だから彼女は泣いていた③
「さて、と。着いたな」
意外とすんなり目的地には辿り着く。幸いというか、明智さんに鉢合わせることなくむしろ玄関にいた子供に口裏を合わせてもらうこともできた。俺は帰り、鈴音は部屋の中で寝ている、と。
「優作……。ここは、あの、その」
いつもは率先して先を歩く鈴音は、俺の背後に密着するほどに近づいて震えている。
すまないが、どうにか堪えてくれ。これ以上の方法を思い付けなかったんだ。
「ああ、お前の家だ。お前が父親と暮らしていた場所だよ」
目の前には六日ぶりに訪れた鈴音の家がある。
住宅街の周りの家と比べても、木造平屋のひどく老朽化した場所だ。
「な、何でここに連れてきたんですか……」
「少し用事があってな」
鈴音は自分から家に入ることは出来そうにないので、俺が先導する形で歩き出す。制服の後ろ裾を掴んでいた鈴音は、外で一人になるのが怖いようでリズムを合わせるように着いてきてくれた。
「鍵は、かかってないのか……。不用心だな」
もう、住んでいる人がいないからかドアは開いていた。
引き戸に手を掛けると、以前この場所で見た光景がフラッシュバックする。一人で亡くなり、溶けて腐敗しかけていた死体。それが友人の親である事実。
改めて思い出すだけでも吐き気を催しそうになる。
俺でこれだというのなら、鈴音は……。
「大丈夫ですよ。辛くないのは、嘘ですけど、前みたいに発狂はしません……。えっと、多分」
視線があからさまだったのか、鈴音は少しだけ笑いながら安心させてくれる。
よかった。家に入った瞬間に話を聞く状態ではなくなったら、俺の行動は全てが水の泡になるところだ。
「わかった。じゃあ、入るぞ」
確認をとったら後は勢いだ。
ガラガラと音を立てながら家の中を視認する。
ゴミも何もかもそのまま。遺品整理はまだされていないようだ。
漂っていた異臭は既に消臭され、外と何ら変わらない匂いにまでなっていた。
「鈴音、来れるか?」
「は、はい。その、結局何の、用事なんですか?」
「あー、えっと、まあ、本当のお前を知りにきたってところだ」
「はあ……?」
意味不明だろう。鈴音は疑問なのか、呆れてなのかわからない声を出す。なに言ってるんだこいつって感じの訝しげな視線を向けていた。
ここには、鈴音と向き合うために来たんだ。
明智さんも含めて周りの俺たち全員が、誤解していたことを正すために鈴音と一緒に来る必要があった。
「悪いがあとほんの少しだけ、俺に付き合ってもらっても良いか?」
「はい、わかりました」
通路にあるゴミ袋は何人かの人間が出入りした関係か、脇に山のように積まれて廊下には通り道が出来ていた。
裸足では何かの破片があったら怖いので、前回同様に土足のまま上がり込む。
真っ直ぐ。
鈴音が着いてこれるように、普段よりも少し遅めに歩く。
ただ真っ直ぐに。
「よし、ここだ」
「……ここ、は」
目的の部屋の前で鈴音は固まる。
俺が来たかったのは、あの日鈴音の父親がいた部屋だ。
「この部屋に来たかったんだ。お前に皆が間違えている事を聞きたかったから」
「間違えている、こと?」
鈴音は部屋に足を踏み入れることなく、廊下で固まっている。
「おう。じゃあ、入るぞ」
「わ」
有無を言わさずに手を引く。鈴音は少し足をバタつかせながらも、その部屋に入った。
「……やめ、て、ください」
こんなことをされたら、当然鈴音は怯える。
頼む。あと少し、俺の話を聞いてくれ。
「俺のことは後で煮るなり焼くなりしてくれていい。だから、一つ質問に答えてくれ」
「質問ですか?」
ああ。
今回鈴音が狂ってしまった原因。
そして、今まで誰一人として鈴音を過去のトラウマから救えなかったのには、たった一つの大きな誤解が関係していたんだ。
「鈴音。お前は、本当に心の底から父親が好きなんだよな」
「――っ!」
鈴音が目を見開く。
俺の脳みそが出した結論はこれだった。
ここ数日の鈴音と関わるなかで、周囲の人間の色々な言葉を聞いた。誰もが鈴音を心配していたが、誰もが鈴音から信頼はされない。
理由は単純なもので、そもそもの前提が違ったのだ。




