文化祭の裏では
今回も少し長めになってしまいました!
最後まで読んでいただけますと幸いです。
鈴音が歌う数分前。
体育館の外には手の空いていた二人の教員が集まっていた。
二人とも外から階段を使ってしか行くことの出来ない、体育館の中一階程度の高さにある観覧スペースを目指していた。
「まったく、連中にも困ったものですな! 立ち入り禁止のスペースに無断で入るとは!」
「ええ本当です。今までは大目に見ていましたが、学校行事をここまで滅茶苦茶にしているのを見過ごすわけにはいけませんね」
眼鏡をかけたやせ型の男性教師と、太り気味の女性教師が階段の下で話し合っている。
話題に上がっているのはオカルト研究会の部員が、保護者用の観覧スペースに上がって鈴音に声をかけたことである。
規則である以上それを破る事は許されない。
彼らにとってオカ研の行動は、行事ではしゃいだ学生の起こす問題行動に過ぎなかった。
そのため、今からでもその行動を止めようと躍起になっているのだ。
そんな二人の前に、一人の教師がとおせんぼうするように立ち塞がる。
教師というにはいささか身長的に小さすぎるため、子供が大人に抵抗するような様子であった。
教師の名前は串木野いちき。オカ研の顧問にして山元優作、上赤アリス、そして坂上鈴音の担任だ。
子供のような容姿を気にしており、その点をいじられると怒るが普段は優しく生徒からの人望も厚い女性である。今は真一文字に口を絞めて、目の前の二人の教師を不満げに見ている。
「それ以上は行かせませんよ! 皆は鈴音さんのためにこのような行動をしているのです! 今私たちが介入してしまったら、今までの苦労が水の泡になってしまいます!」
その言葉はただ真っ直ぐだった。汚れを知らない子供のように純粋な考え。
しかし、串木野の眼前にいる人間には響くことは無かった。綺麗ごとなど彼らにとっては理想論のようなものに近かったのだ。
それを優先するよりも今の状況への対処が先である。いかなる理由があるにしろ、学内のルールを乱す者を放っておく道理などないのだ。
「串木野先生。生徒の違反行為を弁護するなんて見損ないましたよ」
「どいてください! 私たちはこれ以上事を荒げたくないだけなんです」
二人の教師にとっては、串木野の妨害など取るに足らないものだった。
なので無視して階段を進もうとする。
「ああ、駄目です! 本当に駄目なんですー!」
女性の方の腰に串木野がしがみついて止めようとする。
教師たちは少し苛立っているようだった。
「串木野先生! あまり邪魔をしないでもらえますか!」
女性教師はその手を振り解く。
串木野は地面に尻もちをついた。
「う!」
鈍い声が響くが、教師たちは上にいる違反生徒を指導することで頭がいっぱいだ。
串木野は悔しそうに顔をしかめる。
そのまま先に上っていた男性教師が階段の中ほどまで上がった時、ある声が体育館の外に響いた。
「貴様ら! 何をしている?」
びくりと、串木野も含めてその場にいた全員が背筋を強張らせる。
野太く低い声が、一瞬でその場の教師陣の意識をある人物に集中させた。
大柄な体格に黒スーツ、そしてサングラスを装着している禿げ頭。
この特徴的な見た目の人物を誰かと判断するのに、教師たちは数秒もかからなかった。
最初に口を開いたのは男性教師である。
「こ、校長先生! なぜこのようなところに!?」
「何故ではない。貴様は私の話を聞いていたか? 質問に答えるのが先だろう」
校長は尻もちをついていた串木野に近づいて手を差し出す。
「はあ、えっと……ありがとうございます」
串木野は少し遠慮しながらも、校長の手を掴んで体を引っ張ってもらう。
その勢いで立ち上がり、スカートについた埃をパンパンと払った。
「さて、貴様らは何をしていた。何故、串木野先生が暴力を振るわれたのだ?」
「いや、それは、その……」
その気は無かったが結果として串木野を倒してしまった女性教師がバツの悪そうに顔をしかめる。
それを擁護するように男性教師は階段を下りながら弁明した。
「ち、違うのです! 私たちは上にいる生徒たちを注意しようとしただけで、串木野先生が転んでしまったのは不可抗力なのです!」
