誰よりも醜悪な山元優作という男⑤
「ごちそうさま」
アリスの弁当を食べ終わって、手を合わせる。
リビングはゴミ袋や空の総菜で埋めつくされていたけど、二人分のスペースを空けて座っている感じだ。アリスに嫌悪されると思っていたけど、顔を一切しかめることなく自分の場所を確保し始めたのは驚いた。
机越しに向かい合って座っていたアリスは俺の言葉を聞いて小さく微笑む。
俺はあぐらをかいたまま、弁当箱の蓋を閉じてアリスに差し出した。
「ありがとな。少し、落ち着いた気がする」
久しぶりに誰かが作った食事を食べたから、あまりの美味しさに感動してしまった。
「ん。全部食べてくれてよかった」
「美味しかったからだよ。流石、未来の料理人だな」
「からかわないで。ふふ、山元やっと笑ってくれたね」
アリスに指摘されて自分の顔に触れる。
今まで考え事ばかりで固まっていた表情が確かに緩んでいた。
ご飯が美味しかった、というのもあるけど。一番はアリスが目の前にいるからだろう。
今日アリスと顔を合わせて、久しぶりに会話が出来て胸が高鳴っている。我ながら単純すぎるけど。
「ああ、アリスと話していて気が楽になったよ」
笑みを浮かべる俺に満足したのか、アリスは安堵したように胸に手を置いた。
「よかった。……私はもう少しここにいていいの?」
「悪かったって。ずっと一人だったせいで、気が滅入ってたんだ。今度礼はするよ」
袖で口を拭いながら話す。
一人だと考え事をすればするほど、今後の不安が大きくなっていた。だからアリスと話したことで、精神的にリラックスできた気がする。
さっきまでの俺は一人で閉鎖的な空間にいたせいで苛立っていたのだ。
「お礼なら、今欲しい。駄目?」
「今って。この家には特に何もないぞ」
あるといえばゴミだけだ。
アリスは首を横に振って話す。
「ううん。家の何かが欲しいんじゃなくて、山元に質問があるの」
「質問か。いいぞ、さっきまで酷い扱いをしてたからその反省で」
俺が承諾するとアリスの表情は唇をムッと噛みしめ少し険しくなる。
発言するのを躊躇っているようにも見えた。
一呼吸置いたくらいのタイミングで口を開く。
「そのさ、山元はこれからどうするの?」
「……」
多分、そんな質問だと思っていた。
アリスはもちろん、他のオカ研のメンバーも俺が大学に行けなくなったのは知っている。
ただでさえ悪い部屋の空気が、更に重くなった気がした。
「まあ、取り敢えずはバイトして金を稼ぐよ」
「その後は?」
「……わからない」
だって、自分の全てを懸けるくらい努力して勝ち取った合格が無くなったんだぞ。
俺はおいそれと別の人生設計が出せるほど、賢い人間じゃないんだ。
「……そうなんだ。で、でも、山元ならどうにかなるよ!」
アリスが気丈に笑顔を作って元気づけようとしてくれる。
優しいから、俺の状況を見ていられないんだろう。
でも普段ならともかく、今の俺にとってはその励ましすら母さんへの憎しみを募らせる道具になってしまう。
あいつがいなければ、周りの皆も俺に気遣う事なんて無かったはずだと。
「どうにも、ならないだろ」
心の中では、ありがとうと言うつもりだったのに。口から出た言葉はどうしようもない現実だった。
アリスの言葉が胸を深く抉るように入り込んでくる。
「や、山元?」
動揺するアリスに構う余裕なんてない。
俺は一度出た自分の思いを止めることが出来ず、枷が外れたかのように吐き出した。
「そりゃ三年間勉強し続けた奴らと比べたら、スタートは遅かったけど。この一年の間、俺は間違いなく死ぬ気で勉強してた。堪え性のない俺がここまで地道に何かを続けられたのは、間違いなく周りにアリスたちがいたからだ。大学に合格したっていうのは、俺にとって皆がしてくれたことへの恩返しのつもりなんだ。俺のために使ってくれた時間は無駄じゃなかったって、証明したかった……」
話せば話すほど、自分の無力さと全員の時間を無駄にしてしまった不甲斐なさを痛感する。
アリスは、そこら中ゴミだらけの家に入っても顔色を変えなかったのに、俺の話を聞いて辛そうに目を細めていた。
「それは違う。皆、山元に何かを返してほしくて協力したんじゃない。そうしたかったから、山元の力になりたかったから手を貸したはず」
アリスの言っていることは正論だ。
友達同士って、見返りどうこうの関係じゃないから。そんなの俺だって知ってる。
「でも、俺が最悪な形で皆を裏切ったのは確かだ。親に暴力振るって、自分の人生を棒に振るったんだからな」
「違う! 山元は、そんなことしてない!」
アリスが立ちあがり歩み寄って来る。
俺の目の前で屈み、肩に優しく手を置いてきた。
「何で、そんなこと言いきれるんだよ。お前は現場にいなかっただろ」
「そうだけど、そうじゃない! やってないのはわかる!」
やめろ。
「山元がこんな目に合うのはおかしいよ!」
「うっせえな! んなことわかってんだよ!」
「わ!」
俺はアリスを押し倒していた。腕を掴んで動けないようにして馬乗りで跨る。
アリスの言ってることは俺が何度も考えていた事だ。
正しいだけの、理不尽には何も意味を成さないクソみたいな正論。
「俺が一番悔しいに決まってるだろ! 手に入れた後に一方的に奪われたんだから! いっつもそうだよ! 俺が何かを掴もうとしても絶対に上手くいかない! 母さんは俺に関わろうとしなかったくせに、迷惑だけはかけてくる! ふざけんなよ! 何で俺だけこんな目に合わないといけないんだ!」
過呼吸になりそうな程思っていることを言い続けた。
理不尽すぎる。
俺なんてこんなに簡単に一生を棒に振るレベルの人間なんだと、世間から言われているようだ。
大勢いる人間の中で自分は一生成功できない。誰かの足を引っ張るか、誰かに足を引っ張られ続ける。
幸福なんてものは、不幸を強めるだけの幻想だったんだ。
「山元、落ち着いて!」
「何で俺だけなんだよ!? 俺がこんな目に合わないといけないんだよ!? ふざけんなふざけんなふざけんな! こんな目に合うくらいなら、いっそ死んだ方がましだ!」
自分の思っている全てをアリスにぶつける。
こんなことして何になるのか。
解決なんてする筈がない。
子供じみた、ただの八つ当たり。
行き場を失った理不尽な怒りをアリスにぶつける。
「――はあ! はあ! こんな人生なら、無い方がいい……」
ありったけの息を吐き出して、思いのたけを吐露する。
下にいるアリスはこんな俺を見てどう思うだろう。
多分、幻滅している筈だ。女を押し倒して、自分の怒りをぶつけたのだから。
「山元」
「……何だ。俺みたいな奴とはもう関わりたくないだろ。だったらさっさと出て行けよ」
「歯を、食いしばって」
「なに――を!?」
バチン!
