狂気と本心④
……いや、そんなわけ、ないよな。
「もー、バカ! すごく心配した!」
「ごめんねアリスちゃん。心配かけないように明日からは絶対に行くよ!」
鈴音の俺たちに対する謝罪は本物だと思う。だが、その前のセリフ。踏ん切りがついたという言葉が妙に引っかかる。
胸にしこりが残っているのだ。
「鈴音。その、もう納得したのか?」
「うん! 優作もごめんねー、面倒かけちゃった!」
明るく元気な声。いつもの鈴音だ。
だが。
その笑顔には見覚えがある。
それは嘘をついている人間の笑顔。母さんの表情を昔から観察して、怯えながら生きてきた俺じゃなければ気づけない違和感かもしれない。しかし、俺は鈴音の表情から母さんと似たものを感じてしまった。
空元気。今の鈴音は俺とアリスを誤魔化すために、噓をついている。
「そうか。なら、よかった」
「うん! アリスちゃんと話して、流れで外に出たら自分がどんだけおかしな事をしてたのか分かっちゃった……。思い出すだけで恥ずかしいよ……」
「そんなことないよ。って、鈴音本当に顔色悪い。少し横になる?」
「うん。そうさせてもらおうかな……。なんだか頭がボーっとして……。多分ここ数日おかしかったから体が疲れてるのかも」
「肩かすよ。一度部屋に戻ろ?」
「……うん」
アリスが鈴音を連れて部屋に戻っていく。
俺にできそうなことは特にないだろう。明智さんに鈴音の件を報告しに行くか。あれだけ心配していたんだし、喜ぶ姿が目に浮かぶ。
鈴音の部屋の前から離れて、俺は明智さんを探しにリビングへと向かった。
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明智さんと話した後、俺とアリスは施設の外に出て学校に向かっていた。このことを友華たちにも伝えたかったし、何より明智さんがそれはもう涙を流して喜んでいたので邪魔するのは無粋かと思い退散したのだ。
既に日が傾き学校までの道路を黄土色に染める。横を歩くアリスは夕焼けに照らされ、まるで一枚の絵画を切り取ったかのように幻想的な光景を作っていた。
作っていたのだが、問題はその表情。真一文字に口を閉めて、何かに不満がっている。
「……山元」
「どうした?」
「鈴音のことだけど、これで解決したと思う?」
不意に立ち止まったアリスと視線が重なる。探るような上目遣いに、思わず一歩引いてしまった。
深い海のような瞳に釘付けになる前に、俺は質問に答えようと少し声を張り上げる。
「そんなことを聞くってことは、アリスも鈴音の態度が三百六十度変わったことに違和感を持ってたのか?」
「うん。百八十度変わったから、急にここまで態度が変わるのはちょっとおかしいなって思ってる。さっきは興奮しちゃって、そこまで気が回らなかったけど」
焦って冷静を装ったので、間違えてしまったんだ。本当だ。
「山元。元気だして、間違いは誰にでもあるよ」
電柱に体重を預けて項垂れる俺の背中をアリスが擦ってくれた。指摘するわけでもなく、自然にフォローしてくれるとは……。本当に良いやつだ。
「ま、まあ、そうともいうな。それで! アリスは何で鈴音の態度が変わったのかわかるか?」
「うーん……。一番ありえるのが、私たちに心配をかけさせたくないからかな。でも、これは結局なにも解決してないから、また鈴音がこんな状態になる可能性を常に持っているって思わないといけないってことだし、すごく嫌な配慮」
「嫌な配慮か。あいつがそんな器用なことできるかね」
冗談っぽく言うとアリスは口をへの字にした。
「できるよ。鈴音は誰よりも他人を怖がってるもん。私たちに迷惑をかけていたことが、少しでも客観的な視点を持ててわかったのなら、絶対に今回みたいなこと言うよ」
「……アリス?」
普段より少し饒舌になったので、たまらず聞き返してしまう。
しかし当の本人はそれを無視して俺に顔を近づけてきた。目と鼻の先にアリスの顔がある。さすがに冷静でいられるわけもなく顔を引いた。
「私怒ってるんだよ」
「怒ってる? 何にだ?」
「山元と友華。二人は私の知らないこと知っているでしょ。見ていたらなんとなくわかる」
話していて悲しくなったのか自分からまた距離をとって、大きなため息を吐いていた。
「ほんとに鋭いな。でも嫌がらせで隠してたんじゃないんだ、鈴音が他人に聞かれたくないことだったから言えなかったんだよ」
「むう、わかってるよ……。だから怒ってる」
「だから?」
「うん。私は鈴音の友達だと思ってたのに、鈴音は私を信用してないってことだもん! 山元には話すのに!」
どうやらアリスは俺と友華が、鈴音本人から過去を聞いたと思っているようだ。
その点に関しては相当ご立腹のようで猫のように背筋を伸ばして怒っている。
「アリス、それはちが」
「とにかく、このままじゃ鈴音はいつ爆発するかもわからない爆弾を持ったまま生きていくことになるでしょ! それを止められるのは過去を知っている山元だけだよ、ガツンとかましてきて」
突然鈴音のいる方に向かうよう背中を押される。
「待て待て! 何か話がおかしくなってないか!?」
「さっきの鈴音との会話で何となく気づいたの。今日中に解決しないと、きっと鈴音はやり直せなくなるって」
問答無用で押される。こいつ結構力強いな。
「にしてもお前も行く前と比べて、吹っ切れたように明るくなってないか? 急に雑になってるぞ!?」
その反応が気に食わなかったようで、頬を膨らませて学校方向に歩き出すアリス。
完全にご立腹のようで、数歩はアスファルトですらドタドタ効果音がしそうな程に怒りを露にしていたが、俺の発言が終わるころには立ち止まってくれた。
「鈴音はね、落ち着いたように見えて今が一番危ない状態だと思う。本当は私がどうにかしたいけど、今回は山元が適任だよ。自分では気付いてないだろうけど、あの時と表情が似てきてるから」
「あの時?」
その質問にアリスは振り返って、先ほどまでの憤りが嘘のように楽しそうに笑いながら体を前に傾けて答える。
「私を、病院から救ってくれた時の顔!」
綺麗に夕焼けをバックにしてはにかむアリスは、言葉に出来ないほどに美しかった。銀髪が光を反射して輝いているようにすら見える。
「じゃ、頑張ってね。私は先に友華たちに今日のこと伝えてくる。――鈴音を本当に救えたら、かっこいいよ」
アリスの頬が赤く染まっていたのは、多分日差しのせいだろう。