文化祭開始④
三人と別れた後に、鈴音と二人で料理研究会が使用する教室の中に入る。とはいっても隣の教室なので、すぐに到着したんだが。
「失礼しま――って、誰もいないな」
「ほんとだ。部室に集まっているのかもね」
机が五つほどの集団でグループを作る時のようにくっつけられている。
いつもの教室には似つかわしくないガスコンロやフライパンなどの調理器具、鉄製のボウル、大量の食器類が場所ごとに並べられていた。
教室を丸々一つ使っての豪勢な調理場所だ。これも二つの教室を借りている料理研究会ならではの光景だろう。
オカ研は一つの教室しか借りていないので、三分の一に大きな布をガムテで天井に固定するように垂れ駆け一応の境界としている。
その奥でアリス一家が調理して、俺たちは配膳という形だ。
「と、あれだよな」
クーラーボックスを見つける。というかこれまた部活の飲み物を入れているような代物ではなく、実際のお店でも肉の保存に使われていそうな立派な冷蔵庫だった。
クーラーボックスって……。
珍しく友華は言い間違えたのかもしれない。そう思いながら中を開けると既にオカ研の使う食材は、すべて材料ごとに分けられていた。
「ありゃ、友華のやつ昨日のうちに確認してたんじゃないか。ここまで間違うなんて、疲れてるのか?」
言いながら呆れたように息を吐いて冷蔵庫を閉め後ろを振り返る。
そこには鈴音が立っているから。
「ふふ、違いますよ優作。友華さんは気を使ってくれたんですよ、私があなたに話があることに気づいていたので、慌てて適当な理由を言ったんでしょう」
自分の動きが止まったのが分かった。そこにいたのは鈴音の本心を出した姿だ。
本人曰く多重人格では無く、処世術みたいなものらしい。笑顔でそんな話をされたものだから俺もその時はそんなもんかと頷いてしまった。
「あの時以来だな。……鈴音、でいいか?」
「はい、私も鈴音です」
ロングスカートの裾をつかんで持ち上げ優雅にお辞儀をする。
服装も相まってどこかの屋敷の給仕みたいな気品漂う所作だ。
「……そうか。ちょうど、俺も聞きたいことがあったからそっちの方でよかったよ」
鈴音も俺が何を聞きたいのかはわかっているらしく、特に表情を変化させることはない。この鈴音との会話は二回目だというのに、長年一緒にいた友人のような安心した笑みを浮かべたままだ。
「そうですか、まあ、何となくはわかりますが。いまこの話し方になったのも、その悩みに答えるためですから」
「わかった。じゃあ、遠慮なく聞くんだが、……お前は学校で本当の性格を見せなくていいのか? オカ研のメンバーの中に、自分の本性をさらけ出したところで距離を置くようなやつはいないだろ。その、無理をしているようならやめてほしい」
俺が話している途中で鈴音はクスリと笑っていた。
そして、目を細めてまるで自分の予想がすべて当たっていたかのようにおかしそうに俺を見てきた。
「あ、あはは、待って、本当に駄目です! おなか痛い!」
遂には腹を押さえながら笑いだす。
「ど、どうしたんだ? そんなに変なことを聞いてないだろ……」
「はは、ごめんなさい! その、だって優作ったら私の予想よりも、ずっと優しいんですもの!」
「……優しい?」
想定外の言葉を紡いだ鈴音の口元に注目してしまう。
鈴音は確かに言葉遣いこそ丁寧になっているが、どうにもこの前ほどに周囲への恐怖は無いように見える。明るく、太陽みたいな少女。
本来の鈴音も、俺たちのよく知っている鈴音のままであるような気がした。
笑いすぎて出てきた涙を指ですくって鈴音は話し続ける。
「ええ、本当に、おかしいくらい優しいです。普段はぶっきらぼうで、一匹狼を気取っているのに実は一番みんなのことを見ていますよね」
「ば! そんな訳ないだろ、俺は授業にも真面目に出ないし、それにあれだ、出ても態度が悪いだろ」
