だから少女は泣いていた④
理由は単純なもので、そもそもの前提が違ったのだ。
「そりゃ、好きな人がいなくなったら悲しいよな。泣くし、部屋にも籠る。でも、お前のことを周りが心配するけど、皆は理由が違ったんだろ。親に虐待されて塞ぎ混んだ少女、それが鈴音に対して抱いていた偏見だったんだ」
だから鈴音は、孤独だった。
誰もが自分を理解してくれないから、自分は人に認められる人間にならなければ、と。
偽りの人格を用意して、人と表面だけの付き合いをすることでしか、孤独から抜け出せなかったのだ。誰も信じられない狂気の世界を一人で生きていたのである。
「そう……。思ったよりも優作は鋭いですよね。人を、見ていないようでよく見ている。友華さんが、一目置いているのも、わかります」
鈴音は薄っすらと笑みを浮かべる。
最初に比べて少しだけ言葉が砕けてきたな。
鈴音が心を許し始めているってことなのか……?
そんな、余計な考察をしている暇はどうやらなさそうだった。目の前で鈴音は、父親が亡くなった場所を凝視していた。
「鈴音。ここに来たのにはこの部屋をお前に見せたかったからなんだ。その、きっとあると思ったから。お前と父親の思い出が」
ここ以外の場所で父親との話を持ち出しても、きっと周囲の人間が鈴音に抱いていた誤解があったという話以上に進展しない。
アリスが言っていた、鈴音はいつ爆発してもおかしくない爆弾を抱えている状態とは、あいつなりに鈴音が気丈に振舞っていることをどこかで理解していたからだろう。だから、鈴音が抱えている本当の問題を解決しなければ絶対に人を信頼することがなくなってしまう。
そんなのは残酷すぎだ……。
「父さんとの、思い出……」
「ああ、お前が父親を本当に好きなら、好きだった時代のものが残っているはずだろ。写真にしろ、何かしらの形で残っているはずだ」
「写真……そういえば」
パタパタと押し入れの方向に近づき、鈴音は勢いよく開けた。
中はガラクタのような物が山積みに重なっていて、開けてすぐに雪崩が起きないのが不思議なくらいだった。
しかし、鈴音は気に留める様子もなく押し入れの一番下にあった戸棚の収納を引いていた。
「そう、でした。なんで忘れていたんでしょう。これを、アルバムを残していたんです」
他のものはゴミ同然に乱雑に投げられているにも関わらず、鈴音が手にしている白く分厚い写真アルバムは透明なカバーがかけられていて、遠目に見ても綺麗な保存状態だった。
「アルバム……。お前の父さんが作っていたのか?」
「はい。私の父さんが、子供のころからの記録を、とってくれていたんです」
意外だ。鈴音の父親にここまで器量面なところがあるなんてな。てっきり一枚でも家族写真があれば良いと思っていたから、結構驚いている。
宝物を抱えるように鈴音は誰に言われるでもなくそのアルバムをめくり始めた。
互いに息を吸うのも忘れていて、静かな部屋の中にアルバムの堅いページをめくる音だけが鳴り響く。
「は、はは。父さん、思っていたよりもいっぱい、写真を撮っていたようです。本当に、撮りすぎな、くらいで……」
最初笑いながらめくっていた鈴音は次第に声を震わしていく。
「ああ、本当に、なんで、こんなに、……こんなことに、なってしまったのでしょうか」
「鈴音」
「大丈夫です。その、取り乱してはいますが、以前のようなものでは、ありません……。ただ、一つ聞いてもいいですか?」
「ああ、何でも聞いてくれ」
「なんで、父さんは、狂気にとりつかれたんでしょうか……。なんで、一人で、亡くなったのでしょうか……」
鈴音は涙を流していないのが不思議なくらいに瞳が潤んでいる。
写真を見て、その中では笑顔を浮かべている父親がいるんだ。自分が最後に覚えている怒り狂った同一人物との表情のあまりの違いに、信じられないものを見ていたような気分になっていると思う。
俺だってそれの答えを持っていない。
自分の母親とすら上手くいっていない人間だ。
でも、正しいかはわからないが確かに持っている意見はある。
「今から最悪な事を言うぞ。……これで納得してもらおうとは思わないんだけどな、お前の親は無理をしすぎたんだと思う。一人で抱え込んで、そして体に入りきらなくなって壊れたんだ。それに関しては、誰が悪いかなんてわからない」
鈴音の父親は鈴音に似ているんだろう。俺たちの目の前で、気丈に振舞い徐々に壊れていた少女のように、全身が錆びてゼンマイが回らなくなるまで自分の状態に見向きもしなかったんだ。
そして気づいたら、守るべき対象だった娘にさえも暴力を振るってしまった。本人の意思ではなく病気みたいなものなんだろう。
「ただ、明確な悪意を持っての行動じゃないのはわかってほしい。何にも特別なことなんてなかったんだ。お前をいじめたクラスメイトも小学生なら団結のために教室でいじめの対象を作るって話をよく聞くし、それを過剰に受け取って娘が心配だから監禁までしたお前の父さんもやりすぎだ。そして、何よりずっと苦しんでいたお前の気持ちに気づかずに、偽りの人格を肯定するような接し方をしていた俺たちも最悪だった。本当に、今までつらい思いをさせたよな、悪い……」
鈴音以外の全員が、鈴音を苦しめていた。
これが紛れもない事実で、鈴音がおかしくなってしまった原因でもある。
誰も鈴音の親を責められない。苦しめていたというのならば、みな同罪だから。
鈴音以外の誰もが、この件に関して他者を責めるなんておこがましいこと出来るはずがないんだ。
だから俺は、最大限の誠意を見せるために腰を折って謝罪する。俺も鈴音を苦しめていたのだから。