「不可抗力か……。便利な言葉だ、貴様らの失態を擁護するには足りぬがな」
男性教師は校長から厳しく睨まれて怯んだ。
代わりに女性教師が校長に対して一歩、歩み寄りながら意見する。
「お言葉ですが、校長は何を言いたいのですか? 私たちは規則に違反した生徒を注意するだけです。どちらかというと串木野先生の方が間違っているでしょう。あんな生徒たちを庇おうとするなんて」
「たわけ! それ以上私を逆撫でするな!」
それまで威勢よく喋っていた女性教師はその一喝で黙り込んでしまった。
校長はその後、打って変わって落ち着いた声色で注意を続ける。
「ルールは大切だ。学校という集団の中で生徒たちを統率するためには必要不可欠だろうな。しかし、そればかりを重んじることは余りにも滑稽だろう。貴様らは他者に知恵を授けるという立場にありながら、自ら考えることなくルールに従う奴隷のようだな。今回の件は私の一意見を言わせてもらえば、串木野先生が正しいだろうよ」
「な!? 校長まであの問題児に肩入れするのですか!?」
「人の話は最後まで聞け。貴様らも教師であるのなら、坂上がどのような経緯で今舞台に立っているのか分かるだろう? 今貴様らがその邪魔をすれば、立ち直りかけた心は直ぐに砕けるぞ。それでもまだ、坂上の友人を邪魔しようとするのか?」
「で、ですから……。どのような大義名分がありましても、規則は規則で」
「はあ……、貴様らは本当に未熟だな。規則を守るため、それを言い訳にすれば何をしてもいいと思っているのか? 規則とは集団を乱さないためのものだ。しかし、今それに従った行動をすると一人が確実に社会集団から排除されるほどの傷を負う。大人と呼ばれる人間も大半はそうなのだが、少しは自分でものの善悪を考える能力を磨くのだ。勉学を修めれば人は立派になるのではない。ルールを守れば聖人ではない。大切なのはそのルールの奴隷にならない程の、強い倫理観を身に着けることだ。よく社会的に批判される行動をとる者の言い訳として、それは法律に名義されているのか? という幼稚な口答えがあるだろう。そのような人間は事の本質を碌に考えようともしないクズだ。法律という盾を用意して、人を不快にする害虫だ。わかるか? 規則に書かれていなければ、規則を守れば、あらゆる行動が常に正しい側にいるとは限らないのだぞ」
校長の持論にその場の全員が黙り込む。
生徒を守るためにとったはずの自分たちの行動の矛盾を、少しだけ理解してしまったのだ。
しかし、男性教師は尚も反抗する。
「しかし……、今回のような件を見逃しては関係のない生徒まで同じような行動をする可能性が……」
ぼそりと独り言のような音量。
しかし、校長はそれをはっきりと聞き取りため息を吐いた。
「そうか。確かにそれは大変だな。だが、そのような事態を危惧する時点で貴様の指導者としての能力不足が問われることになるぞ。ただ一度のイレギュラーで生徒全員の統率がとれなくなるのなら、それは指導者の責任だろう。いや、一連の流れが責任から逃れるための行動か。もし今回の件を見逃して学生の風紀が乱れたら、責任を問われるのは貴様らや私、教育する立場にいる人間なのだからな。だから貴様は今回強引に奴らの行動を止めようとしている。一見正義感からに見える行動だが、性根には貴様を保護するための醜悪な動機があるのだろうな」
「そ、それは……」
口ごもる教師に対して校長は心の底から失望したように話を続けた。
頭を抱えてサングラスを少し上にずらす。
「――責任は私が取ろう」
「……え?」
「今回の一件で後に同じような事が起きないように諸々の対処を私が行うと言っているのだ。とにかく自分が責任を負いたくない貴様らにとっては願ってもない提案だろう?」
「……」
二人の教師は黙ってしまう。
校長からそこまで言われたら、自分たちは引くしかない。しかし、今そのようなことをすれば暗に自分たちの醜さを認めてしまうことになるからだ。
そんな時、学校内に放送が響く。
『――あ、ああ、マイクテスト。マイクテスト。本日は晴天なり、と。どうだ優作、僕の声は聞こえてる? とりあえずこの部屋だけに流してるんだけど』
その声はオカ研の部員、孝宏のもの。
続くように優作の声まで聞こえてきた。
「あいつら……!」