「ええ、そうですね。じゃあ私は、そんな不良に助けられた位やさぐれ人間ってことですかね」
「いや……そういう意味じゃ」
普段よりも口が上手い鈴音に完全にペースを掴まれてしまう。
「まあ、優作が自分をどう思っていようが優しいのは本当ですよ。……質問に答えると、私は学校では他の皆さんが望んでいる鈴音。元気で明るく、誰にでもフレンドリーに接する理想の私で接していくつもりです」
体の後ろで手を組んで、前かがみに俺の顔を覗き込んでくる。
その顔が妙に吹っ切れていたような満面の笑みを浮かべていたので、何故か俺は居心地悪く感じてしまい緊張から敢えて視線を逸らした。
「そうなのか。お前はそれでいいのか? 本当の自分を隠しながら生活するのは、キツイと思うぞ。……俺は当事者じゃないから細かくはわからないんだけど」
「ええ、大丈夫です。それに優作は一つ間違っています。私は、どっちの私も鈴音だと思っているんです。元気でも、静かでも、明るくても、人が怖くても、どっちも私を構成する大切な要素だったんですよ」
どちらも本当の自分。
以前まで本当に壊れてしまいそうだったのに、よくここまで持ち直してくれたものだ。
「どっちも鈴音の個性か……。お前は、本当に強いな」
自然と、自分が頭の中に浮かんだ言葉を紡いでいた。
鈴音の心は今回の件で成長してくれたのかはわからない。もしかしたら、鈴音自身も未だに悩みを抱えている可能性もある。
それすらも感じさせないような、そんな屈託のない天真爛漫な笑みを丁寧な言葉を使う鈴音も浮かべてくれるようになった。その一点だけは、確実な進歩じゃないだろうか。
「ふふ、私をこんな風にしてくれたのは優作なんですよ。本当にありがとうございます」
本当にどうしたというんだ。
今日の鈴音は何かおかしい気がする。メイド服か? メイド服が普段とは違うギャップをより一層引き立てているのか?
「ああ、少しでも力になれたのならよかった。これからも、俺の前ではいつでも今の鈴音の話し方をしていいからな? 全員に元気に接していると疲れるだろ」
せめて鈴音がもう一つの性格を、俺の前では気立てなく発揮してくれると嬉しい。
そう思って発言したのだが、どうも鈴音の様子が目に見えて変化してしまったように感じる。
頬がリンゴのように赤く染まり、胸の前で指をもじもじ絡めだした。
「……ずるいです」
「どうした? もしかして体調悪いのか?」
聞き取れないくらいの小声で何かを呟かれる。
流石にあれだけのことがあった後に、文化祭準備をしていたら体調不良になってもおかしくはない。
午後にはステージ発表もあるんだし、休ませるか?
「その、少し動かないでくださいね」
「ん? ああ、構わないけど」
鈴音が俺に近づいてくる。
この前鈴音の家で抱き着かれた時のようなデジャブを感じた。
広い教室の中にいるのは俺と鈴音の二人。
ドアの向こうの廊下に出れば文化祭ではしゃいでいる多くの学生がいる。
しかし、事実として俺の視界には鈴音しかおらず世界に二人だけが存在しているような気分にすらなった。
吐息がかかるほどの位置に顔が近づく。息のリズムから、鈴音の鼓動が伝わってくる。体を密着させているわけではないが、まるで互いに抱き合っているような錯覚に陥る。
「す、鈴音?」
自分のシルエットが鈴音の水晶体に吸い込まれ、瞳の中に映っている。妙に艶やかな吐息、紅潮した頬。それに引き込まれ俺も、頭の中がくらくらしてくる。
その間にも距離は近づいていき。
「大丈夫です。その、多分痛くはないので……」
俺は鈴音とバカみたいなことをやって、はしゃいで、互いに気を許した友人の関係だった。
だけど、今の鈴音は、なんというかその。
すごく、女性として魅力的に見えてしまう。




