マスターの憂鬱④
俺がアリスに出会ったのは、あいつが昏睡状態だった時だ。
正確には昏睡状態の中、幽体離脱して霊体となってこの世をさまよっている時。
アリスは事故の多い交差点の近くに立って、無くした記憶を探しながら人助けをしていた。
遠くからでもよく目立つ絹のような銀髪のロングヘアーで、長いまつ毛にクリっとした青い目。傷一つない一色譚の白い肌に、薄紅色の唇。白いワンピースが良く似合っていて、最初はおとぎ話から飛び出してきたお姫様のようだと、我ながら恥ずかしい考えを持った。
でも、そのくらい浮世離れしたような存在が俺にとって最初に見たアリスだった。
知り合ってからも、誰にでも分け隔てなく他人にフレンドリーに接する姿勢に驚かされた。
文化祭がそれだ。知り合って間もない鈴音のために、あんなに大声で叫んで怒れるなんて俺からしたら信じられない行動だったから。
アリスは容姿だけでなく、何よりも心が綺麗なのだ。
だから、そんなアリスと関わって俺は自然と眉間の皺が薄れていった。
それまでは家族関係が上手くいかないだけじゃなく、学校でも腫れ物のように扱われていたのに。
アリスを見ているとそんな悩みが馬鹿らしくなるほど、俺は元気を貰えていたから。
アリスの事は尊敬しているし、同時に俺が少しでもアリスの笑顔を作るきっかけになりたいと強く思う。
マスターの質問に対しての俺の答えは、とっくの昔に出ていたのだ。
「――好きだよ。俺はアリスが好きだ、と思う」
何でアリス本人より母親のマスターに先にこんなことを言っているのかは謎だが、この人は親というよりは友人みたいな立ち位置にいるので躊躇いはあまりなかった。
悩み相談みたいなノリだ。
「お、おお……」
マスターは俺の返事を聞いて目を丸くしていた。
「何だよ、聞いてきたのはマスターだろ」
「い、いや、せやけど。何かこう面と向かってそう言われると、娘の事なのに妙に照れるわ」
「言っとくけど、マスターには何も思ってないからな」
「し、知っとるわい! 残念でしたー、ウチにはもう心に決めた旦那がいますー! 残念やったな、若造」
「勝手に振るな!」
この人とこんなやり取りをするのも何回目だろう。
机に指で円を描きながら目を細めていたずらっ子のような笑みを浮かべている。
子供との距離の近さで言ったら串木野先生と似ている部分があるかもしれない。
「なるほどなー、へえー、山元君はそうやったんかー」
「あんたが聞いたんだろうが、ていうかそろそろ炒飯食べるぞ。冷めたら幸燿さんに悪い」
完全に忘れていたが、俺は食事を取ろうとしていたのだった。
マスターの話にこれ以上付き合ってもからかわれるだけのような気がするので、グラスに注がれた水を飲んで気分を洗い流す。
「おうええで! 聞きたいことはもう十分聞けたしな!」
マスターが話し終わるよりも少し前に、炒飯を口に含む。
そこまでお腹がすいていた訳ではないけど、アリスを好きだと認めてしまったのが恥ずかしくてそれを隠したかった。
「ちなみに、いつ告るんや?」
「ぶっ!?」
唐突にそんな事を聞かれたので炒飯を吹き出してしまう。
「きったなあ! 殺すで、クソがあああ!」
「あんたが急に変な事言うからだろ!」
立ち上がって手を伸ばしてきたマスターと、同じく立ってそれを防いだ俺が額をくっつけて睨みあう。
互いに両手は塞がっている状態。それもこれもマスターが変な事を言うのが悪い。
店員と客の本気の取っ組み合い。今この店に俺たち以外の人がいなくて本当に良かった。
「わ、二人とも何で喧嘩してるの!?」
その時、厨房からアリスが出て来た。
でも俺もマスターも頭に血が上っていてそれどころじゃない。
「聞くなアリス! 男の喧嘩だ!」
「うちは女ですー! こいつが乙女の顔を傷ものにしたんや!」
「はあ!? あんたが悪いんだろ!」
「お前や! ウチはからかっただけやし!」
白熱する言い合いの中、二人して同時にアリスの方を向く。
こうなったら第三者であるアリスに客観的な意見を貰うのが一番だ。
「「アリス! どっちが悪い!?」」
言い合いする俺たちの真ん中に立っていたアリスは、その時見たことも無いような膨れっ面を浮かべていた。
「……二人とも嫌い。お店で暴れないで」
「「……」」
二人して席に着き、机に顔から突っ伏した。
アリスの言葉は俺とマスターの急所を的確に貫いたのだ。
はは、もうだめだ。燃え尽きたぜ。
アリスが俺の事を見下ろしているのが気配でわかる。
アリスの大切な場所でマスターと喧嘩するなんて、幻滅させてしまったかもしれない。
「すまん、俺も少しカッとなってた」
「ウチもや。来ないな年下の坊主に大人げなかったなあ」
「……仲直りした?」
「「したした」」
マスターと二人で頷きあう。
ここまで何か示し合わせたわけではないけど、阿吽の呼吸の如き完璧な連携で仲直りをしたフリをする。
怒り心頭のアリスには基本何を言っても通じない。だからこの場合は俺たちが早く謝らないとより不機嫌になるのだ。
それをマスターも分かっていたから瞬時に誤魔化せた。
「そう、それならいいけど、二人とも最近会ったら喧嘩してるから少しは仲良くしてね」
アリスは可愛く頬を膨らませている。
写真に収めたいほどの表情だったけど、流石にそんな空気ではなかった。
俺がアリスに惹かれているからか、今のアリスの全ての行動が可愛く見える。
「っは! これがマスターの気持ちか……」
気づいてしまった。
マスターがアリスを溺愛しているのは常にこんな視点でアリスが見えていたからということに。
「ふ、山元もようやく来たんやな。こっち側に」
「ああ、マスターのおかげだ」
差し出された手を固く握って、マスターと握手する。
戦友のような絆が芽生えた瞬間だった。
「え、そこまで仲良くされると、少し困る」
隣でアリスが頬を指でかきながら困った顔をしていた、可愛い。




