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幸福に生きたい不幸なあなたへ  作者: 木鳥
最終章・優作
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   浪人生活②


「お、優作! 今日も頼むぜ!」


 駅から歩いて十分ほどの場所にある塾に到着した。

 今は学生の長期休みじゃないので、夜間のみの営業だけど毎日のように入れてもらっているので結構な収入源になっている。


「あ、はい。任せてくださいよ」

「へへ、お前の教え方は評判いいからな。頼りにしてるぜ」


 鞄を肩にかけたままだったのにバシンと背中を叩かれた。

 どことなくノリが昭和なんだよなこの人。

 ここはそこまで大きい塾ではなく、二部屋の空間が隣接している平屋構造だ。

 生徒は小・中・高まで幅広く通っているから、曜日や時間ごとに使う部屋によって教える学生が異なっている。

 今日は火曜日だから、中学生の授業だ。


「そんなプレッシャー掛けないでくださいよ……。橘とかは、まだまだ下から数えた方が早いんすから」

「いやいや、それでも成績が上がった方だぜ。保護者から最近家でも勉強をするようになったって連絡来たしよ」

「そうなんですか? それは結構嬉しいですね」


 自分が教えることで成績が上がってくれたのならこれ以上嬉しいことは無い。塾の講師をやり始めてわかったことだけど。

 将来は教師を目指す身としては頬が自然と緩んでしまう。

 そんな顔を見られないように、授業の準備をしようとホワイトボード前の教卓に座って今日の分のプリント整理を始める。


「はは、にしてもここまで坊主が真面目にやってくれるなんてな」

「そりゃ、俺を雇ってくれるのはここくらいですし、真面目にもなりますよ」


 教室の隅で同じくプリントの整理をしながら、藤岡さんが言ってくる。

 理由の一つを適当に言ったけど、俺はずっと勉強を教えられる立場だったから、教える立場の楽しさを覚えてしまったというのが一番大きい。


「そういやこの前の模試はどうだったんだよ?」

「今の感じなら受かりそうです。一応、去年もテストの方は合格してるんで」

「はは。そういやそうだったな。色々ごたごたして取り消されたんだったか」


 そうだ。母さんが薬物でおかしくなって暴力を振るってきたから。

 俺の人生を狂わせるのはいつもあの人だ。

 プリントを纏めていた手がピタリと止まって、藤岡さんに視線が向く。

 俺の視線に気づいて藤岡さんも作業の手を中断した。


「そうですよ。母さんのせいで、俺は大学に行けなかったんです」


 言ってて悲しくなってきた。

 いや、あの時の気持ちを思い出してしまって怒りも込み上げる。


「ま、お前も俺と同じで母子家庭だからわかるぜ。親が殆ど家にいないから大変だよな。邪魔ばっかしてくる気がするし」

「あいつは俺の事をずっと放っていた癖に完全なところで干渉して来たんですよ。そのせいで暴行の疑惑までかけられたんですから」


 この話をしたのも久しぶりだ。

 あいつはまだ薬物中毒の治療が終わっていないので病院にいる。

 とは言っても半年ほど経つのでそろそろ退院しそうだ。それまでに、一人暮らし出来る場所を見つけておかないとな。

 母さんとは二度と一緒に住める気がしないから。


「そう言ってやるなよ。お前も親になればわかるだろうよ」

「少なくとも俺はあんなクズにはなりませんよ」


 自分が親になるなんて考えもしなかったけど、アリスとこのまま付き合っていけばそういう関係になるかもしれない。

 それでも、俺はあんな親みたいにはならないだろう。なってたまるか。


「はあ、お前は生きていくのが大変そうだな。あ、別にけなしてるわけじゃないぞ」

「わかってますよ。もう少し俺が賢く生きていければ、楽な人生を送れるんでしょうけどね」


 冗談っぽくそう言ったのに、藤岡さんは目を細めて見てきた。

 二人して書類整理をしている腕は完全に止まっている。


「凄い事だろ。正直に生きていける奴って」

「人と関わるのは建前も必要ですよ。社会ってそういうものじゃないですか」

「はは、お前にそんなこと言われるなんてな」


 藤岡さんは笑いながら頭をボリボリとかく。

 まだ自立して社会に出れていない俺がこんなことを言うのもおかしいだろうけど。馬鹿正直に他人のために生きても、損をするだけだということは今時小学生でも知っている。

 夢や希望もない話だけど、そういうものだと納得するしかないだろう。


「確かに成功するやつは、多少ずる賢い奴だろうな。馬鹿正直な人間は騙されるかもしれねえし、損をすることも多い。でもよ、真っ直ぐ一生懸命に生きた奴は最後に笑うぞ」

「笑うって……」

「だって。嘘ついて後悔しながら生きるよりもよ、正直にお天道様見ながら歩く方が気持ちいだろ」


 まるで子供のような考えを藤岡さんが持っているなんて。

 でも、悪い考えじゃない。


「そう考えた方が、楽かもしれませんね」


 気付いたら俺は笑っていた。この社会にはびこっているのは汚い大人だけではないのだと、改めて気づかされた。


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