教師が怒りを露にするが、校長の様子を鑑みる。
その姿を見て、本当に子供のような大人だと思ったが、校長は一言だけ発した。
「貴様らには放送室を任せる。捕まえた生徒は校長室に呼ぶように」
「は、はい!」
「そ、それでは!」
二人の教師は水を得た魚のように意気揚々と走り出していく。
このような人間が教育者の立場にいることに、校長は心の底から絶望していた。
しかし。
「あの、校長先生。ありがとうございました。おかげで皆の努力も報われそうです!」
自分の顔よりも遥かに下の方から聞こえた声に校長は目を向ける。
串木野が本当に嬉しそうにお礼を言ってきていたのだ。
校長は珍しく頭に手を当てて、困ったような顔になった。
「いや、何……。あんたに礼を言われることは何も」
「ほえ?」
「おっほん! 忘れてくれ。今回の件は流石に奴らの行動が目に余ったからな。串木野先生は今まで通り、生徒と接してくれると助かる。多感な時期の若者に、深く協調できる大人というのは、今の日本には少ない非常に大切な人材であるからな。だが、くれぐれも無理はなさらぬようにしてくれ」
そのまま校長は歩き出した。
もうすぐ放送室にいる生徒が校長室に連行される。
そのお説教のために、用事がなくなった体育館からは離れるのだ。
「はい! 校長先生も、無理しないようにしてくださいね!」
その言葉に校長はぴたりと動きを止める。
だが、振り返ることはなくそのまま歩を進めたのだった。
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その後、校長室にて。
「どわあ! 押さないでくださいよ!」
「いいから入れ! 校長先生がお怒りなんだ!」
「とほほ……、児童虐待だよ」
「……ご苦労だった。少し二人で話をする。貴様は出て行っていいぞ」
「はい! お疲れ様です!」
「うわあ、何か体育系の部活みたい……。校長、少し怖がられすぎじゃないですか? ――反応してくださいよ、僕をここに呼んだのはお説教のためですよね?」
「斉場孝宏、少し、質問をしてもいいか?」
「フルネームって……。なんすか、放送室には友華ちゃんに騙されて入っただけっすよ」
「そうだろうな。如月の考えそうな事だ。教師の目を貴様らに向けさせたかったのだろう」
「それが分かってるなら、僕を呼ぶ意味無かったじゃないっすか。帰ってもいいですか?」
「悪いが質問は他にある。単刀直入に言うと今回の件の黒幕に関してだ」
「黒幕? だからそれは友華ちゃんが」
「私が言っているのは坂上に関わる一連の騒動についてだ。何故親のことでここまで悩み、そして人間不信に陥るほど追い詰められたのか。元を辿れば一つの出来事が原因だろう。――友達から、文化祭で歌うように勧められた。今回の件の始まりはそこだ」
「……はあ。えっと、つまりその友達が悪いってことっすか?」
「善悪の話ではない。私も独自に今回の原因について探ってみたのだが、坂上にそのようなことを勧めた生徒達も、ある人物からそう言うように促されたそうだな。……なあ、斉場よ」
「……へえ、校長は僕を疑っているんですか」
「ああ。貴様が裏で手を回していたと確信さえしている。だがな腑に落ちない点が一つある」
「腑に落ちない点?」
「そろそろ無能な演技を辞めろ。上赤アリスのことだ。今回の一件では間違いなく一月前に転入してきた、あの生徒の協力が必要だっただろう。しかし、貴様が坂上を文化祭で歌うように仕向けたのは春休みだと聞く。どう考えても時期が合わないだろう? 貴様はどこまで見えているのだ?」
「ははは、校長も妄想がすごいなあ。そもそも僕がそんなに細かいことを考えられると思っているんですか? 天才の友華ちゃんならまだしも」
「そうだな。貴様の尺度で如月が天才になるのなら、貴様はさながら化け物か」
「……好きなだけ探れば良いんじゃないですか? ――お前がやりたいように、全力で頑張れば良いと思うよ」
「……そうか。なら、そうさせてもらおう。坂上の件、礼を言う」
「はいはい。じゃ、僕はこの辺で帰りますよー」
そう言って校長室の扉は閉められた。
一人残された男は、大きなため息を吐く。
妙にその声は部屋の中に響いたのだった。