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幸福に生きたい不幸なあなたへ  作者: 木鳥
一章・鈴音
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   狂気と本心③

 苦笑いしながらポリポリ頬をかく鈴音に笑い返しながら、アリスの横に着席した。俺がいない数秒の間にも会話はあったようで、先ほどより汗が増えていた。


「すまん。少し強引な行動した」

「むしろありがたいよ。結果的にお父さんはいない状態だから話しやすい。でも、よくパチンコなんて話題出たね?」

「ああ、あいつの家にその手の雑誌があったからな」


 表紙しか見えてないが、家にも母さんが集めている同じ系統のものが何冊もあるので中身はわかっていた。


 わかりたくもない知識ではあるが……。


「二人とも何の話をしているの?」

「別に何でもない」

「うん、そんなことよりも鈴音。一つ聞きたいことがあるんだ」

「うん? どうかしたの?」


 どうにか父親のいない状況を作り出せた。ここまで来てようやく話は本題に入れる。

 鈴音の本心を、悩みの原因を探るのだ。


「鈴音は、お父さんのことをどう思ってるの?」


 アリスが尋ねる。少しだけ申し訳なさそうにしていたものの、透き通るような青い瞳で鈴音を真っ直ぐ見つめていた。


 そして誰しもが目を奪われそうになる少女の視線の先にいる人物は、初めてその単語を聞いたかのように不思議そうにアリスを見つめ返した。


「お父さん? どうしてそんなこと聞くの?」

「特に理由はないんだけど、その、すごく仲が良さそうに見えたから聞いた感じ」

「俺から見ていてもそう見えたな。鈴音の反応も学校ではしなさそうな感じだったし」

「そうかな。えへへ、それなら教えるけどお父さんのことは普通に好きだよ。お酒さえ飲んでいなければ良い人だし」

「お酒……、飲んじゃったら性格が乱暴になるの?」

「うん、そして私に暴力を振るってくるんだ! 痛い痛いって何回も言ってるのに聞いてくれないんだよねー」


 そう言いながら笑みを浮かべる鈴音。何故か虚空を見つめていた。


 アリスは俺の隣で遂に隠し切れないくらい表情が痛々しいものに変わる。まるで今自分が皮膚でもつねられているかのように目を細めて苦悶していた。


 きっと、アリスは本当に自分のことのように苦しんでいる。鈴音を友人と思って接してきた以上、その口から凄惨な記憶を引き出すのは心苦しいのだろう。


「鈴音、こんなこと言うのは酷だと思う。いくらでも私を責めてくれて良いんだけど、その、部屋から出てみない? 外の空気を吸うと気分も晴れると思うし」


 一拍置いてからアリスが話を切り出すが、鈴音からの返答は無かった。

 

 いや、考え込んでいるのか。


 何かに悩んでいるように顔をしかめている。そしてしばらくの沈黙の後に鈴音はパッと明るい表情の顔を上げた。


「外かー。そういえば最近出てなかった気がする……。うん! アリスちゃんも来てくれるのなら出てもいいよ!」

「本当!? わかった、ありがとう!」

「じゃあ、お父さんの話をするのはここまでで……。と、そういえばお茶も出してなかったね! 待ってて、今とってくるよ!」

「うん。一人で大丈夫?」

「私の家だもん! 大丈夫だよ」


 そういっていつもの調子に戻った鈴音は、忙しなく部屋から出て行った。


 パタンと扉の閉まる音が部屋に響いた後、俺とアリスは互いに顔を見合わせた。数秒の沈黙の後に、倒れんばかりに背中に重心を傾け二人して安堵の息を吐く。


 どうやら、今日でだいぶ改善できたようだ。まさか、率先して部屋から出ていくなんてな。


「ふう。何とか上手くいったな、アリスのおかげだ」


「ううん。山元が手助けしてくれたお陰だよ。鈴音のお父さんを外に誘導したのは上手だった」


 アリスは気づくと汗びっしょりだった。会話をしていたというよりは、真夏に全力疾走をしたような疲労感を感じさせる。

 制服の胸元を握ってパタパタと風を送っていたが、その様子が異様に色っぽかったので目をそらしてしまう。


「山元?」

「何でもない。気にするな」


 こいつは……。

 さっきは別人のように頼もしかったのに、どうして自分のことになると他人の視線にこうも鈍感になるんだ。


 しかしまあ、アリスが気を緩めてしまうのも分からなくはない。鈴音との会話はそのくらい気を使うものだった。


「そういえば山元」

「ん、どうした?」


 手で顔をぱたぱた扇ぎながらアリスが俺に尋ねる。

 完全に失念していたあれのことを。



「鈴音のお父さん――、あの人形はどこにやったの?」



 話しが終わる前に体から一気に血の気が引いていた。


 心臓が蒸気エンジンのように激しく音を立てて動き、俺の脳みそは中心から沈むように重みを感じて、視覚情報が入ってきていないのではと錯覚するほどにとある最悪の考えを浮き沈みさせていた。


「ま、不味い……」

「不味い?」


 突然立ち上がった俺をアリスが首だけ横に向けて上目遣いで見てくる。


「何か問題があったの?」

「あ、ああ。その、人形のことなんだが、部屋の前に置いてきた……」

「え……」


 俺は慌ててドアを開けて廊下に出る。すると部屋の目の前で鈴音がしゃがみ込んでいた。位置的に確実に俺が放置していた人形を見ている。


「す、鈴音。飲み物はどうしたんだ?」

「山元、これは……遅かった?」

「ああ、多分な! 悪い!」


 言いながら鈴音に歩み寄る。完全に俺の失敗だ。


 ああもう何をやっているんだ俺は。あと少しで、鈴音をいつもの様子に戻せたかもしれないのに振り出しに戻ってしまったかもしれない。


「鈴音。聞こえてるか?」


 声かけに反応が無かったので、鈴音の肩に手を置いた。男の俺が触ってしまうと再びトラウマを呼び起こすことにつながる気もしたが、幸いこれといって拒絶反応は無かった。


 アリスとの会話が鈴音をだいぶ落ち着かせてくれたらしい。


「うん。聞こえてる。あと、その、色々ごめんね。迷惑かけちゃった」


 予想だにしない一言に耳を疑った。


 どういうことだ。今の発言、まさか鈴音のやつ思い出したのか?


「す、鈴音?」


 アリスが恐る恐る話しかけると鈴音は立ち上がり笑顔で俺たちに振り返った。

 手には人形が大事そうに抱えられている。


「思い出した――、っていうよりかは踏ん切りがついたのかも。これ以上、みんなに迷惑はかけられないよね。ごめんね! 話を合わせてくれて嬉しかったし、久しぶりにいっぱい人と喋ったら学校が恋しくなっちゃった! 明日から登校してみるよ!」

「……っ! 鈴音!」


 その言葉が嬉しかったのかアリスが鈴音に抱き着く。


 鈴音は一瞬戸惑ったものの、すぐに抱きしめ返してごめんねーと謝っていた。アリスの頑張りが報われて一件落着。俺が人形を置きっぱなしにしていたことで鈴音は現実逃避をやめることに思い至ったってことか。


 ……いや、そんなわけ、ないよな。


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