しかし、子の背景に親はいる②
俺の声に驚いたアリスが目をぱちくりさせ借りてきた猫のように背筋をピンと張る。緩みきっていた心臓には刺激の強すぎる出来事だ……。
何度か息を深く吸って吐いてを繰り返し、動悸を落ち着けてからアリスに話しかけた。
「お、驚かせるなよ……。幽霊だからって趣味が悪い。俺じゃなかったら心臓止まってたぞ」
アリスが不服そうに顔をへの字にしかめる。
相変わらずソファには座ったまま。
「むう、別にそういうつもりじゃない。ただ部屋に入っただけ。足音がしないから気付かなかったんだと思う」
淡々とそう告げる。
でも確かに、知り合って時間は経っていないがアリスが人を驚かせようとするタイプでないのは何となくわかる。
逆にクール系幽霊銀髪美少女なのに、ドッキリ大好きキャラを付けられても大渋滞を起こしそうで困る。
「……そうか? まあ、悪い。俺も少し驚きすぎたよ」
「ん、別に気にしてない。それで、言われた通り今日は昨日の続きをしに来たんだけど。
ここは部室なんだよね? ホテルの部屋みたい……」
キョロキョロ物珍しそうに周りを見渡す。
この部屋を見たら誰でもそう思うよな。写真で見たらまず学校の部室だとは思うまい。
「そのとおり、いい推察力だ。ここは学校の一室だけどホテルが買い取っててな。フロントサービスもあるぞ」
「ほんと!? 呼んでみたい!」
「や、すまん。嘘」
「……」
すごい顔で睨まれた。普通信じないだろ。
和ませようと思っただけなのに、アリスの不機嫌度が上昇した。
「オカ研の部室だよ。部長が色々とすごい人でな。こんな部屋でも何故だか許されてるんだ」
「学生がこんなの作っちゃったんだ……。
ついさっき廊下で凄い顔で泣いてる人とすれ違ったけど、この学校ってなんかすごいね」
それがここの部長だ。
アリスは感心したように笑みを浮かべている。まだ汚れを知らない純粋な表情。俺の知り合いの中でも初めてのタイプの人間だと思う。
……二人きりで部屋にいることに今更ながら緊張してきた。
友華や鈴音のように親しくないからこそ、妙な雰囲気を感じてしまう。
それを払拭するように勢いよくアリスと向かい合うよう机を挟んでソファに座る。
「変な生徒が多いのは認めるよ。話が脱線したけど、そろそろ昨日の続きを聞いてもいいか?」
元からそのつもりだったのかアリスは特に前置きのような話をすることなく、一度俺の言葉に頷いてから口を開いた。
「そうだね。えっとね、どこから話そう……。何から聞きたい?」
可愛らしく首をかしげる。小動物みたいなやつだ。
しかし、その質問はあまりにも予想外なものだったので俺は昭和のリアクション芸人のように頭を前に倒して机にぶつける。そして、すぐに顔を上げた。
「いや、それがわからないんだろ。俺はアリスに関して何も知らないからな。なんでもいいけど、そうだな……。幽霊になった瞬間は覚えてるのか?」
アリスは少しだけ考え込むような素振りを見せた。
「うーんと、そこからなら覚えてる。確か寝起きみたいにボーってしてたけど白い所にいて歩いてたら暗くなって、気づいたら駅前の喫茶店の外にいた」
かなり、漠然としている。
情報が断片的過ぎて、わかったのはどこかを歩いて喫茶店の前にいたことくらいだ。
「駅前の喫茶店……。何か大切な場所だったのか?」
アリスは首を横に振る。
「わからない。意識がはっきりしたのがそこだっただけ」
そうか……。なら特に関係性は無いのかもしれない。
「ちなみに何の記憶なら残ってるんだ?」
アリスが自分の名前や、交通事故の多い場所、さらには学校にまで来れる土地勘はあることを思い出した。
残っている記憶の把握も重要だろう。
俺の言葉にアリスは耳にかかった銀髪をどけながら答える。
「自分のこと以外なら結構覚えてるよ。町の大きな施設とかお店の場所もわかるし」
「……なるほど。パッと見なんだけど、俺とも年が近そうだしここの生徒って線は無いのか?」
「うーん……。ごめん、ちょっとわからない」
目を閉じて真剣に考え込んでくれるが、肝心な部分はやはり抜け落ちているようだ。
「そうか。まあ、その辺は薄々想像してたから大丈夫だ。
俺なりに提案なんだけど、今日で学校の生徒を見て心当たりのある顔があるか探すっていうのはどうだ?
