だから彼女は泣いていた②
「ああ、お前じゃない――鈴音に聞いてるんだ」
「え?」
呆けたように目を丸くする鈴音。
今から俺は最悪なことをするだろう。恨まれて、嫌われても仕方のないことを。
でも、こうでもしないとこいつの本音を聞き出すことは難しいんだ。幾らでも嫌われてやろうじゃないか。
「人に好かれる演技じゃない。坂上鈴音の、本当の人格で話してくれ」
「あ、あはは。何言ってるの優作。冗談にしても笑えないよ」
「大丈夫だ。俺はもうお前が荒れてるのを見てたんだぞ? そっちの方を見たところで嫌いになる訳がないだろ」
鈴音は黙る。
ここで俺が発言するのは駄目だ。何分だろうが待つ。
鈴音が俺の発言に自分から答えてくれるのを。
しかし、良い意味で俺の予想は外れ数秒の沈黙のあとに鈴音が大きく息を吸い、そして吐き出した。まるで魂を入れ換えたかのように。
「--うん。いいよ。こっちの方で、話してもいいんですよ、ね?」
「ああ。耐えられなかったら、いつもみたいに元気な性格になってくれていい。もし声が怖かったら伝えてくれれば気を付けるよ」
文字通り人が変わったようにおどおどしだすのは紛れもなく鈴音だ。人格どころか身に纏う雰囲気も全く違っている。多重人格というほどではないが、それに限りなく近いと思う。
これこそが他人から好かれる人格ではない、坂上鈴音の本来の人格。父親と接していた時の鈴音の姿である。
「あ、ありがとうございます。えっと、山元くん?」
「いつも通り優作でいい。俺は、お前の敵になる必要がないだろ?」
あえてややこしい言い回しをするのは、俺の予想することが正解だったときの危険性を考えているから。
もしここで俺はお前の味方だと言ってしまうと、鈴音の信頼を大きく損なうだろう。
「わか、りました。優作。えっと。私の過去でしたよね?」
「ああ、ゆっくりで構わないから、教えてほしい」
鈴音の目が泳いでいる。
もじもじと何か込み上げてくるものを堪えながら、意を決したように俺を見据えてくれた。
「私は、昔、いじめられていたんです」
「――ああ」
やっぱりそうだ。
鈴音は小学生の頃に周りから嫌がらせを受けていた。
父親からではなく、始まりは学校の人間からだったのだ。
「昔から。他人に敬語を、使う癖がありました。それを、面白がった周りから、嫌がらせを受けたんです」
「……そうか」
「父さんは、そんな私を見かねて、家で勉強を教えてくれたんです」
震えている。鈴音の体は凄惨な過去を思い出したために、小刻みに拒否反応を示していた。
それでも話すのを止めようとはしなかった。辛そうに目を開きながら、鈴音は思い出し続けてくれたのだ。
「でも、それがどんどん過剰になって、外に出ようとする私を叩くようになりました。最初は心配して、家に置いていたのに。気が付けば、部屋から出ることすら、制限されて、と、トイレすら自分の部屋でさせられてました。父さんは、何かに呪われたように、優しかった表情すら、色を失って、……そんな日が続いていたら、ある日、家に、いっぱい大人の人が、入ってきたんです」
「もういい! ありがとうな、鈴音」
震える肩を押さえて、精一杯の優しい声をかける。
そんな気休めが通用するかは分からなかったが、鈴音は俺と視線をあわせて安心したようにほうっと息を吐く。
「す、すみません……。少し動揺してしまって……」
本当の鈴音は文字通り世の中の全てに怯え、他人を信頼することが出来ないでいた。
きっと、いじめと括ってもその内容は今ですら話したくないものなのだろう。手で体を抱え、過呼吸ぎみになり始めている。
……こんなに、こんなに、弱かったんだ。
俺が誰よりも明るいと思っていた少女は、誰よりも人に怯えながら生きていた。
「いや、大丈夫だ。それでよ、藪から棒になんだが、少し外に出ないか?」
「……外?」
「部屋の外じゃない。施設の外だ。明日から学校に来るにしても、その前にお前を連れていきたい場所があるんだよ」
「……まあ、優作が一緒なら、わかりました」
よし。
最後の条件を受け入れてくれた。
もういいんだ。鈴音は、もう十分に苦しんだ。
だから、救われてもいい。弱い自分を受け入れて、せめて人並みに生活してくれればそれでいい。
ここからが最後の正念場だな。




