七十三話・串木野先生
「あ、串木野先生少しいいですか?」
昼休みに廊下で、串木野先生にばったりと出くわした。
今まで図書室で勉強をしていたが数学で分からない問題があったから、聞いておこうと思い声を掛ける。
串木野先生は教科書を持った俺に気づき勉強関連の質問だと察したらしく。
「了解です! どこが分からなかったんですか?」
いつものように見ているこちらが笑顔になるような快活な笑みを浮かべ、了承してくれた。
職員室前に設置されている長机に教科書を置いて、分からなかった部分を指さす。
串木野先生は見た目こそ完全に子供だが、教師の中でも指導能力に関しては折り紙付きだ。俺が教師に憧れたのもこの人の影響だし、こうやって教わるのは人への勉強の教え方と分からない部分の補足とで二重に得した気分だ。
「――なるほど、わかりました。ありがとうございます」
串木野先生に教えてもらい疑問が解消された。
やっぱりこの人は凄いな、変に上から目線な教え方でもないしわかりやすい。多くの学生に好かれているのも頷ける。
「ふっふー」
しかし、教科書を持った俺に真横で生暖かい視線を向けているのは謎だ。
「あの、先生どうかしたんすか……」
反応待ちだろうから、見下ろす形で先生と視線を合わせる。
先生は待ってましたとばかりに手を合わせた。
「優作さん、だいぶ生徒っぽくなったと思いまして」
「あ、そんなに大人に見えてたんすか? 確かに先生の身長ならしょうがないですね」
「煽るのを忘れない姿勢感嘆に値します、今日の宿題倍にしますね。そうではなくて、以前はもうちょっと目が死んでたのに、今は若者らしく夢に向かって奮起しているので。学生はそうじゃないと」
まあ、確かに以前の俺は死んだ目をしていたというのは事実だ。やることも目標もなく、ただ無意味に毎日を過ごしていたから、作業のように日々を過ごしていた。
串木野先生はその変化を嬉しがってくれているのか。
「夢もなんも無かったんで。今は目標がある分、それに集中して余計な事で悩まなくなっただけっすよ」
「おお! 何かかっこいいですねそれ! 貰います!」
どこからともなくメモ帳を取りだして、何かを書き始めた。覗き込むと今の俺の台詞を丸々写している。
何をしているんだこの人は……。
「そのメモ帳何ですか? 結構古いっすね」
「あ、これは私が作った名言メモです! 学生に何かを教えるときは結構役立つんですよー! 今の言葉も追加してる最中です!」
「やめてくださいよ恥ずかしい……」
「教え子の成長程嬉しいものもないですからね! ばっちり記憶しちゃいました!」
にへらと砕けた笑顔で楽しそうにメモを閉じた。
相当な量の言葉があの中に書かれているのだろう。紙はかなりくたびれていて、カバーも傷だらけだった。
串木野先生が誰かに好かれるのは、こういった日々の努力の成果かもしれない。
「へー、結構色々書いてるんですね。見てもいいっすか?」
「駄目でーす。大人のメモなので、子供には過激な世界が広がっているんです。大人になったら思う存分見せてあげますよ」
「なるほど、そのよく分からない動物の落書きも大人の世界なんですね」
「見えてたんじゃないですか! 性格悪いですね、これは暇つぶしですよ、大人にも偶にはお絵描きしたい時だってありますとも!」
生徒以上にひたむきに物事に取り組む姿勢に俺も頑張らないといけないと思わされる。
俺も負けないように、教室に帰って少しでも勉強をしよう。
「いつかその中身見せてくださいね、じゃ、俺はこれで」
「はい、何か分からないことがあったらいつでも聞いてくださいね」
手を振って小さな先生と別れる。
昼休み終了まで残り二十分。少し苦手な英単語の復習でもしておこう。
今日は一段と勉強へのやる気がみなぎっている。これも串木野先生のおかげだな。
「あ、アリスさんこんにちわー!」
「串木野先生。今日も可愛い」
「ありがとうです! それよりもさっき優作さんが凄くいいこと言っててですね――」
「ちょっと待とうか!?」
唯一先生の欠点は、無邪気さ故の悪意の無い凶行だ。