見知った顔がいたらそこからアリスの生前のヒントもわかりそうだし、何ならアリスのことを知ってる人に会えるかもしれない」
「確かに……。ありがとう、そんなこと思い付きもしなかった。私って山元くらいの年齢なんだ」
感心したようにアリスがうなずく。
自分の年齢くらいなんとなく見た目で推測できそうだけれど、今の言い方は腑に落ちない。
「鏡とかで自分を確認しないのか?」
「あー、私なんか鏡に映んないんだよね。カメラで顔を確認しようと人様の写真に映り込んでも、モヤがかかった心霊写真になっちゃうし」
「なるほど……。本当に幽霊なんだな」
「えへへ、でもいまは山元が話を聞いてくれるし、協力してくれるから嬉しいよ!」
アリスが元気に答える。
一瞬勘違いしそうになるけれど、俺しか頼れないから今の台詞は出ただけだ。
彼女が出来たことのない高校生には思わせ振りがすぎるけれど、誤解をしてはいけない。
……それに、アリスはもう亡くなっているんだ。
「よし。なら、授業中だけど今のうちに教室回ってきたらどうだ?」
その一言にアリスは考えるように顎に手を当てる。
「え? 山元は授業に出ないでいいの?」
「俺はまあ、出ても寝るだけだしな。少しぐらいサボっても平気だ」
「サボりって……」
「説教ならよそで頼む。ふわあ、この時間は眠いんだよ」
俺はアリスの意思も確認できたので、安心してソファに横になった。
俺の専用ベッドだ。ここでしばし眠りの世界を堪能するのが日々のルーティーンのようなものになっている。
そのまま眠ろうと目を瞑り、意識を溶かす感覚を味わいながら――、
「駄目!」
突然の大声にびくりと強張る。
見るとアリスが俺の目の前に移動して見下ろしていた。その表情は怒っているようだ。
「授業には出ないと。当たり前のことだよ」
どうやらかなりの真面目なのか、律儀に説教をするつもりのようだ。
知り合ったばかりの相手によくここまで出来るなと思った。
「悪いがそれは無理だ。俺はもう寝る姿勢だし、二限目も始まって二十分は経つ。いまから行っても意味ないだろ? 次の授業には出るから構うなって」
「だーめ! それがどんどん癖になって気付いたらサボってた、なんてことになるよ。授業に出たくないの?」
う、正直図星だ。
最初はドキドキしながらサボったが最近はもはや何も思わずに授業をサボるようになっている。
出たくない理由なんて特に無い。
飛鳥や友華も最初こそ注意したが、俺の親事情を知ると口を出さなくなった。
だから、今回もそうすればいい。
「親が、うるさくて寝れないんだよ」
我ながら最低なことを言っている自覚はある。家での会話なんて無いのに、都合の良い時だけ言い訳に利用する。
子は親に似るとは、本当によく言ったものだ。腐った性根をまるっきり受け継いでいる。
ここでアリスが追求してくるようなら、さらに親の迷惑を訴えれば同情されて話は終わる。いつものパターンだ。
教師も、生徒も。自分のせいで誰かの傷をえぐることを恐れて、責任を恐れている。もちろん俺も。
しかし。
「知らない。ほら教室に行くよ。」
俺の全く予想しない答えが返ってきた。
アリスは相変わらず頬を膨らませて怒っている。俺の話はまるで聞いてないようだった。
「だから、話を聞けって。俺は母子家庭でな――」
「聞かない。私はそれに興味がないから。」
「な!? お前が授業に連れていこうとするからこんな話をしてるんだろ!」
アリスの返事に少しだけむきになった。
だが、アリスは白いワンピースを押さえながら、しゃがんで俺と視線を合わせる。
「勘違いしてるのは山元だよ。私が聞いたのは山元優作がどうしたいのか。親の話は聞いてない。」
その一言は不思議と、俺の心に溶けた。
目の前の少女はそれが当然の事のように、純粋な目でじっと俺を見つめる。
次第に俺自身の浅はかさが見透かされているような気分になり、目をそらした。
「だー! もうわかった! 出るよ、行けば良いんだろ!」
残りわずかしかない授業に向かうために半ばやけくそ気味に立ち上がった。
いまの空気が続くのは、なんか耐えられない。
「うん。えへへ、ありがと」
「なんで、ありがとうなんだよ……」
出会ってからこちらのペースを乱しまくる幽霊、アリス。
でも、アリスの言葉は嬉しかった。
俺と親は違う人間だと、そうはっきり言って貰えたのが初めてだったから。
「ほら、立ったんだから早く行く。」
「わかったって! 押すな押すな!」
結局俺は二限目に途中参加。
周りの驚いたような視線や、何より教師の動揺が印象に残った。