だから彼女は泣いていた⑤
「は、はは。今更、そんなこと言われても、私は、周りを許しませんよ。……許せませんよ」
自嘲気味に鈴音が笑う。
周囲への憎悪というよりは、自分自身に呆れているような感情を持っている気がした。
「何も許してくれと言ってるわけじゃないんだ。鈴音が少しでも楽しく生きるために、出来ることがあるなら力になりたい……俺に出来る限りでだけど」
最後の最後に自分のセリフが恥ずかしくなってしまって頭をかく。きっと今俺の顔は赤くなっているだろう。心なしか心臓も激しく脈打ち始めた。
幸い鈴音は俺の顔までは見ていないようで、地面を見ながら手元のアルバムを強く抱きしめる。
「そう、ですか。できること……」
そう言って鈴音は何を思ったのかアルバムを押し入れの元の場所に戻して、俺に向かって歩き始めた。
部屋の中は既に夜の怪しい光が差し込んでいる。
白く幻想的な光に照らされる鈴音は、普段の子供じみた雰囲気はなくどこか大人びているように見えた。
そして。
「――っ!?」
「動かないで、ください。なんでも、してくれるんですよね」
鈴音は俺に体重を預けて胸の中に顔を埋めた。
背後に手を回されるので振り解くことはできない。
というかこいつは何を急にしているんだ。こんなに体を密着させたら、鈴音の心音も伝わってくる。いや、それどころか体温も俺の体に伝わってきて嫌でも動悸が激しくなる。ずっと部屋に閉じこもっていた筈なのに思ったよりも女子の甘い香りがして、それが俺の理性を溶かすように鼻孔から脳みその神経を麻痺させ――、
「すみません。少しだけ、このままで、いさせて下さい」
「……鈴音?」
俺が無粋なことを考えている間に、鈴音の体は小刻みに震えていることに気づいた。
背後にある手により力が籠められる。
「ずるいです、優作は」
そう一言震える声に乗せて呟いた。
ああ、確かにそうかもしれない。すべてを知った上で鈴音をこの家に連れてきて、雰囲気で誤魔化そうとしている部分も多い。
まともに俺の持論を展開しただけでは鈴音を救うことなんて出来ないと思ったからだ。
「そ、そうか。まあ、そういわれても仕方ないよな、すまん」
だからまたもや謝ることしか出来なかった。
「ふふ、本当にずるいですよ。私はこんなに、悩んで、こんなに、苦しんでいたのに。あなたは、一回謝れば私が雰囲気に流されると思っているんでしょう」
「は、はは」
完全に図星をつかれて、返す言葉も見当たらない。
空返事で気まずい言葉を発する。しかし、それに対して鈴音はこれ以上責めるような素振りを見せなかった。
「こんなことされたら、流されちゃいますよ私。こんなに私のために行動してくれているのに、私を理解してくれいる人がいるのに嬉しくないわけないじゃないですか!」
顔を上げた鈴音は瞳が潤んでいたが、満面の笑みを浮かべている。それは今まで見たことのないような、鈴音が心を本当に許してくれたのだと実感させてくれるような綺麗な笑顔。
でも、なんというか、いつもなら目を合わせられるのに、今の鈴音にこんな顔をされてしまったのなら、すごくドキドキする。
最低だと思うが、そんな考えが先行して浮かんでしまった。
「ひ……ぐ! えへ、何か、安心してしまって、すみません! すぐに、やめ、るので!」
涙腺が決壊してそれまで溜め込んでいた思いが溢れ出る。
「いや、いい。しばらくはこのままでいいんだ」
「もう……、本当に、あなたはずるい人です」
鈴音が俺の胸に深く顔を埋めた。
「みんな! みんな嫌いです! 誰も私をわかってくれない! 先生も、優作たちも、みんな分かってくれないんですもん! 元気じゃないと、いつ嫌われるか、わからない! 死にたいって、何回も思ってたのに! 暗い部屋で殴られて、誰も助けてくれなくて! お父さんとも、意味も分からずに離れさせられて! かは、ああ! けほ! えうぅ……」
咽ながらも鈴音は泣くのをやめない。一度溢れた気持ちは、もうどうにも出来ないくらい感情を爆発させていた。
「ばか! みんな馬鹿です! なんで私はこんなに苦しまないといけないんですか! 最後の家族だったお父さんも、いなくなって、どうして生きていけばいいんですか! お父さん、おとうさ、ぐ、ああ、はぁ、おとう……さん!」
……さっき俺が鈴音に抱いた感情は、違う。落ち込んでいる鈴音が元気になったのが嬉しいだけだ。断じて、そのような感情を抱いていた訳ではない。
鈴音が泣いて、初めて気持ちを露にしてくれた姿を、俺はただ近くで見守っている。
それは数分か、はたまた一時間か。
どれくらい続いていたのかはわからないが、気づくとある瞬間に不意に鈴音は俺の胸から顔を離した。
「……すみません、変なところ、見せちゃいました」
「そ、そうか。えっと、よかったな!」
こんな時に気の利いた一言も出てこない自分を呪いたくなるが、勢いに任せてそう口にしてしまう。
「うふふ、優作らしい言葉です。不器用ですが落ち着きます。すごく、心がほっとしました」
鈴音は泣いていた。
しかし、それは決して悲しみの涙ではない。
鈴音の涙は、亡き父を思いそれを受け止め、そして人を信じられない自分に対しての嫌悪が薄れたような感情が含まれている気がした。
過去の自分との決別。
人に自分の本心を初めてさらけ出せたこと。純粋にそれが嬉しかったのだ。
だから、彼女は泣いていた。
「ありがとうございます」
その言葉は、その時の鈴音の顔は、不思議と俺の中で強く印象に残った。