自分の頬から鈍い音が聞こえた。
アリスの手が勢いよくそこに当てられたのだ。
そのせいで体勢を崩して膝立ちだった状態から横に倒れてしまう。
不意打ちだったので何が起こったか混乱している間に、アリスが立ちあがって俺を見下ろしていた。
その目は。
「山元の、馬鹿!」
大粒の涙を流していた。
「何で……」
「何でじゃない! 自分で抱え込みすぎて、死にたいと思ってた私になんて言ったか覚えてる!? 不幸も幸福も考え方ひとつで変わるって、自分でどんな状況も乗り越えられるのが人間だって! 私にそう言ったのは山元だよ!」
一年以上前。夜の病院で。
自殺をしようとしていた体の弱い少女に俺はそう言った。
覚えている。
忘れられるわけが無いだろ。
俺がお前に惚れたのはその時だったんだから。
「でも、もう何もわからないんだ。自分が、どうすればいいのか、何が正解なのか……。こんなに、死にたいって思った事は初めてだ……」
「馬鹿、大馬鹿! 私に生きる希望を与えてくれたのは山元だよ! そんなに、悲しい事を言わないでよ!」
アリスが泣いている。
俺のせいで、泣いている。
「俺は、どうすればいいんだ?」
「知らない! でも、どんな事があっても山元の命には、釣り合わないでしょ!」
「っ!」
聞き覚えのある言葉だ。
だってそれは、俺がアリスに言った言葉だから。
死のうとしているアリスに、お前にも何か出来ることがあると伝えたくて、必死に振り絞ったものだから。
アリスが俺の肩に、もう一度優しく手を置いてくる。
その表情は、自分の視界が滲んでいてよく見えなかった。
「山元。私を生きさせてくれたのは、世界でただ一人の山元なの。だから、そんな山元が生きるのを諦めないで。優しすぎて、何かを抱え込みすぎちゃうなら、私も一緒に抱えるから」
ああ、駄目だ。
そんな優しい言葉を俺なんかに使わないでくれ。
そんな事を言われたら、俺は。
アリスの体を抱きしめるように腕を回す。
「……俺は、俺は!」
「うん」
アリスは抵抗することなく、優しく俺の背中を撫でてきた。
「俺は、駄目な奴だ! 自分の事しか考えてなくて、母さんの事にも気づかなくて! ひねくれて、誰よりも醜悪な人間だ!」
「ううん。あなたは、誰よりも、優しくて温かい人だよ」
「違う! 俺が皆を助けられたのは偶々だ! いつも自分の事ばかり考えて、お前を助けたのも唯の気まぐれだったんだよ! 何も深い理由なんてなくて、偶然上手く行っただけなんだ!」
「ありがとう」
やめろやめろやめろ。
嫌なんだ。
俺の人生に誰かを巻き込むのは。
だから、そんなに優しい声を掛けないでくれ。
「俺と関わったら、皆不幸になる。母さんもそうだ。俺が自分の事しか頭にないから。何も出来ないのに大人になった気でいるから、周りが不幸になるんだ。俺は、最悪な、人間なんだよ!」
一度流れた涙は、もう止まらなかった。
アリスの前で、嗚咽を漏らしながら自分否定を続ける。
その時だった。
「山元」
「んむ!?」
俺の唇にアリスの唇が重なった。
ゆっくりと。俺を落ち着かせるように。
永遠に感じる接吻。
しばらくしてアリスが離れた時、今まで見たことも無いような綺麗な笑みを浮かべていた。
「そんなあなたが、私は好きです」
見とれていた。
アリスの全てに。
その言葉に。
「……アリス。俺、俺!」
「あなたが自分を悪く言うのなら、私は山元の好きなところをその何十倍も言えるよ。何も無い人なんていないから。私は、山元の全部が好きだもん」
「っく! げほ! ごほ!」
泣きすぎて咽た。
それでも、涙は止まらない。
自分を認めてもらえたのが嬉しくて。
自分が必要だと言ってもらえたのが幸せすぎて。
「山元」
アリスが優しく俺を胸に抱いた。
子供のように頭を撫でられる。
「溜め込んでいたなら吐き出そう。今だけは思いっきり」
「はあ! ああ! っぐ!」
そこからはよく覚えていない。
俺はその日。
アリスに抱かれて泣き続けた。
自分の思いを打ち明けて、明日に進んでいくために。
次回の更新は明後日になります
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