった。
毒リンゴを食べて起きられなくなったお姫様のような少女に、少し顔を近づける。
本当に寝ているんだな……。
そう思った矢先、アリスがパチリと目を開いた。
「おわあ!」
驚いてベッドの横に尻もちをつく。
アリスはそんなことを気にした様子もなく、目を擦りながら起き上がった。
「……ん、山元? どうして、この部屋に? って、山元!?」
言っていて状況に気づいたようで、瞬時に意識を覚醒させた。
ま、まずい。この状況。
クラスメイトの寝こみを同級生男子が襲おうとしているように見えなくもない。
何か言い訳をしなければ……。
「山元が何で私の部屋にいるの!? え、いつから、私どれだけ寝てた!?」
どうする。
アリスは完全に混乱している。
この状況を打破するには……って。元々変な気は無かったんだ。打破するも何も弁明する必要はあるのか?
むしろここは素直に俺が部屋に入った理由を説明すれば解決するだろ。
俺はアリスの体調が悪くないのか見に来ただけなんだから。
危ない、俺も混乱して変な事を言うところだった。
「悪いなアリス。実は幸耀さんには一階のホールに行ってもらってて、今は二人きりなんだ。それで部屋に入ったらお前が寝ていたから、起こしたら悪いなって思ってゆっくり近づいて(体調が悪くないか)観察していただけだよ。周りに誰もいないから、(汗をかいていたら)毛布をずらしたりしようと思って。その後は(制服にしわがついたら大変だから誰か呼んで)服を着替えさたりとかはするかもしれなかったど、やましいことは何も考えてないんだ」
しばしの沈黙。
ふう、どうやらアリスから俺の疑いを晴らせたようだな。
するとアリスはベッドの上で自分の体を腕で抱きしめる。
そして。
「寝ている私にエッチなことするつもりだったんだ! エロ同人みたいに!」
「何でだあああああ!?」
顔をリンゴのように真っ赤にして俺を見てくるのだった。